僕の始まり 僕の父は、関西の、極道らしく、面識も一切ないし、父と言う観念?存在?感覚?そのものが、欠如していて、父親と言う、感情、をそもそも僕は,持合せていないみたいだ、要するに、いてても、いてなくても、どちらでも、いいじゃん!って、この位の軽ぁるい感じ・・・鼻にもかけない?・・・でも、30年後の35歳の時に僕の、母を、妾に仕立て上げ、恣に、弄んだ、奴、きゃつ、として、ほんの一時的に、憎む事、甚だしく、秋毫の秋霜の如し、母の無知、蒙昧さ加減にも呆れ果て、更に、僕に種だけ、ばら撒いて、僕と母を棄てて、其の手に、其の眼に、触れることなく責任放棄して僕と触れ合わないままに勝手に黄泉に旅立った、とんでも、無責任なきゃつとして恨んだ、んでもって、僕の,母は、大阪から地元に、ユウタンして帰ってきた、出戻りだ、んで、一旦、祖母の所に身を寄せて、地元の、県庁所在地の一等地に、10階建てのビルを所有する、アパレル企業の、社長(これ妹のおやじさん)なんだけれど、僕から見れば、単なる、母の、お・と・こ・でしかない・・・・と、僕が4歳位の時に、一緒に暮らし始めた、僕は、その養父の前に、立ちはだかり、憚って、お前は、何者だ!っと叫んで、困らせたのを、記憶している、母は僕に、新しい、男、を紹介した、この人がお前の、新しいお父さんになるので、宜しく、お願いします、と、言うように無理やり、挨拶を、強要され、僕はあまのじゃく、で母に抗弁した、僕の本当の、お父さんは、何処にいるの?と迫った所、冒頭の、極道の僕を棄てた父親らしき写真をみせられ、説明を受けたが、そのときは、今一ぴントこなかった、僕は地元の丸山と言う街に住み、そこから、かくめい幼稚園に通った、僕は女の子が好きだった、何時も、女の子とばかりあそんだ、頭が歩ワーとし心惹きつけられてキモチヨカッタ・・・よく其の女の子たちと思案橋、銅座界隈を闊歩し、探検、冒険をしては、帰り道に迷い、迷子になって、母の、雷と厳しいお叱りと暴行をうけた、5歳の頃、妹、生まれる、ぼくは、妹のお締めの交換や、遊び相手、ままごとに、つきあった、とある日、僕はいつものメンバーの女の子と、家から500メートル位、懸隔した遊び場でままごとや、ポンプ式の古井戸の上に登って飛び跳ね、遊んでいたら、足元の板切れがバァキと抜け落ちて僕の足は、その破れた穴に嵌まり込んで、自力で引き抜こうと試みたが、5歳の僕の力では、どうしようもなくおじさん、おばさんのキャラリーに包囲され見世物になっていた、一緒に遊んでいた女の子が、おばちゃんを呼んでくるからぁーと叫び僕の母を呼び、家にしらせに、行った、3分経つかどうかの内に、母は般若のような形相で僕に、一歩、一歩迫ってきて、僕の腕を徐に摑むと、腹一杯な力で、無理やりひっこ抜いた、と同時に履いていた靴が井戸の中にストーンと落ちていった、僕は、脚の皮が擦り剥け血が滲み出ていた、母は間髪入れず、僕に満座の席で大きな声で罵声浴びせ、叱り又僕の手を摑んで、片足裸足の僕を500メート離れた家まで、そびき、引きずられ、いえで説教を絞られた、家はとても狭くて6畳二間で、狭くて、夜な夜な、襖を隔てた、むこうの、部屋から、激しい獣の喘ぎ声、吐息、(睦みあい?)に襲われ、悩まされた、僕は、息を殺して、心臓はドキドキ飛び出しそうに、鼓動し、何が起きているのか、想像すれば、する程に、空恐ろしく、いたたまれない哀しい気持ちに支配され、事が終わるのを、無限に感じる位の、時間を待たされ、トイレも堪えて、狸寝入りの、狐狸をさせられた・・・しかも、事が終わった後に、すぐに眼を覚ますのは、怪しまれると判断し、時宜を見計らって、溜まりに、たまった、いばり(おしっこ)を、出しに、トイレへ走る事、が中学2年生頃迄、続く事になった・・・・この様に、僕はこの4歳か?5歳の頃から、非常に、神経質までに、親の顔色や、人の顔色に、気を使い、窺うようになっていた・・・僕は、アニメが好きみたく、よく、銀河鉄道999や、宇宙戦艦ヤマトや、キャプテンハーロック、ルパン三世を見て過ごして、憧れ、早く大人になって僕も、宇宙の冒険がしたいと、強く望んで、結局、是は、僕の流転人生を、招致した・・・つまり、僕の人生を、誤らせた、といっても吝かでない。 この頃、昭和52年(1977)代は、仮面ライダー、やウルトラマンが流行っていて、僕は、もろに、この影響を、被り、攻撃的な性質の、子供に、感化された・・・・ 通っていた、幼稚園では、喧嘩相手に、容赦なく、石つぶてを、真似たて、相手に怪我させたり、泥遊び用のプラッチックスコップを、剣にみたてて、相手の顔を、叩き、眼のあたりに、切り傷を負わせたりした、今でも其の時の、映像が、鮮明に蘇ってくる、色白のかわいい、男の子の子、瞼の横から、赤い、血が滴っている・・・デモその度に、因果応報?か?何かしらないけれど、その、見返りには、必ず、グリコのおまけじゃないけど、母の厳しい折檻、体罰(張り倒されて、泣いていた)まで、おまけ、で、もれなく付いてきた・・・・・残念な事に・・・悪気はないのだけれど、TVのヒーローに憧れただけ・・・な・の・に・・・ 丸山から、撤退して、家族は祖母の実家に、理由は解らないけれど、引越しをした、昭和53年(1978年)の盛夏だったと記憶している、僕は6歳、山奥の渓谷、妖精の国ではないのか?倒錯する位に、街から懸隔していた・・・眼を瞠る景色の中で、蝉はけたたましく騒擾し、彩り極彩色の、蝶やトンボ、が、飛び,舞、乱れ、鮮やかな褪色のカエルが跳び跳ねまわり、水色の川面ではアメンボー、ヤゴ、ドンコ、おたまじゃくし、サンショウウオ、が群れて、河べりでは、真っ赤な鋏を、威嚇し振り回すカニが集い、その脇の渓谷の山では、奇花妖花が咲き乱れ、梢にの間で、名もわからぬ、小鳥たちが戯れ、囁き、囀り、それぞれの歌の、メロディーを競うように、奏で、夜には蛍が燦然と闇夜を真昼の様に宝石を鏤めて、イルミネートして、カブト虫、オオくわがた、ひらたくわがた、が木の蜜を吸い、生命の、坩堝、源、供給源地、武陵桃源?だった・・・35年後には、彼らの、三分の二は、霧のの露のように、雲散霧消し、滅び、消え去り、代わりに、コンクリートで、小奇麗に、飾られたものの、僅か数年で、苔や黴に蚕食され、荒みはて、訪れる、部外者たちが、空き缶、ペットボトル、タバコの空き箱、ゴミと、塵あくたが、鳥や虫、カニ、カエル、蛍、蝶、に取って代わって、羽場を利かせていりる、ひどいものは、得体の知れぬオブジェ?を放置して、景観は甚だしく、損なわれたばかりか、小さな生命たちの故郷は、破壊された・・・・妖精の国は、ゴミに 飾られた渓谷になり果てた・・・あれ程に生命を育んだ、空、山、川、には、 山河に 蛍の灯り あふれてた まちは華やみ 面影きゑた、ダヨ! で、噺もとに、もどすけど、ココに、中学1年生の、兄ちゃんがいてて、家も、隣接してたんで、可愛がられた、引越ししてまだ、日も浅い、真夏の、蒸し暑い、猛暑の中、景観は、既に触れたとうりで、自然の、要塞、天然の要塞か、若しくは、妖精の国と、勘違いしそうな環境で、その中学生の、アンちゃんに秘密基地と称する、稲佐山の、洞窟に、招待された・・・道は険しく、70度もあろうかの、傾斜面を這い、その途中の獣道を辿り、崖を攀じ登り、また下りして、木々の遮蔽から、突然、光が眇め視界の開けた、岩場膚の空間が現れた、すると、そこには、木々の先、梢のすき間、に、ここかしこと、宛ら七夕の短冊のように、女性の裸の写真や、男女が裸体で絡み合う、写真が、ぶら下がっていた・・・僕はまだ、幼く、それが何なのか解らなかったけれど、自分の中に、沸上がり、生まれた感情の、衝動は、色褪せることなく、メモリーされている、頭がポォワッ〜と熱くなり、恍惚感に、酔った・・・今の、僕の最大限の表現能力をフル活動させても、こんな月並みな言葉しか、懐い浮かばない・・・後生だから、僕の拙作を、寛闊な心でイマジネーションを働かせて、理解して許してくれたまえ、それから、谷間の絶壁の崖を、6メートル位降りた、ところの、大人3人が蹲れるほどの、洞窟(秘密基地)に到着した、ココにも、あの本が、男女が裸で、痴態を繰り広げる、写真(エロ本)が隠してあって、中学生のアンちゃんは、それを、取り出して、僕に、渡して、読むように、促された、只、只、ボワ〜として、気持ちがよかった・・・が理解はできない、興奮、感覚が、昂揚して、僕の ちんちんも、小さいながらに、一人前に、硬くなっていた・・・・ 僕は稲佐小学校に入学、昭和54年(1979年)入学出鼻から、喧嘩、誰が一番強いか?僕はなかなか、強かった、2人、4人、8人と、なぎ倒していった、とても爽快で、爽やかで、優勢に、喧嘩に、勝ってゆき、最後の1人に敗れ、クラスのナンバー2になる、仮面ライダーや、ウルトラマンが流行ってたので、学校でも、放課後も毎日、度胸ためし、根性ためし、で、他のクラスの奴を、人影に連れ込んで、勝負を、みさかい無く挑んだ・・・ 其のつど僕は勝った、ライダーキック!ライダーパンチ!の喧嘩ざんまい、ある日ナンバー1の家に、遊びに行った所、そいつは、自慢げに自分の父親に向かって、俺は1番強くて、僕の方を偉そうに、顎で合図して、こいつは、俺よりぜんぜん弱いって、講釈たれて僕を罵って小ばかにした、其れが気に食わなくって、その日考えあぐね、翌朝、ナンバー1の失脚を狙う為に、対決する事を、決意した、学校で、朝一番に、リベンジの挑戦状を口で、宣戦布告した、が、ナンバー1が、クラスの派閥を統率してて、僕は、10人からに、フクロニされ、返り討ち、迎撃された、僕は悔しくて、隣のクラスに、乗り込もうと、中に入ろうとしていたら、中の奴らはスクラム組んで、ブロックされて、僕は追い出され、ガラスのボロイ扉を閉ざされたので、頭にきて、ガラスを拳で叩き割った、僕の手からは、ガラスの破片で切れたのか?血が流れていた、でもそんな事よりもこんな事しでかした、僕は、先生や、何よりも、母親に知れて、折檻を受けるのが、急に、恐怖となって、僕の心を襲った・・・なぜだか、意味も解らず、自分のクラスの、担当机の下に潜り込んで、震えていたら、あっけなく、先生に、発見され、(その時はまだ7歳で動揺してた)説教を受け、母のおおいなる、靂(はたたがみ)が唸り、轟き、僕は張っ倒され、泣かされた・・・ 僕はナンバー2から、失脚して、一時的にいじめられたが、相手は集団の時は強いが、一人のときは、僕に勝てないので、僕は、個別に復讐したら、誰も手をだしてこようとは、しなかった、自力で僕は、いじめから、抜け出した、そして僕は喧嘩する事によって、生じる、リスク、母の、例の顔の、眉毛を、怒らせ、2〜3回顔を振り、威嚇する、般若の様な、ジェスチャーと、その後の、空恐ろしい、体罰を回避するには、猫かぶりを演じる策を子供ながらに取る、手段を、朧げながらも、選択した、僕は、山を駆け野を駆け、河で釣り、海で泳ぎ、プルーるに通い、駄菓子屋で、おばちゃんに、あらッ〜スカねぇ〜て、ばかり言われたり、駄菓子屋の10円ゲームに勤しんだ、ここでは、まだこのメモリーは、触れないで於いて、僕の、暗闇の、影の、部分のみを、ピックアップしていく、僕は小学3年生に、なっていた、僕は、食が細く、あまり食べ物を、沢山食べれなくて、給食をいつも、残していたけれど、3年生になって、先生が変わって、無理やり食べさせられた、給食時間が終わって、皆、校庭にに遊びに出掛けているのにも拘らず、僕は、教室に一人取り居残りされ、先生の熱すぎる甚だしい、指導を受け、泣かされながら、給食を押し込んでいた・・・6ヶ月近くも、これを強制されて、僕の体は醜く、肥え太り、豚になっていつた、以後、この肥満との、おそるべき格闘に闘争に僕が、望みもしないのに、勝手に、環境によって、自動的にエントリーされた、学校という環境によって・・・当時は事態を深刻に受け止めなかったけれど、大人の階段を登る度に嘆き、この醜い姿のハンディーと、コンプレックスで、20代まで彼女一人できず、ダイエットに苦しみ、同級生に苛められ、異性に苦しみ、こんな体にした、先生と、学校を、恨んだ・・・孤独な、無意味な、人生が既に、僕のために、上げ膳、据え膳に、ありがためいわくも、甚だしく、ご丁寧に、準備されていた・・・ この小学3年生の時に、養父の会社が倒産した、昭和56年(1981年)と、同時に、母と、養父は、離婚して、僕と、母と、幼い、妹2人の、4人生活が、またもや、恐怖の、6畳2間の生活が、小さな貸家で、スタートした・・・僕は母に尋ねた、養父(おとうさん)はどうしたの?・・・母曰く、あれは、馬鹿男、で、お前のお父さんではないのだ、妹たちのの父親だから、お前が気安く、お父さんと呼ぶな、このバカたれが!と事あるごとに、諭され、叱られた、寂しい哀しい、感情に支配された・・・あんのじょう、母と、養父は、形的には、離婚したけれど、週2回のペースでやってきては、夜な夜な、獣の雄たけびを、聴かされ、精神的に、カナリ、気を使いまくり、なにもかも、手につかずに、お手上げ状態だった・・・・この離婚と時、等しくして、母の例の十八番の、ヒステリーは、萌しは一気に、拍車を駆けてドラゴンクエストの様に、レベル58位だったのが、怒りゲージ100%を通り越した、レベル85以上の、怒りマスターレベルになられてしまい、僕は、この猛獣を宥め、鎮める、為のみのスキルアップ、ばかり余儀なくされ、経験値は是に全て注ぎ込まねば、避けられぬ程の、怒りスキルを、母は濫用したので、僕は、必然と、猛獣使いのマスターを、コレまた望まずに進まされた・・・毎日、朝9;00の開店時間からパチンコに通い、閉店の夜11;00すぎまでいてて、家に帰ってくるのは、殆ど12過ぎ・・・負けて帰って来ては、僕は、格段のレベルアップを遂げた、怒りマスターの母の、おおいなる、靂(はたたがみ)が臨界点を越えて核融合して、ビッグバンを毎日の様に、爆発(エクスプロージョン)させ、いったいどれだけの宇宙が生まれ、消えたのやら・・・僕の心の中も、吹き消され、残ったのは、只の心の無い空っぽの体だけ・・・置き時計、皿、ビール瓶、骨壷?が、僕の体をロックオンしターゲットにして飛来し僕は、そのミサイルを、かわし捌き、身を捩るが100%の回避率はない、まだ小学3年生の経験値の浅い未熟者だから、頭に直撃して、真冬の夜に、頭から、血をながしながら、Tシャツ一枚と、ブリーフのパンツ一枚で、6畳2間の小さな家の玄関を、恐らくガンダムの緊急発進よりも、素早く、敏捷に、ビッグバンの体罰、折檻から遁れるため、飛び出して、夜の寒空の煌く星たちを仰ぎ見つめながら、僕は何で生まれてきたの?と独り言を呟いた日々も、数え切れない程あり、こんな時は、母の心の激昂が、鎮まり、ほとぼりが冷めるまで、夜空とお話して、時間を潰した、・・・近所の家々も驚いて何事かと夜の、閉め切った窓をわざわざ開け放ち、君どうしたの?大丈夫?と声を掛けられ、返答に困っていてて、もじもじ、してたら、ガラガラピシャッと乾いた音を残して窓は閉ざされ、再び開く事はなかった・・・内心、僕は、小学低学年で、真冬の夜にTシャツ、パンツ、頭からは血が流れていたので、家の中に匿ってくれるか?暖かい衣服を貸してくれるのか?と期待して、助けをまっていたけれど、馬鹿で、愚かな僕はこんな淡い希望を懐きつつ長い時間、待ったけれど、結局、寒空の夜の大地には、僕だけ一人きり、月の灯りに、照らされ、そこに打ち棄てられていた・・・こんな夜の日々を偶さかに救出してくれたのは、SEXの為に、夜中にやってくる、妹の父親、僕の養父だった、養父がやってくると、おんぼろの貸し家だが、頑丈な鍵で硬く閉ざされた僕の家は、魔法の様に、開き、養父に僕は紛れ込んで、家に中にいつしょに滑り込んで、僕は、自分の布団のある所に静かに逃げ隠れ、やはり是もお決まりのコースで、獣たちのハーモニーを、望まないのに、長時間、聴かされた・・・其の他の場合は、夜空が友達になって僕に付き合ってくれた・・・今この様に過去を振返って見ると何だか、月や、宝石を鏤めた夜空に煌く星たちは、僕だけを照らし、僕だけのために、存在し、この広い広い空は僕が独り、独占した、なんだか、贅沢な気持ちの錯覚に陥る・・・後は、しばしば近くの神社の秘密基地ですごした・・・友達と基地に集めた、蝋燭、ライター、近くの病院から、盗み集めた、漫画や雑誌、将棋やチェス等の道具、親が捨て出していたゴミから回収した、いかがわしいエロ本、を、基地で蝋燭に灯りを燈して、闇の冬に、一人過ごした・・・でもぶちゃけ、漫画(アニメ)の方が楽しかった、エロ本は、意味も解らず、気持ち良く酔わせ、僕のちっさな、ものを、熱く、硬くして、恍惚に、酔わせはしたものの、・・・ドラえもん、ガンダム、ヤマト、ルパン三世、あと戦隊もの、デンジマン、とかバトルジャパンみたく、おたく、みたいに・・・コロコロコミック、や付録の沢山付いた、(紙製で、拳銃の輪ゴム銃とか、切り抜いて、のり、付けたり、工作して、)の、てれびくん?かなんかの、題名?・・・の、本を買ってたなぁ〜 あと、インベーダーゲームが正に、侵略してきた・・・こいつは、僕の人生の3分の1を無為に、奪い去り、刑務所にまで僕を、堕し込めた・・・僕を虜の、奴隷に、仕立て上げ、僕が、現実世界の実生活の、経験値を稼ぐ時と、機会と、場所を奪い上げ、バーチャル世界の住人に、僕を、洗脳して、この商魂の輩の、供え物として、犠牲として、祭壇に僕は、彼らの犠牲としての、供えものとして、僕は彼らに、意図して、飼育された、人身御供になるために、スケープゴートにされた・・・・・ 兎に角、この侵略者?インベーダーゲームが、流行って、駄菓子屋に設置されていたので、自然と、子供の馬鹿な、経験値の浅いぼくは、忽ちに、この侵略者に魅了され、現実と大きく懸け離れた、バーチャル世界の、信仰者に勧誘されていった・・・ 辛い現実は、ゲームの世界が癒してくれてるんだって、錯覚させられ、辛い現実も、夢中でゲームしてると、あっという間に過ぎ去って行った、でも是は本当は、只、無為に時間が、流れて、無意味な、膨大な、貴重な時を奪われていた、欺かれていた・・・事に気付くんは、35歳のおっさんになってから・・・・・・ で、現実の方は、おざなりになって、バーチャルのデーターの情報媒体に踊らされグルグルとループして僕は周り続けた・・・インベーダーが進化してどんどん、容を変え、化けて、僕の、僕たちの魂を蚕食した・・・現実の世界は相変わらず、辛く、母は朝9;00〜夜12;00までパチンコに貴重な、人生をの時間を、費やし、蕩尽し、偸安を貪り、家庭を顧みらず、本人の人生はおろか、僕の人生の多くの時間まで奪い去り、かき消し吹き消し、殺して行った・・・・・学校から帰宅する帰途に、幼い妹2人を迎えにゆき、僕は2人の妹を連れ帰って、家に帰ると、テーブルの上に何時も、2000円が寂しく、置かれている、是は、店屋物を注文し出前して貰う為の、哀しい、券の紙切れだ、・・・ロミオが、言った様に、そら、金だ、こいつの方が、人の魂には最も、怖ろしい毒薬だ、売る事を禁じられたつまらぬ、毒薬よりも、金の方がこの世の中ではどれだけ多くの人を殺しているだろうか?この券で僕は、自分のぶんと、妹たちの食事を、買う、・・・Aランチ、ビジネスランチ、ハンバーグランチ、カツサンドウィツチ等など、・・・・食べ終えたら、遊んでやったつもりが、何分、僕も、子供であった為に、至らない点が、心の行き届かない点が散見するが、それでも、当時は、僕は子供ながらに、一生懸命に、妹たちの、面倒を、見たつもりだが、大人になった彼女たちからは、昔はいつも、兄ちゃんに、いじめられ、泣かされた、と逆恨みを買い、いまでは、僕を、相手にもせず、鼻にもかけず、赤の他人の様に、無視され、死のうが、刑務所に入ろうが、眼中になく、自分の人生を、謳歌している・・・・・結構な、お話である・・・・・ともあれ、僕は当時、小学3年生から、卒業までの6年生迄の、3年間、子供ながらに、あの過酷な、環境下で、母のヒステリー、離婚、SEX,体罰、折檻、学校のいじめ、性的いたずらの被害、学校の、専横、家庭の放任に耐えつつ、僕はよく、やった、と誉めてやりたいんだ! だって誰も僕を誉めるどころか、けちょんけちょんに、悪人扱いされてさぁ〜っ!、 あのの頃の、がんばって生きた、幼い、経験の浅い僕は、浮かばれないからさぁっ〜 そっかぁ〜この頃から、頑張っても、けっして報われない、という事を悟り、頑張る事を、止め始めたのは・・・で、僕は、前述の様な日々を送り、時には、妹たち2人をバスに乗せ、揺られながら、駅前の、母の戦場に(パチンコ屋)に連れて行って、皆で食事をして、また、バスに2人の妹を、乗せ、揺られながら、帰ってきて、風呂に入れ、寝かし付けた、・・・そして、僕は、外には社会の攻撃と、内には母の攻撃を抱えたまま、疲れ果て、煩わしくなり小学4年生頃には、2人の妹を、駅前のパチンコ屋に連れて行くだけ、行って、パチンコ屋裏に、当時在った、母の行き着けの喫茶店に、2人の妹を、預け、僕は、一人で、駅前界隈を探検したり、冒険したり、近隣の、大きな、ゲームセンターで時間を潰し、遊んだ・・・時には、ショウウィンドウーの中の、オモチャが欲しくて、パチンコ屋の、タバコの汚い空気が漂う店内で、僕の綺麗な肺は汚され、ている事も解らぬまま、無邪気に、灰で真っ黒になった、床を、這い回って、手や顔を煤だらけにしながら、こぼれ玉を、拾い集めては、母に、景品交換を、頼んでは、例の、般若、ビッグバンに、吹き飛ばされ、た・・・・ある時なんかは、母のパチンコ仲間が、冗談で僕にパチンコを、させた所、たまたま、当たりに入って、其れを見てた、他のおっちやんや、おばちゃん連が、僕に、代打ちさせ、その全部がなぜかすぐに、大当たりになった・・・・(この頃の昭和 57年の1982年代のパチンコの、カラクリは、現代と、非常に異なり、単純明快だった、あくまでも物理的範疇で、ハンドル操作、具合で、感覚で、調整でき、現代の様に、完全デジタル化された、数字の確率に、左右はされず、直感的に、遊べ、パチンコ台の、中心部に、かなり、入る確率の少ない穴に入れば、大当たりとなり、並べて、1万2千円ク位分が出たら、後は専ら、左右に設置された、あまり入る確率の無い、穴に入って、大当たりが消える、運が悪ければ、5000円〜7000円でアウトになる、でも、累計では概ね、僕のだが、12000円〜13000円が、忽ちに転がり込む寸法だ、こんな安易に、金が手に入っては働くのも、馬鹿馬鹿しくなり、母や、其の仲間たちが、毎日パチンコに中毒になる、心情も、解せない理由も見当たらない、彼らの気持ちを、僕は肯定するに、吝かでなく、非常に同情をする、哀れだと・・・で、こうやって僕は、一人あたりバックマージンを、3000円の小遣として、受け取り、5人のおっちゃん、おばちゃん連からせしめて計、1万50000円の小遣を、大金を、瞬く間に、稼ぎ上げ、僕はこの手で、暫く、お金にだけは苦労せず数ヶ月、過ごしたけれど、あまりにも、大当たりに、入れまくる、僕を、見兼ねた、店員たちは、とうとう堪忍袋の尾が切れて、僕にパチンコをさせた、大人たちは、厳しい、注意で、怒られていた・・・稼いだお金は、ゲームセンター代金、やお菓子代とか、景品の玩具に消え、時には、小学4年生の、僕は一人で、寿司屋に入って、特上の寿司を、偉そうに注文して、食べていた、トンでも贅沢なお子様で、あったと、今は、恐れ入る・・・・ でも母の、十八番は、健在で、僕は毎日の様に、払い倒され、そこを蹴り回され、踏み付け回され、腕を捩じ上げられ、叩かれ、体罰の折檻受け続け、痛め付けられ、泣かされた・・・・・僕は泣きながら、ごめんなさい!ゴメンなさい!悲鳴を、叫び連呼した・・・怒られる理由も、意味も見当たらないけれど、とりあえず、誤れば、只ひたすらに、その痛くて、悲しい、行為をヤメテほしくて、・・・・・・僕はいつもの様に、裸足で、6畳2間のオンボロの扉から、誰よりも素早く(何分に身の危険に関する事案だったんで)、飛び出して、真冬の星に語りかけていた・・・・・神様、僕は何で、生まれて来たの?苦しいヨ、悲しいヨ、と、話し掛け、一人、涙はとまらずに、息は咽び、咽び、しゃくりあげ、僕のちっぽけな胸は、締め付けられ、振るえて、泣いた・・・・・我が人生の宿命を呪い過ごした・・・・・近所の人々は、只、傍観しているだけ、誰一人として助けてはくれない、僕は家にあった仏壇に祈り始めた・・・1982年昭和57年の肌寒い秋の初旬、蝋燭に火を燈し、線香を馥郁と焚き、鐘を叩き、お経をひたすらに、意味も解らぬままに、棒読みした10歳の僕は、礼儀作法を守って、あのくたらさんびゃくさんぼうだい、ぎゃていぎゃていはらそうぎゃてい、はんにゃあはらみたしんぎょう、しきそくぜくうくそくぜしき、と4ヶ月毎晩、母と、妹がパチンコ屋に行って居ない、家で、一人で、僕は祈り続けた、母が少しでも、喜ぶ様に、洗濯、掃除、整理整頓をし灰皿の位置、を整え、タバコを並べて、綺麗にして、母たちの、帰りを、今日は怒らずに、褒めてくれうかな〜と想像しながらに街わびて、希望を抱いていたけれど、いつも、変わらなかった・・・・・僕の希望は、いともたやすくに、吹き消されて、怒られてばかり、僕は一生懸命に整理整頓、掃除、洗濯、して、神様にも、頑張ってお祈りしたのに、おりこうさんに、してたのに、と夜空に、いつものどうりに、泣きながら、訴え、語り、噺かけていた・・・・・囁き、泣き崩れていた・・・・ 母は時たまに、僕を泣きながら抱きしめて、貴方が可愛いからと呟いて泣いていた日もあった・・・・15年後の僕は、この言葉に、眉毛一つ微動だにしない、無感情の、魂を喪失した、ロボットの様な、生ける屍となっていようとは、この頃、は想像すら予断すらできぬ、程にまで、健気に生きようと頑張っていた・・・・・・ 日が数日経つと、母はいつもの十八番の常套手段を濫用し、僕に八つ当たり・・・・・ 繁華街の、真昼の、満座の席で、辺りも関係なく、髪の毛を鷲掴みにして、脚払い張り倒し、倒れた所を、踏んで踏み付け、ふんだくる・・・・僕の心は、疲れ果てた、小学4年の、10歳、生きるのが辛い・・・・生きる意味を深く、深く、考えて、何もかも、手につかない、勉強なんて、とんでもない、学校は段々に分けわからなくなり、いつもの様に酷い毎日が、繰り返され神様も助けてくれない、35歳の今でも、お経を、暗誦できるのに、ちっとも何もならない・・・僕は4ヶ月、毎晩、件の如く仏壇の神様に、祈り続けたが、能わず、神を、神の存在を、試す為に、敢えて、わざと、神様が怒るような、悪い事を、試みて実践した、お守りを、分解して、中のものを、取り出して見たが、何の事も無い、DSの宣伝みたく、板です!只の板です!だ・っ・た・・・・罰当たりもなかったので、僕は、更にもっと神様が怒るような事を、皮肉る為に企んだ、神社のお賽銭箱から、見えていた、1万円札を取ろうと、10円ガムを、程ほどに、噛み砕き、粘らせて、境内に、林立した、遍く木々の中から1本を選び、15cm位の小枝、ポキッと、もぎ取り、先端に先程のガムを絡ませ、賽銭箱の1万円を、貼りつかせ取り出した、が、数ヶ月経ても、其れまで以上の酷い、日常は、替わることなく繰り返され、相変わらずで、天罰なども、ありもしなかった、僕は、天罰を、頂きたかった、それで神様が居るという確信を得て、頑張ろうと想っていたけれど、いないのか?相手にされなかった・・・・・・そんなこんなして、僕はこな事にもしだいに飽きて、悪戯はやめ、ファミコンや、TVアニメ、漫画コミック、の世界に戻って、耽溺して過ごした。 貸家の隣に住んでいる、札付きの中学生に、無理やり家から誘い出されて、秘密基地のある、近くの神社の幼稚園の公園で、拳法の練習代にされ、打たれ役を強要された・・・・毎日拳法の打たれ役で殴られた・・・事あるごとに、僕を探し、捕まえ、いじめる・・・・4メートルのロープを片足に繋がれて、ダッシュをさせられた、僕が走り始めたら、そいつは、腕にしっかりと握りあげたロープを、おもいきし手前に引っ張って、たら、僕は哀れに、情けなく、あられもない格好で、宙を舞う、舞い転ぶ、算段になっている・・・ 家で寛いで、うんこ、してたら、木枠のぼろ窓から、突然、ニワトリが飛び込んでくる、僕は驚いて、吃驚して、反射的に、身をかわしたら、汲み取り式のトイレに堕ちてった・・・僕はあわてて用を足す事をやめ、ニワトリ、救出活動に奔走する、トイレを飛び出し、家の裏の搦め手に、瞬時に移動して、外部の、汲み取りトイレの丸いコンクリート蓋を開け放つと、同時に、糞尿まみれの、雄のニワトリが、コケーッコココーと、漂げた、バカばかしい、鳴き声を出しながら、飛び出し、僕は糞尿まみれの、ニワトリに、風呂場から半透明の延長ホースを引っ張り出して、放水して、汚れを、落としてやった、この雄ニワトリは、僕が、地元の祭りの時に、ピンク色のスプレーでカラフルに、化粧されていた、買って、飼って、育てたヒヨコ、であったので、ほったらかすには、ゆかない、それにしても、隣の、バカ中学生は、ろくな事をしない、まったく、一時も気が抜けない曲者だ、プンプンだ! ある日は、貸家が天上裏で繋がってて、そこを、潜り込んできて、僕の家に、天上裏から忍び込んできて、棚居れの上から畳に着地して、畳に穴をほかして、たりもした・・・・・またある日は、自転車で遊びに来ていた、人間を帰らせまいとして、真夜中に、自転車の、タイヤの空気を抜かれて、已む無く、宿泊するハメにもなっていたし、丸坊主の、福山雅治も、よくこの悪戯中学生に、拿捕され泣かされていた、記憶が残っている・・・こんな日々が続き、ぼくは、憔悴しきっていた、家、学校、街、人、親、皆が僕を追い込む・・・僕は現実逃避した、神様も棄て、忘れて、ドラえもん、が未来から、僕をこの辛い世界から、タイムマシーンで迎えに来てくれるんだ、と信じてたり、 UFOの特集、流行で、すぐに、僕はUFOを信じて、宇宙人に、迎えに着てくれとも、心の中で頼んだ・・・宇宙戦艦ヤマトを観ては、早くその次代が来ることを願い、超能力が巷で、流行れば、すぐに、テレポーテーションと呼ばれる技?(この技は?とても高度な、魅力的な、瞬間移動の技で、好きな所へと想っただけで、そこに、自由に移動できそれも瞬時にゆけると、いうしろもの)の練習を頑張ったり、念動力(これは、想像どうりに物体を、自由に移動させ、しかも、衝突させ爆破してしまう、技?)を訓練したりと、現実を完全に見失い、いつもの、変わらない日常を過ごしていた、小学5年生1月期の初旬、11歳の時、のある日、母のパチンコ屋に、妹を送り届けて、駅前バスターミナル付近を逍遥、ぶらぶら、してたら、50代半ばのおじさんが、君かわいいね!お寿司を食べに 行くんだけれど、一緒に来ないかと?声を掛けられ、と誘われて、僕は、何ら屈託もなく、恬然と、猜疑のかけらも、持ち合わせて居らず、透き通る玲瓏な声音で、うん!と、短く、答えて、対応した・・・・僕と、おじさんは、寿司屋で1時間位、過ごした、帰り際にタクシーで家まで、送ってくれると、言うものだから、其のご好意に、素直に、甘えた僕は、次の瞬間に起こる、あの、大事件を一眼だにさえ、機間見る、能力すら覚束なく成る程に僕は、リアルの世界の処世術に、あまりにも、疎かった、バーチャルのファンタジーの世界に憧憬し、郷愁して生活してたので、35歳になるまでずっとず〜っと、眼眩まされ、聾桟敷にされた・・・・・タクシーを家の近くの神社の前で、下車した後、おじさんは、少し休憩しようと、僕を、神社の境内の裏の、暗がりに連れて行った、すると、おじさんから、いきなり、熱い強烈なキッスの猛攻撃を受け、舌を入れられ、おじさんの舌で、僕の口の中を捏ね繰り廻され、僕はその場に釘付けとなり、凍りつき、吃驚して、放心状態に、陥っていた、のを良い事に僕の、僕の半ズボンのチャックを慣れた手捌きで下ろし、僕のブリーフパンツの中に手をマサグリ入れて、僕の小さいちんちんを、慣れた手つきで擦り始めた、僕はすぐに、イッタ、分けも解らずに、初めてのオーガニズムと、ファーストキスを刹那に瞬く間に、おじさんに、奪われた・・・・その後、煥発も与えてくれず、自分の息子を取り出して、僕の手をとり、そこに重ね、おじさんのも同じ様に、ちんちんをシゴイテくれと、僕の手を、摑んだまま、僕の手で、手を使って、ちんちんを、擦り、おじさんは、すぐに、あぁぁ〜気持ちいいと独り言を発し、同時に、先っぽから、白い液体を、ハンカチの中に、出していた・・・・・その後、1万円の小遣いと名刺を貰い、次の予約を、半ば、おじさん、主導に契約された・・・・名詞を見ると、何と緑ヶ丘中学校の現役の教頭先生だった、この学校に僕は、将来受ける、更に酷い、いじめを受け、自殺に追い込まれる、未来をこの時は夢にすら、感じはしなかった・・・・・・僕はエロ本を見ては、昂揚感の恍惚の悦楽の、余韻に浸り酔いはしたが、自分の、ものを、自分で、弄ることは、中学2年の半ば頃まで、なかった、この人生の、僕の歴史に大きな消えるる事の無い、爪痕を残した、大事件の後も、したことはない、何も、それまで、しらず、わからなかった・・・・中1の時に、自発的に、慰めた時も、まだ、ビクッビクッて、イキはしたけれど、精子は何もでずに、始めて精液が出たのは、中2になる、ほんの、前だった・・・・・次回に逢瀬した時は、タクシーの中で、おじさんの意図的にヤラレて、僕はまた昇天した・・・・2回目から、僕は、キスだけは拒否した、気持ち悪い感じだった、是以降、僕は是がトラウマとなったのか?不感症になった見たく、廻りの年頃の男達に比べて、僕の性欲は、希薄だった・・・女性に淡白となったみたいだ、色んな事が、僕の身に、起こりすぎて、いつたい何が原因で、悪くて、取り除き、排除、しないといけないのか解らなかった・・・・・し何かを、自分の為に、勉強したり、吸収したりする、時間も、暇も、無く、下界の煩雑な処理に、あたふたと、てんてこ舞で、それど頃ではなかった・・・・ その後に6〜7回逢い、内容は些かも変わらず、多少のシュチエーションの差異があっただけである、10万近く、稼いで、後は、知り合いの同級生を紹介して、2万円の仲介料金を頂いて、その後は会わなかったが、僕が24歳の時に、街でバッタリ出遭ってしまい、こっぱずかしくて僕のほうが、こそこそと、逃げ隠れしなければ、ならなかった・・・・・ 僕は今まで述べてきた、毎日を過ごして、ガタガタの、まむしのすえよの 人生を余儀なくされていた、昭和58年(1983年)の5年生の2学期、精神的に、甚だ、疲れていた・・・友達と遊んでいた、その日、本屋に物色するために、店に入ったら、 連れのダチは、徐に,1冊の漫画本を、棚から取り出すと、呆気なく、自分の所持していた、鞄に、滑り込ませた、そして、僕の顔を、一瞥して、ニィヤ〜と不適な含み笑いをして、更にまた、漫画本を、鞄に、滑り込ませていった、僕は、興味と、関心、に触発されて、 ダチのしている行為を、真似て、競い合う様に、僕も、漫画本3冊を、洋服の腹の中に、隠した、一旦、店を出て、近くの、外人墓地、の敷地内に、盗んだ漫画を格納して隠し、本屋に舞い戻って、数を、量を、競争した、5回位繰り返して、墓地に2人で集めた漫画本は、60冊位あった、僕は、家路を辿る、その帰りしなに、非常に重たい漫画本を、引きずる様にして、辿り着いた、その時の、映像が、鮮明に35年後の今でも、昨日の事の様に想い出される、否、、僕が今、こうやって、綴っている、ものの、全てが、そうである・・・・ 生まれて初めての、盗みだったけれど、何ら悪びれる気持ちもサラサラなく、楽しくゲームの延長線上の感覚でしかなかった、別に金に僕たちは困っている訳でもなく、単に、その場を映画の、スパイの様に、格好よく、敵(店員)にみたてて、気付かれない様に、作戦(盗み)をクリアーして、遊ぶ、ゲーム感覚であった・・・・・ そして、是にもすぐに、倦んで、疎ましく、煩わしくなり、TVゲームファミコンの女神転生のレベルアップに没頭していた・・・学校の事なんか関係ない、勉強なんか解んない、どうでもいい・・・親に、友達に、生活に、おじさんに、先生に、社会に、皆に、玩ばれ、いじめられ、その後始末に時間を奪われ、その疲れを癒す為、TVや、映画、ドラマ、漫画、アニメ、ファミコンゲームにこれまた時間を、奪われ、僕は、何も出来なかった・・・・・・ 小学6生になる昭和59年、(1984年)同じクラスになった、同級生の男の子が、アルバイトで新聞配達をしてた、僕は興味に駆られ、バイトを紹介して貰った、生まれて初めての仕事、毎朝4;00に起床、眠たくって、眼が開かない、瞼がボンドで貼り付けたように、重い・・・7;00ちょっと過ぎまで、の4時間の新聞配達、毎朝ジョギングも兼ねて、階段や、坂道を、駈け回り、アパートを1階から7階まで駆け上がる、・・・時にはサッカーボールを蹴りながら配り、駆けたそれから、家に帰って、朝ご飯をたべて、学校に通った・・・1月経ち、初めての給与を受け取った、茶封筒を貰った、ドキドキ
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