・・・僕は何をしたらよいのか、解らず、取り合えず、料理でも覚えようと試み、フランス料理店の見習いをした、でも未来に何の展望も、もてない僕は、つまり彼女をつくれない、ブタで包茎、短小なので・・・一人生きる虚しさの感情に邪魔され、一生涯孤独に、過ごすであろう未来の姿に怯え、仕事に身が入らず、ファミコンゲームや、アニメばかり観ては、宇宙冒険に想いを馳せて、現実世界の、寂しさや、親の子供の頃から続く、うざい、デリカシーの欠片もない小言を、うじうじと、ダラダラと、言われ、嫌気がさして、すぐに、辞めた・・・早くUFOに迎えに来てくれる様に、祈り、 早くドラえもんが、タイムマシーンで助けに、来てくれるのを願い、宇宙戦艦ヤマトの様に宇宙の冒険を強く、激しく望んだ・・・・ 僕は中学を卒業して半年が経った、この街にいても、良い思いでもなかったし、此れからもなさそうだし、宇宙へ旅立つ為の、情報をコノ街では得られそうもまかったし、親の、専制君主制も健在で、支配されて、疎ましく、堪らなく厭わしくて、親を恨み、嫌っていたし、誼のある人間も、存在しなかったので、僕はこの街を、棄てることを、躊躇う、材料も、見当たらなかった事もあり、日本の主都の東京へ旅立つ事を決意した、東京 に出て昭和63年(1988年)中学を出て、7ヶ月が経ち、16歳になったばかりだった・・・・僕はなけなしの、5万円を握りしめ、荷造りする程の、持ち物は持たないので、身体ひとつで、始めて電車福岡まで行き、で初めて新幹線で何時間も、揺られ、単身、東京駅、に降りた、僕は何も解らず、求人情報誌を調べて、住み込みが、出来るところを探し、見つけた、其れは朝日新聞の配達だった、東京駅の公衆電話で問い合わせをし、面接を申し出て、面接地までの、ルートを詳細に、確認して、新宿の始めて、見上げ仰ぎ見る、高僧ビルが犇く、雑居ビルを目指した、面接はあっさりと合格し、其の日の内に、江東区の森下販売店へ配置され、両国のアパートに住み込んだ、・・・毎日深夜、3;00に起きて、店で新聞に入れる、平均15種類の広告の束を手で、一枚一枚重ね準備し、自分が配る、500件分、の朝刊にさっきの束ね準備した広告を、更に、新聞の間に挟み込み、自転車に、特殊な積み方で収め、雨の日も、風の日も、嵐も関係なく、高僧マンション群や下町を、朝方7;00までに配達し、朝飯を摂り、アパートで、昼まで睡眠をとり、昼食を摂り,夕刊の準備をし 集金や、勧誘をし、夕刊を16;00から18;00迄配り、晩飯をかきこみ、眠たいのでサッサとアパートに引き上げ、眠りを貪った・・・・月末の集金は困難を余儀なくされた、都会の人間は狡く、滞納、居留守は、常套手段で、対抗手段として、電気メータの回転速度(コレガ勢い良くグルグル回っていれば居留守)と言う事を、先輩に教えられ、しつこく呼び鈴を押す事や、大声で近所迷惑になる様に叫び、料金支払いの滞納がお宅はあまりに酷くて、困りますよ〜わいわい騒いで、仕方なく出て来る様に仕向けたりしたり、する事を学んだ、東京の人間は、扉にドアチェーンを必ず掛けたままで、半開きにしかせず、そこから顔を、少し覗かせ、すったもんだの、言い訳をして、気に食わないと、扉を閉ざしてしまうので、堅い革靴を履いて行って、靴のつま先を、扉がオープンしたら、すかさず 突っ込む、事も教えられた、其れから、微収の談判をする・・・・ある客は持ち合わせがないからと訴え、来月マトメテ支払うから待ってくれと言うので、信用して翌月に、訪ねると、蛻の殻だった事も、多々あった、300件の集金は中々捗らず、管理も大変である、1世帯3000円を、自分が担当し配達する300世帯を回り、だから90万円の集金をして、店に納めなければいいけない、皆が僕の訪ねる時間帯には、殆ど居らず何回も時間帯を、ずらして訪ねないといけない、結局夕刊を、配達しながら領収書と鞄をを携帯して、合間や、夕刊配達後の、7;00から9;00過ぎまで、回る・・・逃げられれば、僕の給料か自腹をきり、店に納めなければいけない・・・・営業、勧誘、もある、民家、マンションを、水も漏らさぬ様、縫うように、一戸、一戸、訪ねて回り、競合他社からの、乗換えを、好餌、をばら撒き、販売促進商品、をサービスでプレゼントし、誘惑し、契約折衝を行なう、販促品は、自腹だ、並べて、3000円分の、洗剤、ホットプレート、商品券、ライブチケット、云々を買って、契約してくれる客に、景品として渡す、勧誘契約が成立すれば、バックマージンが店から給与とは別に、4000円が現金で貰える、上手く取引すれば、良い小遣いが、入るが、僕はまだ、16歳の子供であったので、安易に契約を取れると想いこんだ、僕は、徒に大量の、商品のストックを抱え、赤字に陥った・・・・こんな生活を、繰り返し過ごした、ココでは20歳、木村19歳、中島19歳、長谷川18歳、斉藤、後、16歳の僕の5人でよく遊んだ、20歳の木村が、仕切り役で僕らを引き連れ、新宿歌舞伎町や、池袋のや、渋谷を舞台にディスコに、よく通った、歌舞伎町のニューヨクニューヨークに一番通った・・・ジュリアナ東京が流行る前4年前の平成元年1988年代・・・ダンス甲子園が流行る、2年前だ・・・僕は始めての夜の街で、遊ぶ興奮と、店内の煌びやかな装飾、超大 音響、爽快で、リズミカルな、始めて聴く、音律に、韻律に、忽ち、魅せられ、心酔して虜になった、僕は、それまであまり、音楽と言うものを、あまり聴くことはなかったが、この、ユーロビートと言うジャンルの音楽に出逢ってからは、このバブル全盛期、CDが登場した事もあり、ぼくはCDラジカセを買った・・・この世の中に僕が其れまで、僕が生きた16年の人生は過酷で、僕を感動させることはなかった、でもこの音楽のリズムは、僕の心を陶酔させた、僕は踊り、狂った・・・すっかりアニメ、ゲーム、宇宙を忘れて、気分上々ノリノリダ、僕はセンスも鈍く、体型も醜く、田舎もの丸出しだったが、ルックス、スタイル、を改善するべく、血の滲む如くダイエット励み、没頭しファッション雑誌を読み漁り、センスを磨く、喜びに目覚めた、少し人生に、楽しみと言うものを生まれて始めて、ちょっぴり懐いた時期だった、辛い食事制限の甲斐があつて、見た目は、スリムぽくなった、でも三段腹で、胸の所は、肉が垂れていたし、短小、包茎、ダンスは上達し、出で立ち達のセンスも身に付き、ちょっぴり、生まれて始めて、自信らしきものが萌えた・・・・でもそれは、外見の見せ掛けだけの、服を剥げば、醜い裸の王様で、しかも、小人ぱいの臆病者だ、コンプレックスの塊だ・・・・先輩たちから、銭湯に誘われても、何時も断り、何時も一人コインシャワーにしか行かない、僕の結界を皆、訝しげに、想われていた・・・そんな最中、僕は黒のスーツを纏いダンスに夢中に踊っていたら、19歳 の長谷川と、18歳の斉藤が、女2人組みをナンパして来た、カウンターで皆話してたが、僕は無視して、踊っていた、だって、僕には恥かしくて、包茎、短小、三段腹の醜態を女の子に、曝け出す、勇気がないので、関係なかった・・・・一人の女は、20歳の木村とカップルになり、もう一人の女性は、マリアと名乗っていたが、僕は気に入られてしまい、困り、果てた、中学時代に女性に、馬鹿にされ、対女性恐怖症で、扱い方が皆目検討もできない、ディスコが閉店し、僕たちは寮のアパートみ彼女たち2人を招いた、20歳の木村は女と自分の部屋にふけこみ、他の先輩たちもおのおのへやに引き取った、僕は寮の自分の部屋の前で女と2人きりにされ頭の中は真っ白、彼女はそこでトイレに行きたいと言い出した、この寮は共同トイレで、風呂もない、トイレは、僕の部屋から4件先の突き当たりにある、僕は案内して、恥かしくて、自分に逃げかくれ部屋の中に入り、淡い気持ちを、期待しつつ、部屋の扉を、半開きにさり気無く僕の部屋はココですよとサインの為開けて、彼女が来るのを、ドキドキしながら、待った、いや来ないでくれとも想った、暫くすると扉の外の廊下から、あの人私を待っててくれず、冷たいわ、会話が、聴こえた、翌日18歳の斉藤先輩が、トイレを出た後一人取り残されていた、彼女を、泊めてあげたらしい、 僕は家電品、洋服、アクセサリー、家具類を買い漁った、16年間自由に出来なかったぶんを取り戻す様に・・・全財産を注ぎ込み、蕩尽した、余る金は殆ど無きに等しかった、 そんなある日、集金中の30万入ったバッグを部屋に、置きっぱなしで、夕刊配達にゆき、帰宅すると、空き巣に、盗まれてしまいすぐに、警察に通報したけれど、写真ばかり取って犯人は捕まらずじまい、何の役にも立たないのは、中学生の自分から解っていたけれど、改めて、憤慨した・・・犯人の目星は僕は、解っていた、一月前に店内の25歳の奴と、揉めて別の販売店へ左遷された、20歳の木村だと・・・で、其の日の内に、店長から、僕には東京の水は辛すぎると、訳の解らない事を言われ、解雇された、僕は所持金2000円しか持たず路頭に迷い暮れて、嫌がる30歳のせんぱいに頼み、拝み倒して、質屋で僕の資金を捻出する為に、家電品や、家具類を転売、売却、する為の、保証人として手続きして貰って、4万円を拠出した、僕はまだ16歳の未成年であるので取引ができないのだ・・・ 其れから、頼る人もいないので、取り合えず、金を盗んだであろう、最近別の販売店へ左遷された、20歳の木村先輩を頼り世話して貰い、其処を紹介して貰い、働く事になった、而して、ここに性格の悪い20代後半のヤクザもどきがいてて、僕は自殺に追い込まれる、20歳の木村は、性格がつよがりで、驕慢でぼくを股肱に利用した、ヤクザもどきより、優位に立とうと、策謀を工作するのに僕を、出汁に使った、先輩曰くヤクザもどきと、皆の前で、僕を数発殴って、張り倒して、強さをアピールするらしい、ことは既に、示し合わせているので、その場のシュチエーションに合わせ、当意即妙に殴られれて、オーバーリアクションで、吹き飛んで、転倒し、謝ればいいと言う算段である、それで20歳の先輩の株が上がって、ヤクザもどきを牽制する・・・・らしい・・・それからヤクザもどきが、僕の気の弱さに漬け込んで、僕を毎日いびり回した、嫌がっているのに、店の店長も、販売員も、一緒に笑って、助けようとも、しない、配達のパートのおばちゃん達も4人いたけれど、傍観してるだけで、他人事だ・・・僕はそんな生活が嫌で、辞めたいと店長に相談してたら、ヤクザもどきが仲裁に割り込んできて、僕を辞めさせまいと、辞めて逃げたら、国まで探しに行って、探し出して、親、兄弟、一緒に、殺してしまうぞ!脅され、相談出来る人もおらず、35才の今もこの頃と同じで、心から相談出来て,話す相手もおらず、孤独に自分自身に話し、決めている、子供の頃からそうだった、僕の友達は僕自身だった・・・僕がどんな状況にもがいていても、親も誰も話もしてくれないし、無視されて来た・・・今も子供の頃からと同じだ・・・過去の想いでも良い事もなく、未来にも希望を持てない16歳の無垢な少年には、このヤクザもどきの、脅しは効きすぎて、僕は自殺して、死ぬ事にした、死ねば、家族まで殺されずにすむと、想ったので・・・・寮でガスを出して、バファリンの錠剤を一箱分、全部、水で飲んで、3分位で、気を失った、でも寮の住人が、気付いてガスを止められ、僕は30分位眠って、いたのだろうか?気が付いたら、というか、凄まじい吐き気と、頭が割れる様な、頭痛で目が覚めたのだが、嘔吐が酷く、黄色い胃液を1日のたうち回り、吐き続けて、自殺を、図ったので、仕事を、辞めさせられ、僕は死ねずに、自殺に失敗して、家族もころされず、長崎に、逃げ帰る事が出来た・・・ 僕は専制君主制の実家しか行く場所がなかった、15年苛められ逃げ出し1度棄てたが、結局、僕は何処へ行っても、苛められて、もう疲れ果て、無気力になり、実家でファミコンゲームばかりして過ごした、16歳・・・2ヶ月で母との毎日のバトルに追い出された、仕事しろ、働け、遊んでばかりで、将来どうするのか、云々、喧しくネチネチしつこく、家にいる間、四六時中、閉じ篭って、ゲームをしている僕の部屋の外から、耳障りな文言がずっ〜と聴こえて来る、イライラしていた・・・僕には将来何てないし、仕事しても意味がないのに、そもそも疲れ果て、生きる気力がないのに働けるわけがないのに・・・ 自分は、パチンコばかりして働かないくせ、僕をほったらかしにして、暴力で苛めあげておいて、中学の頃地獄のような死ぬ思いをしてるのに助けても、くれなかったくせに、 自分の事は棚に上げ、僕ばかり責めて、責めあげる、僕が悪いと・・・・僕がおじさんに性的虐待をうけたのも、同級生に毎日リンチを受けたのも、チンポ嘗めさせられたのも、 盗みを殴られてさせられたのも、勉強も出来ず、字も読めず、になったのも、社会に溶け込めず、人と上手く付き合えないのも、それのせいで働けないのも、包茎で、短小で、彼女をつくれないのも、全部、僕が悪いって、何も知らないくせに、知ろうともしないくせに、ぼくを、責める・・・・そうやって何も解らず、一人で悩み、一人で考え、一人で実行して、生きてきて、刑務所に入れられても僕が悪いと子供の頃から、文句だけで、暴力だけで、助けもせず、後は無視して、学校まかせにして、刑務所まかせにして・・・・無視して来て・・・ 僕を責め、僕が悪い、とんでもない奴だと、苛める・・・・結構だ、僕はもう 真実を、心理を手にいれたんだから、可もなく不可もない、あと少しで僕は蝉脱する・・・ 母は僕の部屋に乗り込んで来て、なぜ仕事しないのか出て行け〜ト叫びながら、テレビを台から、ひっくり返し、ゲーム機を、壁に投げつけた、・・・僕の生命を、かろうじて維持している道具を、僕から奪おうと壊そうとした・・・僕の生きる糧は、酒でも、女でも、ギャンブルでも、金でも、車でも、名誉、地位、財産、でもなかった・・・・ 只、一つだけの愛がほしかった、この地球に生きる60億の中から、一人だけでいいから、味方がほしかった・・・・でも、もう遅い、腹水盆に返らず、だ・・・ 僕は、潰され続け、棄てられ続け、壊れてしまった、疲れた・・・・・・・・・ 平成元年(1988年)16歳東京から実家に、帰って、僅か3ヶ月で僕は、母の横暴に耐えれなくて、新大工の6畳1間のアパートで離婚して暮らしている、養父、の所に逃げ、6月程、 食べさせて貰った・・・仕事もやる気がなく、転々として、 過ごした、17歳〜21歳までず〜っとだ・・・女に飢えてどうしようもなく、一人、夜中の町をあさまで流離い、ラブホテルの前で、一人、張り込んで、出入りする、カップルを、眺めながら、羨ましがり、朝方、家に一人寂しく帰り、家で女を想像しながら、自分の手で慰め、こんな日々を何年も過ごし、時には一人でラブホテルに泊まって、備え付けてある、利用客用のSEX体験記録、を読んで、憧憬し、想像して、自分の手で慰めたり、ホテルで流れるAVを観ながら、自分の手で慰めた・・・・平成2年(1990年)僕は18歳、小学世の頃の友達と久々に逢い、付き合い始めた、かれは車の免許を取り、車を買い、僕をナンパのた為の道具にした・・・週に4回夜な夜な朝まで、車に女を乗せる為、走り回り僕に、女の声欠け約をさせた、彼は美男子でもてていた、車は持ってるし、顔もいい、背丈も僕と変わらず、スタイルがよく、僕は金も、仕事も、免許も、車も、頭も、何もない、遊んで貰うために、彼の為に、女の子を、あの手この手で、笑わせ、機嫌を取り、車にでドライブしようと、声をかけ回った・・・・・ 20歳までの3年間で300人以上の、2人連れの女の子を捕まえた、そのうち200人位の女が彼と、ラブホテルに消えて行った・・・・僕はラブホテルの前で、車を降ろされて、一人虚しく、家に帰って眠って、目覚めたら、ファミコンをして、彼から夜に呼び出され、ナンパに明け暮れた、18歳から20歳までの3年間、300組の女、全員が、僕を利用して、 美男子のダチと仲良くなって、寝ようと、僕に渡りを、架け橋を頼んできて、誰一人、僕は彼女たちに、相手にされなかった・・・・・男も女も、皆、僕をりようした・・・・ そんな20歳の終りごろ、僕を見てくれた女の子が生まれて始めて、現われた、僕は、始めて、恋をして、その娘と恋に落ちた、僕はその娘を全力で、全身全霊で、魂をかけて愛した、この娘が僕にとっての神様になった、マリアに・・・同棲した3年間・・・・ 23歳まで、僕は彼女しか見えなかった、僕の目は、彼女の可愛い顔だけを、見るために生えてあり、僕の耳は、彼女の美しい声だけを、聴くためにだけ、生えていて、僕の心は彼女の為だけに、この世に存在していた・・・・3年半の僕のこの世での任務は、終わった、彼女の親たちが、僕の命、唯一の宝物を奪い去った・・・・・そして僕は死んだ・・・・・ ココは月、僕は今でも君をココで月で、傾国女の君を愛してる。 想うだけ 和むなごりを ありがとう 貴女がくれた 愛のおもゐで
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