9. キィーンンンン………と鋭い音を立てて、閉まりつつあるエレベーターの扉が氷弾を弾いた。 (危なかった………) シルキーはエレベーターの奥の壁にもたれて、安堵の溜息をつく。あと一秒エレベーターの扉が閉まるのが遅ければ、彼女の顔は氷弾でズタズタにされていただろう。 (運が良かった………) エレベーターが動作する震動を背に感じながら、シルキーは震える指先を見詰めていた。本当に運がよかったとしか思えない。 (持ってきて良かった………) シルキーは右手の中で黒光りする拳銃の重さで、気を落ち着かせる。この銃だけが、彼女を守る武器なのである。ズシリと重い感触が、頼り甲斐の程を教えてくれた。 虫の知らせであろうか、艇を出るとき、シートの下のこの銃を無意識のうちに持ち出してきたのだが、こんなに必要になるとは思ってもみなかった。艇を出るなり公安の奴隷に囲まれ、逮捕されそうになったのだ。スパイ容疑という身に憶えのない罪状で。しかし、彼女は幸運だった。銃を持っていただけでなく、公安の中に納税者がいなかったのだ。もし、納税者がいれば彼女は逆らって逃げる事は出来なかっただろう。奴隷の定めである。運が良かったとしか言い様がない。 (レイチェル………) シルキーは公安に捕まったであろう友人の事を心配していた。公安の調べの酷さは何度も耳にしている。彼女の事を思うと、いてもたってもいられなかった。なんとかして彼女を救い出したかった。 そのためには、いまここで捕まるわけにはいかない。唯一の味方である………力になってくれるはずのガイリィのもとへ行かなければならない。彼ならレイチェルを救い出せるはずだ。 (味方?………) フッと複雑な笑みをシルキーは見せた。 ★ 「さぁ、はくんだ!」 怒鳴り声と共に、レイチェルは冷たいスチールの机に顔を押し付けられた。ダン、といい音がする。これで何度目だろうか、もう傷みは感じなくなっていた。思考もぼんやりとしてきた。抵抗する意志も無くなっている。もっとも抵抗しようにも、両手両足は縛られ身動き一つろくに出来はしないが………。 口端からトロリと血が流れ落ちる。卓上に丸い染みをつくった。こんな染みが点々と卓上に幾つも広がって、こびりついている。公安の取調室に連れて来られてからズッと殴られ続けているのだ。顔中膨れ上がり、腫れ上がったところが裂けて血を流している。その血で、顔中血だらけだ。目もよく見えなかった。口を開くの辛い。これでは喋りたくても喋れなかった。 グイッと髪を掴まれて、顔を上げられる。すぐに往復ビンタがとんできた。血の雫がコンクリート色の殺風景な部屋に飛び散る。血を吸った床に、新たな色を添えた。 「分かっているんだぞ。お前が宙賊のスパイである事も。そして、その仲間がシルキーであり、二人で種を受け取り、持ち出そうとしている事もな」 と公安の尋問間は凄みを利かせて言うと、またレイチェルを机に叩きつけた。 酷い言いがかりだった。根も葉もない事ばかりだ。だいいちどうやってここに侵入したというのだ?アルレイド号がこのコロニーにやって来るなんて、どうやって分かるというのだ?奴隷風情に。それに巡宙艦がコロニーに入港するなんて、滅多にないのだ。もし、ここに入るなら、もっと別な、確実な手を使ってくるはずだ。そんな事は奴隷にだって分かる事だ。 「え、お前等みたいな奴隷に、何で捜査の権限が与えられるんだ?お前等、ガイリィ様をたぶらかして、捜査の権限を手に入れ、それを隠れ蓑にして種を運ぶつもりだったんだろうが!」 まったくの言いがかりだが、レイチェルの心に引っ掛かるものがあった。 (どうしてガイリィ様は、私達奴隷に捜査の権限を与えたのだろう?………) 引っ掛かる。公安が信用できなかったとはいえ、別にレイチェルらに捜査を任せなくてもよかったのではないだろうか。奴隷である彼女等の捜査には始めから限界が見えている。他の納税者に調べさせたほうが良かったのではないか………公安にスパイを潜り込ませているんだから、それくらい………。 ガツン、と頭に横殴りのショックがきた。スチールの机にへばり付くように頭を載せていたレイチェルを、尋問官が殴りつけたのだ。 椅子から転げ落ち、床の上をゴロンゴロンと転がる。壁にぶつかり止まった。 ゼェーゼェーと喉を搾るようにして息をする。呼吸が苦しかった。喉に何か詰まっているようだ。吐き気もしていた。頭がクラクラし、考え続ける事が出来なかった。 尋問官はへたり込んでいるレイチェルを見下ろしていたが、ちっと舌打ちをすると、先ほどから後ろで見学をしていたバリズディウム・ファルコの方へ向かった。椅子に座っている彼に近付き、腰を折ってひそひそ話しを始めるが、レイチェルの荒い呼吸音以外は何一つも音のないこの密室では、話しは筒抜けだった。 「精神探査機を使いたいんですが」 と尋問官の声。 「タンサキだと………」 バリズディウムは肥大した丸い顔に埋もれているちっこい目で、ギョロッと睨んだ。 「はい。軍事奴隷ですので電脳化されています。すぐに、お望みの情報は引き出せられます。そうすれば、ガイリィの反逆の証拠も………」 「きみ、職務上ストレートに事を運びたいのは分かるが、そう簡単に吐かせてはいかんよ。ガイリィなんて、どうでもいい。それより、もっと刺激的なものをやり給え。殴ってばかりじゃ面白くない。せっかく女が手に入ったんだ。もう少し、楽しませてくれ」 「はぁ………しかし………」 「きみ、私は140年も生きているのだ。後60年は生きられる。まだ長い………だから、焦る事はあるまい。君だってまだ生きられるだろう………それに長生きしたければ、出世せんとな。薬は高いからな………」 レイチェルは床にペッタリと張りついたまま、その会話を聞いていた。バリズディウムの言いたい事は分かる。彼が何を望んでいるのは、よく分かった。だが、別に怒りは感じない。怒るほど体力がないともいえなくはないが、これが年老いた納税者のやる事だと納得していた。年老いた納税者は、誰もが欲の塊となる。性欲、金銭欲、食欲、物欲………まるで獣の如き欲望の塊と化す。 社会的常識である。 レイチェルの経験からも、それは分かっていた。 レイチェルはジィジレを思い出していた。人生の半ばで命を断たなければならなかった彼と、欲に支配され無意味に人生を食いつぶすバリズディウム………どちらがジィジレの言う人間らしい生き方なのだろう。 (どっちも、どっち………) 笑いたくなってきた。答えは見えている。どちらも人間らしくないのだ。 「はぁ、分かりました。尋問を続けます」 尋問官はトボトボと戻ってきた。 「おい………」 と尋問官の命令一下、室内に待機していた二人の奴隷が、レイチェルの体を持ち上げ机の上に置いた。そして、彼女の両手両足の戒めを外し、卓上に大の字に寝かせると、手足を机の脚に結びつけた。手馴れたもので、あっという間に終った。 (いつもやっているに違いない………) レイチェルはぼんやりと、他人事のように彼等の手付きを見ながら考えていた。もう、反抗する気力は無かった。なすがままである。無気力だった。自分がこれからどうなるか、という心配する気力も失せていた。不安すら感じない。 二人の奴隷は最後に、彼女がここに来てから着せられた貫頭衣のような服を裂いていった。服の下は何も着けていない。白い裸身が黒い室内で輝く。 奴隷が下がり、尋問官がレイチェルの足元に来る。手に、太くて短い白い棒を持っていた。 「さて、この電撃棒だが………出力は抑えてある。これを、だな………」 尋問官はレイチェルの左の乳首の上に、丸い棒の先をのせた。 ビリッ、ときた。いや、そんなものではない。レイチェルは悲鳴を上げ、卓上で身悶える。 尋問官はニタッと笑い、棒を離して、ゆっくりと下へ下へと持ってゆく。 全身で波打つように息をしながら、レイチェルは棒を目で追う。無気力さはなくなっていた。目に激しい恐怖の色がある。彼が何をやろうとしているかは、薄々感付いていた。思わず頭を上げ、震えながら見続ける。 「ここへ棒を入れるとだな、4分の1の女はエクスタシーを感じるそうだ………お前はどうかな?」 尋問官はニヤッと笑う。 尋問官の向こうに、椅子に座りながらこちらを見ているバリズディウムが見えた。椅子から身を乗り出し、食い入るように見ている。目玉が眼窩から飛び出さんばかりだ。 レイチェルは嫌悪を感じていた。こんな老人になるくらいなら、長生きはしたくなった。ジィジレのように短くてもいいから、こんな人間にはなりたくない。バリズディウムの醜態は、レイチェルの心に強烈な印象を残した。 レイチェルの価値観が徐々に変わってゆく。 棒が近付く。 (シルキー、たすけて!………) レイチェルは最後の望みの綱であるシルキーに助けを求めた。無駄な足掻きであると分かっていても、叫ばずにはいられない。シルキーに対する見栄えも何もなかった。無垢な心で助けを求める。 バリズディウムの口端から、タラッと涎が垂れた。 レイチェルは悲鳴を上げた。 ★ 「ほう、私に銃を向けるとは」 ガイリィは潰れていない方の片目を大きく見開いて驚く。 「………レイチェルを助けてください………」 シルキーは全身から汗を噴き出しながら、必死の思いで言葉を喉から搾り出す。 公安からレイチェルを救出する事をガイリィに頼み、断られた瞬間、咄嗟の判断で銃をガイリィに向け脅したのだが、これが思ったより辛いのである。何故だか分からないが、心が絞られるように苦しく、全身の震えが止まらないのだ。 「何も私に銃を向ける事はないじゃないか………納税者の私に………」 ガイリィは冷ややかな目で言う。 シルキーの震えが大きくなった。立っている事さえ苦痛だった。銃が重い。上体が右に左に揺れ始めた。だが、レイチェルのために、まだ倒れる訳にはいかない。 (レイチェル、絶対に助けるからね………) その繰り返しで、気力を振り絞る。だが、それももう限界に近かった。心の奥底からわいてくる何かが気力を搾り取っていた。 「私達を………身代わりにして………あなた………だけ………たすかろうとしても……」 そこまで言ったところで、シルキーはガクッと膝を折り、倒れる。 ガイリィはデスクにつきながら、床に倒れたシルキーを暫く見下ろしていた。 「奴隷のくせに、よく精神制御に勝てたな………抵抗力の強い体質なのかな?まあ、いい。その勇気に免じて、助けてやるか………」 ぼそっと呟く。 ガイリィは受話器を手に取った。 ★ 「さあ、立つんだ」 ガイリィは床に片膝をついて、シルキーを抱き起こした。 「ガイリィ………さま………」 シルキーはまだボーッとなっている。 「お前の願いを聞き入れてやった。ちょっとばかし高値についたが、レイチェルは助けた。これから引き取りに、公安に行く」 「ガイリィ様、ありがとうございます」 シルキーはサッとガイリィから離れると、床にひれ伏して礼を述べる。 「お前の勇気と精神力………そして、今回の仕事に対する謝礼だ。だが、お前のやった事は気に食わん………」 ガイリィはブスッと言う。 シルキーは震えながら、身を伏せた。 「………すみません………」 床からシルキーの恐怖で震える声が聞える。 ガイリィはスクッと立ち上がると、震えるシルキーの背を見下ろす。何かを考えている。だが、すぐに我に返った。 「行くぞ」 「はい………」 ★ 公安の建物で、二人はレイチェルを受け取った。 彼女がどんな扱いを受けているかは、薄々シルキーにも察しがついていたが、いざ現実を見せられると驚かずにはいられなかった。 シルキーは小さな悲鳴を上げつつ、引き摺られるようにして連れてこられたレイチェルに飛び付く。レイチェルも腫れ上がった頬に喜びをあらわしてシルキーに抱きついた。レイチェルの目から涙が流れていた。 ガイリィは不機嫌そうな顔をしつつ、二人をさっさと車の方へ行かせた。 ガイリィはレイチェルを連れてきたバリズディウムとともに公安の建物の中へ入って行く。 二人は応接室のようなところに入った。 「ま、どうぞお座り下さい」 ニタニタ笑いを満面に浮かべながら、バリズディウムはソファーを薦める。 ガイリィは無言でそこに腰掛けた。バリズディウムもその太った身体を、小さなテーブルを挟んでガイリィと対面するソファーに沈めた。 「それでは、さっそく………不躾ですが、こちらで勝手に書類を用意させて頂きました」 恐縮という格好で、二枚の紙をバリズディウムの前に差し出した。 ガイリィはそれを手に取ると、サッと目を通し、二枚ともサインをして指輪の印章を押す。 「は、ありがとうございます」 バリズディウムはガイリィから書類を受け取り、確認した。 「しかし、あんな女奴隷一匹のために、延長剤の無償供与を私が死ぬまでお約束頂けるとは………さすがアクティウム本家ですな」 チラッと書類から顔を上げ、皮肉たっぷりに言う。 ガイリィは黙っている。無表情にバリズディウムの顔を見ていた。 バリズディウムはそれに気付くと、慌てて顔を伏せ、書類にサインする。どうも彼はガイリィの右目に慣れなかった。あの傷を見ると射竦められたようになるのである。恐怖すら感じる。バリズディウムは浮いてきた汗を拭きつつ、ガイリィのほうを見ないようにしていた。 「ところで今何歳だ?」 唐突にガイリィが口を開く。 「140歳になります」 チラッと顔を上げ、訝しげに答える。 「そうか、あと60年は生きられるな………」 「ええ、貴方様のお陰で、これからの余生が楽しくなります」 ニタニタと笑い答えた。あの女奴隷のお陰で、バリズディウムは最大の得をしたのだ。まさに金脈を当てたも同じである。これで彼の将来は安泰だった。それに、まだまだガイリィにはたかれそうだ。彼は心の中で、腹黒い笑いを続ける。 「充分、身体には気を付けるんだな………」 ガイリィは書類を一枚引っ手繰るようにして手に取ると、立ち上がり出て行く。 「ありがとうございます」 慌ててバリズディウムも立ち上がり、ペコッとお辞儀をするが、上げられた顔には嘲笑が浮いていた。 ガイリィは一度も振り返らずに外に出る。 扉が閉まった。 「せいぜい、事故には注意するんだな………」 ガイリィの呟きは、バリズディウムには聞えなかった。
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