神殿の祭壇。 東堂は呆然と立ち尽くしていた。黒のズボンと白のシャツ。緩められたネクタイは相変わらずだ。 「お久しぶりです、ヴォルフラム。レウラです」 少女に目を向ける。いや、もう女性といって差し支えなかった。腰までの髪を一つにまとめている。白衣と白袴の上から、藍色の法衣を纏っていた。馴染みの顔の面影があった。 東堂にはようやく合点がいった。いや、今まで理解したくないだけだった。 表情が消えていた東堂の顔が、煩わしさと懊悩に歪む。東堂の口から吐かれた言葉は、再会を喜ぶものではなかった。 「十年だッ!! 今の生活になれるまでに十年かかったんだぞ! 人と知り合って、働いて、人並みの生活を手に入れるまでに十年だ! なのに、なんで…ッ」 「アナタの力が必要になったから…」 「止めてくれ! 今さら何だよ、魔王は倒したし、帝国は壊滅させた! ラスタは平和になった。王国陸軍がいれば魔物が出てこようと対処できるだろう。俺一人いなくても良くなったはずじゃないか!!」 彼、東堂耕太の本名は、ヴォルフラム・アーベントロートと言う。かつてラスタ・ロンドにおいて救世の英雄と謳われた男だった。 覇王の剣を手に、強力な魔物を従えていた魔王と斬り結び、世界を征せんとする帝国軍をことごとく撃退して見せたのもヴォルフラムの英雄譚の一部だ。 だが、今は違う。ヴァルフラムの名は捨て、東堂耕太として生きていくと心に決めていたのだ。 「王国が…」 レウラが言い終わるよりも前に、東堂が異音に気付いた。物音を立てたのは、今闖入してきた魔物だった。黒毛の、二頭の四足獣。 東堂は相手に感付かれるより前に、祭壇に飾られていた儀式剣を掴んだ。拵えにやや不安があるにしろ、ないよりはマシだった。 連携も構わず襲いかかる一頭を、袈裟懸けに斬って捨てる。不意に続くもう一頭に飛び掛かられ、東堂は姿勢を崩した。互いに無様に石の床を転がる。獣の牙を剣で防ぎながら、その胴を蹴りつけてようやく離れた。再び同じ勢いで飛び掛かる間抜けな獣を、大上段から振り下ろす剣で迎撃した。 終わってみれば手慣れたものだった。 「ヴォルフラム…」 「問題ない」 東堂は大きく息を吐いた。体中が痛い。もう使わなくなって久しい場所を酷使したせいだ。 右手の儀式剣を放り捨てようとして、指が離れずに、東堂は誤魔化すように肩に剣を乗せた。手が震えていた。 「本当にどこにも怪我はない?」 「ああ」 もう一度剣を下ろし、指を一本ずつ剥がすようにして剣を放した。手が震えていたのは、何も疲れのためだけではなかった。東堂は元来臆病な性格なのだ。ラスタ・ロンドを離れて別の世界へ旅立ったのも、表向きにはそれらしい理由があるにしろ、本音は魔物を怖れるあまりだった。そしてこの病魔は、魔王を倒すほどの力を得ただけでは、まるで消え去らなかった。 レウラから目を逸らすようにした東堂は、今さらのように周囲の様子が目に入った。そもそも何故、神殿内に魔物が出たのか? 東堂の疑問は何もかもが遅かった。 そこは、記憶の中にあるライハート神殿ではなかった。石造りの壁面は各所が崩れ、神殿内にまで草木が荒れている。まるで誰も訪れなくなった廃墟だった。こんな神殿で東堂がこの地に喚び出されたことは奇蹟に近かった。 レウラは東堂の目線の先に気付いた。 「直せないの。誰もいないから」 「どういうことだ?」 「結果だけ言うわ。オスヴァルト王が魔神環を使って転生したの。かつての魔王級の魔人が喚起されて、王国陸海軍は壊滅。王国陸軍が築いた各地の拠点に魔人が居座って、状況は最悪よ。侵攻拡大を防ぐために帝国が動いているけど、今の帝国にそんな力はないの…」 「……」 「アドナイ辺境もそう、この辺りだって例外じゃない」 「ッ、分かってるなら何でこんな危ない真似をするんだ!?」 「だって、だって誰もいなかったもの… みんなは呼んじゃいけないって言ってたけど、アンネリーゼさんも、ドレンドンさんも、バーデさんも亡くなって、私、アナタ以外に頼れる人が思い付かなかった。だから、だから…! 御免なさい、御免なさい…ッ」 「ああ、分かった、怒鳴って済まなかった。謝るから、もう怒ってないから泣きやんでくれ」 恐らく原因は東堂の発言ではない。今まで堪えていたものが、せき止められなくなったのだろう。レウラは何度も謝罪の言葉を口にした。東堂は、そう言えば、昔からこの娘に泣かれることだけはことさら苦手だったということを思い出していた。 「とにかくここは危ないんだろう? 早く離れよう」 頷いたレウラにシャツの裾を掴まれるままに、東堂はライハート神殿を後にした。 外から見た神殿はさらに酷いものだった。諦めて東堂は歩みを進めた。どうせしばらくは帰れないんだ。
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