4. 「どう、アクセスできた?」 シルキーが端末に向かうレイチェルの横に立ち責付く。 彼女等は、ガイリィが臨時の事務所として使っているホテルの一室にいる。この部屋は、ガイリィから与えられた彼女等専用の宿泊所兼事務所である。二人はマキウムの部屋を出るとすぐここに来て、あの紙片に書かれた数字がこのコロニーで使われている電話番号であるかどうかを調べたのだ。 「02−42654、なんんていう数字はないわよ」 レイチェルはスクリーンに映し出された電話番号帳を繰りながら、疲れ切った声で言う。 手首に埋め込まれた電脳操作用インターフェイスの銀色のプレートを包むバンドが、やけに重く感じられた。バンドから垂れ下がり、端末に向かって伸びるコードが、彼女を床に引き摺り倒そうとしているように思えてならない。 その力にあがらわず、床に倒れて寝転びたい誘惑から必死に耐える。久方ぶりの標準重力は、身も心も疲れ果てさせていた。 レイチェルは諦め半分でもう一度、電話番号にあの数字と符合するものはないか、電脳に調べさせた。 検索が始まり、目まぐるしいスピードで画面が変わる。だが、答えは同じだった。該当無し………何度やっても同じ答えしか返ってこなかった。 「駄目よ………ないわ」 「じゃあ、名前は?」 シルキーに言われるまま、レジア、というあの紙片に書かれた名前も調べてみるが、答えは同じだった。該当者無し。 「納税者の方は?」 レイチェルは今までアクセスしていたのは、奴隷用のデータベースである。 「駄目よ。私達にはアクセスできないわ」 レイチェルはゆっくりと首を振る。奴隷である彼女等には、奴隷用のデータベースしか使えない。 レイチェルの顔が段々と哀しげな表情になってきた。レジアという者が納税者なら、彼女等が手出しをする事は出来ない。納税者は納税者にしか裁けないのである。 希望がドンドン消えて行く………彼女はそんな気分を味わっていた。希望が失せる悲しみというのは、寂寞感にも似て心を空虚にさせるものだった。希望が失せると同時に、不安感がそれに替わって台頭してくる。自分の推理は間違っていたのではないか、というあれだ。その二つが頭の中で渦を巻いてごっちゃになっている。 まるで素っ裸で吹雪の中に立たされているような気分だ。前も後ろも真白で、一歩でも動けば倒れてしまいそうだ。それに加え、寒い。吹雪が情容赦無く身体を打ち、温もりを奪い去って行く………夢も希望も………。 「ねぇ、ガイリィ様に頼んでみようよ」 シルキーが希望の光を灯してくれた。 「やってくれるかな………」 弱々しくレイチェルが言う。だが、それしか手が無いのは分かっていた。 「頼んでみれば、分かるわよ」 悪戯っぽく笑ってみせる。 (どうしてこんなに元気なのだろう………) とレイチェルはシルキーの顔を覗き込みながら思った。今は彼女の陽気さが、羨ましかった。 「あなた、お願いね」 とレイチェルはシルキーに頼む。自信というものが、すっかりなくなっていた。推理が間違っているかもしれないと思うだけで、ガイリィの前に立ってはいれない。肉体的な疲労は、彼女をドンドン弱気にさせてゆき、不安感を増大させていた。 「じゃあ、レジアがスパイだったら、私の手柄ね」 シルキーの言葉に、レイチェルはビクッと反応した。その言葉は彼女に火をつける。疲れというものを忘れさせる言葉だった。 「私が行くわ」 手のバンドを外し、レイチェルはスクッと立ち上がる。 まだ推理が間違っていたと決まったわけではないのだ。せっかくここまでガイリィに好印象を得ているのに、ここでシルキーに手柄を横取りされるのは気に食わなかった。あくまで推理は自分のものなのだ、という自負心が彼女を突き動かす。先までの疲労は何処へいったのやら、彼女はスタスタと軽快に歩を進め、部屋を出ていった。 「いってらっしゃーい!」 シルキーはしてやったりといわんばかりにニコニコとして、レイチェルの背に向かって手を振っていた。 ★ 「分かった、すぐに調べよう。すぐに分かるだろう。それより、公安からマキウムの自殺に関する調書を取り寄せておいたから、持って行き給え」 ガイリィは卓上の端末に顔を向けたまま、デスクの上の書類挟みをしめす。 「有難うございます」 レイチェルはペコッと頭を下げると、その青い書類挟みを手に取った。 彼女はホッと安心していた。こんなにも上首尾に事が運ぶなんて、思いもよらなかったからだ。 彼女はもう一度ペコリと頭を下げると、足取りも軽やかに出て行く。 「頑張ってな」 ガイリィは端末に向かったままだったが、出かけの彼女に声をかけた。 思いもよらぬ言葉にレイチェルは暫し呆然となる。納税者にこんな優しい言葉をかけられた事は、今まで無かった。しかも、アクティウム家の者に言われたのだ、驚くのも無理は無い。 「は、はい!」 上擦った声を張り上げ、レイチェルは両頬を真っ赤に染めながら、一気に外に出た。 嬉しかった。今の言葉は、ガイリィがまだ自分を信じてくれている、という証拠だ。間違いは無い。彼は彼女を信じてくれている。暗く澱んだ心の片隅に、光が差し込んでくるようだった。 レイチェルは有頂天になりながら、廊下を駆けていった。 ★ 「ふーん………この遺言、どこかの本から取ってきたようにカチッとして完成された文章ね。まるで実感がこもってないわ」 シルキーはガイリィのくれた調書の一枚をヒラヒラさせながら感想を述べる。 「そうね。しかも、服毒自殺なのに、毒の成分が不明だなんて………市販の薬を合成して作ったものらしいって書いてあるから、やっぱりこれは素人のやる事じゃないわね」 「ね、私の言った通り、彼は工作員だったのよ」 「いつ、そんなこと言ったのよ………最初に怪しいって睨んだのは私よ」 二人ともそんな話しをしていないのは重々承知の上である。単なる戯れの言葉だった。こうやって遊べられるほど、二人には余裕ができていた。ガイリィの協力が得られて、先行きに光明が差したせいであろう。表情にも明るさが見られた。 そんなこんなをやっているうちに、ファクシミリから一枚の紙が吐き出される。二人は近寄り、頭をくっ付け合って覗き込んだ。 レジアに関する情報だった。ガイリィが調べてくれたやつである。やっぱりレジアは納税者だったのだ。 「防衛隊の工兵のお偉いさんか………兵站部の大佐ね……マキウムの上司になるわけね」 とレイチェルは内容を読みながら呟く。 「これじゃ、私達では手を出せれないわね。それに上司なら、電話番号を持っていても不思議じゃないし………」 「あら、そうかしら。納税者が奴隷に自宅の電話番号を教える?」 レイチェルは皮肉げな視線でシルキーを見やる。久しぶりにシルキーの揚げ足を取れてここぞとばかりに攻撃したのだが、シルキーは彼女の期待に反して、シラッと自分の間違いを認めた。 「そうね。そう言われてみれば変よね。それに、二人の間の階級差がありすぎるわ。普通の奴隷なら、死ぬまでに一目でもお目にかかれるかっていう高官だものね」 「それじゃ、この二人の間には、何か特別な関係があった………」 グイッと顎を引き、低い声でレイチェルは言う。希望の光がサアーッと音を立てて差し込んできた。事件が解決される希望が見え始める。 だが、 「私達じゃ捜査は出来ないわよ………納税者には………奴隷だもの………」 ★ 「残念だが、私の本来の役目は、今回の事件に関する公安の仕事振りを監査する事だけなのだよ。種の行方を追ってくれと仰々しく言ったが、今君等にやらせている事は、私個人の好奇心を満足させるためにやらせているのであって、私には納税者に対する捜査権は無いのだ」 ガイリィが感情の無い表情のまま、淡々と語る。 彼の一言一言がレイチェルの胸を突き刺した。そのひと突きごとに、希望の光が消えてゆく。 「それでは………」 シルキーがおずおずと口を出す。 「残念だが、駄目だ。彼を尾行する事も、調査する事も、できない。一応、公安にはこの事を伝えておくがね。君達は君達なりに努力してくれ。きっと工作員は今回の作戦に奴隷を使っているだろう………君等はその奴隷を捜し、その方向から種の行方を追ってくれ………そういえば、あの日、マキウムとコンビを組んでいた整備兵がもう一人いただろう。彼を調べてみたまえ」 ★ 「あーあ、捜査、行き詰まっちゃった。マキウムが怪しいのは確実よ。その彼が残してくれた唯一の手掛かりも………あーあ………」 部屋に入るなり、シルキーが愚痴をこぼす。 「コウロという、もう一人の手掛かりがあるじゃない」 レイチェルはガイリィに言われたもう一人の整備兵の名を調べながら、シルキーをたしなめる。しかし、彼女の心境とてシルキーのと変わりはない。どうみてもマキウムが怪しいのは確かな事であり、その彼が手掛かりを残してくれていたというのに………せっかくの手掛かりも彼女等の手を離れてしまった。 (所詮、奴隷が手柄を上げるのは無理だったのだ………) と思い始めていた。 美味しいところは常に納税者が持って行ってしまうのだ。奴隷はこき使われるだけである。 諦めが心中に蔓延する。夢や希望は虚しく瓦解していた。 「でも、一人一人バラバラで整備していれば、彼はマキウムが何をしていたのか知らないと思うよ」 「そうだけど、整備って必ず二人一組でやるじゃない。ここでも同じだと思うけど………」 レイチェルは力無く言う。もう、どうでもいいような気がしてきた。シルキーに対して反論しているのは、惰性に過ぎない。 「それじゃ、彼はあの日、マキウムが種を拾った事を知っていながら、公安に報告していないというわけ?彼も共犯なの?」 信じられぬという口調でシルキーは言う。 レイチェルだってシルキーと同じ思いだ。だが、根っからのシルキーへの反抗心が口を開かせる。 「それとも犯人はマキウムじゃなくて、彼かもよ。種を拾っているところをマキウムに見つかって、口止めのためにマキウムを自殺に見せかけて殺したのかもよ」 レイチェルは気楽に思いついたまま喋る。希望の灯火が消えて気が楽になったのか、頭がよく回転した。ポンポンと口から飛び出る。 だが、シルキーはその話しを聞くと黙りこくって考え込んでしまった。レイチェルの思い付きを真に受けているようだ。 「うん、素晴らしい推理ね。そうだわ、きっとそうに違いない」 「………」 レイチェルは絶句した。 「どうしたの?」 表情を強張らして沈黙しきっているレイチェルを、シルキーは心配そうに覗き込んだ。 レイチェルはその澄み切った青い瞳を不安げに動かし、シルキーの茶色い瞳に見据えた。 「ねぇ、もしかしたら私達、まったく違う方向に進んでいるかもよ。マキウムの自殺は偶然で、種を拾ったのはまったくの別人かもよ」 レイチェルは諭すように言うが、シルキーの耳には入らなかった。 「そんなこと考えないの」 と言い、レイチェルの背中を元気よくバシバシと叩いた。 「私達は正しい方向へ進んでいるのよ。そう信じなさいって」 「ええ………」 力無く答えるが、シルキーの言う事を素直に信じられない。考えれば考えるほど、自分が間違っているように思えてくるのだ。シルキーみたいに楽天的に決断を下す事は出来なかった。 「さ、今日はもう遅いわ。寝ましょう。朝から、そのコウロという男を調べてみようよ。明日は安息日だから、きっと何かあるわよ」 「うん………」 レイチェルはますます不安になってゆく自分を感じていた。
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