1. エジエント大陸の西南に、エルロリア王国はある。 大陸から突き出た半島に、その国はあった。 南の太平洋、そして、北の雄大なグル山脈が、この国を陸の孤島にしていた。 しかし、そのお陰で、王国は大陸でも随一の長い歴史を持つ国となった。 守りやすい地理的条件、住みやすい温帯の気候が、この国に長き平和を与え、経済を潤したのだ。 だが、激動なき国にも、いずれは危機がやって来るのがこの世の定めであり、常識でもある。永遠の国など、この世にはないのだ。 そして、今が、その時だった。 ★ エルロリア王国はいま、混乱の極みにあった。 国王が死去したのである。 それも、何の前触れもなく、突然、死んでしまったのだ。 正式発表での死因は、心臓発作だといわれているが、本当の死因は分かっていない。死ぬ直前まで国王は、元気な姿を臣下の前に晒していたし、心臓病を患っていたわけでもないのに、翌朝侍従が寝所に入り、王がベッドの上で死んでいるのを発見したのである。 まさしく、謎の死、であった。 また、それ故、王位を狙う王族連中は、誰かが毒殺したのではないかと互いを疑い、益々混乱の極みを深めて行く。今こそ、団結し、早々に次期王を決めねばならぬのに………。 そんな中、たった一人の肉親であった父親を失い、悲しみにうちひしがれているはずの王女クリエは、夜の王城で一人思い悩んでいた。 美しい腰まで届こうかという金髪が、潮風を含んだ夜風にたなびく。その輝く金髪に包まれる白く小さな顔は、悲しみの表情ひとつなく、漆黒の闇に埋もれる王都の輝きを見詰めていた。 [雷]の[発念体]で輝く王都は、闇の中で自らの光りを美しく、力強く輝かせていたが、王女クリエは闇の方を見ていた。 そこに何かが見えるのか、切れ長の青く澄んだ瞳は、闇を凝視している。 だが、自分の父親が死んだ事で、悲しんでいるわけではない。 彼女は悩んでいた。 彼女はどうしても、今回の父の死も、子供の頃に死んだ母の時も、悲しみにうちひしがれる事は出来なかった。自分でも驚くぐらい、悲しみの感情というものが欠落しているのである。 (私は本当の子ではないから………) と彼女は、悲しめない理由を、そう結論付けていた。 彼女、王女クリエは、王と王妃の間に生まれた子ではない。王が地方行政官であった時に、子種のなかった両親がどこからか貰い受けてきた子であると、クリエは父の口から直に聞いていた。 だが、それから18年間、共に暮らしてきたのだ。慈しまれ、大事に育てられてきたのである。普通の者なら、それだけで血が繋がっていなくても、肉親以上に情が深まるというものである。 しかし、彼女は、前に死んだ王妃の時も、そして今も、悲しむ事は出来なかった。 彼女はそれを異常だと思っていたが、別段気にする様でもなかった。 それよりも、今後の身の振り方に気を取られていた。 彼女は王の真の子ではないため、王位を継ぐことは出来ない。だが、父である王は、その事を世俗に発表する前に死んでしまったのだ。彼女はその事を世俗に教えなければ、この国を手に入れることも可能なのである。この事を知っている数人の者を始末できれば…。 王からは、従兄のヤーレス・オルグを国王にするよう、告げられているが………。 彼女は王が誰にその事を話したか思い出し、その一人ひとりを抹殺する計画を立てては、消していた。 ふっ、と溜息をつく。 (王位なんて要らない………) 彼女は自由が欲しかった。 (思いのままに、世界を旅してみたい………) それが彼女の願いだった。 十数年に渡る、窮屈な王宮生活から離れる事が、今の彼女の切なる願望だった。 それさえ、叶えられれば………。 (王位なんて………) と、思えるのである。 そして、今がその実行の潮時だった。 (それは、困ります………) (?!………) 彼女は、突然、自分の心の中に湧いてきた声に、仰天した。 自分の思考ではなかった。そう確信できる。 誰かが、彼女の心の中へ、思考波を送り込んできたのだ。 彼女は用心深く、辺りを見回す。 思考波がはっきりしている事から、相手は近くにいて、[闇]の力を持つ者である事が分かる。 「誰?!そこに、居るのは」 彼女はバルコニーの一角の闇の中に、気配を感じた。 素早く、[風]の防護を造る。 ゴウッと風が唸り、彼女は小さな竜巻に包まれる。 「私ですよ、王女クリエ」 闇は落ち着いた声で答えた。 一瞬、クリエの身体は凍てついた。 声に、聞き憶えがあった。 (確か………) 彼女は竦み上がった。 ★ グル山脈南側斜面の、緑濃き森林の上に、雷光が走る。 だが、澄み切った青い空には雷雲ひとつ、雲ひとつない。 では、この雷光はいったい………。 森の中に一人の老人が、苔に覆われた岩の上に、どっしりと腰を落ち着け、上空の雷光を見上げていた。 老人は、幾度か連続して起こる雷光を、笑みを湛えながら見ている。 いったい、上空には何があるというのか………。 やがて、雷光はおさまり、空は静かな青みを帯びる。 そして………。 ドサリ、と老人の前の草薮の中に、黒焦げの物体が落ちてきた。 嫌な匂いの臭気も漂う。 まるで、肉の焦げたような、ムッとする匂いだ。 だが老人は、匂いに嫌な顔ひとつせず、黒焦げの物体に近付き、それを注意深く見詰めた。 黒焦げの物体は、人の形をしていた。落ちた際に剥がれたところから、赤い肉が鮮やかな色合いで見える。それは、明らかに死体だった。しかし、これほど綺麗にこんがりと焼き上がった死体とは………先ほどの雷光にやられたのだろうか………。 老人が死体を見ていると、空から一人の男が青い光りに包まれながら降りてきて、その傍らに着地した。 丸顔に金髪をのっけた、あどけない顔の少年だった。年の頃は18ぐらいか………。全体的にがっちりとした体格だった。上半身に艶のある黒い鎧を着け、右手に、柄に大きな球形の宝石が埋まった剣を持っている。宝石が明るく輝いていた。 「どうだい?じっちゃん」 剣を腰の鞘に戻し、少年は自慢げに口を開く。 「まあまあ、だな。まだ、無駄な動きをしている。もう少し、鋭さをたかめんとな」 と老人が、改善点を述べた。 「しかし、この男は誰だい?」 少年が黒焦げの死体を指差す。 「この男か………第6軍特殊部隊隊長ノルマン・ウェイだろう………」 死体をチラッと見て答える。老人は、心にのしかかってくる不安を感じていた。 国王が死去してから、はや一ヶ月がたつ。老人、メンター・ロウルは大陸の中心部あたりでその話しを聞き、急いで弟子であるファルを連れて帰国したのだが、その道中数十回となく、暗殺者に狙われ続けたのである。 (何故だ………) 老人は、自分が狙われる理由を詮索したが、これといった理由は思い付かなかった。 ただひとつ、気懸りな事がある。 (まさか、王女クリエが………) 王女なら、彼を狙う理由がないこともない、とメンターは心配しているのである。 どうして、そう思えるのか………それは彼にしか分からない。 「じっちゃんよ、何で俺達が狙われるんだい?」 傍らのファルが、メンターの心中を察したかのごとく、問う。 「さあな。それより、先を急ぐぞ。はよ、荷を持て」 メンターははぐらかし、ファルを急かした。 ファルはちょっと不満げな顔をしたが、すぐに先程までメンターが座っていた岩の横から大きなザックを背負い、下山し始めたメンターの後を追う。 ファルの心中から、先の疑問が消え失せているわけではない。ただ、これ以上質問しても答えてくれないと分かっているから、追求はしないのだ。 ファルとメンターが出会って、5年の歳月が流れている。ファルはメンターの気性をわきまえていた。今は、おとなしく従うべきであると、経験が教えている。 (だが………) ファルはこのところ、毎日襲われている事に、不安を抱いていた。 (王国に戻らない方がいいのでは………) と思うが、メンターには逆らえない。 彼は一歩いっぽ進む毎に、不安がたかまっていくのを感じた。 だが、メンターは行く。 老人とは思えない、健脚で進む。 ファルは半ば諦めながら、それに付いて行った。 二人は森林を抜け、一路、グル山脈の南に広がるエルロリア王国へと向かった。 不安を抱きつつ。 ★ メンターとファルの一行は、メンターの生まれ故郷であるエリオン州に入った。 このエリオン州は、グル山脈と接する内陸の州で、隣のオーランド王国との接点でもあり、王都ラルドのあるランド州と接している、王国の重要な拠点である事から、この州を治める行政官は必ず王族の一員が占めている。今もその例外の漏れず、行政官はあの次期国王候補のヤーレス・オルグであった。また、王族が州を治めているせいか、その州都エリオンは王都に次いで栄えている都市である。 その州都エリオンに、メンターとファルは来ていた。 石造りの街並みは、行政の中心である城を中心に、放射線状に配置され、所々に置かれた木々が、その色合いを美しく、清楚なものとしていた。しかし、その美しさも城の外1qまでで、そこにある街を包む円形の城壁の外側は、汚らしく古びた街並みが続く。 どうして、この様に貧富の差が出るのか?それは[具象力]という自然界の力を操る能力を、この世界の人々が持っているからだ。 [具象力]とは、光・雷・火・土・闇・冷・水・風の8つの自然界の力の、どれかひとつを操る能力の事である。そして、その[具象力]の能力の優劣により、差別されるのが、この世の常識である。 [具象力値]と呼ばれる値を計る機械により人々は、産まれてくると直ぐにその値を計られ、値が800未満だった場合、[マヌス]という階級を与えられ、一生、値が800以上の[エヌス]という支配階級の人々の奴隷として使われるのである。そして、生涯貧困に喘ぐ生活を送らねばならぬのだ。 しかも、[エヌス]と[マヌス]の間の婚姻は認められておらず、[具象力]の能力は遺伝するものだから、[マヌス]は子孫まで[マヌス]となってしまい、差別され続けるのである。 メンターとファルはその貧しい人々の、[マヌス]の、街を抜け、[エヌス]の街である円形の城壁内へと入って行く。 メンターは[エヌス]の騎士として、そしてファルは[マヌス]の下僕として。 ファルの[具象力]は、520である。だから[マヌス]として登録され、その位も下級戦士であるが、先程の闘いから分かるとおり、彼は[エヌス]の騎士とも対等に渡り合える戦士である。だから、メンターはファルを弟子として連れているのであった。 [エヌス]と[マヌス]の街を隔てている城壁は、いつになく厳重な警備がしかれていた。 メンターが、この国でかつて重要人物でなければ、とても中には入れてもらえなかったかもしれない。それほど、警備が厳しく、しかも彼等に護衛と称して、衛士が二人付いたのである。まるで、彼等の行動を監視するかのごとく。二人は込み上げてくる不安を拭い去れなかった。 メンターは[エヌス]の街に入っても、自分の息子夫婦のいる自宅には帰らず、真っ直ぐに城の方へ向かう。 彼は、行政官であるヤーレスと会って、確かめたい事があったのだ。 そして、それによって彼の今後の身の振り方が決まるのである。 それに、この厳重な警備の理由も聞きたかった。 何故こんなにしなければならぬか………。 (まるで、何かに怯えているようだ………) メンターはそう感じた。 (もしかすると………) もしかすると、ヤーレスも彼と同じように、誰かに狙われているのかもしれない、とも思う。だが、逆に罠かもしれなかった。 メンターは高まる不安を抑え付け、ゆっくりと城内に入って行った。 ★ メンターはファルをヤーレスの執務室の外で待たせ、ひとりヤーレスの所へ出向いた。 ヤーレスも彼の敵になっているかもしれぬと思い、充分用心して入ったのだが、室内のヤーレスは彼の予想を裏切り、まるで懇願するかのごとく彼に縋りついてきた。 「メンター様。よくぞ、戻って来てくださいました」 顔を綻ばせて、近寄って来る。 メンターはその表情を見て、彼は敵ではないと判断した。 だが、一応、気は引き締めておく。 今の姿が、本性ではないかもしれない。もしかすると、罠かもしれないのだ。 「それより、国内の状況はどうなっているのかね?」 話しを切り出す。 「ええ、それが………私にもよく分からないのですよ。先王が死去してから、1週間後、急に王女が自ら王位に就く事を宣言し、それ以来、国内の主な重臣達が次々と、まるで人が変わったかのようになってしまい………本来なら、私が王位に就く事になっていたのですよ………重臣達もその旨をちゃんと先王から言い渡されているはずなのですが………何故か彼等は王女の即位に反対せず、逆に諸手を挙げて喜んでいる次第でして………」 ヤーレスは困惑の表情で、告げる。 王女が王位に就けぬ事は、メンターも知っていた。彼が、王女クリエを先王に授けた当の本人なのだから………。ともかく、彼の不安は的中したようだ。 (しかし、何故クリエが急に王位に………あの重臣達も王女の身の上は知っているはずなのだが………) メンターには、そこが気に懸かった。 彼の知る重臣達は、仕来りを大切にし、絶対に血族以外の者を、王位に就けるような事はしない連中だった。あの欲深い連中が、自らの血族以外に旨味を渡すはずはない、と確信できる。過去数百年の歴史を振り返れば分かる事である。歴史には、彼等の欲望の記録が綴られている、といっても過言ではない。 (それがどうして………) メンターは眉を曇らせた。 「ところで………」 ヤーレスが、メンターが黙っているので、次の話題を持ち出してきた。 「ある、一人の男を見て欲しいのです………」 「男?」 メンターは、問い返した。 「ええ、王女からの使者なのですが………」 とヤーレスは答え、デスクの機械を操作し、何かを伝えた。 やがて、束縛された一人の男が、衛士に引き摺られるようにして入って来た。 メンターは注意深くその顔を見たが、見覚えはなかった。 「この男なのですが………」 「ほぉう、裏切り者が二人も揃っていやがる」 男がヤーレスの言葉を遮り、毒突くように言う。 「裏切り者?」 メンターは、その意味が分からなかった。 「そうよ、貴様等二人とも、クリエ様に盾突く裏切り者よ!先王を騙し、国の実権を握ろうとした反逆者だ!」 男は怒鳴る。 その気迫に、衛士が少し怯んだ。 「お前等も、こいつに味方していると、国家反逆罪で死罪だぞ」 衛士の心の動揺に付け込んでくる。だが、衛士は怯まず、逆に男の締め付けを厳しくする。男の悲鳴が上がった。 メンターは男の話した内容だけで、すべてを理解した。彼が裏切り者と呼ばれるわけも。 「ところで、私に暗殺者を差し向けたのは王女か?」 メンターが、グイッと男に近寄る。 「ああ、そうだ。だが、貴様はまだここにいやがる!なんて、しぶとい爺なんだ………」 男が、声のトーンを落とし、唸るように言う。 「もういい。ヤーレス、下げてくれ」 メンターはクルッと向きを変え、ヤーレスの方を向く。 「はい。おい、もとの場所に戻しておけ」 男は衛士に引き摺られながら、ありとあらゆる罵倒を二人に浴びせた。 扉が閉まり、ようやく室内は静けさを取り戻した。だが、それはメンターの心には、重すぎる静けさだった。 「ところで、王女の使者はどんなメッセージを持ってきたのかね」 メンターが静けさに耐えられなくなり、訊く。 「税率のアップ、徴兵制度の再開、そして、オーランド王国への出兵の準備をせよと……」 「オーランドへの出兵とは………」 メンターは驚きの色を隠せなかった。 グル山脈を挟んだオーランド王国は、大陸随一の大国で、エルロリア王国の戦力ではかなう相手ではない。攻め込んでも押し返され、逆に占領されてしまいかねなかった。 (そんな大国相手に戦争とは………) メンターでなくとも、誰もがそう思うだろう。しかし、国内の重臣達は誰も反対しなかったようだ。そうでなければ、王女一人の決断で下せる内容ではない。 「馬鹿げている………」 思わず呟く。 ヤーレスも同じ気分らしく、その言葉に頷く。 「メンター様、これを」 ヤーレスは、メンターに一枚の紙を渡した。 「これは?」 「先の男の頭の中を、[教会]の先生に診てもらった診断書です」 メンターは紙を受け取り、じっくりと読む。 その顔は、どんどん驚きの表情へと変わって行く。 「これは………」 「そうです。あの男は洗脳されていたのですよ。しかも、[闇]の[具象力]によって…」 深刻な表情で答える。 「[闇]か………ところで、あの男は治るのか?」 「ええ、[教会]の先生は直ぐに治せると言ってますが、大元を処分すれば、一人ひとり治さなくてもよい、とも言っておりました」 「そうか………」 メンターは考え深げに頷く。この洗脳方法に見覚えがあった。大元が洗脳する相手に洗脳方法を教え、その洗脳された連中が更に洗脳する相手へ洗脳方法を教え………という、鼠算式に手下を増やす洗脳法である。この方法で洗脳された者は、洗脳した相手が死ぬか、もしくはその相手の洗脳が解けるかすると治るので、以外と脆い洗脳方法ではあるが、短期間で数を増やすには最適の方法であった。そして、メンターはこの方法を得意とする、[闇]の属性を持つ者を知っていた。また、これはメンターが予想した事が、的中した証拠でもあった。 メンターは次々と自分の予想が的中していくのに、怖れをなしていた。 出来る事なら、当たって欲しくなかったのである。 だが………。 「メンター様。私はこの様に人を洗脳し、操る事には、断固反対です。この様に個人の自由を無視してまで、クリエが国を手に入れたいのであれば、私はそれを阻止するため立ち上がります」 ヤーレスが毅然とした態度で宣言する。 メンターは始め、他の事に気を取られ、彼が何を言ったのか分からなかった。しかし、ヤーレスの興奮した顔を見て、大体の事を察した。 (こいつも国が欲しいのか………) メンターは冷めた目で、ヤーレスを見る。ヤーレスが、どう修辞を工夫しようと、興奮する顔には、ありありと心の内が浮き出てしまっていた。 メンターは苦笑した。 だが、ヤーレスは気付かず、先を続ける。 「幸い、王女が洗脳を始めた時、第5軍の将等は国境の城に出ていて、王女の魔の手から逃れられましたので、5軍は私の命令に従ってくれます。それに、[教会]が全面的に協力してくれると申し出ていますので、民意は何の疑いもなく私に正義があることを分かってくれるでしょう。後は、メンター様、貴方の協力があれば、私は百人の騎士を味方に付けたも同然となり、必ずや、[闇]の使徒クリエを追放し、王国に平和と安らぎをもたらす事が出来るのです」 ヤーレスは激しい興奮の表情で、メンターに懇願する。 「お願いです、メンター様。是非、私めにお力添えをください」 ヤーレスの言葉は、メンターには要請というよりも、強要されているように思えた。どうしても味方にするぞ、という強い意志が感じられる。下手に断りでもしたら、メンターといえどもどうなるか分かったものではない。 「分かった。協力しよう。だが、老体の身ゆえ、たいして役に立つとは思えんがな………」 「ありがとうございます、メンター様。貴方には決して無理はさせません。貴方の名前は敵将をも震え上がらせます。それだけで、充分なのです。他はすべて私共がやりますので、後方でゆっくりと休んでいてください………」 ヤーレスはメンターの話しを間髪入れずに断ち切り、口を封じるかのごとく慌てて近寄り、手を握り締めて、いつまでも礼を述べ続けた。 ★ ファルは執務室の外で、暇を持て余していた。 先程、狂人のような男が騎士に連れてこられ、帰って行った以外は、何も変化もなかった。扉は防音が完璧で、中で何を話しているのか、盗み聞きする事も出来ない。 ふぁ〜、と何度目かの大欠伸を壁に向かってする。 「そんなに暇かい?」 急にファルの背後から声が投げつけられる。 ファルは驚き、慌てて声の方を見た。 階段を一人の男が昇ってくる。厳つい顔をした、大柄な男だ。 他にもいる。彼の後を、5人の男が続く。皆すべて武装していた。 ファルは彼等が殺気を発しているのに気付き、警戒し身構えた。 その途端、天井がベリベリと剥がれ、彼の頭頂に落下してくる。逃げる暇もなかった。ファルはドンドン落ちてくる石材に潰される。あたり一面、塵と埃に埋もれ、ファルの行方が分からなくなった。 男達はファルが下敷きになっているのに、見向きもせず、埃の漂う執務室の扉の前に立ったかと思うと、勢いよく扉を開け放ち、なだれ込む。 ヤーレスとメンターは突然乱入してきた客に、面喰い動きを止め、目を大きく開き呆然と見詰める。 最後に悠々と入って来た大男の顔を見て、ようやく我に返った。 「イスファー!」 ヤーレスが叫ぶ。 ファルを石材の下敷きにして入って来た大男は、エリオン州の西隣の州レルファに駐屯する第4軍の将、イスファー・レグだった。この男は[土]の属性を持つ騎士で、先にファルを倒した時のように、自然界の土の属性をもつものを利用し、攻撃する技に長けている。ファルの場合、石材を用いて攻撃されたのである。だが、[土]の騎士は他の[具象力]の騎士より、闘いに向かない。[土]は本来、物を加工したり、[発念体]を造ったりするのが得意な[具象力]だからだ。 だが、パッと室内に散るイスファーの部下は、すべて[土]の騎士だった。 ([土]の騎士団か………) メンターは苦々しく心の中で呟いた。彼は[土]の騎士団をよく知っている。イスファーが編成した、[土]の騎士だけの軍隊で、イスファーはこの軍隊を自らの護衛として使っていた。そして、その名は第4軍が[土]の軍団と、王国全軍で呼ばれるぐらいに有名である。 それに対し、メンターとヤーレスは、剣無し、防具無し、で戦おうとしているのである。劣勢は明らかだった。 (援軍が来るまで、耐えるしかない………) メンターは諦めにも似た決断を下した。 鞘走りの音がし、侵入者は一斉に剣を抜いた。さすがは[土]の剣だけあって、切れ味の良さそうな剣だった。 「メンター・ロウル、ヤーレス・オルグ、二人を国家に対する反逆を企んだ罪で、処刑する。」 イスファーが太い声で、室内を震わす。 「ちょっと待て、私は何もそんな事は企んではいないぞ、イスファー。私が国家に対する反逆を企んでいるだって?それなら、先王の遺言を守らず、王位に就いた王女はどうなるんだ?!」 ヤーレスは親友であるイスファーを、なんとか言い包めようと努力する。 が、 「それが、どうした。いまはクリエ様が王だ。お前等は王に逆らった。殺す理由は充分にある」 イスファーはそう言い放ち、剣の切れっ先をヤーレスに向ける。 ヤーレスはそれが[雷]や[光]の剣のように、ビームを放たないとは分かっていても、戦慄が走るのを抑えられなかった。彼も[雷]の騎士である。どうしても、剣は飛び道具に見えてしまうのだ。 「ヤーレス。イスファーも洗脳されている。何を言っても無駄だ」 メンターが、ヤーレスに近寄り諭す。 ヤーレスは納得した。目の前のイスファーは、昔の親友だった頃の彼とはまったくの別人に見えた。昔のイスファーなら、絶対に彼に剣を向けたりはしない。そういう男だった。だから、ヤーレスは過去を忘れ、目の前のイスファーは別人だと思い込んだ。辛いがそうでも思わぬ限り、イスファーとまともに戦えない。また、彼も親友に剣を向けることの出来ぬ男だった。ヤーレスは、イスファーを狂わせた王女クリエを、心から憎んだ。 「ヤーレス。貴様は、この俺が親友のよしみで直に殺してやる」 ヤーレスは、ゴクリと唾を呑み込むしかなかった。 「やれ!」 イスファーの掛け声と共に、戦闘が始まった。 彼の部下がパッと散り、メンターを包囲する。どうやら、先の言葉どおり、ヤーレスは自分一人の手で始末するようだ。それに、メンターの力量からすると、ちょうど良い配分になっている。その点をも考慮に入れての作戦なのだろう。 いきなり、室内に電光が走り、一人の男が湯気を上げながら倒れる。メンターが包囲されるのを嫌い、攻撃を仕掛けたのだ。だが、殺しはしない。メンターは彼等が洗脳され、操られている事を考慮し、殺さないよう気遣ったのだ。しかし、いくら[雷]の導師といわれるメンターでも、5人すべてを気絶させるのは難儀だった。 (だが………) メンターは意を決し、次々と[雷撃]を放つ。数の不利を[力]でカバーする戦法に出たのである。 雷光はドンドン増え、イスファーの部下等は数の多さにもかかわらず苦戦した。 それに反し、数では対等ながら、ヤーレスは苦戦していた。彼も[雷撃]で攻撃するが、イスファーは室内の石材を剥がし、それでカバーする。しかも、それだけではなく、イスファーはその剥がした石材を彼目掛けて投げつけてくるのである。 [具象力]においては、決して引けを取らないヤーレスだが、彼は体技が得意ではなく、何度も石材に当たって倒れ、その度にイスファーが振り下ろす剣先から逃れるのに必死であった。反撃する間もなく、彼は室内を転がり続ける。 だが、ついに角に追い詰められ、逃げるに逃げられなかった。 「ついに追い詰めたぞ、ヤーレス。覚悟はいいか」 イスファーは剣を振り上げ、ニヤニヤしながら言う。 ヤーレスは竦み上がり、何もできなくなった。後は死を待つだけだった。何も考えられなかった。自分が親友に殺されるとも………。彼の頭の中は空白となる。 だが、その時………。 カッ、とイスファーの背で輝くものがあり、彼の身体がぐらついた。 イスファーは踏ん張り、背後を振り返る。自分の背に攻撃してきた相手を探す。メンターではなかった。老人は軽やかな身のこなしで、彼の3人の部下の相手をしている。その様子から、[雷撃]を放つ余裕はないように思えた。 (では、誰が………) いた。一人の男が、右手に直刀の剣を持ち、扉の前に立っている。若く、丸顔のあどけない顔をした男だ。 (ほぉう、なかなかしぶとい奴だ………) イスファーは、その男というよりは少年に見覚えがあった。それは、先に石材で押し潰されたはずのファルだった。 身体中傷だらけだが、たいした傷は負っていなかった。ちょっと、頭から血を流しているだけである。 「生きていたか。しぶとい奴だ」 イスファーはヤーレスを無視し、ファルににじり寄る。彼はこの下級戦士を始末してから、ヤーレスを殺す事にした。たかが下級戦士、一撃で屠ってやる、という自信があったからだ。 だん、と大きな音をたててイスファーは飛ぶ。そして、ファルの頭頂目掛けて剣を振り下ろした。確実に仕留めた、という自信があった。 だが、ファルはニッと笑うと、そのままそこから掻き消えてしまった。 「なに!?」 イスファーは驚愕しつつも、そのまま剣を、誰もいなくなった床に叩きつけた。剣がめり込み、抜けなくなる。 「チッ」 とイスファーは舌打ちし、[具象力]を使い、剣を柔らかくし、床から抜く。そして、また剣を元の硬度に戻した。 「遅いよ、おっさん」 背後から声がする。彼は振り返ろうとした、だが、その途端全身に電気が走り、麻痺する。身体のバランスが崩れ、その場に片膝をつく。身体が痺れ、力が入らなかった。だが、イスファーは片膝をついた体勢を保持し、キッと前をにらむ。そこに、一人の男が立っていた。 「おっさん、たいした事ないな。将軍といっても、この程度かい?」 ファルはイスファーの前に立ち、嘲りの言葉を放つ。 イスファーは噛みつきそうな顔で、睨み返した。自分がどうして下級戦士ごときにやられたのか、分からなかった。第4軍の将である自分が。 「[マヌス]ごときの餓鬼などに………」 イスファーは声を絞り出し、立ち上がる。そして、渾身の力を込めて、剣をファルに突き出した。身体が麻痺しているとは思えない、勢いだった。 だが、ファルはもんどりうってその剣先から逃れ、窓際に着地する。 「おっさん、鈍いって、言ってるだろう。そんな動きじゃ、俺に傷ひとつ付けることはできないよ」 ファルは嘲笑する。 だが、イスファーは何の反応も示さず、ジッと彼の方を見ている。 ミシッ、とファルの周りで音がした。 (しまった!………) ファルは感付き、急いで自らの周りに[雷]の防御を張る。ファルが雷光に包まれる。 イスファーは[具象力]を使うため、動かなかったのである。[具象力]は頭の中でイメージして、自分の属性の物を操るのだが、大掛かりに[力]を使うとなると、しばらく頭の中でイメージするのに時間がかかる。イスファーは、それをやろうとしてりうのである。 ベキッ、と音がしたのを始めとし、轟音と共に雨霰とファルのところに石材の雨が振る。だが、今度は油断はしていないし、[障壁]があるのでそう簡単にはやられなかったが、室内の大小様々な石材が彼目掛けて飛んでくるのである。無事でいられるはずはなかった。 [障壁]を破って侵入してくる瓦礫が、彼の身体を叩く。上半身は鎧があるが、胸から下は無防備である。次々と服が裂け、血が滲む。 ファルは耐えきれなくなり、逃げた。壁をブチ破り、外へ。だが、何処までも石材は追いかけてくる。しかも、執務室は2階にあった。ファルは想念を[障壁]から、[浮遊]へ切り替え、一気に空へ逃げる。ファルぐらいの[具象力値]だと、2つの[力]を同時に使う事は、まず出来ない。使えたとしても、極端に[力]の発現は弱くなる。だから、ファルは力の発現を[浮遊]一本に絞り、一気に逃げようとしたのだ。 だが………。 「は、は、は………」 背後から太い笑い声が起きる。 ファルは上昇しながら、その方を向いた。どうも、その笑い声が自分に向けられているように思えたからだ。 案の定、笑い声は彼に向けられたものだった。 彼を追ってくる石材群のひとつに、イスファーが乗り、高笑いをしていたのである。 「確かに、逃げ足は速いな、[マヌス]の餓鬼よ!だが、逃げ切れんぞ、貴様ごときの鈍足ではな!」 ファルは、キッと止まった。 クルリと振り向く。 イスファーもそれにつられて止まった。 ファルの顔には怒りの色があった。先の罵詈誹謗が頭にきたらしい。[雷剣]を構える。 「やる気になったか。だが、[マヌス]ごときの[力]では、この俺を倒せんぞ!」 イスファーが胸を張って罵倒する。 確かにファル程度の[具象力]では、ちまたで4000とも5000の[具象力値]とも言われているイスファーの[具象力]にはかなわない。 だが、ファルは剣を構えながら、口許に笑みまで浮かべている。 彼に勝ち目はあるのだろうか? 「ファル!イスファーを殺すなよ!」 下の方から声がする。彼等が出てきた穴から、メンターが叫んだのだ。 「分かっているって!」 ファルはチラッとその方を見て答える。 (なんて馬鹿な事を………[マヌス]の餓鬼が、[エヌス]でもトップクラスのこの俺を殺せるとでもいうのか?!………へっ、お笑い種だ………) イスファーは一蹴したが、ファルの自信満々な顔を見て、少し不安になり気を引き締めた。過去になかった訳ではない。[マヌス]の戦士が[エヌス]の騎士を倒した事も………。だが、それはほんの少例だし、不意打ちを食らった時だけである。この様に、正面からぶつかって[マヌス]勝った例はない。 (だが………) イスファーは麻痺させられた事を思い出し、少し用心する事にした。石材を自分の周りに近付け、壁をつくる。そして、石材の分子密度を高め、硬くする。ついでに、[雷]用に表面を非電導物質に変える。これで、用意は整った。 だが、上空のファルは余裕綽々の顔をしている。 「逃げたのには、訳があるのさ!あんな狭いところじゃ、[雷王斬]は使えないからな。でも、ここなら思いっきり使えるぜ!いくぜ!イスファー将軍さんよ!」 ファルが叫ぶ。 両手で持つ[雷剣]の鍔にはめ込まれている、大きな球形の宝石が輝く。この宝石が[発念体]といわれるものである。[土]の[具象力]によって造られた[発念体]は、持つ者の[力]を増加させる働きがある。この場合増加させるというよりも、使う人の想念、もしくはイメージをはっきりさせ、自然界の[力]を引き出しやすいようにするのである。だから、[発念体]には、ある[力]の技のイメージがインプットされていた。今、ファルの持つ、この[雷剣]には………。 [雷剣]の宝石の輝きが増し、直刀の剣に[雷]がまとわりつく。ファルは[雷]の剣を使った技のひとつ、[雷王斬]を放とうとしているのである。 ガバッ、と剣を振りかぶる。ファルはこの一撃で、一気にけりをつける気であった。また、そうでもしなければ、[マヌス]である彼の方が、闘いが長引けば長引くほど不利になってゆく。 だから、一気に片をつける必要があるのだ。しかも、殺さぬ程度に………。 「たぁ〜あ!」 ファルの雄叫びと共に、剣が振り下ろされ、とてつもない雷光が刃から迸しる。狙いは、イスファー。 だが、ファルの下で[雷王斬]を待ち構えるイスファーは、余裕綽々の表情で仁王立ちになっていた。 あたりの光を食らい、雷光が彼を襲う。 しかし、雷光は彼の前に立ち塞がった、大小様々な石材に当たっただけであった。石材の表面がボロボロになるが、数が数だけに、[雷王斬]はイスファーのもとに達しない。 イスファーは周囲を雷光に包まれながら、高笑いをした。 「何が、殺すなだ。これでは、私に傷ひとつつける事は出来ぬぞ。やはり、[マヌス]の下級戦士よ。たいしたことないぞ、まったく!」 「そうかな」 いきなり彼の正面から声が起こり、彼を守ってきた石材がボロボロに砕ける。 「なに!?」 イスファーは襲ってくる雷光に目が眩みながらも、そこにファルの姿を見出し、愕然となった。彼は石の[障壁]を突き破り、眼前にまで来たものを、イスファーは信じられなかった。 ([マヌス]の餓鬼ごときが!………) イスファーは激昂する。しかし、彼は馬鹿ではない。怒ったり、驚いたりしているうちに、剣や鎧を非電導体に変化させていた。[雷撃]の直撃を恐れて………。 イスファーは左手でとてつもなく眩しい雷光を遮り、[雷王斬]と共にやって来たファルに斬りかかった。風が唸る。 だが、ファルはそれを身軽にかわし、彼の背後にまわり、あっという間に無防備に曝されていたイスファーの首筋に、軽く[雷撃]を見舞った。 直接体内に送り込まれた[雷撃]は、彼を気絶させてしまった。 目を大きく見開いたまま、イスファーの巨体が崩れる。 それと共に、イスファーが操っていた石材も[力]を失い、大地目掛けて次々と落下する。落下先は、城の庭だった。 ドシン、ドシン、と地響きを立て、石材が草花を押し潰す。 美しかった庭園は跡形もなく破壊され、土煙が周囲に充満した。 ★ 「メ、メンター様、彼はいったい………」 ファルとイスファーの闘いを、壊れた執務室から見上げていたヤーレスは、驚きに開いた口が塞がらなかった。 彼はイスファーとファルが外へ出て行った後、彼の部下が現れ侵入者を取り押えたので、心に余裕が出来、[神の目]と呼ばれる小型の[具象力値]測定器で、二人の値を見ていたのだ。彼は下級戦士ながら、イスファーと対等に戦うファルに興味があった。確かにイスファーは噂どおり5000近くの値があった。だが、ファルはあの[雷王斬]を放ったときも、[発念体]にサポートされているはずなのに、たったの600しかなかったのだ。そして、その600であれだけの数の石を砕き………。 ヤーレスは信じられない思いだった。 「ファルは一点に[力]を集中したから、あれだけの事ができたのだよ」 メンターが、ヤーレスの疑問に答えてくれた。 ヤーレスは納得した。だが、[マヌス]の下級戦士が[エヌス]の騎士、それも将軍をいとも容易く倒してしまうとは………。にわかには信じられなかった。頭が信じる事を拒否している。 ファルがイスファーを重そうに担ぎながら、二人のところに降下してくる。その顔は、生き生きと輝いていた。それに加え、疲れた様子などまったくなかった。ちょっと汗をかいたという程度である。 ヤーレスは驚異の思いで、ファルを見詰め続けた。
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