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作品名:さらば愛しき世界よ 作者:山吹恭次

第7回   虚構に抗す虚勢
 よくある無機質なオフィス。
 仕切を立てられた事務机の一つで、東堂は帳簿に取り掛かっていた。
 珍しいことに、一度で勘定の左右の値が合ってしまったので、間違いを探しているところだった。転記前の帳票まで持ち出してしまう、自分の几帳面さが少し嫌だった。こういう時は、素直に仕分け一つ分の誤差が結果に出てきてくれた方が、気楽なのにと思う。それか、いっそ誰かに任せるということも出来たはずだ。
 そこへ、声が掛かった。いつの間にか近づいていた成瀬が、仕切に肘を乗せていた。手にしているのは少し厚めの、書類の束だ。
 お前の企画書、ウケは上々だったぞと、成瀬が伝えて書類の束を放った。
 ああ、ならコレは夢だ。その好評は、いつもこうであればいいと願っていたことだ。それに、成瀬は、呑みに行った次の日から、しばらく本部に出向するはずだった。
 夢を見て惨めな気分になる贅沢はひとまず後回しにして、東堂は、脇にある覇王の剣を片手で掴み上げると、机に向けて振り下ろした。



 ボーゼ拠点、元司令官室。
 魔人辺境伯リヒャルダは、目の前で両断された洋灯を目にして、少なからず驚いたが、椅子に座って机にしなだれかかるようにした妖艶な態度を崩すことはしなかった。
 部屋の内装は、大方はレグヴィトールのものと同じ。机は大の大人が寝ても余るような、巨大な一枚板で出来ている。元は司令官用の、仰々しい椅子に深々と腰掛けていたヴォルフラムは、覇王の剣を引き戻して床に突き立てた。懐から取り出した細巻をくわえ、次に取り出した燐寸を靴裏で着火して細巻に火を付け、燐寸は二・三度振ってから放り捨てた。
「幻覚から覚めたばかりにしては、冷静ね?」
「下のウジ虫どもが際限無しで、少しばかりくたびれた。今の内に辞世の句でも考えておけ。貴様もすぐに死ぬ」
「いやだわ辞世の句なんて、辛気くさい。そんなことよりお話ししましょう?」
 表情は鈍く、ヴォルフラムは煙を吐く。リヒャルダは、幻覚の効果を確信しながら、机の上の香炉を指で弾いた。
 近々人間が押し入ってくることは分かっていた。使い魔を通して、オレゴノフの死に様を見ていたからだ。覇王の剣によって、幻術の類が効かないことも容易に考えられたため、いつもとは少しばかり取りかかり方を変える必要があった。そのための洋灯と香炉だ。目から刺激を送る洋灯は分かり易いためかすぐに破られてしまったが、本命は既に部屋に充満している香炉からの煙にあった。この男は、光の幻惑にかかる前から、煙霧を充分に吸い込んでいるはずだ。
 リヒャルダは頬杖を付いて、空いた手の指先で机を叩いた。コツコツと、リヒャルダが上機嫌な時につい出る癖だった。自然前屈みになる胸元で、柔肉が蠱惑的な楕円に歪んだ。黒革と鎖、ある種の拘束具のような衣服と、白い肌の対比が、弱い照明の中で扇情的に浮かび上がる。肩までの金の髪が、リヒャルダのほくそ笑むのに合わせて揺らいだ。豊かで艶のある髪は、素肌と同程度の情欲をかき立てるほど魅力的だった。
「アナタ、名前は?」
「デュッセン・バルトベルク王国王室勲爵士、ヴォルフラム・アーベントロートだ」
「あら、そんな国もう亡いじゃない」
「……」
 ヴォルフラムの表情が、凍ったように固まった。リヒャルダの言葉に反応したわけではない。既にリヒャルダの言葉も聞こえていないし、周りの何物も見えていないだろう。リヒャルダが使い魔を介して与えている幻像に反応しているのだ。
 英雄ヴォルフラムに関係した人間の死に様を探し出すことはそう難しいことではなかった。たまたま蒐集していたラスタ・ロンドの映像の中にそれがあったのだ。小さな村に魔人が襲来した際、村人を守ろうとする者達の中に、連中の姿があった。屈強な戦士と、理知的な錬成士と、見目麗しい魔導師。短い間だが、ヴォルフラムと共に苦境を乗り越えた者達だった。
 今ヴォルフラムの脳裏に送られる映像の彼らがどうなるかと言えば、ああそれはもう筆舌に尽くしがたい。魔人に人の武器が通じるはずもなく、剣折れた戦士は全身を槍触手に貫かれ息絶えた。錬成鋼槍を放つ錬成士は、鋼を喰らう魔人に、諸共に咀嚼された。魔導師の術が最も奏効していたかも知れない。それも他の者に比べればの話で、結局魔人の一人を仕留めることすらなかった。そして最も悲惨だったのもこの魔導師だ。何体もの魔人に囲まれ、のしかかられ、肉槍で貫かれ、獣精で汚された。その最中にも村人が襲われていたことは言うまでもない。
 リヒャルダは今まさに性的興奮に紅潮していた。初めて目にした時から何度も見返している。暴力的なまぐわいのそれ自体は、リヒャルダにとって見慣れたものだったが、その魔導師の美麗であった立ち居振る舞いが全て剥がれ落ち、泣き喚く様はたまらなく甘美なのだ。ともすれば鼻につく甲高い声はそれだけでもそそるが、気をやる嬌声とすれば何とも背徳的なものが胸を熱くして、もう何度自涜に耽ったか知れない。
 尖って心地よい劣情を訴える胸元を持て余して、リヒャルダは熱い息を吐いた。
「どう? アナタもこんな風にしたいと思わなかった? 彼女にこんな声を上げさせたいと思わなかった? 後ろから貫いて、火照る首筋から背中から臀部を眺めたいと思ったことはなかった? 前から蕩け崩れる顔をつかまえて、ついばみたいと思ったことはなかった? 股座を力ずくで押し開いて、身も心も征服したいとは思わなかった? 獣欲の全てを吐き出したいとは思わなかった? それとももう全てしこなしたのかしら?」
 聞こえるはずがない相手に言葉を重ねる。それは、リヒャルダの最も愉快な一時だった。人が見せる苦痛はリヒャルダの心を豊かにする。苦悩に歪む表情は何よりの甘露だ。
 ヴォルフラムの眉根が寄る。リヒャルダは口元の緩むのを止めなかった。愁嘆して崩れるのか、憤然と震えるのか、それとも絶望して阻喪してしまうのだろうか。いずれにしろ、今の自分の胸の熱さは、これからのことを考えるだけで軽く達してしまいそうだった。
 ヴォルフラムは、二指で挟んでいた煙草を親指で弾いて、灰を落とした。短くなったものを銜え、深く吸う。リヒャルダは目を疑った。
 動けるはずがなかった。リヒャルダの使った毒は魔術の類ではないのだから、覇王の剣には防げない。だとしたら何? 煙草の煙は関係ないはずだ。トートペンテスの煙毒は人体の神経細胞や筋繊維のイオンチャンネルに作用することで、シグナル伝達を阻害する神経毒性を発揮する。匂いを防いだ程度で防げるものではないのだ。
 およそリヒャルダの与り知らぬ事理によって事態が進んでいる。策を弄する人種にはマズイ状況だった。
 ヴォルフラムは再び覇王の剣を手に取り、今度は香炉を突き砕いた。手を引くついでに手近の窓を叩き割り、風を呼んだ。喉を鳴らして痰を吐く。
「辞世はあるか? ないなら跪けクズ肉。愉快に自殺したくなるまで教育してやる」
「その様子でよく言うわ」
 覇王の剣を杖に、ヴォルフラムはやや足下のおぼつかない様子で立ち上がった。効果がないわけではないようだった。悠長に愉しむ前に、仕留めておけば良かったか。そう思いながらリヒャルダの指は魔法陣を描く。
 一つ描いた魔法陣は二つになり、四つになり、瞬く間にリヒャルダの周囲が魔法陣に取り囲まれた。それぞれから、闇色の流線型に牙と羽をもった魔物が現れる。辞書大の鮫の輪郭に蝙蝠の羽があると言えるかも知れない。呼び出されたメナスは、リヒャルダの使い魔の中でも、特に攻撃的なものだった。リヒャルダ自身は、オレゴノフのように頑丈な身体をしていなければ、積極的に戦える技も持っていない。
 リヒャルダ周囲の中空を泳ぐメナスの頭数は、三十二。
「言い残したことはある?」
「さっさと掛かってこい豚娘が。貴様のちんけなまじないが俺の命に届く前に、お迎えが来ちまうぞ。それとも努力してそうなのか?」
「気に障る男だこと」
 頬杖を突いていた手を開いて前を示すと、メナスはヴォルフラムへと飛び掛かった。あるものは真一文字に、あるものは旋回して回り込むように、あるものは別の個体の影から現れる。調度品を砕き、床板を剥がし、竜巻さながらの様相でメナスの群はヴォルフラムへと襲い掛かった。
 その全てが、風車のように振り回される覇王の剣に叩き落とされた。
 しかしそれだけでは終わらなかった。叩き斬られ肉塊と果てたメナスの残骸が蠢き、繋がって復元された。そしてまた執拗にヴォルフラムへと牙を剥く。
「無駄よ。私のメナスは、魔人と同じぐらい強靱だもの。アナタが喰らい尽くされるまで追い続けるわ」
「……」
 ヴォルフラムは剣先を翻すと背の皮鞘に挿し、両手を顔の高さに持ち上げた。降参しているようにも見えたが、リヒャルダは容赦するつもりなどなかった。鈍重な草食獣を囲む肉食獣の如く、メナスがヴォルフラムへと襲い掛かる。そして身体を少しずつ食い破られて愚鈍な死体が出来上がり、リヒャルダはそれを見て劣情をそそる夜を過ごす。結果から言えばそうはならなかった。
 ヴォルフラムの拳が、両側面から迫るメナスをしたたかに打つと同時に、二体はすみやかに灰となって散った。さらにヴォルフラムは矢継ぎ早にメナスを殴りつけ、その度にメナスは灰燼へと化していった。
 これだ。オレゴノフを仕留めた妙な力。想像もつかない異能力をその目で確かめたリヒャルダは、手早く移送の魔法陣を描いた。その手が意に反して宙を舞う。一瞬遅れて、腕を断ち切られたのだと気付いたリヒャルダは、防護方陣に切り替えた。一万二千層の魔導防壁に覇王の剣が剣先から突き刺さり、術式の砕け散る赤紫の火花とともに食い止められた。人間の組み上げる術程度なら、その一層ですら貫けない魔人の防護方陣が、ゼアスハルトのもたらす破滅によって飴細工のように砕け散っていった。
 時間稼ぎにもならない、その僅か数瞬の間に組み上げた魔法陣から無数の蝙蝠が飛び出し、ヴォルフラムの視界が遮られる。覇王の剣の一薙ぎで目眩ましの蝙蝠を追い払ったそこには、両の手でレウラを抱き竦めるリヒャルダの姿があった。斬られた腕には、傷跡すらない。
「ダメよ、こんな可愛い娘、一人にしてちゃ」
 リヒャルダが白衣の上から胸を弄んで、レウラがその身を震わせる。首筋に舌を這わせながら、もう片方の手は白袴の奥へと潜り込んでいった。
「ヴォルフラム…」
 目尻に涙を湛えながら、叫ぶことだけは堪えるように、レウラはヴォルフラムを見つめた。ヴォルフラムはため息を吐きながら黒眼鏡を掛け直した。
「何が狙いだ」
「何も。ただそこで見ていて欲しいだけなの」
 小気味よさそうに笑みを浮かべるリヒャルダが、レウラの白衣を剥いで肩を露わにしたのと同時に、ヴォルフラムの突き出した覇王の剣が、二人諸共に貫いた。
「間抜けな淫猥に三秒やる。気色悪い笑みを消せ」
「何を…アナタ…」
 覇王の剣によって偽装を解かれた、レウラの形をしていた使い魔らが飛び散った。覇王の剣を引くと、刺し貫かれたリヒャルダは力無く引き寄せられた。
 迫るヴォルフラムの左腕を、リヒャルダが掴み止めたが、押し返すことも出来ず、確実にリヒャルダへと迫っていた。
「バカね、バカだわ。私を倒したところで、今さら、何にもならないわ」
「それが何だ? 貴様らを絞り上げて何か戻るものがあったか? それとも俺を、死んだ人間を蘇らせたがるクソマヌケとでも呼びたいのか?」
「違うのよ。だってアナタの同志を辱めたのは、私じゃないわ。だから…ッ」
 リヒャルダの手が振り払われる。命乞いでも吐きそうに開いたリヒャルダのアゴを、ヴォルフラムの掌が掴み留めた。境界連結はまだ行われていない。
「聞いて驚け豚娘。俺は仇討ちや意趣返しよりもさらに素晴らしい義務感に迫られて貴様らを駆除する。これには貴様がしでかした事の如何もまるで関係がない。だから貴様が的外れに万謝を重ねようと、俺の行動には何の影響も与えることはない。そして、貴様についてのみ言えば、手前の独りよがりだけで相手の自慰を手伝おうともしない礼儀知らずはすみやかに死んで然るべきだ。理解したな? お休み、お嬢様」
 ヴォルフラムの指が、リヒャルダの頬を愛撫するように滑る。リヒャルダの左足が焼け崩れた。艶も婀もない叫喚が上がる。煙毒の影響で、境界連結が上手く扱えていなかった。リヒャルダの本性は、全くの偶発的に手当たり次第に呼び起こされ、順繰りに霊素で焼かれていった。
 弦月の昇る夜。耳障りな叫声は高く長く響いた。


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