3. さっそく、レイチェルとシルキーの奴隷コンビは捜査を開始した。 まず手始めに、レイチェルの推理をもう少し掘り下げ、種を投げたであろう方向を特定する。そして、その落下点であろう場所へ向かった。 研究所の外に出て、ガイリィの好意により、車でグルッと塀沿いに研究所を半周した。だいたい目的地に近付いたところでレイチェルとシルキーは車を降り、何か手掛かりは残っていないかと探し回った。白く巨大な塀の近くから始まり、研究所を囲む林の中まで入って行く。 しかし、何一つ手掛かりは残っていなかった。柔らかな黒土の上には、足跡一つ残ってはいない。 それでも、レイチェルとシルキーの二人は僅かな希望を胸に抱き、ほんのひと踏みだけの足跡でも残っていやしまいかと、手入れの行き届いた林の中を、顔を地面にくっつけんばかりに身を屈めて歩き回った。 「なーんにもないわね」 とシルキーがぼやく。 「あたりまえよ。この警戒厳重なここへ入り込むぐらいだもの、そう簡単には証拠は残さないわよ」 レイチェルがたしなめる。彼女はひと時たりとて腰を浮かさないし、足を止めたりはしない。黙々と捜し続けていた。 「そうね………」 呟きつつ、シルキーは背を伸ばした。バキバキと腰が音を立てる。 「あーあ。この体勢は辛いわね。久しぶりの標準重力だっていうのに、いきなりこんな姿勢で歩き回らせるんだから………」 腰を両手でポンポンと叩きながら、皮肉げな視線を黙々と働くレイチェルに向ける。 「ぼやく暇があったら、地面に目玉を落すぐらい捜しな」 レイチェルが顔も上げずに切り返す。 レイチェルは心配になってきた。もしかしたら、自分の推理が間違っていたのではないか、と思えてくるのだ。 とにかくガイリィにだけでも認めてもらいたくて、深く考えもせずに口にしてしまったのが失敗のように思えてきた。もう少し掘り下げてから発言すれば良かったのである。ただ、シルキーに負けたくない、先手を取られたくない、と焦って口を滑らしてしまったのだ………とりあえずガイリィは認めてくれたが、こんなに何も手掛かりがないとなると……。 レイチェルは軽く頭を振り、不安を追い払う。今は自分の推理を信じるしかない。 (信じて捜し回るのだ………) そう自分に言い聞かせ、捜し続けた。 「はい、はい」 気乗りしない調子でシルキーは答え、せめてもう一度とばかりに背伸びする。そして、名残り惜しげに周囲を見回した。 「あら………戦闘機械がアチコチにあるのね………」 「え?………」 レイチェルも背を伸ばし、周囲に目をやる。確かに迷彩色の小岩のような戦闘機械が、木々の隙間にチラホラと見えていた。 下の方にばかり気をとられていて、こんなに戦闘機械があったとは気付きもしなかった。見れば、十数機の戦闘機械が彼女等を取り囲むように置いてある。 この位置から見る限り、森林用の迷彩は滑稽なほど役に立っていなかった。スラリと伸びた黒い幹………下生えのまったくない黒土………そんな黒の支配する世界で、緑の迷彩は逆に浮かび上がって見える。 黒のスクリーンに浮かび上がる緑の迷彩が、天井の枝葉の木漏れ日を受け、輝いて見えた。 (?!………) 緑の光が彼女に何かを囁きかけていた。標準重力下での身体の痛みと共に、光りは何かを訴えてくる。 レイチェルは緑の光に見入られて行く。 光をもっとよく見ようと、腰を軽く捻った。それと共に、ジーンと全身を爽快感にも似た痛感が貫く。 「あっ!」 小さな驚きの声を漏らす。無理な姿勢から解放された全身の喜びが、彼女の脳を活性化させたのか、頭の中でパッと閃くものがあった。 「もしかしたら、種を外で受け取ったのは、この戦闘機械の整備士かもよ」 レイチェルは緑の光に見入られたように、その方を向いたまま呟いた。 「そうね………投げた方向はだいたいここいらだから、あとは4日前にこの地区のメンテナンスをした者を調べればいいわね」 シルキーは少し考えてから、相槌を打った。 「それに、腰も悲鳴を上げているしね」 ポンポンと腰を叩きながら、シルキーは片目を瞑ってみせる。どうやら、こちらが本音のようだ。レイチェルの考えを全面的に受け入れたわけではない。もう、地面に這いつくばっての捜査は嫌になったのだろう。楽そうな方へ、飛び付いただけなのだ。 「そうしようか………」 レイチェルも頬を緩めてみせる。彼女もこりごりだった。今まで、ほとんど無重力下で生活してきた身体にとって、この標準重力はただでさえ辛い。それなのに身を屈めて歩き回っていたのだ。拷問を受けているにも等しかった。彼女もシルキーと同じように、この捜査は限界に達していた。 「そうしようよ、ね」 シルキーはレイチェルの答えを聞くと、顔を輝かして、そそくさと立ち去ってしまった。 ★ 「なるほど………いいところに気付いたな」 塀沿いに停められた車の中で待っていたガイリィは、二人の話しを聞くと賛辞の言葉を呟いた。 レイチェルはホッと一安心する。まだガイリィは彼女を信じてくれている………その確認が出来て嬉しかった。ただ、先行きは依然として不透明である。喜びの次には、不安の嵐が彼女を待ち受けていた。 「少し待っていてくれ。その日にメンテナンスをしていた者を調べるから………」 ガイリィは車に備え付けの端末に向かう。 シルキーとレイチェルは彼の前のシートに座り、彼の仕事を見守った。 静寂の中に、キーを叩く音だけが、ポツンポツンと泡の如く生まれては消える。 レイチェルはまた不安になってきた。本当に自分の推理が当たっているのか疑わしい………考え直してみると、まったくといってもいいほど論拠の無い推理だった。当てずっぽうだ。それを証拠付けるように、ここには何も手掛かりが無かったではないか。捜査をすればするほど、不安は増長されるばかりだ。ガイリィにさえ認められれば良いと思い口走ってしまったが、その彼が間違いに気付いたら………と思うと、冷汗が滲み出てくる。だが、今更後悔したところで、遅すぎる。もう、なるようにしかならない。 レイチェルは、蒼褪めた顔でガイリィの仕事を見守った。 答えは早かった。小さなファクシミリから、大きな紙が吐き出される。 ガイリィはそれを手に取り、暫し眺めていた。 「その日の、この地区の担当は………マキウムとコロウか。マキウム………死亡………それも2日前か………自殺………」 ガイリィの呟きが聞える。二人は緊張しながら、彼の次ぎの言葉を待った。 言葉の前に、彼はいきなり持っていた紙を二人の方へ突き付けた。 「二人で、この自殺したマキウムという男の部屋を調べてみてくれ」 「はい」 二人は同時に答え、紙を受け取る。紙が二人の力で、ピンと張った。 ★ レイチェルとシルキーは研究所でガイリィと別れ、タクシーでマキウムの部屋へ向かった。 マキウムの部屋は、連合内のコロニーなら何処ででも見られる、奴隷専用集合住宅であった。灰色一色で陰気臭いコンクリートの塊だ。 タクシーの運転手が奴隷で、この居住区に詳しい人物だったから良かったものの、彼女等だけなら一日かかってもマキウムの部屋のある棟を見付ける事は出来なかったであろう。それほど狭い区画に、折り重なるように集合住宅がかたまっていた。まるで迷宮である。 二人は車をそこに待たせ、マキウムの部屋のある棟に入る。 レイチェルはコンクリート剥き出しの小汚い階段を昇る手前で立ち止まった。向こうに………3重の金網の向こうに、納税者の住宅が見えていた。広大な敷地で、あふれんばかりの緑の中に、ポツンと一軒家が建っているだけだった。納税者なら誰でもこのぐらいの住宅を持っているが………レイチェルは小汚く雑然とした奴隷専用の集合住宅と比べ、納税者生活への憧れを強く感じた。いつかは自分もあのような生活に………という泡のような夢を見る。しかし、いつもなら夢は夢で終ってしまうのに、今回は違う。今回は夢が現実に近付こうとしているのである。この捜査が成功裡に終れば、夢は叶えられるのだ。 しかしながら、自分の推理への不安は、まだ根強くある。だが、ガイリィがまだ彼女を信じてくれているのは間違いない。という事は、推理は正しいのかもしれない、と思えなくもなかった。 (ガイリィ様ほどの御方が、信じてくれているのだから………) レイチェルは妄信的にそう思い、自分を安心させる。推理が真実を言い当てている事を頑なに信じ、心を希望ではちきれんばかりにした。そうすれば不安を忘れていられると思ったのだが、一歩埃がこびりついた階段に足を出した瞬間、希望や信念はまた不安の嵐に呑み込まれてしまった。 レイチェルは溜息をつきつつ、先を進むシルキーの後を追った。 この棟の管理人は、無愛想な30代の男奴隷だった。 身体が何処か悪いのかと思えるくらい青白い顔をしているくせに、目だけはギラギラと光り輝き、この男に残された卑猥な精力を見せ付けていた。その目が、連合宇宙軍のぼったりとした制服に身を包む彼女等の身体を舐め回すように動いている。制服の下を見透かそうとしているみたいだった。 レイチェルとシルキーはその視線にゾクッと身体を震わせながら、さっさと用件を済ました。ガイリィの名を使い、強制的にマキウムの部屋の扉を開けさせる。管理人は渋々ながらも、管理人室の操作卓から扉を開けてくれた。 「ありがとう」 とシルキーが管理人室を立ち去る間際に、彼女が誰にも使う微笑と共に礼を言う。 男はその言葉に動揺したのか、いきなりブッキラボウな口調ながらも喋り出した。 「今更調べても、何も出てこないぜ。自殺の翌日に公安の連中が来て、部屋中散らかしていったからな………」 二人はその言葉に驚き、立ち止まった。 「ここの公安は自殺の場合でも捜査するの?」 レイチェルは飛びかからんばかりに、にじり寄って聞く。もしかすると手掛かりを先に公安に見付けられているかもしれない………そうなれば、彼女の捜査は意味が無くなり、夢は藻屑と化してしまう。 「ここでは、死亡の原因をハッキリさせるために、明らかに自殺の場合でも、捜査するんだ………特殊な場所だからな………」 管理人はレイチェルの気迫に押され、怖気るように一歩退き答えた。 「そう。ありがとう………」 レイチェルはホッと息を吐いた。どうやら公安はマキウムが怪しいと睨んで、捜査したわけではないようだ。まだ、希望はもてる。推理が根本から間違っていなければ、だが。 二人は管理人室を去り、一階にあるマキウムの部屋に入った。 さすがはアクティウム一族の支配するコロニーで働く奴隷だけあって生活面でも優遇されているのか、マキウムの部屋は個室だった。 カーテンが架かっていて、外は真昼間なのに、真っ暗である。 二人はとりあえず、電灯のスイッチを捜した。 「彼が怪しい、て先に公安が気付いたかと思ったけど、そうじゃなかったようね」 シルキーが暗闇の中から話し掛けてくる。すぐ近くで声が聞えるが、実体が見えないため、暗闇に話しかけられているようで薄気味悪い。ただでさえ、シルキーの話しは彼女をドキッとさせるのに………。 「分かっていれば、4日間も研究所でたむろなんかしないわよ。最初から薄々察しがついていたけど、通常の手続きだったみたいね」 強がって言う。表情を見られれば、長年の付き合いでシルキーはすぐに彼女の心の内を読んでしまう。顔を見られない暗闇だからこそ、レイチェルは強がってみせた。 だが、 「ホッとした?」 見事内心を突かれてしまう。まるで、間近で顔を覗かれているみたいだ。 「………なんで?………」 どぎまぎしながらも、平静さを装って答えた。 「公安に一歩先を行かれているんじゃないかと、思ったんじゃない?」 声の中にからかうような調子が混じっていた。 「まさか………あっ、見つけたよ、スイッチ………」 確かにシルキーの言う通りだった。彼女は的確にレイチェルの心中を見透かしている。だが、レイチェルは認めたくなかった。彼女に弱みは見せたくなかった。あくまでも、優位に立っていたかったのだ。精神面においても………常にシルキーよりも大人ぶっていたかったのだ。シルキーよりも自分は優れていると思う事で、優越感を味わっていたかったのである。そのためには、心の動きを読まれてはならないのだ。 電灯が点く。 二人とも呆然となった。 部屋の中は滅茶苦茶だった。部屋中の全ての物が床にぶちまけられ、足の踏み場もない。まるでごみ捨て場にいるようだ。どうやれば、こうなるのか………二人はただ呆気にとられるばかりであった。 「これは、酷い。地球の泥棒でも、こんな事はしなかったよね………」 シルキーが同意を求めるように呟く。 レイチェルはそれに答えず、なるべくゴミの山を踏まぬようにソロソロと中へ入って行った。 「公安というのは、たちが悪いね」 シルキーがレイチェルの後ろにつきながらボヤく。 「奴隷相手だからでしょう。納税者にはこんな事はしないんじゃない?」 「そうね………奴隷だものね………」 シルキーの声は哀しげな色を帯びていた。自分達の立場について、改めて感じ入っているようである。 「さ、仕事、しごと………」 レイチェルはシルキーの感傷を無視し、手近の物を拾い上げ調べ始めた。彼女にはそんな事で、しみじみと考えている暇はない。夢が、このゴミの山に埋まっているかもしれないのだから。 レイチェルはせっせと山堀にかかった。 ★ 二人はひっくり返されたベッドの上に腰掛け、嵐にでも直撃されたような部屋を見渡していた。両者の表情は疲れ切っていて、虚ろに動く視線には力がなかった。 あれから、公安と同じように室内を掻き回して調べてみたのだが、捜査の発展に寄与するものは何一つとして出てこなかった。捜査に最も重要なアドレスや日記の類は、公安が持っていってしまったらしく、何も残っていない。 「変ね」 ボソッとシルキーが呟く。その茶色の瞳は力無く、薄汚れた白壁をぼんやりと見続けていた。 「何が?」 疲れ切った声でレイチェルが答える。手掛かりが出てこないので、少々語気が投げやり気味だった。 「生活感がないのよね。人が住んでいた、という感じがしないのよ」 まだ壁を見続けている。まるで壁に話しかけているようだ。 「この雰囲気のせいじゃない。この廃屋みたいな………」 「いや、違う………あまりにも、普通の人が、普通に暮らしていますっていうように物が揃えられている………」 「気のせいよ」 「そうかな………まるで、始めから自殺覚悟で生活していたみたいに見えるんだけど……」 「気のせいだって!」 強く否定するが、心の奥底にはわだかまりがあった。シルキーの言っている事に真実が含まれているのではないか………と思えなくもないからだ。しかし、シルキーの考えを素直に受け入れるほど、レイチェルは素直ではない。シルキーの言葉………というだけで拒絶反応を起こす彼女だ。逆に、自分を納得させるため、シルキーとは別の説を考え始めていた。 (なんで死ななければならなかったの?………) その点が、レイチェルの心に引っ掛かっていた。工作員として用済みなったから死んだのか?もう仕事がないから?下手に生きていると、仲間に迷惑がかかるから?自分が死ぬ事で、他の者の命を救う………レイチェルには偽善としか思えなかった。納税者にむりやり強要されても、自分なら自殺はできまい、と思う。自殺なんて、そう簡単に出来るものではない。 (では、マキウムは何故自殺したの?………) レイチェルは、ハァーっと長い息を吐く。また、推理が間違っていたのではないか、という不安が復活してきた。マキウムの自殺は偶然この時期に起こったもので、彼は今回の事件とは関係がないのではないか。 (そうなれば………) ブルッとレイチェルは身体を震わせる。誰にだって間違いはあるが、この間違いが確定的になれば、もう二度と夢を叶える事なんて出来ないだろう。納税者は一度失敗した奴隷を、二度と信じはしない………。折角のチャンスが無に帰していく音が聞えてくるようだった。 彼女の前には、斜めに倒された机の抽斗が、真っ黒な口をぽかんと開けていた。抽斗自体は、ゴミの山の下にある。まるで目玉を抉り出された眼窩のように、ポックリと黒い窪みが口を開けている。 その穴は彼女の今の心境を良く現していた。 つい、その穴へ視線を固定してしまう。 カーテンから漏れている擬似太陽の陽光が、その虚空の中へと吸い込まれていった。 「えっ!?」 レイチェルは突然立ち上がり、ゴミの山を踏み潰すのも気にせずに、机に向かって一気に駆け寄る。バキバキバキと足元で派手な音がするが、まったく気にしない。憑物でもついたのかの如き強張った面持ちで机に近寄ると、その抽斗の口へ目掛け右手を突っ込む。 ゴソッと音がし、ゆっくりと彼女の手が引き出された。彼女の真白でほっそりとした指先に一枚の折り畳まれ黄ばんだ紙が挟まっていた。 「どうしたの?」 レイチェルのタダならぬ様子に驚きつつ、シルキーが彼女の後ろに立ち覗き込む。 レイチェルはそれに答えず、黄ばんだ紙に付いた埃を払い、ゆっくりと紙を広げた。 「レジア………02−42654………」 「電話番号ね………やったわね、レイチェル。公安も見付けられなかったものを、見付けるなんて………」 シルキーはポンとレイチェルの肩を叩き、複雑な笑顔を見せる。 レイチェルは顔を伏せたまま、ニンマリとしていた。夢が一歩一歩現実に近付いていた。その足音が聞えてくる。 「でも、単なる友人の電話番号かもよ………」 シルキーが喜びに水を差す。 「調べてみようよ。これしか手掛かりはないんだから」 力を込めてレイチェルは言い返す。キッと上げられた白く小さな顔は、熱意を帯びて光り輝いていた。 「そうね………なにもないしね………」 シルキーは肩を竦める。力無く笑っていた。 レイチェルは紙を強く握る。期待を込めていた。この一片の紙が、彼女の人生を大きく変えるきっかけになることを。
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