7. レイチェルはブツクサ文句を言いながらも、タクシーに乗りジィジレの家に向かった。 ジィジレの住居は奴隷居住区にあった。だが、コウロやマキウムとは違う地区である。奴隷の中でも高い地位にいる者や、準納税者となった者が住むための地区であった。奴隷のアパートと違い、一軒家が基本なのだが、どれもが縦方向に細長い家で、隣家とピッタリとくっ付き集合住宅のようである。そんな棟が幾十も整然と並べられているだけで、外見的に奴隷用居住区とさして変わりは無かった。 レイチェルはとある棟の一番端の家の前に着く。ここがジィジレの家だ。二階建ての家の前には小さいながらも庭があり、やはり一般の奴隷よりは良い生活をしていたようだ。 彼女がここに着いた時刻は労働時間だったので、人気はまったく無かった。擬似太陽が燦燦と和やかな光を投げかけているだけである。 レイチェルはジィジレの家の前の草叢に隠れて、家を見張った。 ジィジレの家は分厚いカーテンがすべての窓にかかり、まったく中の動きが分からない。 レイチェルはそんな家をぼんやりと見詰めながら物思いに耽っていた。 自分達は間違った方向に進んでいるのではないか、という不安がまた頭をもたげてくる。マキウムの自殺も、コウロの自殺も偶然だったのでは、と思えてくるのだ。そう思い始めるとどんどんはまってゆき、不安感だけが増大してゆく。 レイチェルは頭を振り、不安を追い払おうとするが、無駄な足掻きだった。 確かに捜査のプロである公安が、まったく自殺した二人に嫌疑の目を向けていないのだから、あの二人は今回の事件とはかかわりが無く、彼女等はとんでもない間違いを犯しているともいえなくはない。 (だが、今更何を調べる………) 今から振り出しに戻って調べ直すぐらいなら、このまま突き進んでみれば何か別の手掛かりでも見つかるのではないか、とも思える………というより、今の捜査方法に不安はあるが、今更初めから調べ直すのは億劫だ、というのが彼女の本音であった。 (公安の捜査が常に正しい訳ではないのだ………) そう言い聞かせ、心を落ち着かせる。それに先ほど思いついたばかりの新しい推理もある。まだ道が閉ざされたわけではないのだ。希望の光はある。 レイチェルは意を決し、藪から立ち上がる。ここでじっと見張り続けていても何もならない。シルキーが色々と探り回っているのに、何もしないではいられなかった。何かしら行動を起こして、シルキーに追いつきたかった。 レイチェルは家の裏に回る。 案の定、裏口があった。そこへ忍び足で近付き、軽くノブを回してみる。 (?!………) ガチャッと音がして、扉が開いた。戸締りをしていないという事は、ジィジレが中に居るのである。 「チェッ………」 とレイチェルは舌打ちをし、音を立てぬように扉を閉めた。 今は彼が中に居る事を確認できれば良い。本当はこのまま中へ押し入って家捜しをしたかったが、彼が中に居れば何も出来ないし、ましてや揉め事を起こす気は無い。 藪に引き下がり、外から見張りを続けるしかなかった。 ところが、扉を締め切った瞬間、彼女は後頭部にガツンと衝撃を感じ、闇に包まれるように気を失ってしまった。 ★ 身体の痛みと、息苦しさで目を覚ました。 後頭部がずきずきと痛む。手足を伸ばそうとするが、グッと押し止められ、動かない。どうやら椅子に括り付けられているようだ。どう足掻いても手足は動かず、縛られた手首足首に擦り傷をつくるだけだった。 レイチェルは痛さで、瞑っていた目を見開き、とりあえず自由な首を回して周囲を見まわしてみる。 薄暗い室内だった。窓という窓すべてに分厚いカーテンがかけられている。そのカーテンが淡く光っているから、気絶してからそんなに時間は経っていないだろう。 「お目覚めかい?」 正面から男の声がかかる。かなり歳のいった者なのか、掠れた声だった。 レイチェルは声の方を向く。 彼女が縛られている椅子と、木製のテーブルを挟んだ向こうの椅子に、一人の男が腰掛けていた。 薄暗くて顔はよく見えなかったが、ゴッツイ体格をしているのが輪郭から分かる。 額の、奴隷である事を示す、銀色のプレートがキラッと光った。 「ウッ………」 レイチェルは声を出そうとするが、猿轡で言葉にならなかった。 男はジッとそんな彼女を見詰めつづけているようだ。 男が動いた。右手に持った、水の入ったコップをテーブルの上に置く。微かな光の中で、コップの中の水がキラキラと揺らめいている。 レイチェルが水の動きに目を奪われていると、男が喋り出した。 「私はジィジレだ。そんな目に遭わせて済まないが、暫く我慢してくれ………そう、君はそのくらいの罰を受けなければならない。君のせいで、コウロは死ななければならなかったのだから………」 男は静かに言う。 レイチェルは驚いていた。何故自分のせいでコウロが死ななければならなかったのか………彼女には理解できなかった。 男に質問しようとするが、唸るのが精一杯だ。 「といって私は君に復讐しようなんて思ってもいない。安心したまえ。ま、暫く私の愚痴でも聞いてくれ………」 肩をすくめている。笑っているのかもしれない。が、この薄暗闇では判別のしようがなかった。 暫くレイチェルは唸ったり、ガタガタと椅子を動かしていたが、諦めたのか黙ってジィジレの方を向くようになった。とりあえず危害を加えられないと知って落ち着いたのだろう。 ジィジレはレイチェルが静かになったところで話しを始めた。 「私は今回のミッションのお陰で奴隷としての精神ブロックを緩められ、自由に思考できるようになったのだが………その自由な思考から生まれた産物をこのまま腐らせたくないのだ。是非、これから私の話す事を聞いて欲しい」 「?」 レイチェルは彼が何を話しているのか、何を言おうとしているのか分からなかったが、彼がコウロと関係するスパイである事は分かった。そして、今回の事件に関与する犯人のうちの一人だというのが、薄々感じられた。それゆえ、彼女はおとなしく彼の話しを聞こうという気になった。 レイチェルは息を呑みつつ、彼の次ぎの言葉を待った。 「私達奴隷は、自分本人は気付いていないが、納税者に絶対に逆らえないよう精神ブロックが頭の中に入れられているのだよ。条件付けみたいなものだ。納税者を傷受ける事は出来ないし、また、そうしようと思う事も出来なくなっているのだ。今回のミッションの初めに納税者のリーダーから、私は生きて帰れるがお前等は自殺しなければならない、と言われた。死ぬのは嫌だった。私が25年間も働いて築いてきたものを失うのは嫌だった。だが、納税者の言う事には逆らえなかった。精神ブロックが緩められているとはいっても、そこまで自由な行動は許されていなかった。私達奴隷は、納税者に反抗は出来ないのだ。君は納税者を殴る事はできるかい?いや、殴ろうと思う事は出きるかい?………できないだろう。でも、私にはできるのだ。少々抵抗感はあるが、考える事ならできる。今回のために少し脳内改造を施されたんだ。そのお陰で普通の奴隷なら考えない事にまで、思いを馳せる事ができた………」 レイチェルはいつの間にか、この淡々と喋るジィジレの話しに引き込まれていった。 彼の言っている事はよく分からなかったが、たしかに彼の言うとおり納税者に逆らおうと思った事は一度もない。いま思い返すと不思議だが、どんな理不尽な命令にも従ってきた。 (彼の話しは、本当なのだろうか?………) 彼女は疑念をもちながらも、彼の話しに聞き入った。 「生きるという事について考えた事はあるかい?我々は何のために生きているんだろうね。納税者のためだけに生きているんじゃ、あまりにも哀しいじゃないか………よく、準納税者になる事だけを目標にして生きている者がいるけど、よく思い直してごらん。君のまわりにいる準納税者を………20年間税金を払い続け晴れて準納税者になって、さっそく職業選択の自由とやらの権利を行使してみたところでロクな働き口は無く、失業してたった一ヶ月税金が払えなかっただけで奴隷の身分に戻らされ、また同じ仕事に就くのが関の山さ。それに生殖器を返してもらっても、準納税者が子供を産んだという話しを聞いた事はあるかい?返される生殖器は散々実験に使われて、もう使いものにならなくなったヤツなんだよ。子供が産まれるわけがないのさ。結局、納税者から見れば、奴隷は死ぬまで奴隷なのだよ」 ジィジレの口調は次第に熱を帯びてきた。 「私達はいったい何のために生きているんだろうね。納税者から与えられる衣食住で満足している単なる機械なのかな………違うよね。私達は納税者と変わらぬ人間なんだ。人間なんだよ!人間らしく生きなければならないんだ。自分の意思で、自分で責任を負って生きていかなければならないのに、納税者の与える温もりに埋没して、人間である事を捨てている。他人に与えられる人生はおもしろいかい?苦しんでも、自分で考え悩んだ人生の方が味わい深いとは思わないかい?自分の思うように生きてきた人生の方が、たとえそれが失敗の連続であろうと、悔いのない人生になると思わないかい?………どんなことでもいいから、思いっ切り自由にやってみたかった。それが命を縮めようとも………短命でも生き方によっては、素晴らしい生き方ができるんだよ」 熱心にジィジレは語る。 レイチェルは理解できなかった。頭のどこかが凍結してしまったように理解できないのだ。ただ、彼の言葉は彼女にショックを与えていた。今まで、生きる、ということにまったく関心を寄せていなかったのだが、今の彼女はそれについて考え始めていた。 だが、結局彼女は、自由に生きてすべての責任を負うよりは、納税者の言うがままに生きて、責任を納税者に押し付けてしまう方が楽なのではないか、楽に生きるのが人生ではないか、と結論してしまう。 これが、精神コントロールによって導き出された答えなのか、彼女の自由意志によるものなのかは、レイチェル自身には分からなかった。 ただ、 (私は一体何のために生きるのだろうか………) という問いについての答えは出ない。 レイチェルは心の奥底で、目立たぬようにそれについて悩み続ける。一度点いた火は、もう二度と消える気配は無かった。 なにはともあれレイチェルには、今の生活に対する不満は少なく、それよりもジィジレを捕らえて種の行方を吐かせるほうが危急の要件だった。そのためにはなんとかしてこの戒めを解かねばならない。それに全神経を集中する。 ガタン。 突然ジィジレがテーブルに突っ伏す。テーブルの上のコップが、水を撒き散らしながら床に落ちた。 ジィジレはハァハァと荒い息をしている。依然として顔はよく見えないが、呼吸の具合から彼の体調がただならぬ状態になっている事が察せられた。 (どうしたの?………) レイチェルは訳がわからなくなって慌てる。何となくジィジレがこのまま死んでしまいそうに見受けられた。 せっかくの手掛かりが………せっかくの手柄が………消えてしまう………そんな不安感に心が急き立てられる。しかも今の彼女は何も出来ない。焦る事しか出来ないのだ。それが焦りを増した。 「もう終わりに近付いている………ハァハァ………最後まで私の話しを聞いてくれて………ア、ありがとう………そのお礼に………種の行方のヒント………ほ、鳳仙花の種……」 息も切れ切れにそこまで言ったかとおもうと、盛大に鼻や口から血を噴き出し、ズルズルと床へ崩折れてしまった。 暫しの間痙攣していたが、それが終るとピクリとも動かなくなった。 死んだのだ。 (自殺するのが、人間らしい行為なの!………) レイチェルは心の中で苛立たしげに叫んでいた。 分からなかった。何故死ななければならなかったのか。コウロも彼も………。役目が終ったから死ななければならなかったのか?あんなに偉そうに納税者のために生きるなって説教していたくせに、ジィジレは結局納税者のために死んだのだ………どうして?………これも奴隷の哀しい運命なのか………。 (馬鹿………) レイチェルは涙を流していた。悔し涙である。
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