10. 「大丈夫?」 シルキーがベッドの横に立ち、レイチェルの顔を覗きながら聞く。心配げな顔をしていた。 ここはアルレイド号の奴隷用船室。レイチェルとシルキーの寝床だ。あのあとガイリィ等はレイチェルの治療のため、コロニーに接近してきているアルレイド号にすぐに乗り移ったのである。そして船は一行を乗せるや否やレイチナWを離れ、ガイリィの母星である火星へ向かった。 レイチェルはバンソコウだらけの顔でシルキーの顔を見るなり、嫌そうな顔をした。ここはレイチェルの船室であると同時にシルキーの船室でもあるので、彼女がここにいても文句は言えないのだが、こんな惨めな姿を晒し続けたくはなかった。しかも情けない事に、助け出された時シルキーの顔を見るなり泣き出してしまった。今思い出しても恥ずかしかった。シルキーは気付いていないかもしれないが、レイチェルにとってそれは恥辱だった。シルキーにだけは泣き顔を見せまいと常々思っていたのに………。 レイチェルはバンソコウの下を真っ赤に染めながら、シルキーの隣に立っているガイリィの方を見る。たかが一介の奴隷を心配してこんなところにまで来てくれるなんて、感激すべき事なのだろうが今のレイチェルの心は冷めきっていた。 「助けていただいて、有難うございます。ガイリィ様」 レイチェルは動かすのもままならぬ口をやっと動かし礼を述べる。今まで気絶していてガイリィに礼を言っていなかったのだ。だが、この言葉は次の言葉へのきっかけにすぎない。 レイチェルは苦労して口を開き、つかさず話しを続けた。 「………しかし、どうして私を、あんな大金を払ってまで助けてくれたんですか?」 失礼に当たるとは分かっていても、どうしてもガイリィがこの場にいるうちに質問しておきたかった。今の機会を逃せば、二度とガイリィに会えないのではないかと思えたからだ。火星に着くまでの4日間でレイチェルがベッドから起き上がれるようになるとは思えない。彼が来ている今が、唯一のチャンスだった。これでガイリィが機嫌を損ねても構わない。心の中にわだかるものを、吐き出しておきたかった。真実の一片でもいいから、知っておきたかったのだ。 「君達が、私のため………いや、アクティウム家のために働いてくれたからさ」 ガイリィが静かに言う。しかし、予め用意しておいた言葉のようにレイチェルの耳には聞えた。 「それだけですか?」 レイチェルは食い下がる。 「それだけだ………」 「………そうですか………」 レイチェルは呟くように言うと、ゆっくりと目を閉じた。このまま話し合っても、ガイリィからは何も引き出せないのは明白だった。戦術を変えねばならない。 しばし静寂が流れた。 「ところで、レジアはどうなりました?」 レイチェルは目を開き、静かに言う。 「公安に捜査を頼んでおいたよ」 「そうですね………あなたも大変ですね。自分の有力な部下を失うかもしれなくて………」 ガイリィを見詰めた。 「何を言うかね………」 声は落ち着いていたが、見返す視線は鋭かった。 「ジィジレは死ぬ間際に言ってましたよ。コウロはお前のせいで死ななければならなかった………とね。コウロが怪しいと睨んでいたのは、私達だけです。そして、私達がコウロの捜査をおこなっていることを知っていたのは、あなただけです。喫茶店でコウロはレジアと一回だけ接触しています。そのとき、紙切れを渡しましたが、問題は紙ではなく、その中に入っていたものなのです」 一息おく。 「その中には毒薬が含まれていたのです。そして、レジアは私達が尾行する前にそれを用意し、彼に渡した………私達が種の持ち出し方を当てなければ、コウロは死ぬ必要がなかったのです。そのために、犯行に気付いたマキウムを自殺に見せかけて、殺したりもしたのですから………更に、ジィジレは私が彼のところへ行くのを知っていた。………それらすべてを………私達の行動のすべてを知っていたのは、あなたしかいないのです。あなたが………」 「ハッ!そんな根拠もない推理をして………錯乱したな!」 レイチェルの言葉を遮るようにガイリィが大声を張り上げる。いつもの落ち着いた彼らしくない態度だった。 だが、レイチェルも負けていない。 「何のために種を持ち出そうとしたのですか?種が無くなったのを公安のせいにして、ここの公安を乗っ取ろうとでも………」 語気を強くしてレイチェルは問い詰める。痛む上体を跳ね起こし、食って掛かった。 シルキーが慌てて、身体全体でレイチェルをベッドに捻じ伏せた。 レイチェルはそのショックで痛みが復活したのか、顔をしかめ口をつぐむ。 「ゆっくりと休み給え………」 レイチェルがこれ以上喋れなくなったのを確認すると、ガイリィは踵を返して出て行く。 「私の戦闘艇に積み込まれていたミサイルはどうなったのですか?」 突然シルキーが喋り出した。 ガイリィは扉の前で立ち止まる。 「この船の核ミサイルが一基無くなっているんです。戦術核ですけれど、コロニー内で爆発させれば………閉環境ですから、全滅ですね」 シルキーは立ち上がり、鋭い視線でガイリィの背を睨んだ。 あの震えが、戻ってくる。 ガイリィに銃を向けた時の。 でも、彼女は、また気力を振り絞る。 背中を見せたまま、ガイリィはピクリとも動かない。 ガイリィは二人の視線を背にし、暫し彫刻のようになっていた。 やがて、ポツリポツリと背中越しにガイリィの声が二人の耳に入ってきた。小さな声だが、力強い響きがあった。 「………科学界ではここ20年ばかり新発見がない。30代40代のもっとも脂ののった世代の学者の論文が出てこないのだ。学会を牛耳っている老人達が、自分等の存在を脅かす若い芽を摘み取っているからなのだ。政界においてもしかり………自分等だけのルールをつくって、若い人が入ってこれないようにしている。人類が社会を営み始めた大昔から今日まで、ずっと老人支配が続いているが、寿命延長剤が出るまではせいぜい生きて80年だったのでトップの挿げ替えはスムーズに行われてきた。だが、今では200歳まで生きられる………彼等は暇を持て余しているにもかかわらず、新しい試みをしようともしない。それなのに、自分達の支配を永遠のものにすべく、自己保身のためだけに動く。世界は澱みきっている。………人間にこの薬は必要ないのだ。人間は50年………いや、40年生きられればいいのだ。それまでに人生を享楽できない人間は、そこで諦めればいい。どのみち、そんなヤツは千年生きようと人生の意味を悟る事はないのだから………人間なんて………」 ガイリィは出ていった。 レイチェルとシルキーは呆然と閉じた扉を見詰めていた。 「フフフ………」 レイチェルが笑い出す。すぐにケラケラと高笑いに変わった。もう、彼女にとって、手柄も何もかもどうでもいいことだった。すべてが見えたのだ。すべてが………。 「ど、どうしたのよ?」 と心配そうにシルキーはレイチェルを見る。レイチェルが気でも狂ったのかと思っているようだ。 フッと息を吐き、レイチェルは笑いを止め、真顔に戻る。そして、シルキーの方に首を回した。 「ね、私達って何のために生きているの?」 とレイチェルは訊いた。
− 終 −
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