(1988年)16歳、僕は長崎に帰るり東京から追い出された・・・既に触れたとおり、一度、棄た実家に戻り母親との諍いで僅か2〜3ヶ月で新大工町に住む養父の6畳1間の下宿風のアパートに転がり込み約半年間そこで生活し暮らした・・・初めの2月はスーツ販売店の販売員アルバイトとして働いた、でもやはり此処でも僕の心は、既に破綻していて、2月後には、ジーンズショップで務めだし、そこも僅か2月で辞めた・・・で3〜4ヶ月働かず養父の世話を受けた・・・ 僕は1日暇で掃除などをした、醜い肥った体をスマートにする為バーベルやスクワット、腕立て伏せ、腹筋、ジョギング、その他のオリジナルトレーニングに励んだが僕の醜い体の脂肪は減らず、三段腹であった。養父は何処から仕入れて来るのか?朝8時頃にアパートを出て夜10時頃に100円玉、5円玉、10円玉をそれぞれ毎晩、セカンドバックにずしりと持って帰って来た、其の中から僕は1日2千円を頂いた、僕が計算係りで、その小銭を一枚一枚丁寧に数え、平均すると6000円位だった・・・相変わらず僕は日中ファミコンに熱中しシュミレーションの信長の野望で信長に謀反して妹の、お市を、女を、君主にして日本平定に東奔西走した・・・ 食事は出前、コンビニで弁当、茶菓を買い賄った。この頃に寂しくてホテル街を例の様に独り彷徨った、夜は同年の友達と、マハラジャにダンスと、ナンパ目的に週3ペースでなけなしの金を惜しみつつ通った、が僕は既に話したように、肥って、包茎、短小、おまけに小人、馬鹿ときて、ただ踊り狂うだけだった、友達3人は女の子と仲良く宜しくやっていて、 彼らから何故、女と付き合わないのか?等と何度も質問され、僕はその度に、心にもない、俺のタイプの女が見当たらないと苦しい言逃れをした・・・本当は彼女が欲しくて欲しくてたまらなかったのに・・・彼らは自分の気に入った女達とネオンの煌く闇夜に消えて行った、正月などは皆、友達も彼女を横に連れ、初日の出を見に行こうと、独りの僕を誘った、僕はとても惨めな感情に心が支配され嘆息の日々を重ねていた。僕は東京からファッションセンスだけは磨いてきたので・奇抜な華美な、格好をしていたので、街頭TVカメラかアナウンスを受け、お洒落の秘結を訪ねられたが、恥かしくて、無視して逃げたりもした、東京から長崎に帰って来た、当初、僕は友達がおらず、独り銅座にあるマハラジャに3〜4回通ったが田舎なのか?人は疎らであった僕は城のジーンズに、ウエスタンブーツ、頭には赤色で背中の腰辺りまで伸びているバンダナを被り翻し、ベルトの代わりに、玩具の手錠をこしに5個くらい巻きつけ、こんなイデタチで浜の町を闊歩していたら小学生のころの知人に出会い、お〜元気にしとったやぁ、と声を掛けられ、僕はそいつらに、今夜暇かどうか聞いて、彼らをDISUCOに歓待した、彼らは高校1年生2人と、無職の1人で、ぼくを併せて4人のメンバーその後、彼らと僕の4人組でつるむ様になった、でも遊ぶには金銭が伴い、高校生二人は、経済活動をしていなかったので、必然とぼくが、出世払いの名目で、DISUCO代金を捻出してあげた・・・洋服も、田舎者まるだしであったので僕は、彼らに自分の華美な衣装を、譲ったり、靴を貸したり、スーツを譲ったりした・・・ある1人の無職のダチには洋服や現金、DISUCO代金を6万程度トータルで貸していたが、トランプの賭けで負けて無常にも、1円たりとも返済して貰えなかった・・・僕はこの友達との交際費に有り金、全てを注ぎ込み軍資金も尽き果て、仕事も辞め無職になり、高校生2人は退学して、夜の街で遊ぶ金欲しさにステラ座ビルで洋服やのハウスマヌカンとして働き始めた、今度は果然と、僕が彼らの軍資金に甘んじる番になった、僕は暇なので日中は彼らの店、ポッシュボーイに店員でもないのに、5時間も、6時間も、店員のふりをして過ごした、そこで働いていた23歳の女性と懇ろになり、告白されたが、上述した様に、僕はコンプレックスの鉱石であったので、丁重にお断りした、それから連日、僕達は4人でDISUCOに顔を出し、飲めない酒、テキーラを格好つけて飲み明かし、僕以外の奴らは、女と、ホテルによろしく消えたり、正月なぞは、初日の出を観に行こうと誘われ、行ってみると皆、彼女を横に侍らせ、僕はとても惨めで、虚しく感じ、それ以後、正月が嫌いになった、クリスマスも、誕生日も・・・ (1988)年16歳の僕は、半年ぶりに働いてみようと試み、思案橋に当時あったDISUCOスクエアーに履歴書を18歳に偽って働いた、年齢18歳以上であったのでしかたなかった、僕はまだ17歳になったばかりである、此処ではカウンターで酒やカクテルを客に提供するものだった、従業員で18や19歳20歳の男店員がいて、そいつらから何処其処の高校の奴は知らないか等の、質問の応酬を受け、答えに窮して、ボロが出ない様あまり言葉少なく半月ぐらいやりすごしたが、男にも、女店員にも、何をかっこつけてクールをきどってんだと罵られ、すまし屋と呼ばれ、居ずらくなって辞めた・・・本当は、仲良くなって彼女にしたいけれど、短小、包茎、服を着れば着やせするけど、三段腹で醜く、3年前中学の頃の全校の女達に虚仮にされ、対女性恐怖症になっていたし、小人でもあったし、経験も浅い、仕事上では、同年となっていたけれど、僕は殆ど16歳、店の18、19、20歳の職場の、会話に付いていけなかった・・・ (1989)17歳DISUCOの店員を辞め、履歴書を偽り、今度は現代で呼ばれるキャッチセールス、(当時は判らなかった)をした、この商売はまず街頭でけたたましく鍋類、食器類、生活雑貨品、ヌイグルミ等を、喧伝し、おばちゃん連を惹きつけこれ等、皿、鍋、人形を無料で小出しに配りながら話をして、今度長崎に新しく、店をオープンするので宜しくお願いします、新しく開店する店舗に足を運んでくれるなら、もっと良い品物をプレゼントします、等と巧言令色で何もない、 空っぽの店舗に誘導しそこで、また街頭の時と同じ様に、ふんだんに商品を無料で与え、20人位の馬鹿な客は、商品欲しさに、この鍋が欲しい人は手を上げて下さいと号令が、かかれば一斉に、(今迄、たっぱ、皿、人形)を貰っているので、手を上げる・・・頃合がきたら、この食器セットはとても、高価ですが本当に今度店に、買いに来てくれる人にお渡ししたいと思いますので、本当に欲しい人は手を上げて下さいと号令が轟くと、またそぞろ、おばちゃん連は、好餌に釣られ、手を勢いよくを高々と振り上げ、ハイ、はハイ、私に下さい等と、興奮ピークも絶頂の際、最後の秘密兵器が登場する・・・ではこれにて最後に致します、この商品は高級羽毛布団です、之も物凄く高価です、本当に欲しい人はいますか?と訪ねる(流石に、20中約3分の2は躊躇ってもだるが)馬鹿な3〜4人は誇らしげに手を上げる、そこで店長は、手を上げなかった人は今度、またお店が開店した折起こし下さい、今日はすみやかにお引取り下さいと、追い出して、店に残って、布団まで貰えると想っている馬鹿なおばちゃんは、24歳の店長をはじめ20代の社員5名と、僕達アルバイトの4人に、20人の帰った何もない空っぽの店舗で1人の客を3人で囲み上げ、おばちゃん連は後戻りできず、社員から、この布団は、高級で無料にするにはいかない、しかし、貴方が最後まで当店の商品が是非とも欲しいとこうやって残られたのだからサービスで35万円でいいですよ!とローン用紙を客の眼前に出し、客が眉を顰めると、言葉巧みに、考えて下さい、お父さんタバコ吸いますよね、月に計算したら保々1万円掛かります、人生は約70年あります、1日の半分は布団で睡眠をとります、だから人生の35年間は寝ていることになります、だから布団は良い物をつかいましょうよ、この高級羽毛布団は、(材質の説明)だから一生ものなんです・・・お父さんのタバコを我慢すれば、高くないでしょう?と強引に契約書にサインを催促し、貴方さきほどこの布団が本当に欲しいと言っていたじゃないか!とサインさせ、購入させる。1日2回の催し形式で開催される、1日平均35万の布団を10人位に売るので、1日350万の売り上げである、月々8千万の売買になる、こんな感じで当時1989年代僕が16歳、昭和63年はこの会社に長崎市民は鴨にされていた・・・僕はまだ16歳で当時これが、仕事なんだと思い働いていた、24歳の店長以下、20代の5人の社員が、僕達アルバイト4人を操り年商1億円を長崎で稼いでいた・・・僕の当時の自給は何と破格の2000円だった、昭和63年当時の長崎最低賃金が、480円だったと思う、だから毎月38万円のアルバイト料がゲットできたが3ヶ月位で、その会社は忽然と、消えた、いつもの様に出勤したら店舗が閉鎖されていた、だので1月分の給料は貰えなかった、でも2ヶ月で80万近く貰っているので、黒字だったので何の不満もなかったし十分採算はあった・・・金は友達と飲んで回り、パチンコ屋に寄付し、DISUCOに流れた・・・あいかわらず彼女をつくれない虚しい日々を送っていた。僕の始まりに記載したとうりだ・・・ (1988)年昭和63年僕はすぐに、他の就職先を見つけ、働いた、まだ16歳であったので、また履歴書を18歳と偽り入社した・・・この会社はTVで宣伝していたパットサイデリヤーのリフォームと同種の業務内容だ、只、僕は営業課に配属された、またもやこの会社も詐欺集団で、前述の布団屋と同じである、顧客の資産を事前にリサーチし、身なりや、家屋、資産によって、施工の受注料金が何百万単位で、変動する、この会社で僕は履歴書上18歳になっているが、実際は16歳である・・・僕はあの専制君主の母親の家から、この会社の寮に入った、ここにもまた、一癖もふた癖もある、兵ぞろいである、営業部には5人組グループが4組あって、その4組が競い合って売り上げを創る、僕はその一組に所属し、だいぶきたわれた、そのチームのリーダー格は、関西の現在の僕と同じ35歳の人間であった、彼は非常に面倒見がよく、僕達を飴とムチで上手く利用した、16歳の僕から見れば、仕事もよく捌けていて、ちょっぴり、この時は尊敬には御幣があるけど、其処まで大袈裟でなく、頼り甲斐があった・・・前の布団のセールスでは、24歳の店長が詐欺であるけれど、年商1億もの折衝と売買をこなしている、16歳の僕には、これ等の経験から人間とは、年上だろうが、年下だろうが、関係ない、世の中騙すか、騙されるか、騙して地位と名誉を得るか、騙されて貧乏生活を惨めに送るかの差異だと、自分の過去や、自分の当時の境遇に照らし合わせ、人々を見下した、尊大で、猜疑に、心が麻痺していった。 リーダーは毎日、僕達を繁華街の飲み屋に連れて行き、飲ませ食わせ、歌わせた、そのリーダーは僕に、営業の何たるかを叩き込んだ、会社では接客、好印象を得る術、リフォームの取り方etcatr僕達、若い者を股肱にして、飛び込みで、住宅、マンション、ビル、病院等などを廻らせ、営業トークを台詞を覚え込まされた、長崎駅前のターミナルあれ、内の会社が建築したもんなんですよ!今どこそこで建てている家とか、ビルも建設してるんです・・・ついでだからこちらのビルの方も大分傷んでおりますので、一緒に改築させて貰えば安くできますけど・・・と嘘八百を説明をさせ、なんでしたら、近くに上司が来ておりますんで、話だけでも聴いてくれんですか!・・・リーダーは既に、外の車で待機してビルの面積を概算し、施工料金、資材費を叩き出して、手薬煉引いて呼び出されるのを待っている、僕達は話すだけなら只ですからこの機会にぜひともと、アポイントをとる、するとリーダーは、ちょうどでよかったですなぁ〜内が近くの工事やっとるさかいに、ほらぁ、あのTVでもやっとりますやろう!パットサイでリアちゅうやつですがな〜知ってますやろう!アレうちなんですわ!と垂らし込む・・・今やったら、近所で建設してますよて、運搬費やら、も掛からんようしますし、サービスで、安うしときますさかい、お宅も一緒に工事させて貰えんですか、(計算機を取り出し)う〜んこの辺が限度やな、この金額で、私が上司に頭下げて、頼みますよって、と畳み込んで、念を押す・・・この金額でまとまる様にかたつけてきますんでご贔屓に宜しゅうたのんます、ほいで上司連れて来た時、私の顔、潰さんようお願いしまっせ!と捲くし立て、相手に、発言権を与えない、イニシアティブを客に与えないのが、この仕事の本懐である・・・ と、強引に契約を迫り、最後にしぶってきよったら、九州ブロックの鬼瓦統括が再度、訪問して弊社の社員が私に頼み込んで来たその情熱を買って、ほなら、赤字やけど、しゃぁないと、許可したんですけどな〜等と、居座り込んで手の指が何本もない、指で、こんだけで内にまかせてもらえんですか!・・・・絡まれ、(この統括はもとやくざで敢えて、指のない手を武器にしている)・・・と客はビビリまくり断る事もできず、3千万の受注を契約した、するしかない。 こんな感じで長崎はあらゆる詐欺会社に、鴨にされていた、 無論、16歳の僕には、之が世の中の仕事なのだ、と認識しつつも心の片隅では、この弱肉強食の不条理、と自分の辛い体験や過去、人生とを鑑みて、人の世の慨世を祈りつつも、あわれな人の世の現実に厭世を懐き惰性で、生きようとした。 僕が取ったアポイントメントは、青山病院で27000000円位の契約が成就した、その時の給与は、固定給の18万円プラス歩合級だった、そしてこの時、16歳にして、約70万の歩合が付き、計88万円の大金を手にしていた・・・この会社には3ヶ月勤めた、この僕のアポイントで、リーダーには、200万のキックバックがあった、こんな月はもう、仕事もせず、一旦出社して、営業周りに行くと、嘯いて、パチンコ屋で遊び、夜7:00頃帰社し、こ1時間程、練習セールスをし8:00頃に退社し、チーム全員で毎日、飲み歩く・・・でも、仕事は他の仕事に負けない程にハードだ、1日400件500件の物件に飛び込み、神経を尖らせ精神的にもイラツクし、客の心を読み、説得する、1日のうち500件廻れば、499件が、なんしきたとや〜帰らんかせからしかと、が鳴られ、ただただ、脚が痛い日が殆どで、契約が取れるのは、一月に1件受注できれば、御の字である。 とある日、会社は土日が休みであったので、僕は寮で寛いでいた、寮といっても会社の事務所の奥にある、客間で、僕独りしか住めない、6畳の和室に布団が置いてあるだけだ、あと、洋服位、その休みの日、経理の20歳男性、山本が遊びに来た、彼は会社の事務所の鍵を所持していて、事務所を開け、東京に住む、彼女に、私用電話を何時も、かけていて、 この休みの日もそれが目的でやってきたのだ、当時はまだ携帯電話もなく、何時間も自分の電話で、長崎から、東京に電話するのは、半端な料金ではない、僕も雑ざって、友達に電話したりした、事務所の書類などを盗み見したりしたら、誰がどれ位の給料を貰っているのかに、関する書類だった、その書類を眺めていて、ふと、内のリーダーは幾らなのか?と思い付き、計算してみると、何とここ3ヶ月で3千万稼いでいた、一緒に見ていた経理の山本は、いいねぇ経理畑では基本給16万だけばい、とボヤキ、松ちゃんは80万も貰って羨ましいねぇと皮肉を言われた、でも、会社の備品や、電話、交際費は裏技で、誤魔化せるけどね!とも語って哄笑した。 そしてこの会社での最初の問題が浮上した、リーダーは最初のうちは現金払いのキャッシュで、飲むが、3〜4回ですぐに、後払いのつけにする、僕達チーム5人が毎月、その店に落とす、金額は相当なものだ、だので、それを信用してリーダーを責任者にして店サイドは許した、給料日に支払うということを、飲んで、飲みまくる、勿論、リーダーのおごりという不文律が成立していたので、僕には何も解らない、僕もプライベートな友達を歓待してつけで飲んでいたら、ライバルチームと鉢合わせになり、お前、会社と関係のない奴らに勝手に飲んでるんじゃなかとや〜!と怒号され僕の友達が、なんやコラぁここじゃ店に迷惑のかかるけん、表で話つけようで!と会社の人間を激昂させ喧嘩を買ってしまった・・・僕の友達は、まだ、同じ16歳の2人組みで、前述した様にDISUCO仲間で、高校を辞めて、まだ3ヶ月しか経っていない社会の事情に疎く、外に出たとたんに僕を併せた3人VS会社人5人の殴り合いの乱闘が勃発した、僕は3〜4発殴られながら、収拾策を考えたが、先輩を立てて、素直にあやまり、非をみとめて、その日は落着したが、以後、そのチームのサブリーダーの22歳の奴と反目になり、寮で朝寝坊していたら、そいつがやって来て、何時まで、寝とるとや!仕事、始っとぞ!と僕の布団を剥ぎ取り、叫んだので 僕は寝起きで、ムカツイテ立ち上がりざまに22歳の先輩の腕を捩じ上げ、押し倒して牙を剥いた、僕も小学、中学、東京、水商売の世界で、修羅場を掻い潜って来た、16歳のガキの僕は、22歳の先輩に太刀打ち出来たようだった、後は、他の会社の人間に制しされ、やんごとなきをえた。 僕の関西のリーダーからは、毎日コカコーラーを俺に売って見せろと、苦しめられた・・・コーラ1本よう売れん奴が1千万からの契約、仕事が取れるんか〜あほんたれ〜と叱責され、今日はキッチリ鷲に売ってみぃと言われ困り果てた、あの手この手、で売ろうとするが、何時も毎回、リーダーは、そないなもん、うちは、必要ありまへん、ひきとってもらいまひょう、が決め台詞だった、結局、一回も買ってもらえなかった・・・とある日、あの忌まわしき、中学時代の同級生女2人組みに、会社の近辺で遭遇した、彼女達は、僕に媚を売り、媚態で久しぶりね!と接近してきて、いま暇か?と訪ねてきた・・・どういう了見なんだろうか、あれ程、中学時代、1年前にはこの僕を無視して、不良達と虚仮にしておいてである、僕は卒業後も変わらず、小人で、近寄る女はみな、遠ざけてきたし逃げた、そう言うオーラを発光させていた・・・近寄る女にはタイプではない等と嘘まで付いて、友達には、硬派な男で、ガキには興味ない、大人の女にしか僕には向かない云々と、勝手に、解釈されて、本当は違うのに三段腹で、短小で、包茎で、小人で、心の脆いダサい男なのに、どいつもこいつも、外見だけで僕の人格を決め付けて、寂しいんだ本当は、でも形だけは強がっていた、或る日長崎に大型レジャー施設がオープンした、之は僕にとって甚だ迷惑千万な話だった、その施設は温泉、プール、サウナー、アスレチックを、1000円ほど払えば、全部自由に、利用できるらしい、案の定、DISUCO仲間が、僕を誘い呼び出そうとする、僕はその度に、悲しい言訳をし、断るしかなかった、本当は僕も、皆とそういう所で遊びたいけれど、コンプレックスの包茎、短小が、あったので、恥ずかしくて断念をいつも、余儀なくされた、今頃、楽しく遊んでいるんだろうなぁ、と羨ましがった、彼らはそんな僕を尻目に、怪しがったり、付き合いが悪い等と、嫌味まで囁かれていた。 そんな折に、中学時代に僕を馬鹿にした、女が、僕と遊びたいとパッシングしている、僕は実験材料には、いい女かもしれないと、算段し、会社も休みであったので、寮に2人をつれこもうとも思ったが、経験のない僕は、億手でせっかく彼女達は乗る気満々なオーラを光らせ僕を、食べてしまおうという、でも僕はイキナリHはまずいと勝手に思い込み、一先ずはヘルプで応援を呼ぼうと考え、それに僕は一人で、女は2人、会社の営業車に乗せ、冬であったのでエンジンを掛け暖房をつけ、車内で待ってもらった、僕は男を捜すのに奔走した、同級生は皆、原付の免許しかもっていないしアウトだ、ドライブでもと考えた僕は車を動かせないので、会社の人間を手当たり次第に当たったが、肝腎な時に誰も捕まらず、困った、彼女達をのせた車は2時間、3時間と経過し、僕はすまん、おいは、車ば動かせんし、男一人みつからんかった、だいぶ待たせて悪かばってん、今日はお開きにしよう、また今度、機会があったら遊ぼうよ、と帰ってもらった、帰り際の彼女達の面持ちは、初めの頃と違って、気が抜けた瞳で、僕の顔を振返り一瞥し、去っていった、そして再び、逢う事もなかったし、僕はせっかく転がり込んだ実験を逃した。 この頃の僕は、包茎を克服しようと涙ぐましい努力を重ねていた、輪ゴムをしたの息子に縛りつけ、1週間矯正し、すると、青黒く変色し、擦れたのか、3倍も腫れ上がり・・・ 大きくなったのは喜ばしいことだが、数日もすれば、もとのサイズにもどり、また、包茎に陥った、こんな事を16歳から18歳まで続け、やっと、包茎は征服したが結局、20歳、夏の始めての彼女とSEXするまでは、1回も使用することはなかった。 そしてこの会社でのハイライト、大事件が起きた、例の飲み屋のつけ、である、初めの頃こそ羽振りよく金をばら撒いていた、リーダーであったが、実は彼は計算づくで、つけを貯めこんでいたのだ、訳は後述する、つけは500万近く貯まっていた、僕は責任者イコール、リーダーが不文律で、知らない間に、精算しているものと思っていたが、催促状が郵送されてきた、チーム内では不文律で安心していたけれど、店側からは、僕達5人の共同債務である、いったいリーダーは月々に貰う300万からの給料をどこへ使っているのか?彼への不信感が高まった、すると彼は何と、同じチームに18歳の気の弱い男がいて、履歴書上は僕と、同級生だ、その18歳の赤沢を利用する策謀を、僕に持ちかけた、だが赤沢は、その戦略に、怯え首を縦にふらない、そこで僕が赤沢の、代替の生贄になった、内幕は、ライバルチームの高島と言う、28歳の男性がいて、会社から履歴書を拝借して、高島の、年齢、生年月日、住所を、僕が覚え、高島の印鑑を購入し市役所で住民票を入手し、消費者金融から、金を借りるという、怖ろしい権謀術を、僕は、営業者の中で、2時間も、リーダーから、講義をレクチャーされた、已む無く16歳の僕は、リーダーである彼に、逆らえずその怖ろしい任務を遂行した、市役所の住民票は、難なく、あっさりと手に入った、問題は金融である、僕は、心臓の動機が加速して、自分が何を行なっているのか、判らなくなり、リーダーの指示どうり、サラ金の窓口で、覚え叩き込んだ必要事項を、専用の約款契約事項に、震える手で、記載していった、記入は成功し、審査するので暫く、お待ち下さいと窓口の女性に促された、僕は内心、心臓は飛び出しそうで、バレタラ逮捕されるんじゃないかと、懸念しつつ審査を待った、すると横に監視役で付いてきたリーダーは席を離れ、僕を取り残して、オープンザドアーで自動ドアを出て行った、僕は何事かと辺りを見渡して見ると、窓口の女性が待合室に待機している人物に、声を掛けていた、高島さんと・・・僕は松本なので、頭はパニックって、何度も、高島さん窓口まで起し下さいと呼ぶ、声に気が付かなかったのだ・・・僕は事態を送れば瀬ながら、呑み込み、窓口に走り折衝し、ちょっと考え事をしていたので、呼びかけに気付かなかったと、苦しい言い訳を余儀なくされた、窓口の女性はそうですか、と言い煥発いれずに今回の御融資は見送らせて頂きます、と、述べた、僕はこの時その言葉に救われたような気がした、僕はまだドキドキしながら、店に背を向け、背後を怯えながら、出た。 店を出て、リーダーと示し合わせていた合流場所に無事、帰還すると雷が落雷した、お前アホちゃうか!あない何回も、名前呼ばれて、ぼさっ〜としとったら怪しまれるがな!と怒号した、僕もムカッとして応酬した、それやったらリーダー自分だけ、そくささ逃げて僕だけ取り残してずるかばい、と詰め寄った、するとリーダーは、まっほなしゃぁない最後の手段や!とまたもや策略を滔々と語りだした、例の気弱な、僕と履歴書上、同級生の18歳、赤沢を出汁に利用するらしい、その計画とは、飲み屋のつけ500万を盆暗の赤沢に背負い込んませるらしい、僕はリーダーから500万の入ったショルダー鞄を預かり、赤沢と2人で飲み屋に支払いに行く、赤沢に鞄を持たせ、途中で僕が腹が痛くなりリーダーと打ち合わせて於いたトイレで、僕達2人はトイレに入り、僕が腹が痛くて赤沢をトイレに呼び込み、鞄を手洗い場に置かして、僕の介抱をしている隙に、その乱に便乗して扮装したリーダーが、からの鞄を持ち去る、そして責任を赤沢がとり、僕達2人でその脚で、飲み屋のママの所へ謝りに行く、すいませんママ、今日現金で500万払うつもりでリーダーから頼まれて来たのですが、公衆トイレで現金の入った鞄を、この赤沢が気を抜いて、盗まれてしまって・・・許して下さい、この件がリーダーにバレタら、殺されてしまいます、だから受け取った事にして下さい、責任はこの赤沢が取り毎月の給料から、支払いますので、と誓約書を、赤沢が書いて捺印した。 僕の任務は、リーダーに教え込まれた演技だけで、からの500万なぞは入っていない鞄を、赤沢に紛失させ、その後、上述したような、情けを乞い、時間を稼いで暫時待ってもらい、リーダーが金策を練るという計画であったが、何も知らない赤沢は蒼白し、沈面しうなだれていた・・・こういう計画で、後からリーダーが、責任を取るという形で、あったので、赤沢には、悪いが、已む無く策を行使しただけであるが、 数週間でリーダーは、会社に前借と称して、200万借りて、韜晦し行方不明になり、僕と赤沢に、債務が降り掛かってきたが、運良く、僕は誓約書にはサインしていなかったので、強気に催促を跳ねつけ、赤沢に談判してくれ、誓約書に捺印したのは赤沢だから、僕は赤沢に頼まれ同行したにすぎないと、事なきを得て、僕は会社が嫌になり、辞職して専制体制の母親の実家に戻った、2〜3日経つと、鬼瓦統括が訪ってきて、僕の辞職を認めない云々と、押し掛けてきてたが、僕はもう甚だプライベートでも、社会にも、会社にも、うんざりしていて、統括の口説き、脅しに、徹底抗戦していたら、僕の母が、踊り出てきて、統括の指なし攻撃に晒されたが、母は怯むことなく、息子が嫌て言いよるとにどげんせろてね、ひっちゃぐらしか、帰らんば警察ば呼ぶばい!と大声で叫び、 3千万の契約を軽くこなす、鬼統括も、僕の母の前では、ます術もないまま、僕を連れ戻そうと息巻いていた統括と、会社の社員5名は、諦めて退散していった・・・流石、ビッグバンマスターの僕の、母である、でも嫌いだ! (1989)年、僕はあいかわらず、チェリーボーイの17歳、毎日、朝から晩まで、寝ても醒めても、ファミコン三昧、包茎は治ったけれど、三段腹で、小人輩、精神が錯乱し、フラストレーションのはけ口に食べ物を、食べ続け過食症になり、腹一杯食べては、トイレで口の中に指を、差込、食物をもどし、また料理して、たらふく食べてトイレで流しての繰り返し、半年、経った頃には、痩せこけ、三段腹も克己した。 僕はこのままではいけないと、将来に不安を覚え、今度は痩せこけた醜い裸体を改善須らく、腹筋、腕立て、鉄アレー、スクワット、バーベル、背筋、走りこみ、等を気が向いた時にトレーニングしていた、中学卒業まで、運動なんて試したこともなかったので、どれだけの回数をこなせばよいものか、皆目つかず、小人輩の僕はすぐに、息切れをしすぐに、自分のキツイという精神に負け、トレーニングを途中で投げ出した。パチンコ屋にも毎日通った、前の仕事の僅かな、資金を、軍資金にして、5万負け、3万負け、4万負け、時には10万勝ち、コンビニで大量のケーキ屋、お菓子、ジュースを買い、タクシーで凱旋した、でもこんな事は16回位、4ヶ月通って、ほぼ毎日行ったので、120回だ!120回中10〜16回勝っただけ、殆ど毎日負けて、財布はカラッポになり、頭に来て、銀行まで行って、預金を数万、降ろし、また再チャレンジし、その金もなくなり、2キロ以上もある家まで、俯いて、沈んだまま、徒歩で帰る日々が殆どであった、或る時は、負け続け、銀行の僅かな貯蓄もパチンコ屋に寄付してしまって底を尽き、腕時計を、近くにある質屋に1万5千円くらいで預け、借り、その金も、注ぎ込み、徒歩で家路を、暗闇の中、独り寂しく辿り、翌日リベンジに意気込み、CDラジカセを担ぎ、質屋に預け、借り、また負けて、歩きで帰り、そうやって、次々と家にある、電化製品を、質入し金を借り、その金は全部、パチンコ屋に吸取られて行った、もう僕の部屋は、何もない空っぽのベッドがあるだけになった、そして最後は、前の会社で年齢を誤魔化して、入社したので、その会社の保険証を、使って、消費者金融から、限度額、10万円を、借り1月ほど、この資金で、パチンコ屋に往き久々に10何万勝ちその日は鹵獲品を携え、タクシーで凱旋するが、翌日からはまたアンラッキーが確変し、負け金融から、金を引き出し負け、諦めて帰り、更に次の日、金融で引き出しと繰り返し、消費者金融の限度額もオケラになり、債務の借金だけが残り、辛うじて、TVとファミコンだけが残った・・・そして僕はまた、過食症となり、三段腹に戻り、肥り、ファミコンに蕩尽する日々を重ねた・・・身体を鍛えるのも止め惰性で流されるがままに生きた。 実家に居ると四六時中、母親の小言が僕の部屋の隣の、母の部屋からファミコンに夢中になっている、僕の部屋に、響いてくる、ノイズ、苛々していた毎日、(1989年)17歳、半ば、僕は気が狂いそうで、家を出ようと求人雑誌で住み込みが出来る職場を探し、名古屋にある工場で働こうと、また家を飛び出し、電話を掛けて面接をし、岐阜県の白鳥という田舎にある、エアコンの電気モーターを製作する工場で働きだした、長崎の実家も田舎だが、ここは凄い、名古屋駅から車で時速60キロで走っても4時間もかかる、山奥の山中だ、僕が赴任したのは、秋もたけなわの頃、朝の8:00から就業し、残業して夕方の7:00まで延々と、機会を操作する、僕が此れまでやってきた、職種とは大きく異なり、心の中で、こんなみみっちい仕事、詰まり、退屈で、時間に拘束され、何と陰鬱な地味なしごとだろうか、と・・・給与は20万程度であった、僕は給料の使い道が、何もなく、ただただひたすら、ファミコンやゲームのカセットを買い漁り、ブランドの財布や、プラチナの指輪、ブレスレット、小物を買い集め、虚しく過ごした、そして気に入った50万の腕時計を購入しようと、残業を増やし、朝8:00から、夜10:00まで、2ヶ月働いた、工場の仲間からは、一番の稼ぎ頭と、渾名され、それでも月に、30万であった、・・・前の営業の時は、固定給18万プラス歩合があったので、其処では並べて平均すれば、月々30万以上あった、時間にも拘束されず、自由裁量で仕事のペースをマイペースで遂行できたし、契約が受注できれば、その月はあと、パチンコ屋や、喫茶店、買い物、と自分の好きな事をして、給料が貰えた、がしかし此処では、1時間単位で拘束され、休憩も規則で朝中休み5分、昼30分、昼中休み、5分、夜中休み10分と、時間の奴隷だ、と心の中で、今までの職種とのメリットと、デメリットを、自然と、比べ不満を蓄積させて行った・・・而して、毎日の単調な仕事に加え、私生活の彼女一人つくれない小人、短小、三段腹、の惰弱で、ひ弱で、卑屈な僕は、朝から夜の10:00迄、仕事して、寮に帰り、ファミコンして、休みの日も、ファミコンしか僕には、することがなく、その虚しさに、己の哀れさに、嘆息し未来に希望もなく僅か、2ヶ月で、ドロップアウトして、長崎に撤退し、また実家で、母親の、イラック、耳障りなノイズに気がふれそうな渦中、何もやる気がなく、辛く、苦しく、惰性のままファミコンをして閉じこもり過ごした。 (1990)年、僕は18歳になったばかりの頃、2年前16歳の頃、一緒にDISUCOに通った、同級生の石崎から音信が、あった、電話で話した所、彼曰く、自動車の免許を習得し、車も購入した、車種は86トレノスポーツカーらしい、僕は前述したように、原付免許で痛い目に合い、この時期も何も、免許はなかったし、金もなかった、車のことなぞ意味が解らない、彼は取り合えず、自分の車を僕に見せたいらしく、僕は呼び出しに、快諾した、彼は僕の家の近くまで迎えに来ると言ったので、約束の場所に行ってみると、成る程、白く輝く車体に、一本だけ黒のラインが走っている、ライトは収納タイプで、如何にも、走り屋の車だった、彼は誇らしげに、車の説明をはじめ、僕は羨ましくて、嫉妬しているのに、そんな僕の意も解せず、彼は、腕前を披露するので、付いて来いと、僕を、助手席にのせ、けたたましい、轟音を響かせながら、風を斬る様に、街の道を、猛スピードで駆けぬけ、僕は、内心あまりものアクセル全快のスピードに震えつつ、彼の目的地、稲佐山、通称、走り屋の訓練場に、招致された、そこで彼は、始めるぞ!と呟くが早いか、イキナリ曲がりくねった、いくつもの右カーブや、左カーブをエンジン音を轟かせ、ジェットコースターの如く、車体を滑らせながら、頂上めがけて、走り抜けた、そして頂上で、4回転スピンを体験させられた、確かに腕前は、自慢するだけのことはある、宛ら西洋映画の、一場面の趣向であった・・・・。 当時のDISCOメンバーの一人の西山は、自衛隊員になり、僕達とは、住む世界が違うのか?連絡すら全くない、もう一人の安永は、女の所に転がり込んで、紐になっていた、こいつからも、久々に連絡が入り、今から、遊びにコイと言う、所定のアパートに往ってみて、話をすると、女はソープで働いており、不在で、安永は、僕に出前を注文してくれた、彼曰く、女がクラウンに乗っているらしく、運転させてもらえるし、ソープで仕事してるので、金回りもよい、お小遣いも1日、1万円貰っているとのこと、・・・・はぁ〜僕はもう、溜息ばかりしかでない、どいつも、こいつも、自慢ばかり、皆それぞれの人生を、謳歌し満喫し楽しんでいるのにと、僕は嫉妬し、羨望した。 (1990)年、僕は18歳相変わらず、独り、孤独に、虚しく、ファミコンと仲良くしていた、ファミコンが僕の恋人さぁ! 過食症も健在で、20歳になり彼女が出来るまで、口に指を突っ込み、吐き出しては、食べた、寝て、起きて、食べて、 吐いて、ゲームして、食べて、吐き、ゲームして眠る、いいかげん疲れ果て、孤独で、生きる気力も失せていた、死んでしまいたい、が勇気がない、臆病者だから・・・小人だから・・・そんな筆舌に尽くし難い、日々の毎日の渦中、走り屋の、石崎からナンパに行こうと、誘われ、僕は暇であったので、承服した、彼は整備工場で働き、やたらと車に関する、情報や、専門用語に、精通しており、自分の車の改造をも、自らの手で行い、夜間に、自社の工場の鍵を開け、僕を誘い、車を持ち上げる、大型ジャッキでや、工具を駆使して、トレノの改造に勤しんでいた、彼の容貌は、西洋風の顔付きで、トキオの山口を、もう少し、スマートにして、顔付きも山口を、少し外人ぽくした、美形の男だ、身長も178cmあり、僕から取りあげた、ウエスタンブーツを、履けば、僕の身長182pとあまり、変わらない、おまけに、仕事、金、免許、カッコいい車まで、保有している、その彼、石崎と、この1990年から、1992年20歳になるまでの約、3年間、毎晩、朝まで、ナンパ、ナンパのオンパレード!長崎の繁華街から、場末の田舎まで、走り駆け回り、この3年間で、300組の、女性2人組を、ゲットし乗せ、ドライブをした、石崎曰く、俺は運転に集中しないといけないから、声かけ約は僕にしろ!と命令してきた、何で?大変な約を演じなければいけないのか?交代で、声かけ約をしようョ!と折衷安をだしたが、彼は、車、ガソリン代、運転、を君が代わりにやってくれるのか?と僕の不利な点を列挙して、要は車の運転に託けて、岩崎の、不得意分野の、会話を僕に担わせたいのである、而して、この役割分担が、この瞬間から、不文律となった。 それから僕は、毎日彼が走らせる86トレノの横にセットされ、彼の運転しながら車窓から、彼の瞳に、映った2人組み女性をロックオンしたものを、僕が車を降りて、走りより、今日は星も煌く爽やかな美しい日だけど、この星空に鏤めた輝く奇麗な星も、月も、君たちの前では、色褪せてみえるばい!いまさぁ〜男2人で寂しくドライブしよったとけど、君達ば、見てからどうして、こんなに可愛いうらわかき娘2人を、世の中の男たちは、ほっぱらかしにしとるとかな?天罰のあるばい!やっけんが天罰のふりかからんごと、君たちにこうやって声ばかけた!長崎の面白い場所に、招待するけんが、一緒にドライブに、付き合わん?云々と、僕は、必死に、1日平均、100人の女性2人組みに、朝まで声をかけ廻り、約3年で、300組の女性を車に乗せゲットしてドライブたが、 その全部が、石崎を気に入り、バックミラーに映る、熱い視線は、女の子の目付きまで変わり、石崎を争って、仲良くしようと、鏡越しに石崎ばかり、見て、僕は、ただの盛り上げ役の道化師、ピエロだ!このうち、200数名が、彼、石崎とホテルの中に、僕をホテルの入り口で、放り出して、2人消えて行った、僕はこの3年間、何時もこのパターンで、ホテル付近で捨てられ、独り寂しく、1キロある家までの闇夜を虚しく辿った、誰もどの女も、石崎とばかり、彼を射止めようとバックミラーの鏡の中の彼女達の熱い視線は、怖ろしい程に鋭く光っていた、その光景は僕の心に色褪せることなくインプットされた、そして眠り、食べ吐き、ファミコンして、 ナンパして、ホテルの前で、置き去りにされ、る空虚な日々を送った。この間、疎らであるが、転々と、1ヶ月や、2ヶ月、と4〜5件の職を流転した、前述の僕には何も起こらない、詳しくは、彼女達の瞳には、僕は映らない、ナンパに嫌気が差し、家を飛び出して、警備会社の道路整備や、半導体製造作業、明治乳業の下請けで、商品の搬出物の準備をする作業、チョコレート製造工場、ウィンドウズ95の液晶パネルのフリッカー度検査、等々、いずれも、1〜2ヶ月で辞めた、・・・・そして無意味な、ナンパに、1992年の二十歳になるまで、僕の時間は、消費され、その利益は、石崎の為に費やされたと言っても過言でない。
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