6. ファルとヤッパ将軍の死闘が始まり、その余波を受けて城内は混乱の巷と化していた。巨大な[雷球]が城壁を崩壊させ、凄まじい閃光を放つ[雷撃]が城内建築物を薙ぎ払い、兵士を押し潰す。 石材の落ちる音、照明がスパークする音、男の悲鳴、呻き声………照明が消えてしまった城内を様々な音が席巻し、人々を恐怖に陥れていた。 この状況は、王女のもとまで潜入しようとしているメンター等に味方した。城内は非常用発電機まで破壊されたらしく、真っ暗であり、誰が誰だか分からない。彼等も手探りで進まねばならぬだが、前以て城内の見取り図を覚えてきていたので、そこいらの兵士よりもよくこの城を知っていた。それに、彼等が目指すところは決まっている。本丸最上階だ。そこに王女がいるはずである。 メンターを先頭に、一行は迷わず確実に本丸へ向かっていた。 さすがに本丸は停電しておらず、煌煌と電灯が点いていた。 メンター等は慎重に進む。敵にばったりと出くわさぬように祈りながら。 そうこうするうちに、彼等は最上階にまで辿り着いた。 運よく、誰一人と出会わぬまま。 最上階には大きな扉が一枚あるだけだった。その前に二人の騎士が立っており、他には兵の姿は見当たらない。 その扉の奥は、王の間になっているはずだ。そして、そこには………。 メンターは無言で、ヤーレスの部下の二人に合図する。二人は頷くや否やさっと移動し、階段から騎士の前に身を晒す。二人の騎士は驚き身構えるが、陽動の二人に気を取られ、いつの間にか近寄っていたブラッドとモゥリィに気付いていなかった。声を発する間もなく、二人は気絶する。 ブラッドは今回初めての戦果を誉めてもらおうと、得意げな顔でメンターを見るが、老はそんなブラッドを無視し扉を開け放ってなかへ突進して行く。ブラッドはそれに遅れまいと付いて行く。怒る間もなかった。 さすがに王の間だけあって、広い部屋だった。天井など長大な[プレ・サディアン・スウォード]を振り回しても、まだ余るぐらいの高さがある。だが、これほど広大な部屋なのに、飾りっけがまったくなく、しかも暗い。照明をほとんど落してしまっているようだ。ただ一箇所、異様に明るいところがあった。王座である。 「よく来たね、メンター老」 その異様に明るい王座に座るクリエが、まるで馬鹿にするように言う。彼女は鎧姿ではなく、ゆったりとした赤いドレスを着ていた。明るい照明のもとで、彼女の白く輝く肌はその赤いドレスとマッチし、怪しい美しさを醸し出していた。それに加え、キラキラと輝く金髪が、魅惑的な情景を作り出している。 ヤーレスの部下がその美しさに負けず、毅然と前に出て剣を構えた。 「王女クリエ。我主の命により、そなたの首を貰う!」 一人が叫び、二人は一斉に飛びかかった。 だが、二人はあと一歩というところで、火達磨になった。 二人の絶叫が轟く。 ブラッドとモゥリィは、恐怖のため表情を失った。 「[火]将軍のお出ましかな?」 メンターは[プレ・サディアン・スウォード]を構えながら、辺りを見回す。 「お久しぶりですな、メンター・ロウル殿」 王座の後ろから、甲冑に身を包んだ一人の男が出てくる。カルダ・フィリアン。エンドリア湖の東の州、レッツァに駐屯する第二軍の将である。 「たったこれだけの人数でここまで来るとは、さすが[雷]の導師ですな………」 剣を抜きながら、カルダは嘲笑混じりに言う。 「だが、私相手にこれだけの人数では、チト足りませんぞ」 メンターはカルダの言葉を無視し、ブラッドとモゥリィの二人に近寄る。 「いいか、二人とも。二人はカルダの相手をしてくれ、私はクリエを殺る。ブラッド、王女とカルダの目を見るなよ。お前ではあの二人に洗脳されるからな」 と耳打ちする。 ブラッドは未だに燻り続けている二人の死体に目をやり、頷く。ああはなりたくはない、と思いながら。 「メンター老!私等はそんな小僧は相手にする気はないぞ。安心したまえ!」 クリエがニヤリと笑いかけ、軽蔑を込めて言う。 「何を!」 小僧といわれ、ブラッドが怒る。 「ブラッド!相手のペースに巻き込まれるな!」 つかさずメンターがたしなめるが、あまり効目がなかった。一人、グッと前に出る。 「今から、仲間割れかい?洗脳する必要もないねぇ」 と言い、クリエは高らかに笑う。 メンターはそれを聞きながら、あせり始めていた。 (このままでは負けてしまう………) 彼の心は眼前の二人の巨大な[力]に、軽くあしらわれる自分達の姿を描き続けていた。 (ファルよ!早く来い!………) メンターは心中で、そう叫び続けた。 ★ 結局、クリエがメンター等一行を馬鹿にして相手にしなかったため、3人で[火]将軍カルダと対峙する事となった。 [雷]と[光]と[火]がぶつかり合う。 数的にはメンター等の方が有利だが、メンターは王女と闘わねばならないので、ここで全力を使い切るわけにはいかず、モゥリィとブラッドの二人でカルダと闘っていた。[力]的には五分と五分である。しかし、モゥリィ・ブラッド組はブラッドの暴走で、結局ひとりずつで闘っているのと変わりなく、ドンドン己を不利な状況にひきずり込んでいた。 「ブラッド!力を合わせなきゃ、駄目よ!」 再三モゥリィはブラッドに注意するが、ブラッドは聞えていないのか無視しているのか、我武者羅に突っ込んで行く。 モゥリィはそのブラッドを援護する形で闘っているが、ブラッドの力量では将軍にはかなわぬ事は彼女でも分かった。今の逆、ブラッドが援護で、モゥリィが突撃しないと勝てそうにもない。 彼女はブラッドの我侭には辟易しながらも、なんとか有利な状況をつくろうと努力する。 [火球]が彼女を掠める。反撃する手が少しおざなりになる。 その一瞬を逃さず、カルダは接近してくるブラッド目掛け[火炎]を見舞う。 ゴウッ、という音と共に紅蓮の炎が、ブラッドを襲う。 我武者羅に突進していたブラッドは、避ける術も無く直撃し炎に包まれた。だが、彼は渾身の[力]で[雷爆]を放ち、まとわりつく炎を吹き飛ばした。 「大丈夫、ブラッド?」 モゥリィが声を掛けるが、ブラッドは四つん這いになり、激しく息をするだけである。今ので、かなりのダメージを受けたようだ。[力]すら使いきったようである。 「モゥリィ、ワシが援護するから、突っ込め!」 二人の無様な姿に我慢できず、後ろで控えていたメンターが命じ、彼は幾多も[雷球]をつくり、カルダ目掛けて投げつける。 カルダは炎の[障壁]でそれを防ぐ。だが、そこに隙が生じていた。 (今だ!………) モゥリィはその隙を見逃さず、剣を振りかぶり突進する。[光王斬]で決着をつける気であった。 モゥリィが[光王斬]を放つ。光の奔流がカルダを襲う。 (やった!………) モゥリィはカルダを倒したと確信する。 しかし彼女の目に、自分の放った[光王斬]の閃光の中から、赤黒いものが飛び出してきたのを見た。 (なに!?………) 咄嗟にそれが何であるのか、判断がつかなかった。 メンターが[プレ・サディアン・スウォード]で彼女を守ってくれなかったら、やられていただろう。 炎の激流が二人を包む。 「さすが[プレ・サディアン・スウォード]。私の[火王斬]を弾き飛ばすとは」 カルダが馬鹿にするような驚き方をする。 モゥリィは信じられぬ思いだった。 ([光王斬]を割って、[火王斬]を放つとは………) どうやら彼女は相手の力量を、甘く見ていたようだ。 「メンター老。もう一回私の[火王斬]を受けてもらえますかな?」 カルダはメンターが先の攻撃で疲れているのを悟り、邪悪な喜びの表情をつくる。 モゥリィもメンターが疲れ始めているのに気付いた。肩で息をし始めている。隣にいる彼女にまで、その荒い呼吸音が聞えてきた。 「メンター様、私が守ります」 と言い、前へ出る。自信はないが。 「すまない。だが、二人で守らねば、次のは防ぎきれんぞ」 メンターはそう言い、モゥリィの横に並ぶ。 「そうですね………」 暫く考え、彼女は答えた。 モゥリィにも、メンターの言っている事は正しいと分かった。残念ながら今の彼女の[力]では、カルダの[火王斬]を防ぐ能力はなく、ましてやメンターを庇う余裕などなかった。彼女は馬鹿ではない、合理的にそして客観的に判断できる頭を持っている。メンターに申し訳ないと心中で謝りながら、彼の[力]を借りる事にしたのである。 二人は[力]を合わせて[障壁]を張った。 「二人合わせても、守りきれるかな?」 とカルダは言い、炎に包まれる剣を振りかぶる。そして、 「死ねぇ!」 絶叫を上げながら、[火王斬]を放った。 炎の奔流が天井を、床を抉りながら二人に襲いかかる。 が、 炎が途中で、ハタと消え失せてしまった。まるで[火王斬]など放たれなかったかのようである。火炎が空中へ溶け込むように消えてしまったのだ。 室内の五人は、それぞれ驚きの表情をしている。 一番驚きが大きいのは、[火王斬]を消されたカルダであろう。 「誰がやったんだ!」 叫びながら、キョロキョロする。彼は第3者がやったと信じていた。どう見ても、目の前の3人がやったようには見えないからだ。そんな[力]があれば、とっくの間に彼の[火]を消していただろう。だから、カルダは新たに参入してきた敵を探したのだ。 (おや?………) メンターはあれだけ熱があったのに、いつの間にか室内がヒンヤリしているのに気付いた。 (これは………[冷]の[力]!………) メンターは物質のエネルギーを奪う事の出来る、[冷]の[具象力]を思い出していた。それを誰かが使ったのである。しかも、[冷]の[力]となると、彼の知らない人物であった。 バコッ、という音が窓側の方からする。 室内の者全員が、一斉に振り向いた。 壁にきれいな円形状の穴が開いている。 そこに………。 「遅くなって、ごめんよ………」 メンターの傍らに、いつの間にかファルがいた。 「ファル………」 先ほどの[冷]の[力]はお前がやったのか、と言いかけメンターはそんな事はないと、言葉を呑んだ。 「じっちゃん、一気にやっちまおうぜ」 ファルはそう言い、巨大な[雷矢]を創る。 カルダ将軍はファルの出現に驚き、戸惑っていたが、気を取り直し剣を正眼に構える。相手が[雷]の騎士と知って、少し安堵していた。[火]の天敵である[水]や[冷]の騎士でもないかぎり、彼は勝てる自信があったからだ。だが、先程の事がなんとなく気になる。もしかしたら、まだどこかに[冷]の[力]を持つ者が、隠れているかもしれないからだ。 「おい。そこの飛び入り、お前がさきほどの[火王斬]を消したのか?」 カルダは一応聞いてみた。 「他に誰がいる?」 不敵な笑みを浮かべ、ファルは答える。 その答えに、ファルを除いた室内の全員が驚いた。[具象力]を2種類も使える者などいないと、彼等の常識はそう定まっているからだ。世界中を歩き回ったメンターとて、そんな話しは聞いた事もなかった。 「嘯くんじゃない!貴様、[雷]と[冷]の両方の[力]を使えるというのか!」 カルダが、一同の疑問を代表して言う。 「なら………貴様の剣を見てみな」 ファルは笑いながら答える。 「なにを………」 カルダは疑心にかられつつも剣を見る。彼はその瞬間、目を見開いて何度も剣を見返した。 なんと、彼の剣の刃の部分が、すっぽりと[氷]に閉じ込められているのである。カルダは驚きながらも、なんとか[氷]を解かそうと悪戦苦闘するが、氷はまったく溶けなかった。彼の[火]を、まったく受け付けないのだ。 「ファル………」 メンターはファルをまじまじと見つめる。自分の弟子が得たいの知れぬ者だと、はじめて気付いたようだ。 「じっちゃん、後で説明するよ」 ファルは苦悩していた。この事を説明するには、どうしても[獣人]の事を話さねばならない。だが、そのことを話し嫌われたら………。ファルはその点で苦しんでいるのだ。 ([冷]を使わねばよかった………) と思うが、[火]に対し[雷]はあまり効目がない。やはり[火]は[水]か[冷]で闘うのが一番だった。しかたのない事である。大好きなメンターとモゥリィを守るためには………。 ファルは目前の事だけに集中する事にした。煩わしい事は後で考え、悩めばいいのである。今は、敵を倒す事さえ、考えればいいのだ。 「おい、将軍。覚悟はいいかな?」 ファルは[雷矢]を投げつけるポーズを取る。 カルダはようやく使い物にならなくなった剣を捨て、[火球]を投げつけてきた。だが、ファルの[冷]の[障壁]がそれを消す。 「しばし、気絶してな!」 ファルは[雷矢]を投げつける。 ビュン、という音と共に、[雷矢]はカルダの炎の[障壁]を突き破り、彼の胸に突き刺さる。 悲鳴ひとつ上げずに、将軍は倒れた。これで一人片付いた。後は………。 「さて、後は、クリエ王女だけだな」 ファルは王女の方を向く。 ブラッドは、信じられぬ思いだった。ファルという人間を理解できなかった。[エヌス]でもトップクラスの将軍を次々と倒し、しかも2つもの[具象力]を使えるのである。[マヌス]の彼も………。いや、[エヌス]と[マヌス]という、はっきりとした区分ができない。しかも、[エヌス]ですらないかもしれぬのだ。彼の判断能力を超えた人間が現れ、彼の心の防衛本能も砕いてしまっていた。ただ、唖然と驚くだけである。思考力すら砕け散っていた。 ファルは王女の顔を見つつ、何故か戦慄が走るのを抑えられなかった。長く輝くほど美しい金髪に包まれる、小さな白い顔がそれほど恐ろしいものには見えないが、彼女の発する雰囲気が彼を竦み上がらせるのだ。 (何故だ………) ファルにはこの初めて感じる恐怖が、よく理解できなかった。これは理性で感じる恐怖ではなく、本能で感じているものなのである。 クリエがファルに向かって、ニッコリと微笑んだ。 (?………) その瞬間、彼等の頭上に巨大な石材が雨霰と降り注ぐ。 逃げる間もなかった。 石材は次々と彼等の上に落ち、彼等の姿を消してしまった。 ★ 立ち込める灰色の煙が微かに光っている暗闇の中で、女性の甲高い笑い声が響いていた。ポッカリと穴の開いた天井から赤い月の光が入り、情景を映し出す。床一面に、瓦礫の山が堆く積まれている。その中の一ヶ所だけ、瓦礫が落ちていないところがあった。 そこで一人の女性が高笑いをしていたのである。椅子に座り、瓦礫の山に向かって笑いかけるこの女性は、王女クリエだった。彼女はカルダがやられた瞬間、[風]の[力]で天井を切り崩し、ファル等の頭上に落としたのである。 彼女は確実に仕留めたと思い、笑っているのであった。 しかし、天井の穴から異様な蒼い光が漏れ、光度を増す。クリエの顔から笑いが消えた。 青い光はドンドン強くなる。そして、光源が降りてきた。 光源はファルだった。ファルは[浮遊]を使い空に逃げていたのだ。 もうひとつ青い光源が現れる。メンターだ。彼も上空へ逃げていたようだ。 「ファル。助かったぞ。お前が咄嗟に、わしを抱えて上へ逃げてくれなかったら、どうなっていたか………」 メンターは瓦礫の山を見渡しながら呟く。 「ところで、ブラッド等は………」 「大丈夫。[氷牢]のなかに閉じ込めておいたよ。あの中にいれば、なにがあっても無事だよ」 ファルは答え、クリエの方を向く。サッと彼の顔に緊張が走る。 クリエは椅子に座ったまま、じっとこちらを見ていた。その姿が、またしても彼を竦み上がらせるのだ。だが、勇気を振り絞り、恐怖を抑える。そして、努めて考えるようにした。考える事で、恐怖を忘れようとした。 「じっちゃん。あいつも洗脳されているのかい?」 「ああ。たしかに洗脳されている。しかもだ、魔王の[封印]も解けかかっている」 メンターは[プレ・サディアン・スウォード]のセンサから伝わってくる情報をもとに、そう判断した。 「そうかい………」 ファルは[マヌ・サディアン・スウォード]を抜く。目はクリエから離さなかった。油断するとまた、攻撃されるかもしれないからだ。そして、自らの心に恐怖心を与えるモトを探し出すために………。 「ファル。わしがクリエに[封印]をかけなおすから、お前は援護してくれ」 メンターはそう言い、[プレ・サディアン・スウォード]を構える。 「分かった」 ファルは頷く。だが、あまり自信はなかった。今や[具象力値]は10万を超えているが、ファルは直感的にそれでも勝てぬと悟っていた。だが、今更逃げるわけにはいかない。全力を尽くして、やれるだけやるしかなかった。 「やるぜ、じっちゃん」 ファルは決意した。自分が久々に緊張しているのが分かる。剣を握る手が、じっとりと汗ばんできた。そして、その緊張が本能的な恐怖から来る事も………。 ★ ファルは盲目滅法に攻撃を仕掛ける。[雷球][雷撃][雷矢][雷王斬]………[雷]の[力]で出しうる、すべての攻撃を仕掛けた。 だが、そのすべての攻撃は、王女の手前ですべてかき消されてしまった。 ファルは驚愕の思いでそれを見詰める。 「ファル。クリエは[雷]の魔王だから、[雷]の[力]は中和できるんだ!」 想念を高めるため、隅でじっとしていたメンターが諭す。 「そうか………」 ファルは納得した。[雷剣]を鞘に戻す。 「ならば………」 ファルは[冷]の技で、勝負する事にした。 手の中に[氷矢]を創る。それを片っ端から投げつけた。 今度ばかりは、クリエもじっとしてはいられなかったようで、立ち上がり、[風]の刃で[氷矢]を切り刻む。だが、[氷矢]は砕かれても、ある程度の大きさがあればその破片が新たな[氷矢]になれるのだ。何本が、クリエの[障壁]を破り、身体を傷付ける。 彼女は[竜巻]で防御にでた。[氷矢]が次々と弾き飛ばされる。そして[氷矢]は跡形もなく、粉々にされてしまった。これでは、もう攻撃はできない。 ファルは次ぎの手を打たねばならなかった。 「これで、どうだ!」 叫びながら、自分が突進する。 クリエは余裕綽々の表情で、彼を向かい撃つ。[風撃]がファル目掛けて走った。 だがその瞬間、ファルの眼前に瓦礫の山が築かれ、彼を守る。ファルは[土]の[力]を使ったのだ。[獣人]であるファルは、[具象力]のどんな技でも使えるのである。ただ一度その技を使うところを見なければならないが………。ファルはイスファー将軍と闘った記憶をもとに、[土]の[力]を使ったのである。そして、 突然、クリエの周囲の壁が崩れる。ドッと壁材が彼女に振りかかり、一瞬にして生き埋めになってしまった。 また、ファルが[土]の[力]でやったのだが、彼の顔はまだ緊張に強張っている。このぐらいで、魔王であるクリエがくたばらないぐらい、よく分かっていた。 ボコッと瓦礫の山が持ち上がる。 「くるな………」 ファルは呟き、身構えた。 ドシャッと瓦礫が吹き飛び、その中から怒りに顔を歪ませたクリエが現れる。服はボロボロで、白い両腕、両足が剥き出しになっていた。だが、以外と傷は負っていない。 (さすが、魔王………) とファルは心中で呟きながら、クリエに向かって突進する。彼お得意の早業で、瓦礫の山を難なく突っ走り、あっという間に彼女の前に立つ。 クリエは一瞬ハッと驚いた顔になるが、すぐに爪を剥き出しにして彼に掴みかかってきた。彼女はまるで理性を失っているかのようである。それほど、ファルに掴みかかろうとする彼女の様子は獣じみていた。 だが、ファルはそれを待ってましたといわんばかりに、ニヤリと笑いかけ、彼女の懐深く侵入する。そして、彼女の腹に軽くタッチすると、目にも止まらぬ早業で離脱した。 ファルが立ち止まり、振り向いた瞬間、クリエの身体は凍てついたかのごとく動かなくなる。いや、事実凍てついたのである。彼女の全身に白く輝くものが付いたかと思うと、一瞬にして[氷]が彼女を包み込んだのだ。 [氷]の[具象力]、[氷牢]である。 クリエにかけたこの技は、ブラッドやモゥリィにしたように離れた場所から相手を閉じ込めるのではなく、自分が直に触り技をかけたので、[氷牢]としては完璧なものである。 クリエはキラキラ光る[氷牢]の中で、怒りの形相を保ったまま凍てついていた。 (やった!………) ファルは成功に顔を綻ばせた。 「じっちゃん、今だ。[封印]をかけろ!」 隅のメンターの方を向き叫ぶ。だが、 「ファル!後ろ!」 メンターは鋭い口調で言い、ファルの後ろを指差す。 「えっ?」 ファルは後ろを振り向く。 表情が凍てついた。 クリエを閉じ込めている[氷牢]の表面に、無数の罅割れが走っていたのである。 (そんな馬鹿な!………) 呆然となりながら、ファルは信じられぬ思いで、マジマジと[氷牢]の中のクリエを見る。彼はこの[氷牢]に自信があった。[具象力値]10万の[力]で、しかも危険を顧みず接触してまで創り上げた[氷牢]である。この[氷牢]の完成度に、ファルは自信があったのだ。今までの最高傑作といっていい。 だが、その[氷牢]が破れかけている。 改めてファルは、魔王の恐怖を認識した。 [氷牢]の表面に走る罅割れが多くなり、中のクリエにまで達する。 「じっちゃん、伏せろ!」 ファルはメンターに注意を促し、自分の前に[土]の壁を築いた。 爆発が起きる。 ファルのまわりに、[氷]の破片が飛んでくる。 予め準備のあったファルはたいしたダメージを受けなかったが、メンターの方から悪態をつく声が漏れてくる。どうやら、ファルの忠告は少し遅かったようだ。だが、たいしたダメージは受けていないようだ。 ファルは[土]の壁を崩し、改めてクリエと対峙した。覚悟し、そして恐怖を感じながら。 ザッと音をたてて、クリエの方を振り向く。が………。 「なっ、なんだ?!」 ファルは石像のように表情を失った。 メンターも同じく驚愕の叫びを上げ、表情を失う。 そこには………。 ★ クリエが立っていた。これをクリエといえるならば………。 腰まで届く金髪。それに包まれる、白く輝く顔。そして、その中の切れ長の青い目………そのクリエは、もう何処にもいなかった。 だが、そこに立っているのは、クリエでなければならない。他に誰も、ここにはいなかったのだから………。 「じっ、じっちゃん………」 声を詰まらせ、助けを求めるように、ファルはメンターの方を振り向く。そして、またすぐにクリエの方へ向き直る。それを繰り返した。どうしてもクリエから目を離せなかった。目を離すなと、強く心が訴えるのである。その姿を見るため、そして理性で判断するために。 ファルの前に立っているクリエは、先ほどまでのクリエとは違っていた。 筋骨隆々とした立派な、というよりは化物じみた体格。その筋肉に張り付く肌は、黒褐色でヌメッとした輝きを帯びている。両手の爪は、長く伸びた鉤状になり、黒々とした金属光沢をもち、切れ味が良さそうだった。足の爪も同じく、兇暴そうな雰囲気を醸し出している。顔は………。ファルはヤッパが見せた[雷神]の姿を思い出していた。よく似ている。2本の黒い角が横に飛び出し、切れ長の目が残忍そうな輝きを帯び、閉じた口からは2本の牙が飛び出していた。 だが、これはクリエである。 なぜならば、この化物は彼女が[氷牢]に閉じ込められた時まで着ていた、ボロボロの赤いドレスを身に着けているからだ。布質、破れ具合、汚れ具合………どれをとってもそれはクリエが着ていたものだ。疑う術もない。だが、中身は………。 化物が、その服を自らの爪で引き剥がす。 ベリッという音と共に、服が剥がれ、化物は全裸になった。 化物に女性的特徴があった。微かに隆起した胸、そして女性器である。頭部にフサフサとした黒い髪があるだけで、まったく身体に毛がないため。はっきりと見て取れた。だが、その姿ゆえ、性的興奮を誘発するものではなかった。逆に不気味である。 ファルは息を呑みつつ、マジマジとクリエだった化物を見る。 「ファル。これが、魔王だ………」 メンターが近寄り、息を殺すように呟いた。 「こっ、これが魔王ねぇ………」 ファルは気味悪そうに言い、顔をしかめた。 「ああ、そうだ。ついに魔王の[封印]が解けたのだ………ファルよ、覚悟を決めてかからぬと、とてもじゃないが生半可な攻撃では勝てぬぞ………」 「じゃあ、どうする?」 「わしが、[封印]をかけなおす。その時に、クリエにかかっていた洗脳もとけるじゃろう………だが、今度の[封印]をかけるには、しばし時間がかかる………ファル、時間を稼いでくれぬか?」 「もちろん」 少し引き攣り気味の笑顔で答える。 「よし、頼んだぞ」 「おう………」 ★ ファルはまたもや果敢に攻撃を仕掛けた。そのせいで、いや、そのお陰で、クリエの注意を引き付ける事ができた。ファルとしては、あまりかかわりたくなかったが………彼がやらねば、クリエを倒す事はできぬ………という訳で、ファルはありったけの勇気を振り絞り、攻撃をしかけた。 確かに、魔王は強かった。 [雷]の攻撃はまったく受け付けぬので、主に[冷]と[土]で攻撃する。だが、10万の[力]をもってしても、傷ひとつつけられなかった。[具象力]による攻撃は、まったく効目がないのかもしれない。 (くそっ、接近戦に持ち込むしかないか………) あまり近付きたくなかったので、ファルは遠くから攻撃をかけていたのだが、まったく効目がない。こうなれば、近付いて攻撃するしかなかった。あまりやりたくない事だが………。ファルは諦め気分で、敢然と突進した。 [マヌ・サディアン・スウォード]を抜き、斬りかかる。だが、虚しく筋肉の壁に弾き返され、そこで[雷撃]をはなつ間もなく、逆に驚くべきスピードでクリエは彼の鎧に爪で傷をつけた。 「ぐっ!」 ファルは胸に熱い衝撃を感じ、慌てて飛び退く。 鎧の胸板が深く傷付けられ、彼の身体にまで食い込んでいた。血が滲み出る。だが、[シェヴィアン・メイル]の[力]ですぐに治る。 しかし、安心してはいられない。魔王クリエは今のところ、理性のない、攻撃したらやり返すという単純な動きしかしていないが、徐々に攻撃や防御に理性的なところが見られ始めている。あと数回突撃して行くと、逆に攻撃をしかけるようになるだろう。そうなる前に、ファルは自分に有利になる状況をつくっておきたかった。 爪で身を庇うようにし、牙を剥き出しにして吠えているクリエを見つつ、ファルは作戦を練る。 ([気闘法]を使うか………) ファルはそう決断する。だが、出来る事なら[気闘法]は使いたくなかった。この世界では[具象力]が人々の偏見心を席巻し、[気]は自らの体力に頼る卑しいもの、として認識されている。だが、ファルは[気闘法]が[具象力]よりも、優れた[力]を秘めている事を知っていた。[獣人]であるファルが、人々の迫害から逃れるため、もしくは迫害を受けてもそれに負けぬため、身につけた闘法である。ファルとしては、この闘法の方が好きだった。それを使う事で、迫害されなければ………。 チラッと、想念をたかめているメンターを盗み見る。 (師は、俺を蔑むであろうか………) ファルはメンターに嫌われる事を心配したが、今は迷っている暇はなかった。邪魔になる[マヌ・サディアン・スウォード]と鞘を捨て、身構える。 それと共に、クリエが[雷撃]を放った。 ファルは[氷]の[障壁]でそれをかわしつつ、一気にクリエ目掛けて飛び込んだ。 今度のクリエは先よりも動きが速い。魔王の身体になじみ始めたか………。 だが、ファルも速い。[気闘法]で全身の筋肉を活性化させているからだ。 轟音と共に、クリエの右腕がファル目掛けて振り下ろされる。黒い爪が不気味に光り、ファルの身体を切り裂こうとする。 しかし、ファルは左腕一本でそれを止め、一気に踏み込み、クリエの鳩尾に右拳をめり込ませた。 「ギャ!」 クリエが短い悲鳴を上げ、後ずさる。 [気]の[力]で、ファルはクリエの身体の中へ攻撃をしたのである。鳩尾に食い込んだ拳から発した[気]を、クリエの内部で爆発させたのだ。これが、ファル流の[気闘法]だった。ファルは[気]の使い方は、これくらいしか知らなかった。だが、彼自身が持つ[獣人]の[力]とよくマッチし、使い易かったのだ。しかも、破壊力も大きい。 しかし、クリエには大して効かなかったのか、ますます怒り、牙を剥いてファルに襲いかかってくる。 ファルと魔王の、全身を使った闘いが始まった。 クリエは四肢の爪でファルを切り刻み、ファルは[気]の[力]でクリエを内部から破壊して行く。 しかし、ファルの不利さは目に見えて明らかだった。 [気闘法]は全身の体力を使うため、長続きしないのである。しかも、ファルの身体に食い込むクリエの爪痕は増える一方だった。いくら[シェヴィアン・メイル]でも、限界に近いようだ。黒い鎧の傷は一向に減らず、ファルの傷も治らなかった。 ファルは、バッと飛び退く。 荒い息をする。 全身から疲れ、痛みの悲鳴が脳髄に響いていた。 それに対し、クリエはまるで疲れを知らぬかの如く、息もつかせぬ攻撃を仕掛けてくるのである。それも、段々早く、巧みに。 (もう駄目か………) ファルは初めて弱音を吐いた。しかし、時は彼に味方した。 「いいぞ!ファル!そいつの動きを止めてくれ!」 待ちに待ったメンターの声が、彼の背に投げかけられた。 「よし!じっちゃん、目を瞑っていろ!」 ファルは最後の[力]を振り絞り、襲いかかってくる爪をかわす。そして、 「暫く、おとなしくしてな!」 ファルの叫びとともに、彼を中心にとてつもない光りの爆発が室内を包んだ。目を瞑っていても、視力がやられるほどである。両目をカッと見開いていたクリエはもろにそれを見てしまい、一時的な失明状態になった。 クリエの悲鳴が轟く。両目を抑え、その場に跪いた。いくら魔王の力をもってしても、すぐには治りそうにもない。 「いまだ、じっちゃん!」 ファルは叫び、後ろへ飛び退く。それと入れ替わるようにして、光り輝く[プレ・サディアン、スウォード]を持ったメンターが現れる。 そして、彼は顔を苦痛に歪ませ、渾身の[力]を込めてクリエの[封印]をかけなおした。 ファルは壁際に後退し、それを見ていた。彼はメンターが苦しそうな表情をしているのに気付き、心配になっていた。メンターがこれほど苦しそうな表情を見せているのを、初めて見たからである。 (じっちゃん、もしかして………) ファルは込み上げてくる不安を抱きながら、メンターを見守った。 クリエの悲鳴の中に、メンターの雄叫びが混じる。 (じっちゃん、死んじまうんじゃ………) ファルはその雄叫びのなかに、メンターの命をかけた叫びを聞いた。それと共に[封印]をかけるのに、全[具象力]を使う場合、その者の命をも奪う事もある、とメンターから教わったことも思い出す。とくに老人は、持てる限りの[具象力]を使い切ると、その反動で老衰死してしまうこともある、という話しも思い出した。 ファルの心配は頂点に達した。 「じっちゃん!………」 ファルはメンターに止めさせようと、一歩踏み出した。だが、 「ギヤァー!」 クリエの身を裂くような悲鳴が起こり、周囲が真っ白な光に包まれる。 「じっちゃん………」 ファルは最後にそう呟き、意識を失った。 ★ 赤い月の光で、ファルは目を覚ました。 彼は苦痛の呻きを発する身体を宥めすかし、身体に乗っかっていた瓦礫を落しながら立ち上がる。 視界が開けていた。天井や壁がすべて無くなっている。きれいさっぱりと、そして床には、無残な姿になった壁材が積もっていた。 ファルはその上を見渡す。星と月の明かりでよく見えた。 (?………) ファルは瓦礫の上に、白い人型が倒れているのを見付ける。 (誰だ?………) と考えながら近寄る。用心しながら。 それは、元の姿に戻ったクリエだった。彼女は素っ裸で、うつ伏せに倒れている。月夜に輝く白い肌と金髪、そして、よく引き締まった美しい体に、しばしファルは彼女の本質を忘れ、見入っていた。 (死んだかな………) ファルは彼女の背に手を当てる。ほのかな暖かさの体温と、胸が上下に動く感触から呼吸している事を確かめる。彼女はまだ生きていた。 ファルは迷った。ここで彼女を殺してしまうか、それとも様子を見るか。もし、この時メンターの呻き声が聞えてこなければ、少し悩んだ末、クリエを殺していただろう。クリエはメンターに救われた、といってもいい。 「じっちゃん?」 ファルは聞き耳をたてながら、辺りを見回す。 瓦礫の山が、ボコッと盛り上がった。そこから人の手が出てくる。 「じっちゃん!」 ファルは叫びながらそこへ駆け寄り、メンターを掘り起こした。 メンターは血塗れになっていた。顔色も悪い。だが、右手にはしっかりと[プレ・サディアン・スウォード]を握っていた。 「じっちゃん!大丈夫か?」 ファルはメンターを抱え起こす。 「すぐにモゥリィを起こして、治療してもらおう」 ファルはそう言い、メンターを横にして、安全のため[氷牢]に閉じ込めたモゥリィを探しに立ち上がる。だが、 「いや、いい、ファル。それより、クリエ王女は?」 メンターはファルを制し、ボソッと言う。 「しかし………」 ファルは悩んだ。ここで、メンターまで失うのは嫌だった。マディラを失った後だったので、殊更嫌なのである。また孤独になるという恐怖が、彼を慌てさせ、悩ませる。 「いいんだ、ファル。わしの身体は治りはせんよ………[具象力]の使い過ぎで、老衰死するんだから………それより、クリエ王女は?」 「あそこに………」 ファルはまだ悩みながらも、裸体のクリエを指差す。 「まだ、生きている………とどめを刺そうか?」 「いや、いい。彼女にかかっていた洗脳は解けたし………また魔王になる事はあるまい…」 と言い、メンターは喘ぐ。 「やっぱり、モゥリィを探すよ!」 ファルは見ていられなくなり、動き出す。 「もう、遅い………それより、ファル………今から話す事をよく聞け」 メンターは気迫を込めて、ファルを制す。 ファルはそれに呑まれてしまい、メンターの傍らに座った。 「いいか、ファル………クリエを操っていた奴は、必ず、もう一度彼女に接触してくる………そして、お前にも………」 「俺にも?」 「そうだ、お前はここで………魔王に勝てる[力]を見せた………奴は、きっとその[力]を欲しがるだろう………」 「じっちゃん、奴って誰だ?ヤッパも、奴って言ってた………」 「奴か………奴は、[闇]の導師………」 「[闇]の導師………」 ファルは呟く。その言葉の意味を噛締めるように。 「ファルよ………お別れの時が来たようだ………」 「えっ?」 「クリエを頼んだぞ………」 そう言い残し、メンターは静かに眠るように死んだ。呆気なかった。ファルの心に準備する間も与えず、死んでしまった。 ファルの心は乱れ狂い、何が起こったのか分からなくなっていた。だが、眼下に横たわるメンターの死体が、彼に現実を教え始める。 [具象力]の使い過ぎによる老衰死は、[光]の治療力でもどうにもならない。だが、ファルは自分が早くモゥリィを探していれば、治ったかもしれぬと思い、自分を責めた。責めてもどうにもならぬと分かりながら、それでも責めずにはいられなかった。メンターの死は、あまりにも大きなショックを彼に与えたのである。自分を責める事しか、彼には考えられなかったのだ。 やがて、孤独感が胸中を占める。 せっかく、ここで幾多の人々の温もりに触られたというのに、ファルはまた一人ぼっちになってしまった。生きる勇気を与えてくれたマディラが死に、そして、生きるきっかけを与えてくれたメンターも死んだ。最も自分に近かった二人が、いなくなってしまったのだ。 ポッカリと胸中に、大きな穴が開いた。 ファルの全身から力が失せてゆき、何も考えられなくなった。 涙が頬を伝ってゆく。 ★ メンターの葬式が、彼の生まれ故郷、エリオン市で行われた。 王国の治安が安定し、ヤーレスが王位に就き、一ヶ月がたった夏の日である。 エリオン市の[エヌス]専用の墓地は、木々に囲まれたところで、夏の強い陽射しを和らげていた。 その木々の陰に、ファルの姿を見出す事ができる。 彼は木陰から、そっとメンターの葬儀を見守っていた。ブラッドやモゥリィが参列しているのが目に入る。しかし、彼は、[マヌス]である彼はそこに行けないのだ。彼はこうやって、見守るしかないのである。本当は[マヌス]ではないが、ここの人に彼の正体を知られたくないため、彼は[マヌス]としての身分をとおしていた。[具象力値]が10万なんて、[獣人]以外あまり考えられないからである。何処の国でも[獣人]は嫌われる。それ故、彼は正体を隠さねばならなかった。辛い事だが、身を守るため必要な事だった。 メンターの遺体がおさめられた棺が土の中に埋められる。それを囲んだ人々の間から、夏の陽射しを減退させる嗚咽が漏れる。 だが、遠くからそれを見詰めるファルは泣いていなかった。彼は充分泣き尽くし、泣く事が出来なかった。悲しみすらも、枯渇してしまったようだ。今の彼の心中にあるのは、孤独感と、なぜ戦わねばならなかったのかという悩みだけだ。 彼は戦ったことを悔やんでいた、といってもいい。メンターに出会う前、ファルは生きる為に戦っていた。戦わねばならなかったのだ。だが、今回の戦いは違う。戦わなくてもよかったのだ。戦うことで何の利益ももたらさぬ闘いだった。しかも、失うだけだったのだ。大切な師と恋人を。 過去において彼は孤独だった。一人で生き、そしてそのために戦っていた。それが、正しい事だと信じて闘っていたのだ。他人がどう思おうと。しかし、今回は違う。生きる為に闘ったのではない。ましてや、正義のために闘ったのでもない。彼は魔王がこの世を支配しようと、しまいとかまわなかった。自分の生活さえ守れれば。だから闘う必要はなかったのである。マディラを連れ、逃げれば良かったのだ。メンターを裏切ることは辛い事だが、そうしていれば彼の心の支えになっていた二人とも失わずに済んだのである。マディラだけでも、生き長らえていられたのだ。 しかし、悩んでも、もう遅かった。マディラもメンターも土の中にかえってしまった。そして、楽しかった思い出も。 ファルは木に寄りかかり、力なくそれを見続ける。 「ファル?」 後ろから一人の女性が現れた。クリエである。彼女は何者かに操られてあのような行動をしたことを、新王ヤーレスに認められ、命だけは助けられたのである。しかし、表向きは反逆者として処刑された事になっていた。今回の事件すべての汚名はクリエに着せられ、人々の記憶に残るだろう。そして、人々は彼女は死んだと思い続けるだろう。彼女が生きている事を知るのは、僅か数名である。 その彼女がファルの前に現れた。 ファルは彼女がずっと前から、彼の様子を伺っていた事を知っていた。だが、無視してきた。彼にとって、どうでもいい事だからだ。今の彼は、クリエがまた魔王になって襲ってきても、何も抵抗しないだろう。完全に無気力状態だった。 「ファル?私の事は知っているよね?」 ファルは無言で頷く。目はメンターの葬式から離さない。 「あなたに伝えたい事があって来たのよ」 クリエはそう言い、ファルの反応を見るが、彼は彼女を無視していた。 (嫌われているみたいね………) クリエは溜息をつき、話しを続けた。 「私が[闇]の導師に操られていた事は知っているよね。その[闇]の導師から、あなたに伝言があるのよ」 「俺に!?」 ファルは初めてクリエの方を向いた。驚きと疑念を織り混ぜた表情で。 「そう、あなたに伝言があるの。きっと、私を洗脳した時に、頭の中に入れておいたのね………洗脳が解けてから浮かび上がってきたから………」 「それで、伝言の中身は?」 「アディナ山で待っている、って私の記憶にはあるわ」 「アディナ山………」 ファルはその場所をよく知っていた。エジエント大陸中央部に位置する、小さな山だ。ファルはそこで生まれ、そして麓の人々によって、初めて迫害を受けた場所でもある。今でも、昼夜を問わず人々に追い掛け回された記憶が、はっきりと思い起こせる。嫌な思い出だった。 「行くの?」 クリエが訊いた。 ファルは頷いた。メンターとマディラ亡き後、この地に残ってもしかたなかった。この地にも、辛い思い出しかない。それなら、いっそうの事自分を呼んでいる[闇]の導師に会うのも良かった。何か目的をもって動いていたかったのである。すべてを忘れるため…。 「それなら、私も連れて行ってくれないかな?私もその[闇]の導師に会って、今回のお礼をしなければならないし………もう、この国にはいられないから………」 哀しげに、クリエが言う。 ファルはクリエの心中を察し、力無く笑った。 ([獣人]と魔王の二人旅か………) ファルは皮肉げに思う。この世で、最も忌み嫌われる二人の旅………。最高の取り合わせのように思える。 ファルは小さく皮肉げに、そして自嘲気味に笑った。 彼はこの旅に未来を見出せる希望がある事を祈った。
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