2. イスファー将軍の洗脳を解く治療が始まった。 破壊された執務室ではなく、それによく似た別の部屋で、[教会]の僧侶を招いて行われた。 [教会]とは[光]の属性を持つ者だけが僧になれる宗教団体で、[光の王]を奉り、[具象力]がこの世のすべてと教える宗教であるから、[具象力]で支配する[エヌス]の人々の間で広まり、全世界的な規模で布教活動が行われ、各地の政治・経済とも密接な関係にあった。また、[光]の[力]は、病気を治療したりする事のできる[具象力]であるから、[光]の[力]を持つ者しかいない[教会]は病院の役目もあり、[エヌス]だけでなく[マヌス]の人々の間にも広まっている。[教会]はこの世界で最大規模を誇る宗教団体であった。 その[教会]から、5人の僧と3人の[聖騎士]が派遣された。[聖騎士]は、[光]の属性を持つ者で編成された、どこの国にも属さない[教会]直属の軍隊である。 その8人とヤーレスとメンター、そしてファルの11人だけの密室で、イスファーの洗脳を解く治療が行われた。 だが、実際に治療にあたるのは5人の僧で、残りの6人はそれをただ呆然と眺めるだけである。 気絶したイスファーが部屋の真中で、椅子にがんじがらめに括り付けられている。 そのまわりを5人の僧が取り囲み、何かをしていた。目を閉じ、瞑想している者もいる。[発念体]が入った杖をいじくっている者もいる。まだ、準備は整っていないようだ。 ファルは皆よりもずっとうしろで、その光景を見ていた。壁にもたれかかり、興味のない顔をしている。 本来なら、この様な場所には、[マヌス]であるファルは入れないのだが、メンターのたっての希望で入れてもらっているのである。 ファルは先ほどから、[聖騎士]が自分に向け、蔑むような視線を送っているのに気付いていた。さっさとここを抜け出したいところなのだが、メンターの言い付けがあって、動くに動けない。ファルはそんな視線を、あえて無視し、なるべくそしらぬ顔をして立っていた。それでも、自分を排斥しようとする視線を感じてしまい、どうしても不愉快さが顔に出ていた。 男の悲鳴が上がる。 洗脳を解く治療が始まったのである。 イスファーは苦痛にむごたらしく顔を歪め、身を絞って悲鳴を上げる。椅子がだんだんと激しく揺れるが、僧に抑え込まれてしまう。それでも、彼は出来る限り、身をよじって苦痛から逃れようとしていた。 あまり気分のいい光景ではなかった。 ファルは顔を背け、なるべくイスファーの方を見ない様にし、悲鳴を聞かない様にした。 そんななか、[聖騎士]の一人がちょこちょこと彼に近寄ってくる。 赤毛の長い髪を垂らした、優しそうな顔付きをした女性だった。 (?!………) ファルはどこかでこの女性と会った事があった。しかし、名前が思い出されない。 (誰だっけ?………) ファルは必死に名前を思い出そうと努力し、ついにその名を思い出す事に成功した。 (モゥリィ………モゥリィ・クリア………) ファルはその名と共に、懐かしさや甘い恋心も思い出した。彼は彼女の深い優しさが好きだった。[マヌス]の彼に、真心から優しくしてくれたのは彼女だけだった。そんな事から、ファルは彼女に恋もしていた。 「久しぶりね、ファル」 モゥリィは彼の左横に立ち、懐かしさを満面に浮かべ言う。 「そうだね、1年間会っていなかったね。ちゃんと、[聖騎士]になれたんだ。おめでとう」 ファルも懐かしさいっぱいの表情で言う。ついでに[聖騎士]就任の祝辞を述べる。 モゥリィは照れくさそうに笑いながら、上半身しか着けていない白銀に輝く鎧を見せる。 「[聖騎士]と言われるほど、たいした身分じゃないけどね。でも、立派な身なりになったでしょう?」 「まったく………[教会]で修行していた時とは、見違えるようだ………」 ファルは笑いながら言いつつも、彼女の鎧に付いている[発念体]が普通よりも大きい事に気付いていた。 「昔の私はそんなに酷かった?」 と言い、目を細め小さな声で笑う。 ファルはモゥリィのこの[エヌス]と[マヌス]を差別しない、気さくな性格が好きだった。 そうこう二人が懐かしんでいる間にも、イスファーの治療は続き、彼の断末魔の悲鳴は続いていた。 その悲鳴のせいか、二人は次第に喋らなくなった。静かになった二人の耳に入る、イスファーの悲鳴が心を震わし、まるで自分が拷問を受けているかのような気分にさせた。 モゥリィがそれに耐えられなくなり、また話しかける。 「ところで、ファル。まだ、マディラと続いているんでしょう?」 ファルは突然恋人の名前を出され、どぎまぎしながら頷いた。 「彼女が、騎士の侍女になったの知っている?」 「いや………」 初耳だった。この半年ほど、大陸中を修行の旅に出ていて、帰ってきていなかったのである。だが、朗報だった。[マヌス]の人々にはろくな就職口はなく、騎士の侍女など[マヌス]の女にとって、憧れの職場であった。 「しかも、彼女は3日間の休みを貰って、今は実家に帰っている事も知っている?」 青い瞳が、悪戯っぽそうに輝く。 何故モゥリィがマディラの事をそこまで知っているのか、疑問に思ったが、ファルの心はマディラの事でいっぱいになってしまい、他の事まで考えられなくなった。その代わりに、マディラに会って、話したい事が涌き水の如く沸き上がる。 (早く会いたい………) ファルはいてもたってもいられなくなった。 「じっちゃんに、先に帰る、って伝えておいて………」 と言うや否や、ファルはその場から掻き消えるようにいなくなった。 モゥリィの返事を待つ間も待てずに。 モゥリィは呆れたような、感心したかのような顔をし、ファルが音もなく消えた扉の方を見る。 そして、ファルとマディラの幸運を祈って、手を合わせる。 イスファーの悲鳴が、それに続いた。 ★ 小一時間ほどして、イスファーの洗脳は解けた。 治療された方も、した方もかなり体力を消耗して、立っている事も座っている事も出来ない。だが、イスファーは力を振り絞り、なんとか椅子に座り続け、ヤーレスに事の顛末を語り始めた。 「我等に王女のもとに出頭せよと、命令が下ったのは………そう、先王がお亡くなりになって9日目の朝だった。王女はその日、国の主だった者をすべて集めていた………俺達は何事かと訝しがったのだが………まさか王女が[闇]の使徒だったとは………」 イスファーは疲労の色が濃い顔を、悔恨に歪ませる。 「それで、どうなったのだ?イスファー」 ヤーレスは先を続けさせる。今にも彼が気絶してしまいかねない様子だったからだ。彼は無理をしてでも、出来る限りの事は知りたかった。今の状況では、情報を広く集めねば、如何ともしがたいところだったからだ。だから、親友であっても、ここは無理を強いて続けさせた。 イスファーはその意を汲んだのか、必死の形相で続ける。 「それから………後はご覧のとおり、みな洗脳され、王女のなすがまま操られてしまった………しかし………洗脳されるとは誰も思わなかったからなのだろうか………でも、あまりにも見事な集団洗脳だったよ。誰もが自分が洗脳されたとは感じなかったろうな………」 「何故、俺達の処刑が命じられていたのだ?」 「さぁな………ヤーレスとメンター老にだけは、洗脳して味方につけるのではなく、処刑しろという命令だった………きっと、ヤーレスは王位継承権を持っているので邪魔だったのだろう………メンター老はどうしてだか分からん………」 「ところで、ヤッパ将軍は共に洗脳されたのかな?」 今まで、沈黙を続けてきたメンターが尋ねる。 「ヤッパ将軍は、俺等と共に洗脳はされなかったようだ………あの場に居なかったからな………だが、後で俺等と共に働いていたから、きっとどこかで洗脳されてしまったに違いない、と思いますよ………」 肩で息をしながら言う。誰の目にも、限界だと映った。 「そうか、ありがとう、イスファー将軍」 メンターが礼を述べると、将軍はニッと笑い、そのまま椅子の中で崩折れ眠り込んでしまった。慌ててヤーレスが近寄り、外の部下を呼んで彼を病室へ運び込ませた。 イスファー将軍と、5人の[教会]の僧が連れ出された後、室内にはメンターとヤーレス、それに[聖騎士団]の3人が残った。 5人とも一様に表情が硬い。 イスファーが正気に戻った事で、彼が洗脳をかけた者は、共に正気に戻っただろうが、それは王国のほんの一部でしかないだろう。しかも、早くなんとかしなければ、せっかく正気に戻った者も、また誰かに洗脳されてしまいかねない。[闇]の洗脳を受け付けないのは、[光]の属性を持つ者でしかなく、それは[教会]の者を除く万人が洗脳されるであろう、という事である。味方は少しでも欲しかった。 (せっかくイスファーの洗脳を解いたのだから、今が行動のチャンスだ………) ヤーレスは、この気運に乗ってみる事にした。彼の体内を、熱い興奮の渦が駆け巡る。 「メンター様。行動を起こすのは今しかありません。イスファー将軍の洗脳が解けた事で、第4軍は敵ではなくなったと思いますし、今回の事で王女クリエは必ず軍を仕向けてくるに違いありません。先手をしかけましょう!」 メンターは頷いた。確かにヤーレスの言葉は、理にかなっているように思える。だが、王女が何も用意していないとは、言い切れない。逆に反撃にあうことも考えられる。 「分かった。だが、国境の兵力をエリオンに集結させ、イスファー将軍にレルファ州を抑えてもらってから行動した方がいいだろう」 「そうですね………」 ヤーレスは考え込みながら、答える。 「我々も、その方が良いと思います。イスファー将軍への協力は、レルファ州の[教会]から出します。そして、背後から襲われる憂いを無くしてから、行動を起こした方が良いでしょう」 と[聖騎士]の一人が申し出る。 「そうだな」 ヤーレスは納得する。 「それでは、まず始めに国境の軍を呼び戻すか」 「我々も全面的に協力いたします」 [聖騎士]がニッコリと笑い言う。 ヤーレスも笑いでそれに答え、さっそく仕事に取りかかった。 だが、メンターはひとり晴れない顔をしていた。 外は陽が落ちようとしている。 室内に闇が広がり始めていた。 ★ 陽が沈み夜になった。 エリオン州は内陸にあるため、冷え込みは厳しい。だが、今は初夏だ。寒さは、ほんのりと漂い、心地よい快感でさえある。 そんななか、ファルは恋人のマディラと共に、エリオン市の北にある林の中に来ていた。他にもここには幾多のカップルが集い、睦まじく愛を語り交わす光景が見られた。 ファルは、市の西側を流れるバルド川を見下ろせる位置にある、大木の根元に腰を下ろした。その横にマディラも腰を下ろす。 ファルは大陸中を歩いていた半年間、マディラに会いたくて会いたくてウズウズしていたのである。マディラも同じ気分だった。だから、今日会えてから、あまりの嬉しさに、二人は恥ずかしさと照れで、まともに会話をしていなかった。 ファルはマディラをチラッと盗み見する。肩までのくすんだ金髪の垂れ具合、丸い顔に円らな瞳。何も変わっていなかった。ちょっと、陽に焼けたかな、というぐらいである。なんとなく、ファルは安心する。 「ねぇ、マディラ。いいところに職があって良かったね」 ファルが恥ずかしそうに口火を切る。なんとか早く半年前の二人に戻りたいと願って。 「うん」 だが、マディラの返事はぎこちなかった。恥ずかしがっているのが一目で分かる。 まだ、打ち解けていないと感付き、ファルはもっと話しを続けねば、と決心し、なんとか話題を見繕う。 「ところで、いったい何という騎士のところで働いているんだい?」 「モゥリィさんよ」 「モゥリィ?モゥリィ・クリアかい?」 「うん」 マディラはコクリと頷く。だが、視線は伏せている。 (どうりで、マディラの事を知っていた訳だ………) ファルは心の中で呟き、モゥリィにからかわれた事を悟った。 「モゥリィさんが、[教会]の[聖騎士]になった時、私を雇い入れてくれたの………」 マディラはまだ、ファルの方を見ようとしなかった。ファルは気になった。マディラは、何かを隠しているように見えるからだ。 (何を隠しているのか………) ファルは心配になってきた。マディラの態度から、変な想像をし、余計な心配までして、更に不安を煽いでいた。 「そうか………でも、良かったね。[聖騎士]の従者なんて、そう簡単になれるものではないし………安定しているしね」 「うん、それでね………モゥリィさんが言うには………ファルと結婚してもいいって……」 はじめてマディラは彼に顔を見せ、恥ずかしげに笑う。 「けっこん?」 ファルは言葉の意味を、旨く掴めなかった。 「そう………結婚してもいいって」 語気を強めて言う。せっかく思い切って口に出したのに、ファルが理解できなかったのがまどろっこしく、少し腹が立ったようである。マディラの顔付きから、恥ずかしさが消えていた。だが、今度はファルも理解したようである。 「結婚ねぇ………」 ファルは悩みつつ、語尾を濁した。 [マヌス]の人々は、早婚である。ファルやマディラの年齢で結婚している者は多々いる。[マヌス]の寿命が短いため、そうなってしまうのだが………。しかし、ファルには、まだ早いように思えた。それに………。 「ねぇ、ファル、どうかな?二人とも、職は決まったんだから………ね」 マディラは摺り寄りながら、結婚しようという意を含んだ言葉を、強い口調で言う。彼女なりに決心して、この場に挑んだのであろう。絶対に返事をこの場で受け取る覚悟が感じられた。 ファルは困った。まだ、やりたい事はたくさんあるし、やらねばならぬ事もあった。それに………。彼にはひとつ、結婚できない理由があった。しかも、その理由を口にする事はできない。 (口に出せば、マディラに嫌われる………) 彼はそう思っていた。かつてその事を口にしたせいで、受けた虐待の記憶が、彼の心に深い傷となって残っているのだ。だから、マディラに話すことは出来ぬ、のである。話し、彼女に嫌われる事を怖れるあまり………。 (だが、喋らねば………) なんともない、と彼は結論付けようともしていた。 (いつまで彼女に隠しとおせるか分からぬが………また独りになるのは嫌だ………) 彼の心の中を、淋しさが吹き抜ける。一人ぼっちの孤独感が、心中に思い起こされる。それを忘れたかった。きれいさっぱり忘れてしまいたかった。 「ファル?黙っていないで、答えてよ!」 いつまでもファルが答えないのに痺れを切らし、マディラが怒る。 ファルは現実に戻った。 (今は独りじゃない………) 彼はそう思う事で、力を奮い起こす。そして、今を続けるため、彼は行動に出る事にした。 「これ………オーランドで手に入れたものだけど………」 ファルはポケットから、木細工のブレスレットを出した。 「私に?」 マディラは不思議そうな顔をしながら、受け取る。複雑な表情をしていた。嬉しさ、怪訝、不安、戸惑い………様々な表情を顔に出しては消してゆく。そして、最後に出たのは、涙だった。 ファルはいきなり泣き出したので、心配になってしまった。どうして、泣き出したのか分からない。 「おい………」 なにも泣く事はないじゃないか、と言いたげな表情で、ファルはマディラを見詰め、戸惑う。 しかし、彼女は答えず、顔を伏せ、肩を震わせすすり泣く。 よっぽど、嬉しかったらしい。ブレスレットを握り締め、泣き続ける。 だが、ファルは、 (まさか、結婚の約束を認めたと、間違えたんじゃないだろうな………) と、心配していた。 満天の星空の夜に、欠けた青い月が沖天にさしかかっていた。 その中を、一隻の[航空船]が飛んでいる。 ファルはそれを見上げ、マディラが泣き止むのを待っていた。 不安を抱きつつ。 夜は更にふけてゆく。 彼の悩みも深まってゆく。
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