僕は、2008年2月に、長崎刑務所を満期釈放された、この4年近くの、拘禁で、手紙の1通もなければ、面会すらない、僕は、一人、満期日に刑務所の堀を出て、誰も迎えにこず、寂しく、行く所がないので、実家を目指した、家に辿り着くと、母親が、空とボケて、あら、いつでてきたと?などと、冷めた口調で語りかけてきた、僕は、とてもいたたまれない、悲しい感情に、心が支配された、なぜ笑顔の一つでも向けて、出迎えてくれないのか?・・・・その日から僕は、生活費に、困憊し、母親と、喧嘩してやっと、4年ぶりに、1万円を借りた、仕事ばせろ!男のくせに、寮なんかあるところで働け!母さんも、お金のなかとに、どげんせろて言うとね!せからしか!あんたに貸しても、返してくれんたい!僕は今日やっと刑務所から出てきたばかりやっけん、金のなか、頼むけん少しでよかけんが、貸してくれろ!4年ぶりに美味いもんでも食べたいし、酒も、タバコも、女も欲しか!こいじゃなんも出来ん!云々と、やっとこさ、1万円を借りた、しかし、1万じゃ、4年の空白の溝、を癒す事の出来ん!と、愚痴を呟くと、母は、お前が悪かことばしたけんやろうが!母さんに責任のあるとや!と叫ばれた・・・・僕は心のなかであると、思いつつも、口にはださなかった、僕の始まりで、詳述したものを、母は理解できないし、口に出して、説明しても理解しようとしない。 而して僕は、この1万円で、0からのスタートを、切った。 なけなしのこの、金は、4年間、山積された、雑用費用に、瞬く間に、飛んで行き、僕が4年ぶりに食べたものは、チョコレートと、アンパン、コカコーラだけだった、本当は、焼肉、寿司、ステーキ、此処まで贅沢で、なくとも、せめて、外食くらいしたかった、けれど、雑用費に奪われ、何も美味しいものを食べれなかった、それで、金が無くなり、親と喧嘩して、親は、なんで、この前に貸した、1万円を、すぐに使い果たすとか!と怒号したので、僕は、ヤクザは刑務所から出てきたら、酒、女、金、車、と家族、仲間で祝うと!でも、おいはなんや、1万しかなか!4年も男として、務めばしてきたとに、だいも、喜ばんし、迎えてもくれん!と心の内を少し、吐露した。 そして金策に奔走し、妹に電話しても、出ないし、祝いの言葉すらない、もう一人の妹も同様、仕方なく、僕は、市役所へ相談しに行き、僕は窓口で、家に戻りたくない、住むところがない、金もない、なんとか助けてくれと、懇願した、すると生活保護の手続きをするが、申請に一ケ月ほどかかると、言われ、取り合えずこのお金を、貸しますと、3千円を貸してくれた、僕は、この3千円で、1週間くらい、実家で、親と、揉め、バトルしながら暮らしていた、4年抑圧されて、解放されても、あまり変わらない・・・・虚しい、寂しい、苦しい、辛い、切ない、と、僕は、2008年2月3日に4年近くの刑期を終え、僅か20日後の2月23日に、寂しく虚しく、孤独で、死んでしまおうと、睡眠薬2百錠を飲み干し、部屋で、練炭を燃やし、眠った・・・・が、気が付くと病院のベッドの上で、ペニスにはチューブが突っ込まれ、接続されていた、母は目覚めたときは、いたけれど、すぐに僕をおいて、帰って行った、母に経緯を尋ねると、僕は、裸で、台所に倒れていたので、救急車を呼んで、僕は丸1日眠っていたらしい、妹達2人は私達も来ないといけないのか?等と言っていたらしいが、結局はこなかった、僕が刑務所で毎晩、滂沱の涙を流しているのに、手紙の一枚もない、刻苦を嘗めて苦労し、自殺を謀っても、薄情な僕の、家系は、昔から、子供の頃から、孤独だった、事は、僕の始まりで既に触れている。 僕は家に戻りたくなくても、しかたなく帰るしかなかった、嫌な想い出ばかりある、あの家に、すると、役所の人が、僕を呼び出し、暫く安静の為に、西脇精神病院に、入院しないか?と勧められ、僕はその精神病院を訪ねることにした、しかし、病院まで行く交通費がない、困った・・・僕は雨の土砂降りの中、家出をするような、いでたちで、大荷物を抱え、実家近辺の、セブンイレブンで、うろたえていた、すると、そこに、1台の車が駐車し、中で、青年が、携帯電話をかけていた、僕は、上述の、説明をした所、その青年は、気さくに、僕を、病院まで、乗せて行ってあげる、とトランクを開き、重い荷物を、青年は自ら、積み、僕を4キロもある、病院へ送ってくれた、僕はこの青年に感謝して、ありがとうと伝えた、今でも感謝している、この場をかりて、ありがとう、たすかりました。 そうして、僕は西脇精神病院へ辿り着き、緊急入院となった、病名は、自傷行為に、反応性鬱病らしい・・・・ 僕は、入院して、家に戻りたくないので、アパート探しに東奔西奔して、物件を見つけ、契約した、ここでは1ヶ月入院をしたが、僕の主治医は、まだ若く、経験も浅くて、僕の心の訴えを曲解し、まともな、アドバイスもなく、或る時は、先生曰く、私が、入院を許可したので、君に生活保護が降りたんですよ!と、勘違いも甚だしい、恩着せがましい言辞をはき、担当のケースワーカーも、僕のことを胡乱げな顔で対応し、僕の意図に、逆行する病院であって、癒してくれる事は、なかったし、同じ入院患者とも、仲良くなり、友達になり、深く話しをして行くと、全く、僕と同感であると、皆が言う。あとに詳しく話すが、ここに覚醒剤で、心を壊し、助けを求めて入院してきた、29歳の美人女性がいたが、その子も、この病院は救えず、放置した。 僕は、此処であの、女神、初恋のあずみを、忘れさせてくれる女性と、知り合った、僕はこの10年、刑務所を往復しつつも、出所後の僅かな、時間の中で、数人の女性と、付き合った、一人は、高校生の男の子と、中学生の子持ちの34歳の女性で、いわば不倫で、僕に旦那に飽きて、離婚したいと、打ち明けられた、僕が佐賀少年刑務所を出所した、折の、2000年頃の、僕が28歳の時である、彼女とは10回くらい逢瀬したが、僕の心にはあずみが、居座って、離れない、この34歳の女性には、僕の心の中の、女神、あずみを消す力がなく、僕は、燃えずに、単なる肉体関係だけの、虚しい行為でしか認識できず、僕は自殺を繰りかしつつ未遂に終わり、同時に、万引きを行なった、僕を熱く、燃えさせる女が、現れない、あずみ、以外はかんがえられずに、現在35歳になるまで、生気を喪失して、刑務所を流転した、僕を刑務所に、堕ちない様に、してくれる人間、友達、女が、ずーっと現れなかった10年間・・・・でも僕はこの、あずみの呪縛から、封印から、僕を、解き放ち解放してくれる、女性と10年目に、やっと出遭えた・・・僕は、はるみという、女性患者と、10年ぶりに、恋をした、僕達は互いに惹かれ、話をし、入院生活も、20日頃僕と、はるみは、病院生活の短い時間制限の中を、掻い潜り、隙をさがしては、病院の敷地内にある公園の晴れた、太陽の燦々と射す、青空の空間で、2時間も、3時間も、2人で隠れて、熱いキッスを交し合い、時には彼女のへやに、僕が潜り込んで、はるみの、ベッドの中で普通の恋人達がする様に、2人でキッスしながら、身体を触れ合いながら遊んでいたら、看護士に発見され、厳しく注意を受け、はるみは、強制退院を勧告され、余命半月となり、怒って僕を無視したりして、話せぬまま、僕は、退院した、そして僕は、アパートに一人暮らしを始めた、あずみを、忘れさせてくれた、はるみに逢いたいと、強く想い、僕は花束を、なけなしの金で購入して、見舞いに、西脇病院へ、行った、すると、はるみは、機嫌を取り戻していて、微笑んで、僕の花を受け取ってくれた、・・・・僕はこの頃、金がなく、携帯電話を持っておらず、はるみの携帯に公衆電話から、かけてよく話をした、その後まもなく、はるみは、退院して、実家の高島と言う、島に、帰った、僕ははるみ、の事が好きで、公衆電話から、はるみの携帯に電話をして何度目かの電話で、やっと、彼女は、船に乗って、遊びに来ると僕を、喜ばせた。僕は嬉しさのあまり、高価だが、10年の、封印を解いてくれた、好きな女の為なら、糸目は付けない、秘密兵器のプレゼントを購入して渡そうと計画した。 この間、彼女と出遭って、2ヶ月ほど、僕達は、浜の町で待ち合わせをし、昼食をカフェで軽く済ませ、2時間程、互いの人生を語り、病気の事を互いに、打ち明け、それまでの過去を、僕は、偽ることなく、打ち明けた、刑務所で10年孤独に過ごした事も・・・・はるみは、僕に共感してくれたのか?同情したのか?今では確認する手立てもない。・・・・ その話を終え、僕は、はるみを、自分のアパートに誘った、はるみは、普通に僕の誘いに、応諾し、僕達は、僕の部屋で熱いキッスを、船の最終便が許す、時間まで、この刹那を互いに楽しみ、話をして、僕は、はるみに、秘密兵器のプレゼントをあげた、僕は、はるみを、港に送届け帰した、その後、僕は金があまりなかったが、はるみとの、連絡手段の為に、携帯を買った、他の誰からも掛かって来ない電話を・・・僕達、二人は毎日メールで会話し、僕は、彼女の事を本気で好きだけど、生来の、猜疑心だけは、旺盛で治らずに、はるみを、ためつすがめつ、メールや電話で、鎌をかけたりしながら、彼女の本音を、引き出そうと、あらゆる、欺きのテクニックで、はるみを、ためし、2回目の、僕のアパートに、誘い込んだ、そして僕は、10年分の愛を、はるみに、注いで抱き彼女を、慈しんだ、その日は、はるみを、僕の部屋に泊めた。・・・・ あくる日、僕は前回と同じ様に、港まで送り無事に帰した、すると、夕方7:00頃、僕のメールが着信音を鳴らした、勿論、相手は、はるみしかいない、この携帯電話は、はるみだけと、触れ合うために、買ったものだ、僕はメールを開くと、眼に痛い、文章が飛び込んで来た、それは次の様なものだ、家に着いたとたんに、彼女は両親が幼少の頃、離別し、叔父と、叔母にそだてられているらしい、で、その叔父と、叔母に、宿泊の件で、咎められ、もう25歳やっけんがぁ〜と反撥してやった、と・・・・僕は心配になり、すぐさま返信して、あまり逆らわずに、すなおに謝っとけ!と送った、すると、彼女は、うん!と返信してきた、そして1時間ぐらい経つとまた、メールが届いて、内容をみると、病気だから暫く、長崎に遊びに行くのは控えろと、言われた、私、自由のなかけん!と、来た、僕は冗談で、返信した、何なら、おいが、はるみと、付き合っていると、正式に挨拶に行こうか?と、そうすると、彼女から、お願い!と来た、僕はからかわれているのかと、思い、探りを入れる為に返信した、本気で挨拶に来いて、言うと?冗談ばっかい言いよるね、はるみは!と送り返した、返信がまた返って来て、冗談じゃなかばい、本気でいいよるとよ!はるみは今へこんどると・・・・僕は之に、はるみの、切羽詰った、想いを、直感し次の様な返信をした、わかった、おいは、はるのこと、本気で好きやっけんが、いずれ挨拶ばせんばやろうけん、明日にでも行くけんと!約束をした、内心ではまだ出遭って2月程度なのに、挨拶をしにゆかねば、ならぬほどの、長い付き合いでもないのに、何ゆえ、はるみの、叔父、叔母は、大そうに挨拶を迫るのかと、訝しげにおもいつつも、これでは、はるみの彼氏は、親の拘束で、作れないのではないのか?と実際、はるみは、前の男と別れて4年が経ったとぼくに、話しており、その後も出逢いがないらしく、僕と出遭って好きになれたと告白し、またSEXの経験も、彼女を抱いた時に、体感して、希薄であったのが直感できたし、本人の話では、前の彼氏とは、本番ができず、入らなかったとも話していた、そして僕の、小さいちんちんを、手でもてあそびながら、始めてまともに、見たり、触ったり、舐めたりしたと漏らしていた・・・この様な、はるみとの会話から、窺える、真相は、親の、拘束がネックになり、はるみの心の、真面目な部分と、遊びたい部分が、葛藤して、真面目な部分が強くなりすぎて、彼女自身の、心の病を、作り出しておるのではないのか?と僕は、35年の、裏から表の世界の隅々までを経験し、体験した推測を懐きつつも、翌日、はるみの、実家、高島に船に揺られて、尋ねた、するとその場は、叔父さん、叔母さんに、挨拶し僕の生い立ちや、鬱病の事を軽く話し、やんごとなきを得た、僕は船に揺られながら、長崎港を凱旋していた、すると、はるみから、メールが来て、よっちゃん、気に入られたごたるよ!と着信が来た、そして船を降り、アパートへ独り帰ると、着信音が鳴り響き、またもや眼に痛い文言が、闖入してきた、よっちゃん、どうしよう、叔母は付き合ってみればて、言いよる、けど、叔父の頭ばかしげよる!と・・・詳しくは叔父が風呂から上がって連絡する、と、いったいコイツラ、おいの、純粋な心ば遊びよるとか、さッ気は付き合ってよかと喜ばせたり、今度は叔父の頭ばかしげよると驚かせたりと憤慨したものの、冷静になり、返信メールを作成中に、はるみの、メールが飛び込んできて、叔父に、よっちゃんも、病気やし、無理やうだって、どうしよう?と来た・・・そして僕は、彼女に返信した、こいわな、おいと、はるみの、問題ぞ、はるみの気持ちが一番大切にせんばとよ、そいば分かった上で、叔父や、叔母の信用できるなら、おい達の真剣な、メールの履歴ば見せて、信用してもらうしかなかばい、今のおいに、出来る事は無力やっけんが、もし、はるみが望むなら、親ば、裏切って、おいのところに来ればよかけど、はるみの、親はまじめかけん、裏技使ったら、負けてしまう、けんが真剣には、真剣で勝負せんば、下手な技では負ける、はるみば、正当な方法で、おいは、手にいれたか、そりゃぁ、おいも、刑務所にも行ってるけんが、汚い、狡い方法は、いくらでも知ってるけど、そいばすれば、おいはまた、刑務所にもどらんばごとなる、はるみば、奪い去りに行くとは、簡単けど、そいでは犯罪行為になって、おい達の将来は実らん、親達に祝福されん恋路は、いかんやろう、こいば、はるみが、理解した上で、親に、見せろ、そして、はるみが出した答えに、おいの、命ばやるけん、どうや、答えだせるや!と送った、ところ、はるみから、着信がきて、親にメール見せたら、刑務所とか、犯罪とか書いてある、し心配って反対されたよ、おやすみ!・・・・彼女は疲れ果てていたみたいなので、僕は、お休みと、一言そうしんした。 翌日、朝から、はるみから、着信があり、はるみの携帯取り上げられるばい・・・・の文言を残して、以後、音信不通となった・・・・それから14日後の、5月2日に僕は、はるみが、親に監禁されているのではないか?と疑念を懐きつつ、本人の瞳を見て話を、つけようと船に乗り込み、彼女の実家へ尋ねていったが、はるみは、おらず、親と称す、43歳の叔父と、40代の叔母が居り、僕は彼らの口車に篭絡されたふりをして、内心僕は幼少の頃より、60過ぎの爺さん、婆さん、から40代、50代の挙動を逐一、観察しその人物が、如何程の心ねをしているかを、見抜くのに長けておるので、まだ40代、50代の人間が、自分より精神年齢が、若く、子供に見える場面が多々あり、60代の爺さんまで、僕より子供ではないのか?と倒錯するほどに、僕が望みもしないのに、35年関わった色々な、何万人の人々の喜び方や、嬉しがる姿や、すねる姿、怒る姿で、掌の上の様に、解り、殆どの人に敬語は、無用の用で、タメ口で、友達のように、付き合えて、却って敬語を使用すると、その人物とは、親しくなれない、と必ずと断定しても、吝かでない、何故なら敬語には、年上には、有利で、年下には不利となり、不文律の、上下関係が、能力の差異に拘らず、馬鹿でも、ちょんでも年上ならば、支配欲を、濫用でき、ストレス解消を出来るが、その下に、身近に居る部下や、後輩にとって見れば、ただのウザイ奴となり、心を開く事が、出来ない、ので上辺だけの付き合いに、ならざるを得ない。 まっ何はともあれ、僕は、またもや10年前の如く、あずみの、親に受け容れて貰えず、10年ぶりに心底、好きになった女の、親に受け入れられずに、僕は、清らかな愛を穢された・・・・そして今、こうやって独り、馬鹿みたく、パソコンのキーボードを叩いて、寂しく、虚しく、惨めに、機会相手に、僕の愚痴を聞いて頂いている、・・・・独りで・・・・ いったいこの世には、清らかの、真実の愛は、僕の愛は、必要ないのか? 物理的なものの。物質主義者ばかりだ!、拝金主義者ばかりだ! 真の魂がこの世には存在しないのか? 僕は甚だ疲れた・・・・僕はいつでも、独りで叫び続ける、誠の愛を、真の魂を、見つけるまで生きて、闘う。 この恋する喜びは、何処から生まれるの?これを空というのか? 空にしてはあまりに豁然としない、君の美しさは何処から生まれたの? 何の為に生まれて、僕の瞳に映るの? この存在を空と呼べるのか? 空にしては、あまりに、清い、あまりに美しい、あまりに貴い、僕はそんな君たちを愛せずにはいられない・・・失うことはできない、それが僕の片想いでも、僕の瞳には、君たちの美しさが映るから・・・・ これらを否定する心、これらを肯定する心、これらを葛藤する心、これらを滅ぼすには忍びない・・・異性を愛する心、母を想う心、父を想う心、仲間と遊ぶ心、過去を想う心、未来を夢見る心、感情の感激、感動が泉の様に湧く心、の喜怒哀楽、これらを死をもって終わらすには、解決するには、あまりになごり惜しすぎる、生まれ、生きる、光の輝きのトキメキを一瞬、一瞬の解りあえる、笑えるその、短い時間を、消すには、自らの手で捨てるのは、惜しい、美しい君を。 僕の幻かもしれない、妄想かもしれない、でもこの僕の、黒い瞳に、君たちは映り、僕を悩ませ、時には短いけれど愛情を与えてくれ、僕をトキメかせるんだ、これを空というのは、スッキリしないだから、生きて、信じて、確かめるために、僕は、僕の掟で、ペースで闘い、生きて寿命で笑って、魂の世界に、返りたい。
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