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作品名:魔王たち 作者:たけしげ

第3回   3
 3.
 夜が明ける。
 それと共に、エリオン市は異様な雰囲気に包まれた。
 朝っぱらから、低い轟音と共に数十隻の[航空戦艦]が、市の上空に集い始めたからである。
 [風]の[発念体]で空を飛ぶ[航空戦艦]が、こうも多数、市の上空に集った事はない。しかも、第5軍の主要艦船がすべて集まっているのだ。
 上空を見上げる市民は、その中に不吉な前兆を嗅ぎ取っていた。
 ★
 その頃、メンター・ロウルは久々に自宅に戻り、息子の家族と共に朝食をとっていた。
 メンターの家は市の中心部近くにあり、かつ広い庭を持つ豪邸である。これは、メンターの実績によるものも大きいが、彼の息子、ヤルト・ロウルが州政府で重要なポストに就いていることにもよる。
 ヤルトは、行政官ヤーレスに次ぐ地位の文官であった。
 彼は父に似ず、軍人にはならなかった。決して[力]は劣っていないのだが、彼の性格がそれに合わないのだ。だが、彼の息子、ブラッドは、そんな父を弱腰で情けないと軽蔑し、祖父のような軍人を目指していた。そして、その事で父子はたえず争い続けている。
 今朝も例外にもれず、口喧嘩を始めたところであった。
「俺は絶対、今回の戦に出陣するからな!」
 語気も強く言う。ブラッドはメンターから、第5軍が王女の軍と刃を交える事を知り、是非その戦に出陣する、と言っているのだ。平和なこの国で、騎士として名を挙げるにはまたとないチャンスだ、と彼は思っていた。王女がどうのこうの、という問題は彼の眼中にはなかった。とにかく、騎士として名を挙げ、皆の尊敬を勝ち取りたいのである。
 ブラッドは焦っていた。仲の良い友達は皆すべて、騎士として幾人もの従者を従えているのに対し、彼がまだ何もしていないことに。そして、最近恋人のモゥリィすらもが[聖騎士]となり、彼はますます焦っていた。
(親父が弱腰だからだ………)
 彼は、騎士になることを父が反対しているのを、恨んでいた。なぜ、父が反対するのか分からなかった。彼は自分が騎士として、必要以上に[力]を持っていると信じていた。また、その事は他の者にも認められている。それなのに、彼の父は、彼を騎士にしようとはしないのだ。ブラッドは父が何を考え、そうするのか分からず、納得いかなかった。
 ただ駄目だ、まだ早い、と言われても、どうしていいのか分からなかった。彼が騎士になるのには、遅すぎるぐらいなのに………。
 そうこう二人の会話が日々続く毎に、ブラッドは父の発言を、父が弱気な人間だからだ、と納得するようになり、どんどん父を蔑むようになっていった。そして、それに反し、騎士として名高い祖父を尊敬し、奉るようになった。
「駄目だ。まだ、早い」
 ヤルト・ロウルは食事をしながら、強い口調で反対する。彼の妻、ブラッドの母が、心配そうな顔付きで両者を見やっていた。
 いつもと同じだった。だが、今日は祖父メンターが居る点が違った。
「お爺さん。お父さんに言ってやってください。僕が騎士として出陣するには、遅すぎる年齢だって」
 父に話しても埒があかないので、ブラッドはメンターに協力を求めた。
「お父さん。ブラッドの言う事に耳を傾ける必要はありませんよ。こいつは、友達にいい顔をしたいがためだけに、言っているんですから」
 すかさずヤルトが制する。
 メンターはそんな二人のやりとりを聞きながら、黙々と皿の中の物を口に運んでいた。だが、いつまでも黙っているわけにはいかなかった。
「仕方あるまい。ヤルトよ、出陣を許してやれ。いつかは、出なければならないからな」
 とメンターが決着をつける。
 その言葉にブラッドは喜び、ヤルトは困惑した。
「しかし、お父さん………」
 ヤルトが反論しようとする。
 だが、
「お前の気持ちも分からんではないが、子供はいつか親元を離れる。お前はこのわしを見て、ブラッドを騎士にさせたくないのだろう。だが、こやつには何を言っても無駄よ。こやつには騎士になることしか頭の中にはないからな。心配するな。出来る限り、わしが面倒を見てやるよ」
 メンターは、ヤルトが騎士を嫌う理由がよく分かっていた。それが、自分のせいであることも。
「分かりました」
 ヤルトは暫く考え、答える。妻の心配そうな視線を感じ、彼は自分の考えが間違っていたかもしれぬと思うが、もう後には引けなかった。後は、ブラッドの無事を祈るしか、彼に出来る事はない。
「父さん、頼みます」
 ヤルトは、メンターにすべてを託していた。もっとも信頼がおけ、もっとも嫌っていた父に。
「分かった」
 メンターはヤルトの心中を察したかの如く、深々と頷く。久々に、というよりも初めて親子の絆を感じていた。メンターは、子供の頃かまってやれなかったヤルトへの罪滅ぼしと思い、深く心に誓った。
「お爺さん………お願いがあるんですが………」
 ブラッドが済まなそうに言う。
「何だい?」
「実は、まだ騎士になる準備をしていなくて………それで、お爺さんの従者のファルを貸してもらえないかな、と思って………」
 言葉を濁しながら言う。ブラッドはそう言いながら、従者すらも用意してくれぬ父を恨んでいた。露骨にそれを目付きで表す。
「ファルか………あいつは扱いずらいぞ。それでもいいのなら、貸してやる」
 メンターはブラッドの父を蔑む視線を気にしながら、承諾する。ファルが附いているのなら、ブラッドの命は安全だ、と思った。それに、ブラッドに闘いというものを教えるのなら、ファルがいい見本になるとも考えていた。
「ありがとうございます!」
 とブラッドは言うなり、館の外にいるはずのファルをさっそく使役しようと立ち上がった。彼にとって初めての自分専用の奴隷である。まるで、子供が玩具を与えられたかのごとくはしゃいでいた。
 しかし、その時、
 ドシーン、という大音響が起こる。窓ガラスが一斉に割れ、破片が床に散り、跳ねた。家中が震えている。
「何だ!」
 ヤルトが真っ先に反応し、窓際へ寄ろうとする。
 だが、また大音響が起こり、室内の装飾品が次々と落下する。
 メンターはこの音に聞き覚えがあった。
「ヤルト。砲撃だ!家の近くに当たっている」
 メンターの叫びに、ヤルトは直ぐに反応した。
「みんな、外へ出ろ!」
 ヤルトはそう言い、妻を連れて外へ向かう。
「さぁ、早く。こんな事で驚いているぐらいじゃ、騎士になれんぞ!」
 メンターは呆然としているブラッドを連れ、ヤルトの後を追う。
 ようやく一行が庭に出たとき、館の屋根が吹き飛び、一行の頭の上に破片をバラバラと落とした。
 彼等の警告を聞き、共に出てきた[マヌス]の使用人の一人が運悪く、大きな破片の下敷きになった。だが、助ける間もなく、その上に次々と破片が落ちる。
 ブラッドは、まだ呆然となっていた。まだ何が起きたのか理解していない。
(やれやれ、行く末が心配だわい………)
 メンターはそう思いつつ、ブラッドを安全な木陰の方へ連れて行く。
 木陰には、館の殆どの者が集まっていた。
(ファルは………)
 メンターはファルがいないのが、気になった。
(まさか………)
 ファルにかぎって、今の砲撃でやられてしまったとは思えないが、やはり気になる。
「父さん、あれ!」
 ヤルトが東の空を指差し、メンターはファルの事を一時棚上げにした。
 ヤルトが示したところには、一隻の[航空戦艦]が浮いていて、こちらに砲口を向けている。
「皆、散れ!」
 メンターはそれを見るや否や叫び、ブラッドを抱いてそこから飛び退く。
 メンターの掛け声で皆は散ったのだが、ロウル一家を除いて砲撃を正面に食らってしまった。
 轟音と共に、土が飛び散る。
 メンターとブラッドの背にも、土がボタボタと勢いよく当たった。
 メンターは立ち膝で、砲撃を受けたところを見る。庭の土が抉られ、木のあったところには大きな穴が穿たれていた。そして、そのまわりには、身体の各部をバラバラにした[マヌス]の使用人の姿があった。
 メンターの横で、ブラッドが声にならない悲鳴を上げた。
 メンターが見ると、ブラッドの前に千切れた腕が一本落ちている。ブラッドはそれを見て悲鳴を上げたのである。顔面蒼白になりながらも、ジッとその腕を見ている。
(吐くかな………)
 とメンターは思ったが、いがいとブラッドは気丈夫だった。
 しばらくすると、キッと顔を上げ、メンターに近寄ってくる。顔面蒼白になりながら、視線はしっかりとしていた。
 メンターは安心し、船の方を見る。
 砲撃してきた船は、あきらかにエリオン州の東隣の州、ギャラルに駐屯する第3軍のものである。
 その船はいま、第5軍の戦闘機の相手をしていて、彼らの方に攻撃してくる気配はなかった。
 メンターは安心して、周囲の状況を探る。
 エリオン市周囲は空中戦の嵐と化していた。いつの間にか、第3軍が侵攻してきたらしい。それを、第5軍は見事とは言い切れないまでも、かなりの善戦で防いでいる。
(未然に防げないとは………)
 だが、メンターは第5軍の力量に疑問を感じ始めていた。
(これで王女に勝てるのか………)
「あっ………」
 ブラッドが小さく叫ぶ。
 何事かとメンターは視線を敵船に戻した。第5軍の戦闘機が一機落とされたようだ。だが、ブラッドの叫びはそれだけではなかった。
 バシッ
 メンターが咄嗟に[障壁]を張っていなかったら、彼の命はなかっただろう。
 水蒸気が彼の眼前に立ちこめる。
 高圧の水で攻撃され、それをメンターは[雷]の壁で蒸発させ、遮ったのだ。
「さすがは、[雷]の導師」
 メンターの正面から声がする。女性の声だった。
「イスファス将軍………」
 メンターはその方を見て呟く。
 彼等の手前30mほどのところに、鎧を纏った一人の女性が立っていた。水色の鎧に包まれ、右手には直刀の剣を持っている。金髪に包まれる顔に、水色のパッチリとした瞳が冴え、美しさと彼女が内包する力強さを表現していた。それが、今エリオンに侵攻してきた第3軍の将、イルファス・ヤーレ将軍である。
 その将軍がたった一人で彼等の前に姿を見せたのである。きっと、さきほどの[航空戦艦]がこちらに攻撃できなくて、単身出てきたのだろう。部下を連れていないのは、自分の[力]によほど自信があるに違いない。それとも………。
 メンターは内心、おぼろげな不安を感じていた。単身出てきた彼女を倒すのはわけないことなのだが、彼女を援護している[航空戦艦]の砲撃をかわす自信がないのだ。
(老体の身ゆえ、連携攻撃を受けて身体がもつかどうか………)
 メンターの心配はそこにあった。しかも、今はお荷物のブラッドもいる。
 彼女が単身出てきたのは、きっとこの連携攻撃を確実に行うため、余計な人手を省いたせいなのだろう。味方がウロチョロしていたのでは、砲手も安心して撃てない。だから、彼女は無謀とも思える、単身で来たのだろう。その方が良いと判断して。
(さて、どうするか………)
 と、メンターが思い悩んでいるうちに、空の戦艦は戦闘機を叩き落し、またもや砲口をこちらに向けていた。
 メンターはまた、ブラッドを抱え、そこから飛び退く。
 その瞬間、砲撃が炸裂し、メンター等は更に飛ばされる。しかも、その後にイルファスの[水撃]が続き、彼は慌てて[障壁]を張らねばならなかった。
 さすがのメンターも肩で息をし始める。
 ブラッドが心配そうな顔で彼を見て、メンターの代わりに[障壁]を張った。
「す、すまないな………ブラッド」
 メンターは息も絶え絶え言う。だが、安心はしていなかった。こんなブラッドの[障壁]では、将軍の一撃で吹き飛ばされてしまう。
 案の定、そうなった。
 二人はイルファスの[水撃]で、吹き飛ばされ芝の上を転げ回る。しかも、メンターは運悪く、石の上に腰を嫌というほどぶつけてしまい、立ち上がれなくなってしまった。
(もうだめか………)
 メンターは[障壁]を張りながら、観念していた。将軍の[水撃]は防げても、艦砲射撃は防ぎきれない。
 しかし、いきなりイルファス将軍が雷光に包まれる。
 彼女の悲鳴が上がった。
「ファルか?………」
 慌てて駆け寄ってきたブラッドに助け起こされ、メンターはその[雷撃]がファルである事を知った。
 ファルがメンターの傍らに飛んでくる。
「じっちゃん。遅くなってごめんよ。あの船の武器コントロールを破壊するのに手間どっちまったんだ」
 と言い、彼等に砲撃を加えていた船を示す。その船は、モクモクと黒煙を吐いていた。どうやら、ファルの言ったとおり、武器は使えなくなったようだ。
「おのれ………貴様!」
 イルファス将軍が立ち上がる。ファルの[雷撃]で、かなりのダメージを受けたようだ。足元がふらついている。
「さっさと、片付けるかな」
 ファルはニヤッと笑い、腰の[雷剣]、[マヌ・サディアン・スウォード]を抜く。
「ファル。殺してはいかんぞ」
「分かっているって」
 ブラッドには、どうして[マヌス]であるファルが、[エヌス]でもトップクラスの将軍を殺せるのか分からなかった。彼は悩みながらも、黙って傍観することにした。いかんせん、今の彼には鎧も剣もない状態で闘う、という意識が欠落していた。彼は武具を揃えないと戦えぬ人間であった。
 ファルは剣を振り上げる。また、[雷王斬]を使うようだ。刃に、[雷]がまとわりついた。
 ファルの雄叫びと共に、[雷王斬]が走る。また、凄まじい雷光が周囲を包む。
 ブラッドはそれを見て、自分の方が上手いと確信し、手元に[雷剣]が無いのを悔やんでいた。
(手元に[雷剣]があれば、父さんを見返してやれるのに………)
 と思い、ブラッドはイルファス将軍を倒す自分の姿を想像し、一人ほくそ笑んでいた。
「やばい………外れた………じっちゃん、逃げろ!」
 と言うや否や、ファルがその場から飛び退く。
 メンターもそれに続く。だが、ブラッドは一人遅れ、突然足元で起こった爆発に呑まれてしまった。
 しかし、ブラッドもメンターの孫である。とっさに[障壁]を張り、致命傷だけは免れた。彼は芝の上をゴロゴロ転がりながら、[雷王斬]を外したファルを呪っていた。それと共に、自分がやっていれば、こんな事にはならなかったろうと思い、一人優越感に浸っていた。
 メンターは受身を取り、ブラッドが大丈夫そうなので安心していた。それと共に、ファルの[雷王斬]が当たらなかった訳を考えていた。
「メンター老。あんな[雷王斬]で私を殺せると思って?」
 まったく位置を変えずに、イルファス将軍が立っていた。
(どうやら、[水膜]を張っていたようだ………)
 メンターはイルファスの周囲に漂う水滴を見付け、[雷王斬]が外された訳を悟った。彼女は、この[水膜]で[雷王斬]の電気エネルギーを上手く弾いたのである。
 メンターはてこずりそうだと察し、表情を硬くした。
 イルファス将軍は、メンターとブラッドの二人を確認し、一人足りない事に気付いていた。
(あの[マヌス]の少年は、どこへ行った?………)
 [水膜]を動かし、周囲を探る。
(?!………)
 彼女は[水膜]の一つが何かに触れたのを感じ、つかさずそこへ[水矢]を見舞う。頭頂だった。
 水の矢が数十本飛ぶ。
 上空にいたファルはそれを見て、慌てて上昇をかけるが、水の矢の方が速かった。ファルは逃げるのを諦め、剣でなぎ払う。水飛沫が散り、水の矢は崩れる。だが、水の矢はすぐにもとの姿に戻り、また彼目掛けて突進してくる。
 さしものファルも守りきれず、次々と矢が彼の身体を抉る。
 そのうち力尽きたのか、ファルは落下するかのごとく、地上に降りる。
 水の矢に抉られた傷は深かった。剣で身体を支え、なんとか立っているのが精一杯のようである。とても戦える状況ではなかった。
「[マヌス]の少年よ、今楽に殺してやるからな」
 イルファスは笑みを湛えながら言い、ファルにとどめを刺すため、手元に巨大な[水矢]を創る。それが全長2m程になったところで、おもむろにファルめがけて投げつけた。
 ビュン、と音を立てて宙を切り、[水矢]がファルに突き刺さる。だが、ファルは水の矢を剣の腹で受け止めていた。そして、ニッと笑い、[水矢]を[雷]の[力]で蒸発させる。
 あっという間に矢が消え、イルファスは驚きに口もきけなかった。
 そうこうしているうちに、ファルはスクッと立ち上がる。まるで傷など負わなかったかのような、元気な姿だった。だが、服は[水矢]のせいで所々裂け、血が滲んでいる。ただ、傷口は既に塞がっているようだ。
(只者じゃないな………)
 イルファスは、ファルの正体を探りつつ、次ぎの作戦を考えていた。
([マヌス]と思い、油断しているとこちらが逆に危うくなる………)
 彼女は慎重にやる事にした。
 ファルは剣を構えている。その右手の方には………。
 彼女はそれを見て、勝機を感じた。
 ファルはいきなりイルファスが目を瞑り、想念を高め始めたのに危機感を感じていた。これは何か、大技が出る予兆である。
 グッと剣を握る力を強め、周囲に気を配る。
「池?!………」
 ファルは自分の右手に大きな池があるのを、はじめて気付いた。
(これを使うのか?………)
 ファルはこの水を使われたら、太刀打ちできないと悟り、慌ててそこから移動する。
 だが、時既に遅く、池の水がガバッと盛り上がったかと思うと、いきなり彼目掛けて襲いかかってきた。
 ファルは[雷]の剣であがなうが、いかんせん水相手では埒があかず、水の中にとり込まれてしまう。彼は大きな水の塊に囚われてしまい、いくら足掻いてもそこから出れなかった。そうこうするうちに、呼吸が出来なくなり、どんどん苦しくなって動きが緩慢になっていく。
「[水牢]か………」
 メンターは口惜しそうに呟き、ヨロヨロっと立ち上がる。なんとかファルを助けなければならない。だが、今の彼にはそれだけの体力が残っていなかった。
「これで、邪魔者はいなくなった」
 ファルを確実にしとめたと思ったイルファスは、メンターの方に向き直る。イルファスは勝ち誇った顔でメンターの方を向いたのだが、振り向いた瞬間、その表情は凍てついた。
 メンターは彼女に向かって、ニヤリと笑いかけていたのである。その不敵な笑みから、メンターの底知れぬ自信が感じられ、彼女はそれに呑まれてしまい、しばらく動けなかった。
(いったい、なんだというのだ?………)
 彼女はその笑いの意味を悟れず、動揺していた。
(私に勝てる自信があるのか?この老体で………)
 イルファスはその笑いの意味をそう感じ、笑い飛ばそうとした。
「ブラッド、伏せろ!」
 メンターはいきなり、立ち上がろうとしていたブラッドに呼び掛け、伏せる。
 イルファスはますます動揺し、動けなかった。
 バシッ、と背後から水の弾ける音がする。
「なに?!」
 彼女は何も考えずに、音のした方を反射的に見た。
 その瞬間、物凄い水圧で押し倒される。
(何だ?!………)
 彼女は自分を倒したものが、水だと気付くのに、しばし時間を費やした。その遅れが致命傷となった。
 続いて、カッとまわりが光り、目潰しを食らう。
(しまった………)
 と彼女が感付いたときは既に遅く、首筋にとてつもないショックを感じ、そのまま気絶してしまった。
 倒れたイルファスの身体に、水滴が豪雨の如く落ちる。その横に身体をビッショリと濡らしたファルが、四つんばいになってゼエゼエと荒い息をしていた。
 ブラッドは水滴の雨の中を立ち上がりながら、一部始終を見ていた。ファルが将軍に、愚かにも戦いを仕掛け、[水牢]にとじこめられたところを。彼にとって信じられないのは、あの[マヌス]のファルが[水牢]をブチ破り、将軍を一撃で気絶させた事である。彼は[水牢]の堅牢さをよく知っていた。[火]の[力]でも使わぬ限り、いかなる者も脱出はできないと噂されていたのを。それを[マヌス]の戦士が破り………。
(それだけではない………)
 ブラッドはファルが、全長2mほどの[水矢]を蒸発させた事を思い出していた。
 それらは[エヌス]至上主義のブラッドには、容易く容認できない事柄であった。彼にとっては、[マヌス]の戦士などは死ぬために生きている、としか思っていなかったのに、ファルという[マヌス]でも下級の戦士が、将軍を倒してしまう、という彼にとっては夢よりも奇想天外な事実を見せられてしまったのである。ブラッドの心は動揺し、自分の価値観を守るため、ありとあらゆる防衛本能が働き出した。
(そうか………ファルの持っている武具のせいか………)
 と彼は強引に納得した。彼はファルの着けている武具がとてつもなく高価で、高性能のため、将軍を倒す事ができたのだと結論したのである。
(お爺さんは、やさしい人なのだな………)
 そして、その武具をメンターが与えたのだと、納得した。
(だが、俺のもとではそんな事はさせない………)
 ブラッドは自分はそんなに甘やかせないぞ、と決意し、厳しくファルを使役する事を誓った。彼は[マヌス]ごときが高価な武具を持つのを、許せなかった。彼にとって[マヌス]は家畜同然だし、その家畜が主人である自分よりも、いいものを持っているのは絶対に許せなかった。
 だが………。
 彼の目の前でチラホラしている、ファルの武具はどう見ても、安物にしか見えなかった。
(そんな事はない!………)
 彼は必死に反論する。[エヌス]の彼にとって、これは絶対に疑うべき事柄ではないのだ。
([エヌス]よりも、[マヌス]の方が強いなんて………)


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