「ヴォルフラム? 帰ったの。ご苦労様。あ、耕太って呼んだ方が良かった?」 「構わない。もう慣れたよ」 帝国陸軍第5歩兵連隊設営所の一室。弱い灯火が部屋を薄暗く照らす。 箪笥と寝台と、いくつかの簡素な調度品しかない部屋で、レウラが白衣を繕っているところに、ヴォルフラムが戻ってきた。 「危ないことはなかった?」 「取り立てて言うようなことはなかった。それに、」 寝台に座っていたレウラは、ヴォルフラムから覇王の剣を受け取った。布で簡単に拭った後、刀身をなぞる。錆はなかった。 「周りがみんな敵なら、楽でいい」 「あなたって昔からそう」 レウラは苦笑した。 刀身にこびり付いた、最早何かも分からない塗料のカスを、指で探り当てて、金具で刮ぎ落とす。もう一度拭って、そうしてから、レウラは持ち出した筆と塗料で描き始めた。黄と褐色を重ねて輪郭を描いた鳥は、王国でよく見られた、喉朽葉鳥。南部の不毛の地でも生息するこの鳥は、育児の時期に巣から遠く離れた場所まで餌を探しに行く。そのことから、戦場から無事に帰還できるように、との願掛けだった。もちろん魔術的な意味があるわけではない。レウラが好きでやっていることだ。それに、どんなまじないを掛けようと、覇王の剣が全て打ち消してしまう。 「出来た」 布ではたいて乾いたことを確認すると、上から油を塗って仕上げた。太陽鋼特有の山吹色に隠れてしまっているが、軍旗でもないのだ。目立つ必要はない。 「いいんじゃないか」 「ん」 軍服を脱いだヴォルフラムが椅子に腰掛けた。手袋を外した手を確かめるように閉じては開いた。 「見せて」 「問題ない」 「いいから」 レウラが手を取ると、思った通りにヴォルフラムの掌は爛れていた。境界連結の影響だろう。ゼアスハルトは元より人のための武器ではないのだ。その本質が剣に宿れば、何らかの影響は出る。余りの熱量に、革手袋をしていても手が焼け爛れるのはその一端だった。 レウラの握った手が微かに震えている。これも昔からそうだ。これを知られるのが嫌で、見せたくなかったのかも知れない。レウラは荒れたその手を包んで、痛み止めを唱えた。神子などといっても、レウラには資質がなかった。たちまちに傷が癒えてしまうもののような、失敗した場合の影響の大きい術は使いこなせない。それでも、それなりに痛みを抑えて、傷の治りを早める程度にはなるはずだった。 しばらくはそのままぼんやりと、時間が過ぎていった。 不意に寝台に押し倒され、レウラは悲鳴すら上げられなかった。抗議の声を上げる前に、その身体の震えにも気付いて、レウラは矢張り何も言えなかった。 ヴォルフラムは元来が、臆病で小胆だった。害悪の象徴である魔物が怖くて仕様がない。どれだけ鍛えて強くなっても、どれだけ強力な武器を手にしても、どれだけ強い敵に打ち勝っても、ついに病的な心の弱さまでは拭えなかった。もしかしたら、明日には自分より強い魔物が現れるかも知れない。惨めに食い荒らされてしまうかも知れない。そう思うと、安らかに眠ることも出来なかった。いつも擦り切れるまで働いて、泥のように眠るのだ。 あるいは学者ならば、孤児の時期に受けた心の傷がどうのと理由づけるのかも知れない。しかし、その理由付けは、ヴォルフラムの救いには全くなり得ない。説明だけでは何も解決されないのだから。 だから、ヴォルフラムは戦う。この地上、ラスタ・ロンドに巣くう魔物の、最後の一片を滅ぼし尽くすまで、己の肉体をゼアスハルトの熱に焦がしながら。 そんな、極めて利己的な動機で戦うヴォルフラムの功績のみが称えられ、遠い人間になっていく間にも、レウラから見えるヴォルフラムの背中はいつも小さかった。 「大丈夫、大丈夫よ…」 レウラは何の意味もない言葉を呟いて、ヴォルフラムの背中を抱いた。そうしながら、胸の中、蠢く感情を抑え続けた。これは違う。この人が可哀想だから、そして自分の周りに頼る人がいないから、親しく思っているだけなのだ。冷静に見れば、恋心や慕情などでは、断じてない。そう、これは元々、自分の役回りではなかった。今はその代役を務めているだけだ。レウラは念じるように自身に言い聞かせ続けた。 もぞ、と動く。 「あ…」 ヴォルフラムの太腿がレウラの股を割って開き、背筋が震えた。意思に反して、喉が鳴った。 それだけだった。耳を澄ませば、寝息も規則的で、事を致そうという様子はない。レウラは敷布を引き寄せると、ヴォルフラムとの間に差し込み、慎重に、ヴォルフラムの下から這い出た。 白衣の襟を正しながら、レウラは自己嫌悪に陥った。何を考えていたのだろう。神子なのに、なんてふしだらな…。早く寝て忘れてしまおう思った。その前に、肌着を変えることにした。今のまま寝て寝冷えしてしまっては、言い訳が出来ない。
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