レグヴィトール拠点前。帝国陸軍第5歩兵連隊の設営所。 指揮所で、兵站に関する書類に目を通していた時に、連隊長である陸軍中佐クリストフ・バウマイスターは、その報せを受けた。ヴォルフラムが覇王の剣を手に戻ったというのだ。すぐに指揮所へと呼ばせたヴォルフラムは確かに、太陽鋼の刀身を持つ覇王の剣を提げていた。譲り渡した外人部隊用の軍服には、傷一つない。 ヴォルフラムは剣を右手で体の前に上げ、左腕前腕を水平に刀身を支えた。同時に踵を鳴らせる。王国式の捧げ剣の敬礼だった。本来は隊列用の敬礼だが、今はそれが相応しいように思えた。 クリストフは帝国式の挙手の敬礼をすることで、答礼した。 「どうやら大事なく済んだようだ。お疲れ様」 「中佐殿のお心添えがあればこそです。少なからぬ御助力に感謝致します」 クリストフが革張りの長椅子を勧め、ヴォルフラムは腰を下ろした。 「まったく、帝国陸軍精鋭が十年張り付いて、ついに陥落させられなかったものを、一晩でしかも一人に落とされたのでは帝国軍の威信にかかわる」 「恐悦至極に存じます」 「バカヤロウ、褒めたわけじゃない」 言って二人は笑い出した。二人は旧知だった。年齢は五つほどクリストフが高い。 十年前、クリストフは帝国陸軍の新任士官として、王国への侵略戦争に投入されていた。王都を目指した主戦力は、ヴォルフラムと覇王の剣の前に潰走。その後、魔王の居城を目指したヴォルフラムと轡を並べる形で、寄せ集め部隊を編成して魔王の軍勢と渡り合ったのが、クリストフだった。独断で目的を変えただけでなく、新任少尉の分際で、寄せ集めとはいえ100名からの中隊を率いたのだから想像するだに恐ろしい。当時のクリストフは有り余る若さと、それに見合うだけの無謀さを持ち合わせていた。 それで今の地位があるかと言えば、そうでもなく、ただの野戦昇進だった。昔から変わらず、ここはよく人が死ぬ。ただ生き延びているだけで評価された。 「それにしても驚いたものだ。十年、名を聞かなかった貴様が突然現れて――しかも帝国に――、訓練所を貸せというのだからな」 「王国領はあの有様ですから…」 「ああ」 正に惨憺たる有様だった。聞いただけでも魔物どもが跳梁跋扈し、気安く出歩くことも出来ないという話だ。それでも逃げ出せた人間の話である。逃げ出すことすら出来ない人々の惨状は、計り知れない。 ヴォルフラムは、一路王都を目指すために、まず覇王の剣を求めた。しかし覇王の剣は魔人の元にあり、奪還する前に身体を鍛え直す必要があった。そのために帝国の、生死も知れないクリストフに接触を図った。クリストフが前線にいたのは運が良かった。 「それで、この後はどうする?」 「王都を目指します。その前に…」 ヴォルフラムは地図を引き寄せ、レグヴィトールより王都寄りの点を指した。 「こことここ、これより一週間でボーゼとドスタルの拠点を落とします。帝国にはそこまで進軍して、脱出する王国領民を保護して頂きたい」 「分かった。誓ってそうしよう友よ。…だが、いいのか?」 クリストフが言ったのは、帝国軍が王国領の深くまで食い込むことだ。レグヴィトールとさらに、ヴォルフラムが指した二つの拠点を制圧すれば、王都は目と鼻の先だった。今の王国に統制立てられた軍隊はない。魔人がいなくなれば、ただ王都に進むだけで制圧できてしまうのだ。これより楽な戦争はない。 「まず救うべきは領民です」 ヴォルフラムは断言した。そして、クリストフの沈黙が何を意味するのか気付いたのか、微笑して言った。 「知己を前にすると、つい多く望みたくなってしまいますが、そもそもが王国の問題。これ以上頼り切るのも、王室勲爵士の恥というものでしょう」 知己、を強調する。クリストフの疑問を「それだけでいいのか」と解釈したかのように振る舞った。だがその言葉の何と浅薄なことか。 帝国軍が王都を目指せば、間違いなくヴォルフラムは敵となる。そうなった時にまず狙われるのが、クリストフだ。信頼を裏切っただの、そんな在り来たりな理由がつくに違いない。そうしないためにも手綱を引いておけ、とヴォルフラムは無言で忠告していた。クリストフは覇王の剣の威力を目の当たりにしている、数少ない生き残りだった。その驚異は身に染みている。 だからこそ、人柄はともかくその馬鹿げた力を野放しにはしておけない。いっそ目の届く場所にいる今の内に暗殺するか? クリストフはそうも考えたが、止めておいた。そうなったら誰が魔人を始末するというのだ。ひとまずは帝国の民の安全を確保することが先だ。それに、ただの考えすぎということもある。 伝令が、出撃の準備の出来たことを知らせた。 「俺はこれからレグヴィトール制圧を指揮する。貴様は?」 「そろそろお暇させて頂きます。元より帝国とは、あまり縁もありませんし」 「もう一晩ぐらい休んでいけ。貴様はそれだけの働きをした。…ロミルダ」 クリストフは側に控えていた副官を呼び、案内するように言った。 魔人どもの掃討。十年前、ヴォルフラムとクリストフらが轡を並べた時と似た状況だった。クリストフは分不相応な兵を率い、ヴォルフラムは単身委細構わず突き進む。ああ、そうしてみれば彼らは、奉じる旗は違っても、考えていることはいつも同じだった。
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