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作品名:sola 作者:ともみつ

第5回   三.止まらない、時
いつものように午前の仕事を切り上げ、一人寂しく食堂で昼食をとる。ここ最近はパスタ系ばかりで飽きたため、炒飯と餃子の中華にした。
「おや、今日は珍しいじゃないかい?」
「ええ、たまには飯系を食べたいなって思って。やっぱり麺類じゃなかなか腹に溜まらないですから」
 食堂で食券を渡すと、おばちゃんが気前良く笑うと、それじゃあたっぷり食べて早くあんたの腕前をみせとくれよ、と多めに作ってくれた。
「さて、どこか空いてなかったか」
 特に今日は大した行事もないというのに、スタッフ以外に観光客や近所の住民の姿が多い。
「ここ、良いですか?」
 一人で住民の方々のところに混じって食べるのは少々気が引けるため、やっと見つけた場所に座ることにした。
「ん? ああ」
「何だ、小僧か。今から昼か?」
 俺が見つけた席は、藤沢上官と、大浪整備総括長がいた。整備班からは整備長とか言われているらしいが、パイロットからは整備士を総括する人のため、そう呼ばれている。
「はい、少し雑用が多いもので」
 少々嫌味を皮肉風に言ったつもりだが、上官たちからはお前の仕事が遅いからだと逆に注意されてしまった。
「小僧、腕の具合はどうだ?」
 周囲の席はほとんど埋まってしまったが、この人たちの近くは幾らか空いている。もともと威厳と雰囲気のある二人のため、なかなか近寄れないと言うのが多勢の本音で、俺も元々その一人だが、楽に席が取れるのであれば特に気にしない。悠の性格が映ってきた気もしないでもない。
「まだポッキリですよ。二ヶ月はかかるらしいですから」
 今ではだいぶ落ち着いてきたが、たまに忘れてしまうと下手に動かして激痛が走ることもある。
「全く、自己管理も出来んとは情けん」
 藤沢上官の言うことはごもっともだ。だが、これはむしろ整備班にも責任があるようにも思えないでもない。車輪軸に張り紙していても、なかなか目につかないっての。
「小僧、今のうちに基礎から見直しておけよ。ただでさえパイロット不足なんだ。お前でも戦力なんだからな」
「あ、はい」
 とっつきにくいことは、とっつきにくいが、根は二人とも良い人だ。部下のことを何だかんだ言いながらも、気遣っている。さすがはベテランで飛行場の大きな責任を担う人たちだ。大浪整備総括長の言う通り、俺はまだまだ小僧だ。二人の言う通り、仕事の合間にはもう一度基礎からやり直す時間を作らなければ、即戦力として復帰出来ないな。
「奥田、お前か?」
「あっ、すみません」
 色々と俺の日頃の態度がどうだとかダメだしを受けながら昼食を取っていると、メールが入った。
「彼女がいるようになったのかぁ」
 大浪整備総括長が酔っ払った親父のように茶化してくるが、サブディスプレイに映し出されたのは、悠だった。
「彼女なんていないですよ。雨宮からです」
 苦笑しながらメールを開くと、そこには旦那の仕事帰りに買い物を頼む妻のようなメールだった。
「T‐4の模型を買ってきて?」
 特に理由もなく、そう書かれていた。意味が分からん。何故にそんなものを買わないといけないのか事の説明を求めたい。
「模型? 雨宮、そんなのをお前に使いを頼んだのか?」
 大浪整備総括長が、俺と同じように不思議そうに見てきた。とりあえず、その必要目的を返信すると、二十秒も立たないうちに返信があった。それを見て俺は、声が漏れた。悠の返信にはたった七文字で、『隼人君のため。』と書かれていた。さっぱりしすぎだろ。
「奥田、どうかしたのか?」
 藤沢上官が俺の表情の変化に横目で見てきた。
「いえ。ただ病院で知り合った子供への土産に、と言うことみたいで」
 詳細は分からないが、元々女らしく絵文字やデコレーションメールなどは男には使わない奴だから、その素っ気ない短文で全ては把握出来ないが、少なくとも俺の言葉に間違いはないだろう。悠はプラモや模型には興味はないはず。だから、俺にこんなものを買うように頼むということは、見舞いの品にするつもりなのだろう。
「ここの土産屋にそんなのありましたっけ?」
 普段はほとんど利用しないため、自衛隊の資料館などになら置いてあるだろうが、ウチにはあるかは分からない。
「完成品ならいくつか応接室や受付前に置いてあるだろ」
 それは観賞用の展示物で、売り物じゃないと思う。
「売り物はなかったな。ま、持って行っても良いんじゃないのか?」
 なぁ? と大浪整備総括長が藤沢上官に同意を求めると、上官も持っていけと一言言うと、ざる蕎麦を啜った。
「良いんですか? あれ、展示用なんじゃないんですか?」
 しかも高いやつだ。俺なんて見ているだけで満足してしまうのに。
「構わん。まだ子供なんだろ?」
 上官がお茶を啜り一息つくと俺を見てきた。
「ええ。まだ小学一年か年長組ってところでした」
 あくまでも見た目だが、それくらいの年齢だったはずだ。
「なら、持っていってやれ。子供の為ならここに置かれているよりも、その小さな手で遊ばさせるほうが良い」
 上官の言葉に大浪さんが相槌を打っていた。
「それじゃ、お言葉に甘えさせていただきます」
 二人が良いというなら、飛行場の社長が許可するも同然だろう。もっとも社長は滅多に顔を出さないから、俺の記憶の中にも薄い影しかないが、飛行場のベスト四に入る二人が揃って首を縦に振るのだから、帰りに受付の所のを一機拝借させていただこう。
「それじゃ、仕事に戻ります」
 先に食事を済ませた二人はしばらくお茶でも飲んで一息つくのだろう。俺は食べ終わると残りの仕事が待っているため、模型の件の礼を言うと、食器を片付けて食堂を後にした。
「それにしても、ちゃんと見舞いに行ったんだな」
 事務所に戻りながら、悠が隼人の見舞いに行ったことに感心していた。悠の性格なら当然だが、すぐに打ち解けたようで俺に見舞いの品を注文するほどなら、隼人も大丈夫なのだろう。意気揚々とした気分で俺は午後の仕事に取り掛かった。
「今日もやってるなぁ」
 午後便の空き時間を利用して、飛行場の上空を閉鎖しバードフライが既に三ヶ月を切った航空祭への訓練に追われていた。上空を何度も旋回しては滑走路上空に侵入しては様々な演目を披露していく。管制塔からの指示で細かい調整に手こずっているのか、何度も同じ技を練習している。体にかかる負担が大きいものは最後にするようで、比較的難易度の低い技をやっている。
「奥田さん」
「美友紀ちゃんも休憩?」
「はい。奥田さんもですか?」
 事務所内は相変わらずクラシックがかかっている。朝はテンションが上がるのだが、昼時は他の子が持ってきていた比較的落ち着きのある曲に変わっていた。デスクに向かっていると、これがまた良い子守唄のようで舟を漕いでしまう。藤沢上官も今は出払っているから、特に注意する人は香田先輩くらいなのだが、その人が居眠りしているとなると、所内は静かだ。
「眠くなってきたからね。ちょっとした眠気覚ましだよ」
 窓辺においてあるテラスのようなスペースで寛いでいるのは俺だけじゃない。他にも休憩や資料の打ち合わせなどをしているスタッフもいる。それぞれがバードフライの訓練している最中は思い思いの時間を過ごしている。
「受付は良いの?」
 受付はそれなりに見学に来た人や仕事の依頼にくる業者が絶えずやって来る。
「はい、今日はそれほど忙しくはないですから」
 四人がけのテーブルを二人で占領する。五つほどあるテーブルは朝と昼時は早い者勝ちになる。
「それじゃ、後は後輩に?」
「いつも私がいると、一人での仕事が身に着きませんから」
 何だかんだでちゃんと先輩をしているんだな。俺なんて後輩が入ってきても上官が指導するから、先輩面なんてほとんどする機会がないのに。
「美友紀ちゃんは偉いね」
 俺の言葉に美友紀ちゃんが、そんなことないですよぉ、と言いながら僅かに赤くなった。本当に可愛げがあって良い子だと思った。後輩の子は幸せだろう。俺なんてしごくにしごかれただけだったしな。今も変わらないけど。
「腕のほうは少しは良くなりました?」
「痛みは少ないけど、骨はまだまだだよ」
「そうですか。無理して治りが遅くならないようにしないと、フルートも奥田さんを待ってますよ」
 窓の外へ目を向ける美友紀ちゃん。俺もそれにつられて空を見ると、智史が乗る三番機が俺のフルートだ。ちょうど上空で花開くように隊形を保ちながら上昇し、四機が花開くように散開していく上向空中開花。スモークは出していないから迫力こそ欠けるが、プロペラ機独特の風合いのある空中開花になる。
「フルートが遠くに行った気がするなぁ」
「そんなことないですよ」
 美友紀ちゃんはそう言ってくれるが、やはり今の俺にはフルートが遠い。ジェット機には及ばない高度だが、それでも今の俺には天と地の差があるほど、フルートに限らず、他の航空機も遠い存在だ。子供の頃憧れた時のような気もするし、未来のものを目にした気分でもあった。
「畑山さん、凄く奥田さんのこと気にしてましたから」
「あいつが?」
 美友紀ちゃんの言葉に思わず素っ頓狂な声が漏れた。あいつが俺のことを心配するはずがない。フルートを預かるとか言いながら、今じゃすっかり自分と一体にしている。たまに俺以上にフルートの呼吸があっているのでは、と思わせる飛行を時折見せる。正直その光景は見たくないと思ってしまう。俺は必要ないのでは? と思わずにはいられない。
「どうしたら健介の奴、早く良くなるか? とか、骨折に良い物って何かないのか? とか色々と聞いて回ってましたよ」
「嘘ぉ?」
「ほんとですよ。本人は周囲に口止めしてましたけど、私も聞かれましたから」
 信じられん。あいつが俺のことを心配しているだなんて。いつも性懲りもなく人をからかってはフルートを乗り回しているくせに、根がそんなことをする奴だとは思えない。
「奥田さんが早く復帰することを願ってるんですよ」
 そう言って笑う美友紀ちゃんの笑顔に俺は何も言えなかった。驚愕の事実に呆気に取られた。
「皆、奥田さんの復帰を待ち侘びているんですよ。奥田さんの飛行を楽しみにしているお客様もいますし」
「俺の?」
「遊覧飛行で、奥田さんを指名する方もいますし、空撮でも奥田さんはヘリを操縦しないのか? って聞いてくる方もいますから。藤沢さんや香田さんの次にって言っても良いくらい、奥田さんは人気があるんですよ?」
 楽しげな笑みを浮かべて、知りませんでした? と聞いてくるが、全くそんなことは知らない。
「皆さん何も言わなくても、本当はっていうのがあるんですよ」
 今日は意外なことを知った日だ。まさか智史に限らず、ほかのスタッフも気にかけているとは思いもよらないことだった。
「それに私も、ですから」
 美友紀ちゃんが赤らめた顔で、早く奥田さんの飛行を見せてくださいね、と笑って仕事に戻った。
「俺って、そんなに良い奴じゃないと思うんだけどな」
 どこか嬉しそうに仕事に戻った美友紀ちゃんを見送りながら煙草を一本取り出した。
 午後からの仕事もバードフライが訓練を終えると、雑費の経理やら予定表の組み換えやらで想像以上に終業時間が遅くなった。
「お疲れ様でした」
 夜間組みのスタッフに声を掛けると、受付に向かった。昼間の悠の連絡通り、模型を頂戴しに来た。受付時間は終了しているため、受付には人気がない。既に美友紀ちゃんも後輩も帰宅したのだろう。
「これだな」
 仕事場なだけあって、普段は見過ごしがちだが、色々と航空機の模型が飾ってある。プラモデルとは違うため、質感や重量が重厚な作りだ。子供にはプラモデルのほうが良いんじゃないか、とも思うが、時間もないことだし良いだろう。だが、流石にインパルス塗装のはなかったため、同型機のT‐4の模型を取り出した。
 悠に迎えを頼むのも今さら気が引けるため、タクシーでも使おうかと駐車場の近くにある公衆電話に向かっていると、クラクションが聞こえた。
「眩しいな・・・・・・」
 こちらに向かってヘッドライトを照らし、クラクションが俺を呼ぶようになっている。
「誰だよ・・・・・・?」
 手で光を遮りながら近付いていくと、それが智史の車だとようやく分かった。
「健介、これから帰りなんだろ? 乗ってけってやんぞ」
「良いのか?」
 意外な奴がらしくないことをしてきたため、少々調子が狂うがタクシーよりは安上がりなため、助手席に乗った。
「何だそれ?」
 乗り込んで走り出した車内で、ダッシュボードの上に模型を載せると智史が横目で不思議そうに見てきた。
「T‐4の模型だ」
「んなもん、見りゃ分かるっての」
 どうやら聞きたいのはこっちじゃなかったようだ。
「何でそんなもん持ってきてんだよってことだ」
「訳ありだ」
「そりゃそうだろ。訳なしでそれ持ってたら窃盗だっての」
 俺の話にいちいち反応する智史。お互い何が聞きたくて何を応えるのかくらい分かっているのに、こいつは冗談交じりで話に乗ってくる。
「見舞い品だ」
 周囲は畑ばかりなため、車のヘッドライトの明かり以外、時折過ぎていく古い街灯や自動販売機などの小さな明かりが微かにあるだけで一面は闇だ。ラジオから談笑が聞こえるおかげで闇の中でも明るさを感じられる。
「見舞い? 誰の?」
「はやとだ」
「誰だよ?」
 そりゃあ、智史が知るはずもない。知ってるのは俺と悠だけだ。上官たちもただ子供とだけしか知らない。話したところで、こいつにはどうでも良いことだろう。
「病院で知り合った子供だ」
 案の定、俺の応えに智史はふーんと、興味なさげに鼻で返事してきた。
「子供にそれは豪華な見舞いだな。俺が欲しいくらいだぞ」
 確かにこいつの言う通りだ。模型とはいえ市販なら万単位の物だ。俺だってそうそう買えるものじゃない。貰えるならありがたく頂戴して部屋に飾って眺める。
「にしても、どういう経緯で入院患者と知り合ったんだ?」
 診察だけで知り合えるもんか? と智史が横目で俺を見てきた。
「受付前をいつもちょこまかと駆け回ってたからな。入院しているのが不思議な子供だ」
「子供は大人と違って、知らねぇからな」
 智史の言葉は俺も分からないでもない。告知されないことは一時の幸せかもしれないが、子供の場合はたとえ告知されようとも、理解するのは難しいだろう。ただでさえ、大人でもよく分からない病気だって数多在る。隼人が自分のことを知っていても不思議じゃないが、その詳細まで理解するのは無理だろう。大人ならそれなりの過ごし方というものを思うことが出来るが、子供には一人でどうにかできるほどの力はない。誰かが傍にいて、その温もりに包まれるから子供は安心できる。
「治ると良いな、その子」
「そうだな。きっと治るさ」
 あれだけ元気にいつもはしゃいでるんだ。退院間近だから、あれだけはしゃいでいるのだろうしな。
「それは良いとして、お前どこに帰るんだ?」
 いつの間にか市内に入ると、信号に捕まった。
「あー、えっと・・・・・・雨宮の家で」
 いつものことだというのに、気恥ずかしくなった。
「何赤くなってんだよ。中坊かっての」
 ほっとけ。お前相手だから逆に言いにくいんだよ。
「うるせぇよ。ささっと行け」
「そこでムキになるってのはやっぱりそういうことかぁ?」
 気持ちの悪い笑みを浮かべている。無性に悔しさに似た恥ずかしさ湧く。
「ちげーよ。悠とはまだ何もねぇっての」
 ったく、さっきまであんなに神妙な面持ちだったというのに、いつの間にか小悪魔にでも取り憑かれたような不敵な笑みを浮かべてくる。
「まだ? まだってか。時間の問題か?」
 こいつもこいつだが、俺も俺だな。言い方を誤った。しかし、こいつも同期なんだから、それくらいの察しはついているだろう。全く人をからかうのが好きな奴というものほど、相手していて疲れるものはない。
「良いから、黙って運転しろ」
 だいぶ町明かりが明るくなり、帰路を急ぐ人の波がどこかしこから集まってくる。
「・・・・・・なぁ、健介」
 横断歩道を歩く人を二人で疲れきったような目で見送る。一体どこから来て、どこへ行こうというのだろうか。表情は似ていても一人一人異なる顔つきだ。それを三流映画でも見るような目で見送る俺と智史は、きっと同じ顔をしているかもしれない。
「何だよ?」
 ここの信号は長い。一分以上赤のままのため、信号が変わる頃は車の速度が上がり、危険だと苦情が多い場所でもあった。
「知ってるか?」
 智史が自分の右側を見る。俺もその方を覗き見ると、反対車線の脇に立つ横断歩道の歩行者用信号の下に、誰にも目を配られることなく静かに柱に寄りかかっている小さな花束。その脇にはジュースやビールの缶がいくつか捨てられたように置かれている。そこで何が起きたのかなど聞くまでもない。
「普段この道は通らないから、知らなかったな」
 いつも悠はこの道の二本隣の道を通る。ここで事故があったなんて俺は知らない。こんな近くで事故があっても、普段ろくに新聞も見ない俺にはもしかしたらニュースで流れたかもしれないが、仕事で覚えていない。
「そうか。女性でよ、一人娘と一緒に渡ってる時、トラックが来てそのままな・・・・・・」
「前方不注意か速度超過か?」
「信号無視の速度超過だ」
 曲りの出会い頭ではなく、突っ込んできたわけか。
「二人ともそのまま帰らなかったそうだ」
 信号が変わり、走り出す。車内は妙な静けさだ。ラジオの声が遠い。
「見えなかったわけじゃあるまい。正面なら死角も少ないだろ」
 一般車に比べて大型車は視界が高い分死角も広くなる。巻き込み事故などはあってはいけないが良くあることだ。だが、正面から来たのであれば、前方不注意か信号無視くらいしかないだろう。飲酒だったら最悪だな。
「その女性はさ、あと二ヶ月もすれば第二子をその手に抱けたはずだったんだ」
 やけに詳しいんだな。こいつは独身だから自分の奥さんだというわけでもないだろうに。
「健介、人は何でたった一分ちょいの信号を急ぎたくなるか?」
 智史の言葉に俺は外に視線を向けた。俺だってまだ行けると思って、ギリギリかたまには少々アウトだったかもしれないが、突っ切ることはあった。悪いとは分かっていてもその時は仕事に遅れそうで気が焦っていた。
「たったの一分も待てないほど急ぎの用って何だ? 命に関わるほど大事な用って遅刻することか? その一分で人生なんて闇に落ちる用なんてあるか?」
 先ほどまでの表情が一変して、俺でも見たことがないような智史の怒りに満ちたような、悲しみに暮れたような目。死んでいる感じだ。
「遅刻するのと、人の命って天秤に掛けたら、遅刻が重いか?」
「んな分けないだろ。人の命に決まってる」
「じゃあ、何で死んだんだ?」
 智史の間髪入れない抑揚のない問いに、健介はそれは・・・・・・、とそれ以上言葉を紡げなかった。智史の目が物言わさぬ目をしていたから、言葉の思わず呑んでしまった。
「子供の命ってよ、親だけじゃ護れねぇんだよ。親の命だって子供にゃ護れねぇ。周囲がもっと目を向けないと、誰も何も護れないんだよ」
「お前、どうした?」
 智史がこんな話題をするなんて初めてだ。態度の急変に疑念しか湧かない。
「子供ってのはよ、視野が狭いんだ。だから我が侭になるし、我慢が出来ない」
 いきなり話が変わったのか、上手くついていけない。
「親に甘えて、叱られて、褒められる。子供はそれが嬉しいんだよ。そして時には子供が何も知らないから、親の核心を突いて、励ましてもくれる。大人以上に大人なのは子供の時だってある」
 何が言いたいんだ? そんな質問をしても、智史は返事をしない。
「健介、お前は子供がどうして元気でいられるか分かるか?」
 一瞬だけ智史の目が俺の目を捕らえた。すぐに運転に意識を切り替え、その視線は前を向いた。
「そりゃあ、子供は・・・・・・」
 そこで何を言えば良いのか分からなくなった。子供が元気なのはどうしてか? それは楽しいから? 親がいるから? 友達がいるから? どれも当てはまりそうで、当てはまらない気がした。何故あれだけ無垢な笑みを見せるのか。昔は自分だって同じ頃があったのだ。なのに、今じゃあの頃どうして笑っていたのか。それが分からない。
「お前は、子供の心を忘れたんだな・・・・・・」
 智史が悠の家に俺を送り届けるまで、その言葉が最後だった。俺も智史の問いの答えを考えていたが、結局浮かぶことはなかった。
「悪かったな。わざわざ」
「気にするな。じゃあな」
 家の前で下ろしてもらうと、いつもなら何かからかって行きそうなのだが、軽く挨拶を済ませると、智史はすぐに車を発進させた。いつもとは全然違う智史に、何も言葉をかけることも、悪ふざけにうんざりしたように突き放す言葉も何もかけられなかった。普通じゃないと言えばそうだが、今のあいつの思いは、何一つ俺じゃあ汲むことが出来ないことだけは、その背を見送りながら思った。
「おかえり。連絡してくれれば迎えに行ったのに」
「いや、悪いからな。それと、これな」
 家に帰ると、既に夕食を済ませているかと思ったが、ダイニングのテーブルには二人分の食事が置かれていた。
「これ貰えたの?」
「ああ、藤沢さんと大浪さんが持ってけって」
 包装も何もしていない丸裸の模型。展示ケースからそのまま持ってきたから仕方ないが、それでも悠の予想はプラモデルだったようで、予想外だと言う具合の驚きの顔が見れただけでも気持ちが安堵した。
「それで、今日は休めたか?」
 食事を取りながら、久々の休日をまさか家事やらに追われて仕事並みの労力を費やしたのではいないかと思ったが、目の隈がほとんどなくなっているから、睡眠はしっかり確保できたようだ。
「お見舞いに行ってから、しばらく寝てたから」
「隼人はどうだった?」
 隼人の話題に触れた時、一瞬智史の先ほどのことが過ぎったが、深く考えないようにした。
「元気だったわよ。小児病棟の子供ってみんな凄いのね」
「何が?」
「普通ならお母さんに甘えている年頃なのに、一人で夜は過ごして、朝になってお母さんが来るまでずっと待ちながらも、楽しそうに笑ってる」
 悠の言葉が智史の言葉と重なって聞こえた。親がいなくとも楽しく笑っている。それがどうしてなのか分からない。
「学校も行けないのに、同じ部屋の子供同士、励まし合いながら私たちなんかよりもずっと強いわ」
 悠も何かしらショックを受けたのか、本当に疲れた時などに垣間見せる顔をしていた。
「明日は診察だろ? その時俺も見舞いしてみるよ」
「それなら、あれはあんたが渡してあげて」
 リビングのテーブルに置かれている模型。
「俺が?」
「隼人君、空とか飛行機とか好きなのよ。だからあんたが渡してあげて」
 渡すのは構わないが、隼人がそういうのが好きだったとは。
「隼人、飛行機好きなのか?」
「みたいよ。でもついでなのかしら?」
「ついで?」
 空が好きなついでに飛行機が、と言うわけか。俺も昔は空に憧れて、少しでも近付きたくて今の仕事に就いた。飛べない今はただの事務員だ。
「絵を描くのが好きなのよ、隼人君。絵本とかも沢山持ってだの。だからあれに憧れているのね」
 悠の視線の先には模型がある。なるほどな。そういうわけか。俺とはちょっと憧れる理由が異なるが、それでも空を思う気持ちは同じだ。
「バードフライのことも話したのか?」
 俺たちも一応はアクロバットチームだ。空に絵を描くことは多少出来る。
「長くはいなかったから、そこまでは話せなかった」
「だったら、写真も持っていくかな」
「それが良いかも」
 悠の家に世話になる前にフルートが中心だが、バードフライ機の演目写真やらは持ってきた。乗れないからと言ってもやはり乗っている気分くらいは感じたくなる。
「それから健介、日曜は暇よね?」
 悠が味噌汁を啜ってから予定を聞いてきた。
「ああ、休みだけど?」
 今週末は飛行場自体が休みだ。仕事のある事務員たちは出勤だろうが俺たちは休み。特にすることもないし、寝て過ごそうかと思っている。
「だったら、付き合ってくれない?」
「どっか行くのか?」
「ここ、まだオープンしてから一度も行ってないから、行ってみたくて」
 一枚のチラシを差し出してきた。それは半年ほど前オープンしたエスプリモールとか言う、大型のショッピングモールだ。俺も行ったことはない。何しろ、片道一時間もかけて行くなんて、余程のことがない限り行く気が起きない。
「買い物か?」
「一度くらい見てみたいじゃない?」
 俺は別にそうは思わないが、悠一人じゃ行く気になれないのだろう。世話になっている分、我が侭は控えるべきか。久々に見る悠の無邪気に近い笑顔を曇らせる資格はないな。
「まぁいいぞ、別に」
 たまには遠出して、普段は買わないような物を見るのもいいだろう。俺は節約しなければいけないから、荷物持ちってところだけどな。
「それじゃ、決定ね」
 どこか嬉しそうだが、表情はあまり変わらない。冷めているようだが、内心は楽しみなのだろう。悠は顔に出さない性格だし。
「ふぅ・・・・・・」
 食後しばしして風呂に入り、ようやく一日が終わる。悠は何やらドラマを見ているが、俺は先に部屋に戻った。何か今日は疲れた。色々な人間の心を垣間見せられて、ついて行くのがやっとだ。睡魔もそうだが、親友の複雑な顔の原因も気になった。ちゃらんぽらんな奴だと思っていままで共に笑い、喧嘩して、上を目指すライバルとして働いてきたのに、あんな顔は一度も見たことがなく、焦燥感にも似たモヤモヤが気分を晴れやかにはさせてくれなかった。
「ちょっとトイレ」
 手洗いを済ませ、リビングでドラマを見ている悠に聞いて見ることにした。
「なぁ、智史のことで、ちょっと気になることがあるんだけど」
「智史?」
 不意な問いかけだったか、悠は小首を傾げていた。
「ああ、今日あいつに送ってもらったんだけど、途中の信号であいつ顔が変わったんだ」
「どこの信号?」
 悠の問いに場所を伝えると、何か思い出したように、悠が俺を見た。
「健介、あんた一昨年のこと覚えてる?」
「何を?」
 一昨年のことだなんて言われても、覚えていない。
「智史、一週間くらい航空祭の後に休んだことあったでしょ?」
「あ、ああ。そう言えば」
 言われてみればそんなことがあった気がする。確か忌引きじゃなかったっけか。
「その時、あの交差点でお姉さんが亡くなったのよ。姪っ子とお腹の子もダメだったそうよ」
「なっ・・・・・・!」
 驚愕しか出来ない。そんなことがあったなんて一度も聞いていない。
「嘘、だろ・・・・・・?」
「事実よ。あんた知らなかったのね。私も小耳に挟んだだけだけど、本当のことよ」
 何ならネットでニュース検索してみれば? と悠が言うがそんな気は起きなかった。智史のあの言葉は自分の姪っ子に対するものだったのか。自分の姉とその子供を一瞬で亡くした辛さと憎しみから、俺が見たことのない表情をして、俺にあんなことを聞いたのか。
「そうか」
 何だかんだで、自惚れでもしていたのかも知れない。向こうから親友だと言ってきて、俺自身も乗っていたというのに、あいつのそんなことも酌んでやれなかったなんて。
「あんたに余計な心配はして欲しくなったから、言わなかったのよ。言ったら遠慮するでしょ?」
 悠が俺の考えていることを見透かしているようだ。
「遠慮って・・・・・・」
「あんたは間違いなく仕事に支障が出るくらいに気にかけるはずよ」
 俺以上に俺のことを知っているような口ぶりだ。本人ですら気づかないことは他人が良く分かっているということは間違いではないのかもしれない。
「本人が言わないんだから、酌んであげなさいよ。今更ぶり返すようなことじゃないわ」
「分かったよ。寝るな」
 部屋に戻る際に悠が、おやすみと声を掛けてきてそれに片手で応えると、余計なことを考えないためにベッドに入った。
「全く、聞き分けのない子供か、あんたは・・・・・・」
 部屋のドアが閉まると、小さく悠が息を吐いた。
     
「いつまで寝てるのよって、起きてたの?」
「・・・・・・ああ、まぁな」
 夢見心地、というわけではなかった。時間がこうも早く過ぎるのかと起きて早々に思ってしまった。気分の悪い目覚めなんて、久しぶりだ。
「診察あるんだから、さっさと支度しなさいよ」
 いつものように朝食の支度にキッチンへと消えていく悠。いつもは体を捻りながら欠伸を漏らしつつ朝食へと行くのだが、今日に限って嫌に目が覚め、欠伸も意識しなければ出てこない。すっかり体が活動を始めている。
「昨日の今日じゃ、やりにくいよなぁ」
 知らなければ楽だったのに、などといまさら後悔したところで今日が変わるわけじゃない。冷水で、いつもより目覚めは良いくせに締りの無い顔に気合を入れなおすように顔を洗う。余計なことを考えている時は、極端なもので身を引き締めるのは効果がある気がする。髪を整えると既に整った朝食を当たり前のように悠の向かいに腰を下ろし食す。
「それ、食べ終わった後に取り替えるから」
 悠が目で俺の左腕を見る。ここ数日は洗濯していなかったから包帯も少々汚れていた。綺麗にしておくように言われていたのに、すっかりそんなことは片隅からも消えていた。
「ああ」
 特に会話が続かずに気まずいわけじゃない。元々口数の少ない悠だから、雰囲気はいつもとなんら変わりない。と俺は思うが、今日に限ってこの空気が分からない
「健介、あんた昨日のこと気にしてるのは分かるけど、もう智史自身がある程度の区切りはつけてるんだから、いつも通りにしなさいよ」
 呆れたように悠が自分の首下を突く。意味が分からず、自分の首下をみると、ボタンを掛け間違えていた。悠から目を逸らしながら何事も無かったかのように正す。滑稽そうに見る悠の目が痛かった。
「うん。それじゃあ、行きましょ」
「はいよ」
 支度を済ませ、模型を持つと二人で家を後にする。車内では相変わらずエオリアン・ハープや黒鍵のエチュードなどのショパンの曲がかかっていた。既に聞き慣れすぎて曲名まで身についてしまった。弾けるわけじゃないのに、自然と指が曲に合わせて適当に動いていた。考える暇を与えないようなテンポに、今は身を任せた。
「相当気に入ったの?」
 横目で助手席を見てくる悠が、俺が思案に沈んでいることを見透かして話題をふってくる。気を逸らそうとしていることが丸見えだったようだ。
「まぁまぁ」
「所内でも掛けてるんだって?」
 飛行場とは逆の道を行く。もうじき病院の看板が見えてくる頃だろう。古本屋や服屋の無駄にでかい看板が流れていく。名前の分からない街路樹が初夏に向けて少しずつ緑を深めていく景色にあわせるように、町が起きていく。
「誰に聞いたんだ?」
 整備班とは使用する場所が異なるため、休憩時間などでおそらく誰かが聞いたのを悠にも話したのだろう。
「補給の子がCD探すって言ってたわ」
 自分のことではないのに、どこか嬉しそうに話す悠。不思議と俺がMDをかけてから、飛行場はちょっとしたブームでも来たのだろうか。自分が気に入っていることを誰かが気に入ってくれると、嫌な気はしない。
「どうせ、今だけだろ?」
 ブームなんて来てしまえば後は廃れて消えていくだけだ。いつまでも続くものなんてそうはない。いつまでも続けばブームと呼ばなくなるだけだ。それを知らないほうがおかしいと、常識へと変貌を遂げていく。人間なんて所詮は物の本質を知ることなく、上辺だけで満足してしまう生き物だ。だから、クラシックなんてものはすぐに忘れられるに違いない。通じゃないから有名になるまで知らない曲だって、数多くある。この曲はあの人が、なんて思うこともあって、流行れば当たり前に聞こえてしまい、その価値はその道を知る人間からすれば、嬉しくもあるかも知れないが、下がっていくものだろう。
「良いじゃない、別に。好きな人が聞くには何であっても良い曲なんだから」
 冷めていると言うか、達観してるなぁと感心に近い呆気に取られかけた。自分のこともきちんと分かっているから、他人のことに口を挟むだけの下地を持ち合わせているのだろう。悠は強い女性だ。それに比べて俺なんてまだまだだ。ちょっとしたことで満足して、いい気になって、棘が刺されば痛みに対処することよりも先に、その痛みに打ちひしがれている。子供そのものじゃないか。
「どうかした?」
 一人窓の外に向かってぼやいている健介に、悠が怪訝そうな眼差しを向けてくる。
「・・・・・・強いって凄いな」
「何よ、急に?」
「何となくな」
 健介の呟きに悠の表情がさらに歪むが、健介には目に入っていないようで、一人で何かに納得したり、首を傾げていたりと、奇妙な行動をしていた。
「健介、時々意味わかんないこと考えたり、したりする癖、直した方が良いわよ」
「俺ももっと鍛えないといけないな・・・・・・」
 そんな健介を横目に悠は、昔から変わってないわね、などと苦笑しながら病院へと車を走らせた。車内に音楽がなければ、噛み合うことのない滑稽な二人の独り言で何とも表現しがたい空気で満ちていただろう。
「だいぶその姿も似合うようになりましたね」
 病院でいつものように、本当に医師なのかと疑わせる発言をする医師にいつものように診断をしてもらい、リハビリなどの話を少々交えた後、健介と悠は小児病棟の方へと向かった。あまり早い時間は面会時間まで待たなければならないため、普段より遅い時間で診察をし、仕事に支障が出ないようにとりあえず挨拶を兼ねた簡単な顔出しだけにしておくことにした。
「健介、消毒しなさいって」
 五〇四号室に来ると、朝の検温などで看護師が忙しなくあちこちを行ったり来たりしていた。まだ眠そうにしている子や、朝から元気一杯はしゃいでいる子など、随分と一般病棟に比べると賑やかだった。
「これか?」
 全病室の前に置かれているシャンプーのような入れ物。消毒と張り紙がしてある。医師、看護師はもちろんのこと、見舞いの家族も部屋への立ち入り前は消毒が絶対だ。小児においては尚のことである。
「手洗い場は?」
 健介は消毒することには納得しているが、こんなところでハンドソープを使えば手を洗わないと消毒液まみれのままだと思ったのだろう。健介の言葉に悠は思わず噴出した。
「大丈夫よ。それは馴染ませればクリームみたいに消えるから」
 悠が手本と言わんばかりに消毒をする。
「おお、マジで消えるんだな。すげぇ」
 健介は入院というものはテレビで見るような病室内の事しか知らないため、子供のように消毒一つで表情を輝かせていた。
「恥ずかしいから止めてよね」
 そんな健介になるべく目を合わせないように、悠は先に病室へと足を踏み入れた。
「あっ、おねぇちゃん」
 部屋へ入るなり、悠に気づいた隼人がベッドの上から見つめていた。
「おはよう、隼人君」
 昨日悠が隼人に渡した菓子がいくつか隣の棚に置かれていた。封を切った様子もなく、何も手をつけていないようだった。
「よう、隼人」
 悠の後にカバンを提げた健介も入ってきた。
「おじちゃんもきたの?」
 余り時間のない二人は、ゆっくりしている暇がないため、手早く用件を済ませることにした。
「隼人、お前にプレゼントを持ってきたぞ」
「ぷれぜんとぉ?」
 朝から母親が来ている子や、看護師と楽しげに会話を楽しむ子もいる。カーテンが引かれたままの静かなベッドもあるが、今朝は比較的落ち着いているようだった。
「昨日、隼人君に約束したでしょ?」
 悠が健介を見る。それに健介が頷いて、カバンから模型を取り出すと、隼人の表情が華やいだ。
「これ、くれるの?」
「ああ、特別に貰ってきたんだ。大事にしろよ」
 プラモデルとは違い観賞用のため、台座から取り外しが出来ないが、それでも隼人はずっと欲しがっていた物のためか、二人が見た中で一番の笑顔を見せていた。
「おねえちゃん、おじちゃん、ありがとう」
「どういたしまして」
「壊すなよ。良い物なんだからな」
 悠は満足げに微笑み返し、健介もキラキラと輝く隼人の目にどこか嬉しそうに頬が緩んでいた。
「それじゃあ、隼人。俺たちは仕事があるからまた今度な」
「もう、かえるの?」
「うん、ごめんね。また今度ゆっくり遊びに来るから」
 ものの十分と言ったところだろうか。悠も健介もただでさえ遅刻の上での見舞いなので、時間がなかった。来たばかりだというのにもう帰らなければならない悠と健介に、隼人が寂しげな眼差しを向けてくる。いつもなら待合の椅子で母を待っているはずだが、今日は部屋で大人しくしていた。部屋にいること自体がここでは当たり前なのだろうが、その目から嫌でも感じられる孤独の哀しさが二人の良心を締め付けるように感じられた。
「はやと、ダメだよ。大人っていそがしいんだから」
 そんな二人に、隣のベッドでテレビを見ていた子が声をかけた。
「隼人、心配しなくともまた来るさ」
「そう言ってるんだから、兄ちゃんたちきてくれるよ」
 あどけない隼人に比べて、足を骨折しているようで動きにくそうだが、大人っぽさを感じさせるな、この子。子供も色々なんだなと、俺にはとうの昔に忘れてきた何かを思い返させるような何かを感じた。
「ほんと?」
「うん、今日はちょっと時間がないけど、また遊びに来るからね。何か欲しいものとかある?」
 子供にはとことん甘い悠の姿に、健介は思わず母子に見えてしまった。
「えほんがほしい」
「絵本?」
 悠としては色々と飾られている飛行機の玩具などかと思っていたようで、意外そうな顔をしていた。
「それだけで良いのか?」
 まだ幼いからと言うわけではないが、もっと欲しい物があっても、子供の要望に応えることくらいわけないのだが、隼人は空の本が良いと付け加えて笑うだけだった。
「分かった。今度来るときは持ってきてあげるね」
 時間も押してきたため、それだけ約束すると俺たちは部屋を後にした。
 廊下には車椅子で友達なのだろう、押してもらいながら散歩か遊びに行く途中の子たちとすれ違った。おはようと声をかけると、不思議そうにこちらを見てくる穢れのない表情は、可愛げがあった。
「一人一人症状が違うだろうに、みんな生き生きとしてるよな」
「そうね、大人とは違うのよ。子供って」
 時折どこかの病室から聞こえてくる注射を嫌がる子供の泣き叫ぶ声や、各階に設置されているソファの置いてある休憩所では数人が一緒になって朝のアニメを食い入るように見ていたり、ナースセンターの所で無邪気に看護師と遊んでいたりと、様々な時間の過ごし方をしている子供を見ていると、良い意味で言葉を失う。どこにでもある学校や家庭での一コマが、病棟には凝縮されたようにあちこちで繰り広げられている。長期入院で学校に通えない子供に、教職員が出向いて院内学級と呼ばれる病院での勉強会など、日常生活の全てが見られるような気がする。ただ違うのは、多くの友達や家族と外で走り回って自由に遊ぶと言う事が出来ないだけにしか俺には思えず、ただひたすらベッドで一日を過ごし、リハビリをして退院を目指すという俺の想像していたものとはかけ離れた現実に、言葉が出なかった。


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