1988年)16歳、僕は長崎に帰るり東京から追い出された・・・既に触れたとおり、一度、棄た実家に戻り母親との諍いで僅か2〜3ヶ月で新大工町に住む養父の6畳1間の下宿風のアパートに転がり込み約半年間そこで生活し暮らした・・・初めの2月はスーツ販売店の販売員アルバイトとして働いた、でもやはり此処でも僕の心は、既に破綻していて、2月後には、ジーンズショップで務めだし、そこも僅か2月で辞めた・・・で3〜4ヶ月働かず養父の世話を受けた・・・ 僕は1日暇で掃除などをした、醜い肥った体をスマートにする為バーベルやスクワット、腕立て伏せ、腹筋、ジョギング、その他のオリジナルトレーニングに励んだが僕の醜い体の脂肪は減らず、三段腹であった。養父は何処から仕入れて来るのか?朝8時頃にアパートを出て夜10時頃に100円玉、5円玉、10円玉をそれぞれ毎晩、セカンドバックにずしりと持って帰って来た、其の中から僕は1日2千円を頂いた、僕が計算係りで、その小銭を一枚一枚丁寧に数え、平均すると6000円位だった・・・相変わらず僕は日中ファミコンに熱中しシュミレーションの信長の野望で信長に謀反して妹の、お市を、女を、君主にして日本平定に東奔西走した・・・ 食事は出前、コンビニで弁当、茶菓を買い賄った。この頃に寂しくてホテル街を例の様に独り彷徨った、夜は同年の友達と、マハラジャにダンスと、ナンパ目的に週3ペースでなけなしの金を惜しみつつ通った、が僕は既に話したように、肥って、包茎、短小、おまけに小人、馬鹿ときて、ただ踊り狂うだけだった、友達3人は女の子と仲良く宜しくやっていて、 彼らから何故、女と付き合わないのか?等と何度も質問され、僕はその度に、心にもない、俺のタイプの女が見当たらないと苦しい言逃れをした・・・本当は彼女が欲しくて欲しくてたまらなかったのに・・・彼らは自分の気に入った女達とネオンの煌く闇夜に消えて行った、正月などは皆、友達も彼女を横に連れ、初日の出を見に行こうと、独りの僕を誘った、僕はとても惨めな感情に心が支配され嘆息の日々を重ねていた。僕は東京からファッションセンスだけは磨いてきたので・奇抜な華美な、格好をしていたので、街頭TVカメラかアナウンスを受け、お洒落の秘結を訪ねられたが、恥かしくて、無視して逃げたりもした、東京から長崎に帰って来た、当初、僕は友達がおらず、独り銅座にあるマハラジャに3〜4回通ったが田舎なのか?人は疎らであった僕は城のジーンズに、ウエスタンブーツ、頭には赤色で背中の腰辺りまで伸びているバンダナを被り翻し、ベルトの代わりに、玩具の手錠をこしに5個くらい巻きつけ、こんなイデタチで浜の町を闊歩していたら小学生のころの知人に出会い、お〜元気にしとったやぁ、と声を掛けられ、僕はそいつらに、今夜暇かどうか聞いて、彼らをDISUCOに歓待した、彼らは高校1年生2人と、無職の1人で、ぼくを併せて4人のメンバーその後、彼らと僕の4人組でつるむ様になった、でも遊ぶには金銭が伴い、高校生二人は、経済活動をしていなかったので、必然とぼくが、出世払いの名目で、DISUCO代金を捻出してあげた・・・洋服も、田舎者まるだしであったので僕は、彼らに自分の華美な衣装を、譲ったり、靴を貸したり、スーツを譲ったりした・・・ある1人の無職のダチには洋服や現金、DISUCO代金を6万程度トータルで貸していたが、トランプの賭けで負けて無常にも、1円たりとも返済して貰えなかった・・・僕はこの友達との交際費に有り金、全てを注ぎ込み軍資金も尽き果て、仕事も辞め無職になり、高校生2人は退学して、夜の街で遊ぶ金欲しさにステラ座ビルで洋服やのハウスマヌカンとして働き始めた、今度は果然と、僕が彼らの軍資金に甘んじる番になった、僕は暇なので日中は彼らの店、ポッシュボーイに店員でもないのに、5時間も、6時間も、店員のふりをして過ごした、そこで働いていた23歳の女性と懇ろになり、告白されたが、上述した様に、僕はコンプレックスの鉱石であったので、丁重にお断りした、それから連日、僕達は4人でDISUCOに顔を出し、飲めない酒、テキーラを格好つけて飲み明かし、僕以外の奴らは、女と、ホテルによろしく消えたり、正月なぞは、初日の出を観に行こうと誘われ、行ってみると皆、彼女を横に侍らせ、僕はとても惨めで、虚しく感じ、それ以後、正月が嫌いになった、クリスマスも、誕生日も・・・ (1988)年16歳の僕は、半年ぶりに働いてみようと試み、思案橋に当時あったDISUCOスクエアーに履歴書を18歳に偽って働いた、年齢18歳以上であったのでしかたなかった、僕はまだ17歳になったばかりである、此処ではカウンターで酒やカクテルを客に提供するものだった、従業員で18や19歳20歳の男店員がいて、そいつらから何処其処の高校の奴は知らないか等の、質問の応酬を受け、答えに窮して、ボロが出ない様あまり言葉少なく半月ぐらいやりすごしたが、男にも、女店員にも、何をかっこつけてクールをきどってんだと罵られ、すまし屋と呼ばれ、居ずらくなって辞めた・・・本当は、仲良くなって彼女にしたいけれど、短小、包茎、服を着れば着やせするけど、三段腹で醜く、3年前中学の頃の全校の女達に虚仮にされ、対女性恐怖症になっていたし、小人でもあったし、経験も浅い、仕事上では、同年となっていたけれど、僕は殆ど16歳、店の18、19、20歳の職場の、会話に付いていけなかった・・・ (1989)17歳DISUCOの店員を辞め、履歴書を偽り、今度は現代で呼ばれるキャッチセールス、(当時は判らなかった)をした、この商売はまず街頭でけたたましく鍋類、食器類、生活雑貨品、ヌイグルミ等を、喧伝し、おばちゃん連を惹きつけこれ等、皿、鍋、人形を無料で小出しに配りながら話をして、今度長崎に新しく、店をオープンするので宜しくお願いします、新しく開店する店舗に足を運んでくれるなら、もっと良い品物をプレゼントします、等と巧言令色で何もない、 空っぽの店舗に誘導しそこで、また街頭の時と同じ様に、ふんだんに商品を無料で与え、20人位の馬鹿な客は、商品欲しさに、この鍋が欲しい人は手を上げて下さいと号令が、かかれば一斉に、(今迄、たっぱ、皿、人形)を貰っているので、手を上げる・・・頃合がきたら、この食器セットはとても、高価ですが本当に今度店に、買いに来てくれる人にお渡ししたいと思いますので、本当に欲しい人は手を上げて下さいと号令が轟くと、またそぞろ、おばちゃん連は、好餌に釣られ、手を勢いよくを高々と振り上げ、ハイ、はハイ、私に下さい等と、興奮ピークも絶頂の際、最後の秘密兵器が登場する・・・ではこれにて最後に致します、この商品は高級羽毛布団です、之も物凄く高価です、本当に欲しい人はいますか?と訪ねる(流石に、20中約3分の2は躊躇ってもだるが)馬鹿な3〜4人は誇らしげに手を上げる、そこで店長は、手を上げなかった人は今度、またお店が開店した折起こし下さい、今日はすみやかにお引取り下さいと、追い出して、店に残って、布団まで貰えると想っている馬鹿なおばちゃんは、24歳の店長をはじめ20代の社員5名と、僕達アルバイトの4人に、20人の帰った何もない空っぽの店舗で1人の客を3人で囲み上げ、おばちゃん連は後戻りできず、社員から、この布団は、高級で無料にするにはいかない、しかし、貴方が最後まで当店の商品が是非とも欲しいとこうやって残られたのだからサービスで35万円でいいですよ!とローン用紙を客の眼前に出し、客が眉を顰めると、言葉巧みに、考えて下さい、お父さんタバコ吸いますよね、月に計算したら保々1万円掛かります、人生は約70年あります、1日の半分は布団で睡眠をとります、だから人生の35年間は寝ていることになります、だから布団は良い物をつかいましょうよ、この高級羽毛布団は、(材質の説明)だから一生ものなんです・・・お父さんのタバコを我慢すれば、高くないでしょう?と強引に契約書にサインを催促し、貴方さきほどこの布団が本当に欲しいと言っていたじゃないか!とサインさせ、購入させる。1日2回の催し形式で開催される、1日平均35万の布団を10人位に売るので、1日350万の売り上げである、月々8千万の売買になる、こんな感じで当時1989年代僕が16歳、昭和63年はこの会社に長崎市民は鴨にされていた・・・僕はまだ16歳で当時これが、仕事なんだと思い働いていた、24歳の店長以下、20代の5人の社員が、僕達アルバイト4人を操り年商1億円を長崎で稼いでいた・・・僕の当時の自給は何と破格の2000円だった、昭和63年当時の長崎最低賃金が、480円だったと思う、だから毎月38万円のアルバイト料がゲットできたが3ヶ月位で、その会社は忽然と、消えた、いつもの様に出勤したら店舗が閉鎖されていた、だので1月分の給料は貰えなかった、でも2ヶ月で80万近く貰っているので、黒字だったので何の不満もなかったし十分採算はあった・・・金は友達と飲んで回り、パチンコ屋に寄付し、DISUCOに流れた・・・あいかわらず彼女をつくれない虚しい日々を送っていた。僕の始まりに記載したとうりだ・・・ (1988)年昭和63年僕はすぐに、他の就職先を見つけ、働いた、まだ16歳であったので、また履歴書を18歳と偽り入社した・・・この会社はTVで宣伝していたパットサイデリヤーのリフォームと同種の業務内容だ、只、僕は営業課に配属された、またもやこの会社も詐欺集団で、前述の布団屋と同じである、顧客の資産を事前にリサーチし、身なりや、家屋、資産によって、施工の受注料金が何百万単位で、変動する、この会社で僕は履歴書上18歳になっているが、実際は16歳である・・・僕はあの専制君主の母親の家から、この会社の寮に入った、ここにもまた、一癖もふた癖もある、兵ぞろいである、営業部には5人組グループが4組あって、その4組が競い合って売り上げを創る、僕はその一組に所属し、だいぶきたわれた、そのチームのリーダー格は、関西の現在の僕と同じ35歳の人間であった、彼は非常に面倒見がよく、僕達を飴とムチで上手く利用した、16歳の僕から見れば、仕事もよく捌けていて、ちょっぴり、この時は尊敬には御幣があるけど、其処まで大袈裟でなく、頼り甲斐があった・・・前の布団のセールスでは、24歳の店長が詐欺であるけれど、年商1億もの折衝と売買をこなしている、16歳の僕には、これ等の経験から人間とは、年上だろうが、年下だろうが、関係ない、世の中騙すか、騙されるか、騙して地位と名誉を得るか、騙されて貧乏生活を惨めに送るかの差異だと、自分の過去や、自分の当時の境遇に照らし合わせ、人々を見下した、尊大で、猜疑に、心が麻痺していった。 リーダーは毎日、僕達を繁華街の飲み屋に連れて行き、飲ませ食わせ、歌わせた、そのリーダーは僕に、営業の何たるかを叩き込んだ、会社では接客、好印象を得る術、リフォームの取り方etcatr僕達、若い者を股肱にして、飛び込みで、住宅、マンション、ビル、病院等などを廻らせ、営業トークを台詞を覚え込まされた、長崎駅前のターミナルあれ、内の会社が建築したもんなんですよ!今どこそこで建てている家とか、ビルも建設してるんです・・・ついでだからこちらのビルの方も大分傷んでおりますので、一緒に改築させて貰えば安くできますけど・・・と嘘八百を説明をさせ、なんでしたら、近くに上司が来ておりますんで、話だけでも聴いてくれんですか!・・・リーダーは既に、外の車で待機してビルの面積を概算し、施工料金、資材費を叩き出して、手薬煉引いて呼び出されるのを待っている、僕達は話すだけなら只ですからこの機会にぜひともと、アポイントをとる、するとリーダーは、ちょうどでよかったですなぁ〜内が近くの工事やっとるさかいに、ほらぁ、あのTVでもやっとりますやろう!パットサイでリアちゅうやつですがな〜知ってますやろう!アレうちなんですわ!と垂らし込む・・・今やったら、近所で建設してますよて、運搬費やら、も掛からんようしますし、サービスで、安うしときますさかい、お宅も一緒に工事させて貰えんですか、(計算機を取り出し)う〜んこの辺が限度やな、この金額で、私が上司に頭下げて、頼みますよって、と畳み込んで、念を押す・・・この金額でまとまる様にかたつけてきますんでご贔屓に宜しゅうたのんます、ほいで上司連れて来た時、私の顔、潰さんようお願いしまっせ!と捲くし立て、相手に、発言権を与えない、イニシアティブを客に与えないのが、この仕事の本懐である・・・ と、強引に契約を迫り、最後にしぶってきよったら、九州ブロックの鬼瓦統括が再度、訪問して弊社の社員が私に頼み込んで来たその情熱を買って、ほなら、赤字やけど、しゃぁないと、許可したんですけどな〜等と、居座り込んで手の指が何本もない、指で、こんだけで内にまかせてもらえんですか!・・・・絡まれ、(この統括はもとやくざで敢えて、指のない手を武器にしている)・・・と客はビビリまくり断る事もできず、3千万の受注を契約した、するしかない。 こんな感じで長崎はあらゆる詐欺会社に、鴨にされていた、 無論、16歳の僕には、之が世の中の仕事なのだ、と認識しつつも心の片隅では、この弱肉強食の不条理、と自分の辛い体験や過去、人生とを鑑みて、人の世の慨世を祈りつつも、あわれな人の世の現実に厭世を懐き惰性で、生きようとした。 僕が取ったアポイントメントは、青山病院で27000000円位の契約が成就した、その時の給与は、固定給の18万円プラス歩合級だった、そしてこの時、16歳にして、約70万の歩合が付き、計88万円の大金を手にしていた・・・この会社には3ヶ月勤めた、この僕のアポイントで、リーダーには、200万のキックバックがあった、こんな月はもう、仕事もせず、一旦出社して、営業周りに行くと、嘯いて、パチンコ屋で遊び、夜7:00頃帰社し、こ1時間程、練習セールスをし8:00頃に退社し、チーム全員で毎日、飲み歩く・・・でも、仕事は他の仕事に負けない程にハードだ、1日400件500件の物件に飛び込み、神経を尖らせ精神的にもイラツクし、客の心を読み、説得する、1日のうち500件廻れば、499件が、なんしきたとや〜帰らんかせからしかと、が鳴られ、ただただ、脚が痛い日が殆どで、契約が取れるのは、一月に1件受注できれば、御の字である。 とある日、会社は土日が休みであったので、僕は寮で寛いでいた、寮といっても会社の事務所の奥にある、客間で、僕独りしか住めない、6畳の和室に布団が置いてあるだけだ、あと、洋服位、その休みの日、経理の20歳男性、山本が遊びに来た、彼は会社の事務所の鍵を所持していて、事務所を開け、東京に住む、彼女に、私用電話を何時も、かけていて、 この休みの日もそれが目的でやってきたのだ、当時はまだ携帯電話もなく、何時間も自分の電話で、長崎から、東京に電話するのは、半端な料金ではない、僕も雑ざって、友達に電話したりした、事務所の書類などを盗み見したりしたら、誰がどれ位の給料を貰っているのかに、関する書類だった、その書類を眺めていて、ふと、内のリーダーは幾らなのか?と思い付き、計算してみると、何とここ3ヶ月で3千万稼いでいた、一緒に見ていた経理の山本は、いいねぇ経理畑では基本給16万だけばい、とボヤキ、松ちゃんは80万も貰って羨ましいねぇと皮肉を言われた、でも、会社の備品や、電話、交際費は裏技で、誤魔化せるけどね!とも語って哄笑した。 そしてこの会社での最初の問題が浮上した、リーダーは最初のうちは現金払いのキャッシュで、飲むが、3〜4回ですぐに、後払いのつけにする、僕達チーム5人が毎月、その店に落とす、金額は相当なものだ、だので、それを信用してリーダーを責任者にして店サイドは許した、給料日に支払うということを、飲んで、飲みまくる、勿論、リーダーのおごりという不文律が成立していたので、僕には何も解らない、僕もプライベートな友達を歓待してつけで飲んでいたら、ライバルチームと鉢合わせになり、お前、会社と関係のない奴らに勝手に飲んでるんじゃなかとや〜!と怒号され僕の友達が、なんやコラぁここじゃ店に迷惑のかかるけん、表で話つけようで!と会社の人間を激昂させ喧嘩を買ってしまった・・・僕の友達は、まだ、同じ16歳の2人組みで、前述した様にDISUCO仲間で、高校を辞めて、まだ3ヶ月しか経っていない社会の事情に疎く、外に出たとたんに僕を併せた3人VS会社人5人の殴り合いの乱闘が勃発した、僕は3〜4発殴られながら、収拾策を考えたが、先輩を立てて、素直にあやまり、非をみとめて、その日は落着したが、以後、そのチームのサブリーダーの22歳の奴と反目になり、寮で朝寝坊していたら、そいつがやって来て、何時まで、寝とるとや!仕事、始っとぞ!と僕の布団を剥ぎ取り、叫んだので 僕は寝起きで、ムカツイテ立ち上がりざまに22歳の先輩の腕を捩じ上げ、押し倒して牙を剥いた、僕も小学、中学、東京、水商売の世界で、修羅場を掻い潜って来た、16歳のガキの僕は、22歳の先輩に太刀打ち出来たようだった、後は、他の会社の人間に制しされ、やんごとなきをえた。 僕の関西のリーダーからは、毎日コカコーラーを俺に売って見せろと、苦しめられた・・・コーラ1本よう売れん奴が1千万からの契約、仕事が取れるんか〜あほんたれ〜と叱責され、今日はキッチリ鷲に売ってみぃと言われ困り果てた、あの手この手、で売ろうとするが、何時も毎回、リーダーは、そないなもん、うちは、必要ありまへん、ひきとってもらいまひょう、が決め台詞だった、結局、一回も買ってもらえなかった・・・とある日、あの忌まわしき、中学時代の同級生女2人組みに、会社の近辺で遭遇した、彼女達は、僕に媚を売り、媚態で久しぶりね!と接近してきて、いま暇か?と訪ねてきた・・・どういう了見なんだろうか、あれ程、中学時代、1年前にはこの僕を無視して、不良達と虚仮にしておいてである、僕は卒業後も変わらず、小人で、近寄る女はみな、遠ざけてきたし逃げた、そう言うオーラを発光させていた・・・近寄る女にはタイプではない等と嘘まで付いて、友達には、硬派な男で、ガキには興味ない、大人の女にしか僕には向かない云々と、勝手に、解釈されて、本当は違うのに三段腹で、短小で、包茎で、小人で、心の脆いダサい男なのに、どいつもこいつも、外見だけで僕の人格を決め付けて、寂しいんだ本当は、でも形だけは強がっていた、或る日長崎に大型レジャー施設がオープンした、之は僕にとって甚だ迷惑千万な話だった、その施設は温泉、プール、サウナー、アスレチックを、1000円ほど払えば、全部自由に、利用できるらしい、案の定、DISUCO仲間が、僕を誘い呼び出そうとする、僕はその度に、悲しい言訳をし、断るしかなかった、本当は僕も、皆とそういう所で遊びたいけれど、コンプレックスの包茎、短小が、あったので、恥ずかしくて断念をいつも、余儀なくされた、今頃、楽しく遊んでいるんだろうなぁ、と羨ましがった、彼らはそんな僕を尻目に、怪しがったり、付き合いが悪い等と、嫌味まで囁かれていた。 そんな折に、中学時代に僕を馬鹿にした、女が、僕と遊びたいとパッシングしている、僕は実験材料には、いい女かもしれないと、算段し、会社も休みであったので、寮に2人をつれこもうとも思ったが、経験のない僕は、億手でせっかく彼女達は乗る気満々なオーラを光らせ僕を、食べてしまおうという、でも僕はイキナリHはまずいと勝手に思い込み、一先ずはヘルプで応援を呼ぼうと考え、それに僕は一人で、女は2人、会社の営業車に乗せ、冬であったのでエンジンを掛け暖房をつけ、車内で待ってもらった、僕は男を捜すのに奔走した、同級生は皆、原付の免許しかもっていないしアウトだ、ドライブでもと考えた僕は車を動かせないので、会社の人間を手当たり次第に当たったが、肝腎な時に誰も捕まらず、困った、彼女達をのせた車は2時間、3時間と経過し、僕はすまん、おいは、車ば動かせんし、男一人みつからんかった、だいぶ待たせて悪かばってん、今日はお開きにしよう、また今度、機会があったら遊ぼうよ、と帰ってもらった、帰り際の彼女達の面持ちは、初めの頃と違って、気が抜けた瞳で、僕の顔を振返り一瞥し、去っていった、そして再び、逢う事もなかったし、僕はせっかく転がり込んだ実験を逃した。 この頃の僕は、包茎を克服しようと涙ぐましい努力を重ねていた、輪ゴムをしたの息子に縛りつけ、1週間矯正し、すると、青黒く変色し、擦れたのか、3倍も腫れ上がり・・・ 大きくなったのは喜ばしいことだが、数日もすれば、もとのサイズにもどり、また、包茎に陥った、こんな事を16歳から18歳まで続け、やっと、包茎は征服したが結局、20歳、夏の始めての彼女とSEXするまでは、1回も使用することはなかった。
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