20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
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作品名:月で叫ぶ伯楽 作者:シュレッテンガーの猫

第2回   僕の人生の続き
・・・中に何がはいってるのかな? ワクワクしながら、封を開いた、中には綺麗な、新札で、1万2000円入っていた、僕は、とっても嬉しかった、眠たい毎日と、キツい仕事の、おかげで得れた、お金だけに、今まで稼いだ、パチンコ代打ちや、おじさんからの援助交際のあぶく銭と違って、重い、僕の血と、汗と、涙の労働の、結晶だった、僕は嬉しさのあまり、記念に、買い物をし様と想い付き、模型屋さんに、忽ちその足で、走った、僕は大好きな、宇宙戦艦ヤマトのプラモデルを2000円で迷わず購入して、スキップしながら、ニヤニヤ笑みを溢しながら、誰も居ない、夕方の家に帰り、早速、箱をあけ、鼻歌を囁きながら、宇宙戦艦ヤマトを1時間半かけて、夢中で、組み立てた、格好よかった・・・僕は自分の学習机の上に、それを、誇らしげに、飾った、そして夜パチンコを終えて、帰ってきた母は、僕の机の、宇宙戦艦ヤマトを認識すると、その船はどうしたのか?と声を荒げ言われて、僕は、ニコニコ笑いながら説明した、でも母は、何で給料が入ったら、お母さんに、渡さないのか〜と激昂して畳み込んで、ヤマトを鷲掴みに、して頭上に振り上げ、床に投げ、叩きつけた、僕のヤマトは儚く、無残にもバラバラに壊れ去った・・・・・
   母は追い討ちして、僕に更に陰険ないじわるな、言葉を連発した、僕は泣きながら、心の中で、母の折檻を受けながら、叫んでいた、何で?何で?なんで?って叫んだ、泣きながら心の中で・・・・・・・・
    新聞配達のバイトは辞めた・・・働いて、怒られ、叱られ、壊され、て僕は、馬鹿馬鹿しくなって辞めた、この時に、多分、僕の働くという、意欲の、種、芽生えを、摘まれてしまったのかもしれない・・・・・・・
   僕はまた夜空の月と、煌く星たちに照覧されて、一人ぼっちで佇んでいた・・・
パンツ一枚、Tシャツ1枚、深夜3;00頃、養父、訪って来る、僕は何時も、養父のおかげで、暖かい家に、入れて貰えた、週2のペースでやって来る、でもオプションで、獣たちの、雄叫びを、交響樂奏の拝聴を余儀なくさせられる・・喘ぎ声に、悩まされた、いったい何をやっているのか?皆目、検討もできず、解らない・・・エロ本はあくまでも、漫画として、受け止め、想い続けたので、まさか、エロ本の真似してるとは、馬鹿な僕には想像すら、できなかった・・・・
   中学1年生昭和60年(1985年)入学式当日、早々に、2年の先輩に呼び出しを食らい数発、殴られ、違反不良学生ズボンを月賦で、月々2000円で購入させられる、困った事に、巷では、何やら、暴走族の漫画や、不良の喧嘩の漫画が若者の間で流行っている、ビーバップハイスクール?湘南爆走族?・・・僕には甚だ、迷惑千万な、漫画であった・・・
廻りの同級生、先輩たちは、髪の毛を茶色や、カラフルな赤、黄色、緑に染めあげ、屯し
違反グッズを調達して、飾り立て、短ラン学生服、長ラン学生服、メーカもの、ブランドもの、裏ボタン、くし、財布、手鏡、エトセトラ・・・衒いあって、自慢し合ってたし、不良グループの、僕への勧誘の催促も野暮ったかった、僕はそんな事には興味なく、ファミコンのドラゴンクエスト、ファイナルファンタジーの世界のスキルアップに忙しく、映画はSFものを、好み、スターウオズ、スタートレックを観るのに忙しく、TVアニメを観るのに忙しく、漫画本、不良ものではなく、少年ものを好んで読み耽る、僕の実生活の数多の諸問題、の対応、処理に追われ、忙しく、不良たち、と話のそりがあわず、僕は、一人、孤独に、硬派に彼らと、距離を置いて、いた。
   先輩に呼び出されロッーカールームで、鉄パイプで、頭や、体を6回位、打擲されて、いじめられたりした、僕の心もかなり、荒んでいてて、腹いせに、クラスの気に入らない奴に、こじつけて、難癖をつけ、因縁をかけたり、挑発したり、罵倒を浴びせたり、威嚇したり、脅したり、軽く小突き回したりして、おちょくって、憂さ晴らしていた・・・
いじめを、僕は是まで、数え切れない程に受けている、しかも、現在進行系でも・・・
だから、その鬱憤を晴らす様に、僕も、他の弱いヤッを掴まえては、虚仮にして、遊んで、過ごした、勉強は、外国の言葉の如し、呪文の如しで、全くチンプンカンプン、学校へは遊びに、通って、授業になれば、抜け出して、屋上で寝てたり、休み時間に、戻って、誰かを絆しては、からかって過ごした,後はそれにもすぐに飽きてしまって、母は、パチンコで居ない、妹は、やっと、僕が保育園へわざわざ、向けにいって、送ったり、食事や身の回りの世話を、焼かなくても、いい歳頃になって、小学校1年生になり、自力で活動して、僕の手を離なれ、まだ、幼く、交わす言葉も、あまり、深く分かり合えない、妹たちを、生活に差し障りのない程度の、対応、対処をして、自由裁量にまかせ、僕は自分の人生に追われ其れに途惑い、一人、孤独に過ごし、悩みを相談でき、理解し合える、者が誰も、おらぬままに、いた・・・・・僕は現実逃避を加速させ続けた、友達は、機械、TV,ゲーム、漫画、アニメ、噺、相手は35歳の今でも同じ、自分自身、それと夜空の煌く、月に、星たち、だ・・・・誰一人として、僕の事を、何一つ、知らない、解ろうとともしない、
頭のおかしい、危ない奴、だとしてレッテルを貼られ、倦厭されて、避けられ、続けた・・・・
  僕はゲームドラゴンクエストの世界の経験を、重ねる、為に、僕の時間を注いだ、このバーチャル世界の出来事、イベントをプロセスを、一つずつ、消化して行く、敵モンスターを、新撰組副長、土方歳三、愛刀、和泉守兼定や、聖剣エクスかリバーや、坂本竜馬、愛刀、陸奥守吉行で斬り、倒し、お金や、兵站物資、や鹵獲品を手に入れたり、宝箱を見つけたり、その世界の、海、山、川、を飛行機や潜水艦、馬で駆け廻り、宇宙に隠れている、ラストボスの悪魔神ルシフェルや、サタンと戦い、争い、策謀や、知略、戦略や、作戦を練って、働かせ、負けない様に考えて、戦争し、対決を、挑む、現実の世界の日常の何と、単調で、機械的で、束縛(腕力、か、頭脳だけが支配する)だらけなことやら、
  ゲームの世界は、腕力だけでも、頭脳だけでも、偏っては生きて行けない、文武両道で応用能力が、臨機応変、当意即妙、機転が必須事項だ、現実の単なる頭脳に記憶を、詰め込んで模写、模倣、の退屈なものではなく、また、腕力で、相手を、丸め込んで騙したり、脅したり、頭脳だけで、相手を、欺いたり、引っ掛けたり、誣いたり、詐欺、背任、賄賂、贈賄、収賄、買収、談合、どれもこれも、卑怯な、卑劣な、騙しあいの世界だ・・・
  ゲームの世界は騙しあいは存在するけど、何より陰険でなく、互いに、魂と、命と、志、を賭し敵(相手を)それなりの、敬意と、尊厳、払って、闘い合う・・・・
そして、対決する、勝負する、現実の様に、延々と騙しあい、曖昧な命を賭さない、利己的、保身、保守ばかり、考え、命を賭けての真剣、対決から頭脳に頼って、避けて逃げて、闘う素振りして騙し、美味い所だけ、横から、かっさらって行く、ドロボー集団、嘘つきの詐欺集団と、何ら見分けがつかない付和雷同し、迎合し、媚態し、阿りの、敬意や、尊厳を払う、価値もない、折助ばかり、跋扈する・・・・・
    現とは  歌舞に道化が  跋扈の世  だ・・・・・
  僕は学校にも、いても呪文と、お経、で分け解らなくて、面白くもないし、いじめにも、すぐに、飽きて、学校さぼって、ばかりで、後は誰も居ない、家に帰って、上記のゲームの世界で、生きていた。
 僕は昭和61年(1986年)中学2年生、環境は、小学生の頃と、些かも変わらず、母の、靂(はたたがみ)のビッグバンも破壊力は、衰えず、中2の僕は、歯向かうことも出来ず、母の、封建体制?の専制君主制度の管理下に、隷属して、ムチ打たれ、張った押され、痛め付けられていた・・・・まったく、敵わない、なされるがまま、奴隷だ・・・・
 僕はこの頃から自発的に、自慰を始める、精液が出る様になったのも、この頃、毛もやっと生えて来た・・・そんな2学期頃、僕は、親の勝手な、都合で、引越しをする事になった、其れまで1年半の間、ぼちぼち、通った中学校を転入する事になったけれど、学校の、同級生も、先生も、別れの言葉もなく、見送りすら、誰ひとり、してくれず、僕は寂しく孤独に、その淵中学校を去った・・・・僕は、誰にも、相手にされてい、消え去ろうが、誰一人、気にも留めない・・・・・
  僕は中学2年、(1986年)夏、緑ヶ丘中学校へ転校した、早々に、僕はクラスの、頭を金髪のリーゼントで逆立てた、不良20人に、十重二十重に包囲され、何やら珍妙な、動物か何かの如く、見世物になり、謗られ、僕は、びびりまくつて、怯えて、揶(からかわ)れ、虚仮にされ、何も言えず、沈黙し、俯いて丸まっていた、放課後、帰宅しようと、したら不良たちに、捕捉され、校舎裏の墓地の敷地の溜まり場に、強制連行され、10人に包囲され、罵詈雑言を受けた末、袋にされた・・・僕の顔、体、脚、を容赦なく、10人交代で、代わる代わる、一人10発ずつ殴り、跳び蹴り6回の60発位の殴打の嵐を、立て続けに受け、20分近く?とても長い時間、ぼくは、朴人形の如く、打ち浴びた、前後、左右から、僕の頭、顔、体、脚を10人の拳や、蹴りが襲う、転ぶと、ニードロップや、跳び蹴り、され、むりやり、立ち上がらされ、ストレートパンチの雨霰が僕の顔を、ズン、ドンと襲い仮借ない、パンチの拳が、蹴りが、徒党を組んで、襲ってきた、・・・・僕の顔は腫れ上がり、鼻血が流れ、口の中は切れて、唇の内側は切れまくり、血だらけの涎を、流しながら、泥と草むらに、転びまみれ、転び寝転んだ所を、執拗に踏み付け蹴り回され、拳、蹴りに打ちまわされた、やっと開放され、泥と、血と、草木のゴミと、血の涎で、ボロボロに汚れた、黒い学生服は、一部分が、赤茶色に染まり、一人寂しく、誰もいない家に帰り、風呂に入って、綺麗に、洗った・・・・翌日も、僕は、囲まれ、教室で、女子生徒も雑ざって虚仮にされ、脅えて、すいません、すいません、

すいません、と連呼し、はい、はい、はい、と相手の挙動を逐一、分析して何とか許して貰い、逃げ腰を徹した、(この様な技は、幼い頃から、僕は人の、顔色を、窺う、癖が成長していた)が不良たちは、益々調子ツキ、興奮して、有無も言わせない、パンチの拳が、僕を、連打して来て、辺りにいた、者たちも触発され、参戦して来て、また僕を代わる代わる、殴打と蹴りの、応酬の雨霰・・・・・・僕は涙を流しながら、謝り続け、泣きながら、許しを乞うた、でもエスカレートするばかり・・・僕は前日と同じ様に、泥、埃、血だらけ、になり、顔を青黒く腫らし痛み、足腰体は痛み、一人、家路を辿った・・・・・
  其れから僕は、不良たち、虚け者たちの玩具、走狗、にされた、毎日7〜8発の拳のパンチを顔に、打ち込まれ、TVのお笑いギャグの、物真似をさせられたり、3回まわってワンと吠えろとか、教室の、女子生徒たちの前でさせられ、冷笑され、渾名をブゥーと、付けられ、(僕は、身長154cm体重90`の豚で、チビ、だった)所持金を取られたり、パシリに利用したり、魚釣り用のイソメと言うミミズのを少しグロテスクにした物が仕込まれた肉まん、を食べさせられたり、そんな僕を皆で笑い、笑い飽きたら、パンチや、蹴りが飛んで来る毎日だった・・・・・・校舎裏、墓地の敷地の溜まり場で、大嫌いなタバコも、殴られ、泣かされ吸わされた・・・・・無理矢理、酒も飲まされた・・・・・・
  その度に、不良たちは、僕に、逐一、細かい、感想を尋ねてきた、うまいか?いたいか?きもちいいか?もんくあるか?等々、答えが気に食わないと、殴られた・・・僕は、彼らの玩具、実験道具、だ・・・・・・其れから彼らの為に、彼らの生活用品や、食料を、盗む様に示唆され、使嗾され、教育された・・・恐喝、車上荒らし、空き巣、バイク窃盗を無理矢理に、強要された・・・・警察に捕まっても、全て、全部、僕が責任を負わされた、苛められ、脅され、仕方なく、已む無く、しているのに、先生たちは、観て見ぬ振り、親と話すと言う習慣も、なく赴任されてたし、社会も皆、傀儡の、僕が悪いと、責立てる学校は僕が、苛められてるの、知ってるくせに、黙殺して、助けてもくれない、誰も彼も、皆、僕の敵だ、僕は独りきり、子供の頃から・・・・更に再度、警察に捕まり、裁判所で裁判官に、少年院にいれますよ!と恫喝され、僕はとても悲しく、心の中で、どうして大人たちは、僕にだけ責任を押し付けて、僕を裏で、操っている、苛めっ子たちを、捕まえず、看過するのか?と不条理、極まる慨世を恨み、悔しくなり、どうにでもなれ、という想いで、自暴自棄な感覚に、陥り、裁判官に対して、少年院に入れても良いと、構わない、と伝えた・・・・・
  すると拘置所に3週間、隔離され、その挙句、糞の役にも立たない、保護観察処分をうけた、この期間中は週に3回ペースで、近況報告を、保護司にしないと、鑑別所に入れられるらしいが、僕はそんな事は動でもよかった、この期間中も、苛めっ子たちに、悪事を、働かされているのに、保護司は、助けにもならず、形式的、事務処理、を行なうだけ、僕は声なき声を、心の中で、独り叫ぶだけ、保護司は自分の、職務(僕の言質を記録するだけ)をちゃんとしている風で、満足げで、あった・・・・其れから僕は、学校を避け家に閉じこもり、自分の殻に堅く自分を、閉じ込めた、中学2年の2学期中旬から、卒業しても、学校には近寄らなかった・・・・・家に居ると、朝から、学校へ行け、と母から喧しく、叱られ、僕は恐くて行けないのだ、と訴えるが、解って貰えず、言い合いに負け、   それ以上話すと、喧嘩なってしまって、家を叩き追い出され、近所の駐車場と、廃品回収所が、一緒になつた場所であったので、古本を貪り、読み耽た、母がパチンコに行ってしまう頃を、見計らい、11;00頃に家に戻り、ファミコンして過ごした・・・・
でも不良たちが、家に僕を連れ出しに来て、強引に連れ出され、僕は山に連れて行かれ袋にされて、逃げようと、したが、回りは崖プチで、6mもあろうかの、高さと、75℃もの急斜面、に突き落とされ、僕は大車輪が火の輪を加えた様に、猛烈に頭、や体、足腰をゴッゴッ打ち付けながら、回転し雑木林の密林を、転げ落ちた、20回転以上もしたか?・・・
良くぞ、死ななかったものである・・・僕は崖下の径に、ドサリと落ち、身体中、顔全体に、細かな、かすり傷を、負い片輪の様に、ちんば、になって、追い駆けてくるのでは?と心配しながら、追跡を、撹乱する為、普通の道を通らずに民家の中庭を、東西南北に縦横に、逃げた・・・・・
  而して、そんな時を経て、昭和62年(1987年)中学3年生の年代が始まった・・・
然し中3の初めに、不良たちが、僕の家に、押し掛けて来て、学校の先生から頼まれて、心配して、迎えに来た、等と称して、母を丸め込んでいた、僕は彼らの、目論見を、解っていたので、家の奥へと逃げ込むと、母は、怒号しながら、せっかく友達が心配して迎えに来てくれてるのに、お前はいったい何を考えているのか〜ど叫び怒られ、学校へ行け〜と叱られ、僕はそれでも頑なに、拒んだ、すると母は、僕を張り倒し、不良たちの面前で、
僕の太腿をドラィバーで4回位、刺され僕は、家から追い出された・・・・・
  案の定、不良たちの巣に連れて行かれ、先程の件を問い質され、パンチの洗礼を受けた・・・そこで僕は、シンナー無理矢理、吸わされた・・・僕は朧な、過去の酷い体験を受けた子供の頃からの自分、の幻が、走馬灯の様にクルクル幼い僕が、僕の姿が、次々と浮かび、沈み、表れ、隠れ、靄の様に、其の哀れな映像が浮かび、流れた、僕はいたたまれなく、悲しみに包まれ、其れまでの14年分のその姿の全てに対し、慟哭し、涙を流し泣きに泣いて、泣き崩れた・・・・・・どれ位の時が経ったのだろうか?・・・
  我に返って、無性に、家に帰りたくなって、お暇し様としたら、ラリッた、不良たちに、呼び止められ、皆ラリッテいてて、僕は殴りつけられ、興奮したソイツラは、僕を殺して裏庭に、埋めるか、どうか、と、涎を垂らしながら、不安定な発音で、喋っていた・・・
  僕は震え、怯え、殺されるぅぅぅぅぅ・と戦慄していた・・・・・そしてご機嫌取りの為に謝り、シンナーをもっと下さいと、強請って、仲間っぽく演じて、シンナーを吸い続けた・・・・・暫くすると、女を連れた、不良がやって来た、彼らのこぼれる会話の端々から、彼女は同じ学校の中2の生徒らし、事が解った、まっ僕には関係ないと考えている内に、劣情、赤裸々に、我先と群がり、女の子を囲み、壁に押し付け、女の子のパンティーを脱がし、シャツを無造作に、乱暴に、はぎ取っていた・・・僕は白痴になってポォーケッと、眺めていた、彼女は困った顔して、順番に、順番にって、振るえる声を伝えていた・・・・僕はこの混乱に便乗して、抜け駆けし、家に帰った・・・・・
  そして僕は、家も安全でなくなり、居れなくなり、朝、早く家を出て、公園でボーット過ごしたり、商店街をうろついたり、ビルの屋上で、太陽の燦々と射す青空と、漂い流れる白い、雲に見惚れたりしてたら、不良たちの、レーダに感知され、捕らえられ連れ回され夜の、学校のプールに連れられて行き、秋も初めの、肌寒い、苔が汚く、大量に繁殖している、そのプールへ50円をやるから、飛び込め、と命令され、僕は拒めば、どうなるか、学習していたので、嬉しそうな、作り笑いで、芝居しながら、彼らが満足する様に、不満をなるだけ抱かせない様に、滑稽な姿で、プールへ走って、ダイブした・・・・
僕は、ずぶ濡れになって、爆笑を得て、笑われた・・・僕は寒さで凍え、震えた・・・
  3日間、不良たちの巣に、監禁され、盗み、パシリ、に利用され、悪戯や、貶されたり、苛めを受けて、弄ばれ、嬲り回された後、やっと帰ってもよい、と許可され、開放された・・・・ 
  が4人の不良が、僕に憑いて離れず、家までシツコク纏わり憑いてきた・・・
誰も居ない、僕の家に、上がり込み、我が物顔で、偉そうに振る舞い、その4人は僕を、素っ裸にして、オナニーをしろ、と命令した、ココでも僕は、彼らの機嫌を損ね、殴られない様に、従うしか、なかった・・・・そしてイク迄止めるなと指示され、彼らは耳掻きやボールペンで、僕の、乳首や、脇腹を弄り、耳に息を吹きかけたりされた・・・・
  気持ちいいか?など、質問までされ、僕は、ハイ気持ちいいです、と頷き、芝居させられ、散々だった・・・・・そして皆、遊び飽きて帰って行ったけれど、一人だけ居座った奴がいた、そいつは、誰も居なくなるのを、玄関まで確認し、2人きりに、なったとたん、そいつは、自分のズボンと、パンツを脱ぎ、丸出しになって、僕に命令した、拳を振り上げジェスチャーし、嘗めろって・・・・拳の合図が、僕は恐くて、泣く泣く、彼の、ものを、咥え、何回かスライドしたら、パンパンに太く硬く漲っていった・・・僕は、吐き気を催し、その場の床にオッエッと唾液を垂れ流した、流石に、そいつは諦めたらしく、自分の既に、納まり所を失った、硬い悶えるものを、鎮める為に、自分の手で、慰め、溜まった液体を、僕の眼前で、ぶちまけた・・・・・終わった・・・・・・
   でこの件を他人に、話したら、殺すと、念まで押された・・・恐かった・・・・
僕は街を逍遥し、奴らに、発見されるのを畏れ、外にも出れず、居留守を使っていたら、裏の窓ガラスを、叩き割り手を突っ込んで鍵を解除して、窓から侵入してきた、僕はココ数日の居留守を咎められ、パンチン洗礼を浴びた、其れから僕はこの中学3年生の2学期の初め頃から、卒業までの、約8ヶ月間、家に居る事も出来ず、街に居る事も出来ず、工場の暗い、倉庫で息を殺して、過ごした・・・朝、家を出て、スーパーで、お菓子や飲み物を万引きし、本屋で漫画本やエロ本を万引きし、すぐに、街外れ、場末の倉庫に転がり込んで、眠り、夜に家へ帰って、朝、万引きした、食糧を飲み食いし消化し、漫画を読み、ファミコンをし、エロ本で、自慰で、小さな、息子を慰め、朝まで時間を潰して、倉庫と、家の往復を繰り返した・・・・僕は鬱憤と、精神の抑圧の、はけ口に、万引きと、過食症によって、ガス抜きをしていた・・・・・ブタで醜く154cm93kg・・・・容姿も醜く、包茎、短小だ・・・・ 
  そして過ごし、昭和63年(1988年)卒業まじか頃は、不良たちは僕の事を、忘れてくれたのか、有り難い事に、僕は、家で暫時、寛ぐ事が、出来た・・・・でも毎日、母と喧嘩、学校へ行け!恐くて行けない!の押し問答・・・・・そんな卒業までのカウントダウンも、指折りの真冬の、ある日の朝、母と、件の事で、揉め、ストーブの上で、白い煙のシュウ〜シュウ〜蒸気を吹いた、沸騰したヤカン、のお湯を、僕の、左足に、かけられて、大火傷した・・・母は、僕に、学校行かないと、このお湯をかけるぞと叫んで、怒り、僕はまさか本気でない、と臆断したが、甘かった、おおっかけれるならば、かけて見ろと、言い放ったその、次の瞬間、母は、何ら躊躇いもなく、徐にヤカンを持ち上げ、僕の足に、ジュバァバァバァと蒸気の飛沫音を、響かせながら、流した・・・・・
  僕は時が暫く止まり、まさかぁ〜と空言を想像していた、が突然、激痛が僕を、無情にも現実に連れ戻した、僕はウァァァァ、アッチ、 アッチ、アッチ、アッチ、と悲鳴を叫びながら、涙を出し泣きながら、その辺りを、ピョンピョン飛跳ね回れり、のた打ち回り風呂場に奔り、浴槽の水の中に、足をザバッと入れた、10秒位浸して、足を水から出して、穿いていた靴下を捲ると、靴下と一緒に皮膚がベラ〜ッと剥がれ、靴下の縦縞の線形に、桃色の肉と筋が浮き出て、血が湧き滲み出ていた、母は、泣き叫びのた打ち回る、僕を尻目に、置き去りにして、パチンコ屋に出掛けて行った、靂(はたたがみ)ビックバンマスターの母を、僕は、見誤った、抜かった、不覚である、取り残された僕は一晩中、悲鳴を叫び、泣いて翌日まで、のた打ち回った・・・・・で1日ほ、たらかされ漸く病院に連れて行かれ、3ヶ月の緊急入院した・・・・石膏のギプスをはめられ、松葉杖の不自由な生活、風呂も禁止され、ギプスの中の足は、痛くて痒くてたまらない、この生活が3ヶ月もある夜の病院の休憩ルームで19歳〜20歳の男女の入院患者が、僕を挑発する、目の前で、卑猥な会話をしたり、僕にSEXした事あるか?など質問され、いちゃついて、ディプキスし合う、姿や、胸を揉んでみせ愛撫したり、僕を刺激して楽しんでいた、看護婦の泊まりこみで、下着の洗濯した物の在りかを教えられ、そのパティーを盗んで来るように、唆されたり、した、小学3年生の男の子が入院して来て、僕は仲良くなった、ちびっ子のくせに、気が強い、口は悪いし、大言壮語を弄する、屋上で小学3年のくせ、タバコを吹かす、僕、説教したが、反撥して聴かない、馬の耳に念仏だ、ココで、船員の船長に出逢って卒業後に雇用してくれる、と約束を、取り付けた、でもちんちんに、玉を入れてやろうか、と言って、自分のもを取り出し、見せびらかす、僕は皮膚移植の手術を迫られる、背中の皮膚を剥ぎ取って、足に移植する、と言う怖ろしげな手術である、僕は辞退た、母は、手術しないと保険金が下りないと、難色を、示し僕に手術をする様に指図したが、僕は拒否して完治して退院した。
    卒業日の数日前に、不良たちが、家に押し掛けてきて、ブーお前は、3年生の出席日数が0日だから、留年だぞ、と脅しに来たけれど、無視して家で過ごして居たら、僕のクラスの担任と称する、先生?が卒業証書を持って、訪ねて来た。
   僕は、お払い箱になった、留年させれない程の、厄介者なのだろう?
僕のこの国が勝手に決め、勝手に見捨てた義務教育の柵から、僕は解放された・・・・
  親の専制君主制と、浮世の僕に対する不条理な仕打ち、人々の僕に対する酷い苛めから・・・僕は、家に縛られ、そこから学校に行くように、社会から、縛られ、その決め事?約束事?規則?法律?に僕は分けも解らずに黙って、従って、この15年、詳述した様に、筆舌に尽くし難い、刻苦を、15年も一時の、安らぎの場もなく、地獄を、義務によって、強制された・・・僕はもう家にいなくてもいいんだ、好きなところに住んで、好きに遊んで、好きな人とだけ接して、好きに生きて、もう親や、社会や、人の、酷い15年に亘る呪縛から遁れやっと宇宙世界の扉を開けるのか?・・・僕は、取り合えず、少しだけ、自由、なれた十五の夜・・・
  不良たち、ひっこし、僕に彼女を、創ってやる、歯に衣を着せて、中学3年の女子生徒に片っ端に電話させられ、君が好きなんだけど僕と付き合って下さいと、台詞を覚えさせられ、バカみたいに、50件位に電話させられ、台詞を言わ断られる僕を、笑って冷やかして、楽しんでいた、いったい何処から、手に入れたのか?中2と、中1の名簿まで用意してきて、中1の女子にも、中2の女子にも全員に綺麗に、断られ、迎撃され撃沈された・・・・何人かの女子は、僕の事を想いだして、あぁあの肥った人でしょう?と鼻で笑われて、本気で言ってるの?冗談でしょう?馬鹿じゃないの?といつたニュアンスの対応され、虚仮にされ、断られた、10人の女子に見合いさせられ、皆、僕の姿を認識したとたんに、即効キャンセル、苛めっ子たちは、大爆笑して、やっぱりブーには、無理だったか〜等と、解りきった、恩着せがましい事を・・・・鼻から僕を弄ぶ意図だったくせに、
お為ごかしの奴ら・・・・この街に、いたくない、いられない、僕は、逃げた・・・船に飛び乗った・・・・・・
  昭和63年(1987年)僕はもう社会の束縛からは、遁れたけれど、苛めっ子らの襲撃からと、親の、一方的な、僕のに対する15年に亘る、搾取、隷属、専横、暴力から遁れる為、長崎港から逃げる様に、大海原へ飛び出した、船で全速力20ノット、夜討ち朝駆けで、1日も掛かる、日本から約200万海里、台湾から8千海里、の地平線は、真っ青の見渡す限りの空のみと、濃いブルーの果てしなく、澎湃たる、海だけ、木の葉の様に、僕の小さな、小さな、船を荒波の波動が、遊ばれる様に、無力に、只、前後左右にと、揉まれ揺れていた・・・・2ヶ月間この、大自然の、海と空だけに漂った、家も、ビルも、山も、人も、何もない、只、僕たちだけが其処に、存在した・・・・
   大嵐、空は灰色に、淀み、暗雲が重く垂れ込め、風は唸り上げ、突風で、何もかも吹き上げ、飛ばして行きそうに、猛り、猖獗し、4m級の大波が襲い被さり、轟音の波飛沫を、寄せては、引き、木の葉の船を、ミキサーの中の、果物を、細かく砕き、渦巻き揉みくちゃにする様に、大波動の上で、踊り、ひっくり返さんばかりに、タイタニックも、色褪せる程の、自然の猛威の前では、生か?死か?何れかのみ、天運が、決めた、この中では、僕たちは、只、沈黙し静謐に、嵐が去るのを、自然に踊らされ、弄ばれ、為されるがままに、任せ、待つ事しか、出来なかった・・・・僕は絶対、沈没して、死んでしまう、と、想う位に、凄かった・・・・2時間仮眠して、2時間作業するサイクルだ、獲物は、鯛、黒鯛、メバル、秋刀魚、ゴチ、アカメ、蟹、海老、団扇海老、蝦蛄、鮟鱇、エイ、鱧云々だ、縦1m30cm、横90cmのエイの巨大な体、腹を割と、血が、ブワッと溢れ、迸り、内臓臓器類が、顔を覗かせる、臓器は、本体を、腐敗させるので、取り除き、棄てなければいけない、肝臓、心臓、腸、・・・心臓はタバコの空き箱に丸みを加えた大きさで、紫がかった赤色で、斬り取って、2分位ピク、ピクッと脈打って、生きている、不思議だった、体から、包丁で斬り、取ってるのにである・・・本体も、即死などしない、1分近く、心臓、肝臓、臓器類を、除去してるにも拘らず、躍動しばた狂っていた・・・肝臓を除去し、鷲摑みに握り潰した、青黒い肉と脂肪と血が、溶岩(マグマ)様に、細胞分裂しながら、僕の手の、圧力で、盛り上がり、ジュワーと流れ滴る、血、肉、脂、細胞が・・・・
  何回もの解体実験、魚たちの命の犠牲(仕事でやったんだけど)今、思い出せば、惨い事を、してた、と贖罪したい、彼らの命の、犠牲と、内臓や心臓を斬り出しても、ばた狂い、苦しんだ、後の、魂のない、只の物体と、なった、肉を食べ僕は、彼らの命、痛み、苦しみのおおかげ、(命を殺して)(命を食べ)で生きれている、と頭が、上がらない、店やコンビニ、スーパーでは、綺麗にパッケージで飾られ、箱に入れられ、只、金でその箱を商品と看做してしか買わなけれど、本当は、豚も、牛も、鳥も、血を流し、痛み、苦しみ抜いて、そのプロセスを経てた命を僕は、金で買って、生かし貰っているんだ・・・・・僕は彼らの痛みと、苦しみと、命を、これまで、余りに軽く扱い、安く買い叩いた、慙愧も念に耐えない、事を35年にして理解した、で以上の摂理が、顕彰された、一寸の虫にも五分の魂、人間と同じ、内臓も、なにもかも、大きさ、形、種族、が違うだけ、只、人が、彼らより、力を持っているだけ、と・・・・魂と体は別の生き物だ、と、鱧の生命力は、これまた、凄まじい、腹を切り裂いて、内臓を除去しても、鋭利な牙で、僕の指に、何度も噛み付き、剃刀で斬られる痛さ、を僕の手や、腕、指、に命果てるまで、最後の力を振り絞り、彼らの敵の僕に果敢に、傷跡を残し、闘い果てて逝った・・・・あっぱれ、な強さである、一体この僕に、彼らの様な、果てるまで、闘う、気概と強さが、あるだろうか?腹を一刺しされたら、忽ち泣き叫び、命乞いするのではないのか?彼らの様に、心臓、取られても、ヤラレタ相手に、逃げずに果てるまで、報復攻撃を果敢に、闘えるだろうか?・・・・・・羨ましい限りの、強さである・・・・僕は15歳、気の荒い、海の男たち、海の上では法律はない、俺たちが法律だと嘯くが、あながち嘘でもなさそうだ、夜の海に転落して、行方不明になった事にすればいいらし、警察も誰もいない世界、治外法権だ、ここに、存在している、15人だけが、分担し、調理師、機関士、舵取り船長、測量士、雑務作業員、が協力し自然と闘い、生き延びようと、助けあっている、これが、この生き方が、生き方だけが、掟、法律なのである、自分の身は、自分たちで守るしかない、僕を特に、目を書かけ、可愛がテくれた20歳の兄ぃやん、がいた体格がマッチョで、
異常な程までに、筋肉質の盛り上がった、風貌だった、この人がまた酒癖が悪く、酔いどれて、僕に刺青を、入れてやる、と意気込み、難渋したり、船内の独り用の狭い風呂に入って集中し身体を洗ってたら、突然風呂の扉を開け放ち、バケツの冷たい冷水をかぶせられたれした、悪戯ものだ、でもでたらめにはせず、潮時を理解している人であった、ある日、僕が、その20歳の、兄やんに揶はれていたら、同じ船乗りの40代の人から、横槍を入れられ、酔払ってた兄やんは、睨つけあげ、何だとこら!文句なんなら、勝負すっから、艦橋ブリッジに出ろと捲くし立て、他の船員たち10人が仲裁に入り、宥めようとしたが、兄やんは、腕っ節の、腕力の強い海の猛者度も10人相手に、一分も怯まず、却って興奮し、お前ら全員、海に沈めて、遭難させ、事故死にみせかけ、殺してやる、と一喝すると、皆、地団駄し、びびりまくり、顔を下に俯かせ、何も出来ず、だんまりを決め込んだ、兄やんの、気合勝ちだった・・・・僕は当直の練習、操舵室で、舵を握り船頭の、ご指導の下に、羅針盤と格闘、wsw?EsN?ウエスサーウェス、イースサーノース、
サウスサーイース、・・・・2ヶ月の航海を終え、ドッグにメンテナンス、久々の大地に
触れる、僕は虫歯になり痛みが激しく、治療の為、退社した・・・・2航海働いた・・・・
 僕はいつの間にか、4ヶ月の船上生活で、身長154cmだったものが、知らず知らずのうちに、182cmの巨体に、成長してた、航海中は、鏡などなく、また洒落る必要もなく、男、ばかりの生活と、仕事に追われ自分の容姿に気を払う暇も、環境もなかった・・・
僕は久々に陸のうえの、地元の浜の町と呼ばれる、繁華街アーケードを低回してた、
  苛めっ子たちに、遭遇した、彼らは高校生服に身を包み、女連れの3人グループだった、彼らは、僕の顔を認識すると、なにやら躊躇いがちに臆した表情を、僕に感じさせた、僕は、ばつが悪そうに、挨拶した、ひ、久しブリっ、て・・・すると相手の1人が、僕の脚を、蹴り上げ、馴れ馴れしく声を掛けるなと、罵声を上げた、僕は引っ込みが付かなくなり、腹も立ったので、大声で何だとコラーッーと怒号を出した、すると僕の最初の、直感どうり、彼らは、臆して、いるのが仏掌の孫悟空(僕は仏だった)の様に解り、見て取れた、彼らは、成長した、僕の182cmの巨魁におそらく、怯懦したのだ!・・・
  彼らは、狼狽していたので、この機を逃すまいと僕は追撃して、何とか言えよと、詰め寄った、すると、1人が躊躇いがちに、僕に抗おうとし向かって来ようとしたが、連れの女に、腕を摑まれ、止めなよと、阻まれ、諌められ、おずおずと決まりが悪そうに、僕を残し、去って行った・・・半年前の中学時代であれば、僕が上記の様な態度を取ろうものなら、忽ち、袋叩きにあい、パンチの洗礼や、蹴りの応酬で血だらけにされ、顔は青痣だらけになっていた筈である・・・・・僕はこの瞬間に人の憐れみ、惨めさ、弱さ、を知り、僕はこの事件から箴言を学んだ、人は見た目の、張りぼてに、騙され、要は、外見によって、左右されると・・・・・
  昭和63年(1988年)15歳の僕はもう半月で16歳になろうかとしていた、50ccの免許を習得しようと、試験場に通ったが、書いてある文章が理解できないし、読めない、漢字ばかりで、当てずっぽうで、○×問題を塗りつぶした、学校へ行けず、子供の頃から勉強を覚えれなかったので、困った・・・・3回試験を、受けたが、全然だめで、諦め、
断念し、撤退した・・・・


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