(1992年)20歳、僕は甚だ毎晩、朝まで約3年間ナンパ三昧に疲れ果てていた、その他の諸問題は既に触れた所である、何も希望も、未来も夢もなく・・・誰一人、僕を愛してくれない利用する・・・そんな二十歳の僕の誕生日を迎える、爽やかな熱い風の吹く真昼の夏、ちようど連休であったので例の如く僕は、ナンパの為に石崎から呼び出され億劫に想いつつも彼石崎の招聘に応じた、浜の町を車で流しながら2人組みの女に声をかけながら住吉町方面へ赴くまま長崎大学を通り過ぎようと奔っていた・・・車窓から眺める風景は何も変わらず僕の心の時計の針はもう子供の時分から1秒たりとも動かない止まったままだった・・・そこで運命の邂逅を体験した。 長崎大学を少し、通り過ぎた所に、大型のアミューズメント施設、ゲームランドセガ、が立地している、日中は、長大生の学生や、高校生、中学生、小学生が、賑っている、そのセガの、自動ドア付近で、立ち話をしていた、2人の女性を、石崎は、ロックオンした、例の如く僕は、カタパルトから、スクランブル緊急発進を、彼に命じられ、何時もの調子で、しかし、疎ましくも想いつつ、声をかけたところ、彼女達は、彼氏もおらず、丁度、暇していたと、何なく、僕のドライブのいざないに、同調し、車に乗り込み、街を滑らせた、2人は赤迫の外国語短大に通う、19歳であると語った、僕達の一つ、年下だ、一人の女性はロングヘアーで、身長159センチ美人タイプで、僕達の暗号で、AのBクラス、もう一人はショウトへアーの身長160cm可愛い系で、A のCレベル、因みに、AのAが最高で、AのCまで基準があり、その下はBのA 、CのCとランクがある、これまた、何時もの十八番で、石崎は、美人タイプAのBのロングヘアーの女、佐和と名乗る女性を、ターゲットにし、また、佐和のほうも、彼のアプローチに満更でもなく、果然と僕は、可愛いタイプ、ショートヘアーAのBタイプのあずみ、と名乗る女性を、フォローしつつ、石崎と、佐和の成就の妨げを、防止する役目だ、だから僕は、何時もの様に、あずみを惹きつけようと、あずみ、ばかりに話かけ、好意をあるかのように見せかけ、何時もの様に、どうせ僕はの姿は、彼女達の瞳には、映らないと半ば信仰のような、固定観念が、根付いていた、だので、僕は嘘八百、並べ立て、あずみを、ためつ、すがめつ、あらゆる、冗談、諧謔で僕に、引き付けた、石崎の為に、・・・車は長崎の、僕達、恒例のコースで、式見ダムと言う、暗がりの大きなダムで、そこで走りながら、ここは、自殺の名所で、溺死体があがらない、ミステリーな恐い場所だと、予め話しておき、現場で、エンジンを止めて、どうしよう、急にエンジンが動かなくなった、と真っ暗闇の中で、車の鍵を廻すふりをして、かからない、どうしよう?等と、女の子達の恐怖心をくすぐる、悪戯するゲームだ、無論、彼女達は事前に、このダムの曰くつきの話を訊いているので、そう言う、霊的なものが絡んでいると、倒錯し脅えるという計算だ、潮時を見計らい、残念でした、冗談ですよ!と車を動かす。 まだミステリースポットは、豊富にあり次は、坂道なのに、エンジンを止め、サイドブレーキをかける、そこで通常サイドブレーキを解除すれば、車は坂道なので、後ろに向かって転がる筈なのに、何とエンジンが止まっている坂を車は、上って行く、不思議な場所にも案内した。 お次は、防波堤があり、普通の防波堤は車で接近すると、そのまま海に転落する、通常のは90℃だ、だから車でじわじわと、その先端に近づきつつ、一緒に自殺しよう等と、話をしながらその防波堤の尖端を眇める時に、女の子達は、驚いて、絶叫する計算だ、だが此れもトリックで、実は、車に座って見える車窓からは、直角に見えて、歩いて近づけば15℃の傾斜があり、船着場になっており、小型ボートや、小型漁船が、犇き、太いロープで繋がれている、そこを、車は落ちるのではなく、下るのである。 で今度は、長崎で一番、急激な坂道と言うものが、僕達の秘密の場所に招待した、その坂道は、普通乗用車が1台、位がやっとの幅で、その角度は何と、80℃近くあり、車で登ると、背中が座席のシートに張り付き、恰もジェットコースターの急斜面のシュチエーションである。 最後はお決まりのコースで、石崎の、ドライビングテクニックを披露する、彼の車は、1年前に変わっており、シルビア2000の外観は、ホワイトパールのフルエアロで、タイヤも斜めに、角度を変更し、強化クラッチにし、エンジンは、何やら、車内の調整器で、つまみで、ガソリンパワーの噴出を自分の好きな様に、扱え計器類だらけの内装で、鉄パイプが車内を、露骨に走っている、これ等、塗装から、改造まで全て、石崎本人が、工場の工具類で、てを加えている、たいしたものである。例の如く、あの背中にGを体感する、パワーや、ドリフトと呼ばれる、車のタイヤで走るのでなく、滑らせながらカーブを曲がる、ドライビングテクニックを、思う存分、披露しその日は、連絡先の交換をして、彼女達を、住吉界隈まで、送り届けた。 その後、1週間後、石崎は、佐和を呼び出して、ドライブした事を石崎、本人から訊いた、石崎曰く、佐和はガードがとても固く、プロテクトに、ジーンズを装備してきて、付け入る隙もないとのこと、更に帰り際、佐和のアパートの前まで車で送り、遊びに来てもよか?と訪ねた所、佐和は全力疾走で、階段を駆け上り、アパートの中に逃げ込まれた、と言う、顛末を話した。 その噺が終えると、彼は、佐和が駄目みたいなので、今度は、あずみを、呼び出す企図をぼくに、漏らした、だから、僕は、彼、石崎の毒牙から、あずみを、守る為に先手を打って、あずみに電話をし、食事の約束を締結した、彼女は、あずみは、天真爛漫に、僕の誘いに応じた。 あずみ、に逢う前夜、僕は初めての、女の子との、ツーショットなので、何をどうすれば良いのか?皆目検討がつかず、眠れぬ蒸し暑い夏の夜を、一晩中考えあぐねて、朝日が昇るころに、普通に食事でもしようと、定番コースを決意した。 夕方6:00長崎にある、西洋館という場所で、僕達は、初めての、デートをした、あくまでも、僕、本人が、生まれて始めての、女の子とのデートである、僕は彼女が、出来ないと言う、ある種の信仰が心深く、根ざしていたので、あずみが、本当に来るのか?と、気が気でなく猜疑心の塊で、人を、信用する事ができなかった、が僕が約束の場所に辿り着くと、既にあずみは、微笑で僕のことを、受け入れてくれた、僕は先回りしようと、30分も前に、到着して、戦陣を整えようと、意気込んでいたが、彼女の方が上手であった。 僕達2人は、西洋館、館内のレストランで、ディナーをそこそこで、腹を満たし、同じ館内にある、ゲームセンターでコインゲームや、車のゲームで僕と、あずみは、2人の時間を楽しんだ、そして僕は、秘密兵器の小物を用意してきた、この1992年代、僕が二十歳で、彼女、19歳の当時は、まだ携帯電話すらなく、ポケベルの時代だ、だから、使い捨てカメラを準備してきたのだ!僕達は、館内の吹き抜け天上のちっぽけな公園らしき、所、小さな噴水の泉で、2人は語り合い、記念に、写真撮影をして、4時間ほど、この一時を楽しんだ。 僕はセンスの悪い、馬鹿みたいな、レィバンと言うブランドの黒色の、スパイみたいな髪型と、格好でジーンズに、Tシャツ、かたや、あずみは、白のカットソーのワンピースに、白の、薄手カーディガンを纏い、ブルーのショートスカトを穿いて、白く輝く艶めかしい、素足で、街ゆく男達を振り替えらせ、彼女は、女神の如く、サービスをしていた。 そしてその日は、彼女と、そこで別れ、各々の家路に着いた。 その後は、僕は、億手なので連絡を取ることも出来ずに、時の流れに身を任せ、時間はこっこっと流れて行き、僕は、あずみ、の事を忘れかけていた、僕は車の免許が欲しくて、偶さかに、赤迫の自動車学校に、資料を取りに出掛けると、そこに、中学時代の、同じクラスの大竹という男が来ていた、僕は苛められっ子で、彼とは、親しくはなかったが、大竹は、普通の好青年の野球部員だったのを覚えていた、大竹は、僕を、認識すると、鷹揚に声を掛けて来た、僕もそれに答えて微笑みかえし、久しぶりね〜と言い、そこから会話が弾み、1時間、程度、過去ばなや、世間話、今、彼が、ヘルニアになって昔の様に、ハードトレーニングは、御法度なぞと、の会話をしていたら、偶然にも、彼女、あずみが、僕の視界に飛び込んできた、僕は幻でも見ているのだろうか?と己の眼を疑ったが、紛れもなく、あずみ、であった、僕は、大竹との話を、そぞろ中断し、彼女の所へ吸いつけられる様に、何か強い力が働いているのか?僕はあずみに、小躍りしつつ、接近し、お〜いココでなんしよると???元気しとった?と体が勝手に、声をあげた、すると、あずみは、私、車の免許を取りに自動車学校に通っているの!松本君は、何で此処にいおると?と逆に問い返され、どう答えて良いか、へたすればストーカーだと思われるのも、と些か返答に、当惑したが、体は僕の意思を無視して、あずみに、ある事、無い事、を語っていた、そして話しながら、赤迫自動車学校の、坂道を2人で歩き下りながら、僕は何と、あずみのアパートへ遊びに行きたいと、臆病者の筈の僕が、始めて、女の子に、告白をした、・・・・暫く、あずみは、沈思黙考して、話題をかえ公園に行こうと、切り出した、景色の良い、眺めの良い高台に公園があるけん!一緒に行こう!と、僕は、彼女に促されて、その高台にある、小さな公園へと向かった、僕達は二人で、街の景観を俯瞰しながら、会話をした、僕は頭がパニックになっていて、自分でも何を話しているのかすら、解らない状態であった、が夕焼けが街を、赤く染め日も沈みかけた、たけなわの頃の風景が15年後の今も鮮やかに、脳裏に刻まれている、僕の心の時計の針は、あの時の時刻で止まったままだ。 僕はまたもや、生まれて始めての告白を、あずみにした、好きなんだ!僕と付き合ってくれ、と形式ばった格好悪い臭い台詞を伝えた、あずみの、アパートに行きたい、と心の叫びを、僕の20年の歴史の勇気を、封印を、解いた、何分、処女である僕なので、スマートには言えなかった、あずみは、また、慎重に沈思黙考し、暫く想い耽っていた、その刹那1分位、夕焼けは沈みかけ、空の星が、闇夜に煌きかけ、風は生ぬるいが、爽やかであった、漸く、あずみは、重い口を開いた、はにかんでんでいいよっ!て、一言だけを、・・・あずみは、不細工な、僕を受け入れてくれた、誕生以来の、初恋の女となった、僕達2人は沈黙したまま、あずみの、アパートまでの、道程を歩いた、僕が何も言えなかった、生まれて始めて胎動したばかりの僕の恋心では、・・・・僕はマジで始めて、恋愛感情というものを20歳にして認識した。 この日、僕は始めて男にしてもらった、彼女に、・・・1992年の8月熱い、夏。・・・・ 何も判らない、僕は夢中で、あずみを、抱いた、だから、気持ちいいとかはあまり実感なく、呆気なく終わった、だから、あずみも、この時は、僕に不満があったであろうと、憶測される。 その後1週間後、僕の20歳の誕生日8月28日が訪れようとカウントダウンも指折り、僕はあずみに、電話して、その日に逢う、約束の言質を貰った、僕は生まれて始めて、デートの、企画を考え、催し物を考え、その、プランを考える事に幸福感を覚えた、嬉しい、楽しい、・・・と、・・・こんな感覚は、之までの人生ではなかった、僕は3日も、4日も色々、考え、あずみ、が喜ぶものは何か?事柄はなんだろう? 僕はまず浜の町の宝石屋を、尋ね、ゴールドに輝くリボンの形をした指輪を、発見した、これなら可愛いから、あずみに、ピッタリだと考え、購入し、だだ、プレゼントするだけでは、能がないと思い、購入した、リボンの指輪に、僕は意匠して、ジュエリーショップで、加工してもらい、リボンの中心に、ちっぽけだけど、別の店で購入した、ダイヤモンドを、埋め込んでもらった、後は、コースだった、その頃は、真夏の盛りで、長崎港を、1週するフェリーが偶然にも、あった、ちょっぴり懐が痛むけれど、あずみの、ことを想えば安いものだと、奮発した!海の流れる景色と街を、船から観ながら、食事をする、よし!完璧だ!タイタニックよりも僕が、先に考えた乙なコース、1992年。 当日、あずみは、白い花束を携え、待ち合わせ場所に、来た、今度は僕も先回りして、待ち伏せてやろうと、2時間、前から、待機しながら、今夜のコースを入念にチックしながら、この時も、あずみは、ブルーの腰に結び目のある、スカートを穿いて白い艶やかな脚をサービスしてた、流石に上半身は、真夏であったので、白ぽいTシャツに、薄手のカーディガンを羽織って、僕が名も解らぬ、白い花束を携えた、彼女は、まさに妖精のようであった、僕は、あずみの背後に廻り、背中の羽を捜してみたが、どうも、妖精さんでは、ないらしく、羽はなかった、可愛い普通の、おしとやかな女の子だった。 大和なでしこと言う言葉は、あずみの様な女の為にあるのではないだろうか? ともあれ僕は、あずみに、邂逅一番に、件の花束を受け取り、彼女はやさしく、お誕生日おめでとう、と囁いた、僕は生まれて始めて祝福をされたし、始めてプレゼントを貰った、とても幸せである。 僕達2人は長崎港に停泊している、フェリーに乗り込んだ、と間もなく、出航のアナウンスが流れてきて、舟は、ドッ、ドッ、ドッと静かに加速して熱い八月の風を切り走りだした、同時にそれまで蒸し暑い空間が、爽やかな潮風に変わった、 船の甲板で僕達は、暫く、風と、灯りを燈した町並みを、眺め感じた、僕はふと思い当たる所があって、あずみに、訊いた、この花束は高価やったろう!何で花ばくれたと?すると、あずみは、8月の誕生日の人の花と答えた、僕は意味が解らなくて更に訊いた、この花束には、どう言う意味があると!と同時に、あずみの、心の意図を探ろうとした、僕は心が既に荒んでいて、猜疑と、人を疑い、その心理を見破るスキルばかり成長して癖になり、今でもその性癖は頑なに、望みもしないのに、健在だ、これが結局、あずみ、との4年間の暮らしに、同棲生活に負担をかけて、・・・・あずみは、恬然と答えた、何の屈託もなく、この花には純粋と言う意味があると!心が奇麗か人にあうとよ!って、僕はとても嬉しかった、あずみは、僕を好きなんだと言う事が、僕の猜疑と偏向の心の靄が晴れていった、のを直感した。 そしてどんどん、日を重ねる事にあずみの、事を好きになっていった。 僕達は、周りでカラオケ等で、おじさん達が熱唱しているのも、関係なく無視して、2人の間に流れる、一時の時間を、互いに楽しみ、爽やかな八月の熱い潮風を思う存分に味わった。 今でもあの時の潮騒の響きが懐かしいメロディーを奏でている。 その日は、寄航して自分の実家に、帰ったあまりにも嬉しくて、あずみに、貰った花束を、ベッドの頭の上の天井につるして、ドライフラワーにした、生まれて始めての、女からのプレゼントだったから、・・・ この頃、僕は無職であった、僕は生きる気力が始めて萌えた、それまでずっと死んでしまいたいと、願っていたのが、180℃正反対の、生命力がオアシスの如く溢れ湧く、人間になっていた、僕は職を探した、働く意欲が出た、直ぐに見つかり、一般住宅の改築や、塗装、増築の、受注を探す営業の仕事だ、あずみは、短大生なので、学業に専心しなければならない、日中は学校で、勤しんで勉強している、あずみの、夢は、宅建の資格を習得し、大手建設会社に就職したいと語っていた、僕はそんな、あずみと、触れ合えない、時間が耐えられない事も理由の一つで、上記の仕事を初め、退社後に、あずみの、アパートに、通いつめた、一応、その会社には、社宅寮があったが、僕の荷物置き場にして、殆ど、あずみの、アパートで寝食をともにした、3ヶ月も経たぬうちに、僕達は、同棲生活に、自然となってなって行った、あずみは、朝から、朝食を作ってくれて、僕に、御馳走をふるまってくれた、更に弁当まで用意してくれて、僕を、会社に送り出してくれ、彼女は、短大に勉学に励みに行く、夜に帰ってくれば、熱い、キッスで迎いいれてくれ、晩飯を調理して食べさせてくれた。 僕は、4ヶ月経過した頃、会社の人間関係で諍いが勃発して、辞職し無職に舞い戻り、あずみに、暫く、厄介になった、あずみは、僕に心を開いてくれ、彼女の実家から、生活費として、送金されてくる、約10万円の、中から、3万円を僕の為に、生活費と言う事で、渡してくれて、僕はそのあずみの、好意に応えようと、その金で、食糧を買い、彼女が、短大で学業をしているので、僕の手料理を披露したり、アパートの掃除や、彼女の洗濯ものを、洗い、干し、夜の営みでは、僕の力の限り愛し、抱いた。 そんな、ある日の夜、彼女は、僕に、告白した、実は私、よしちゃんと、出会う前、好きな男がいて、一所懸命アプローチして、その男とホテルにまでは入ったものの、抱いてはくれず、置き去りにされ、泣いて、自暴自棄になり、やけ酒をたらふく飲んで、泥酔している所を、男4人組にナンパされ、ホテルに連れ込まれて、男4人に代わる代わる、犯された、と、その数日後、悔しくて相手の連絡先に電話して、警察に訴えると伝えたら、上手い事呼び出され、男20人に山中に連れて行かれ、殺して、埋めてしまおうなどの発言が、飛び出し、とても恐かったと、話、でも警察に言わないからと約束して、開放され事なきを得たらしい、・・・僕はこの話を聴いて、とてもせつない悲しい感情と、僕の愛する可愛い素直な女を、そういう目に合わせた奴らに激しい怒りと殺意を覚え、同時に、この女あずみを、僕は、一生愛して、守り、彼女が再びそんな境遇に会わないように、この夜、朝まで、あずみを、やさしく、時には激しく、愛し、抱いた。 そして心の中でこの女を娶ることを自分自身に誓った。 そしてこんな同棲を重ねながら、僕はパチンコ屋の店員や、 水商売等を流転しつつ、休職の時は、2人、徒歩で街に出掛け、彼女の洋服のショッピングに付き合ったり、2人の、食材の、購入に仲良く出掛けたり、デートで食事をしたり、互いの料理の腕前を競い合ったり、して、僕は、掃除、洗濯、家事を担当した、そうするうちに、瞬く間に時は流れ、1年が経ち、彼女は、短大の卒業が迫っていた、あずみ曰く、教員免許を、習得しようと、故郷の中学校で、3週間位、アパートを不在にして、実地研修を、受けねばならぬらしく、僕はその3週間、あずみのアパートで寂しく過ごした。 研修も終え、帰ってきて、数週間が経過し、教員免許はアウトになった、そして更に、卒業も迫った、春の暖かい日に、 あずみは、唐突に、別れ話を切り出した、なんでも、大阪の大手、建設会社の就職が、内定されたので、大阪に赴任する為に、僕が障害になると、こじんまりとした喫茶店で、打ち明けられた、僕は、この1年間、あずみの事を、宝物の様に大切にして、最大限の、愛を注ぎ込んだのに、君の僕に対する、想いはそんな程度の代物だったのか?と憤慨し、怒り、僕には君が必要なんだ、行かないでくれ!僕とずつと、離れないで一緒に人生を、歩いて行こうと、説得を試みたが、あずみは、俯き、沈黙していた、僕は更に付け加え、あずみの事、本気で愛しているんだ、僕を捨てないで、もう独りぼっちは嫌なんだと語った、すると漸くあずみは、決意したように、判ったと言い、よしちゃんと、長崎に残ると言い、彼女は、大阪の大手建設会社の内定を、蹴って、僕を選んでくれた。 が、卒業も数日を向かえ、た所、何と、出席単位が足りなくて、卒業出来ないらしい、僕と、よく学校を、休んで、二人で遊び周った、つけが今頃、露見した。 而して、あずみは、留年を強いられ、怒った、彼女の親は、仕送りを大幅に削減し、2人の生活は窮鳥し、アパート代金も、覚束なくなり、僕は働いておらず金融で借りることが出来ないので、あずみに、消費者金融で、50万借りて貰い、それで暫時、生活費、光熱費、家賃を賄ったが、忽ち底を尽いて、撤去を余儀なくされた、この大いなる2たりに降りかかる、厄災の火の粉からの、脱出する為に僕は、住み込みの、出来る仕事を見つけ、パチンコ屋で働いた、僕達は、そこの寮に住み、あずみは、そこから留年した外国語短大に、通った、そして田舎のほうだったので、不便な事もあり、本田のスティードと言う、400CC のアメリカン単車を、あずみを、保証人にして、50万のローン契約で購入した、僕達はこのバイクで、彼女を短大に送り迎えに使用したり、あっちこっちドライブした、時には、長崎でめちゃくちゃ美味いカレー屋さんの、カレーを買い、あずみの、実家に本人の用事も在ったことも重なり、カレーをおばちゃんに、食べさせようと、土産として、島原まで、2人で風を切り走らせた、僕は、あずみの、親とは親しくないので、外で隠れてあずみの、用事がすむのを待った、程なくして帰って来た、あずみに、カレーの評価を尋ねると、おばちゃんは、美容室を経営していたこともあり、丁度、客が居たので、その客に、お土産のカレーを、食べさせたとの事、僕は、美味しいカレーを、あずみの、親に食べて欲しかったのに、・・・
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