1. 連合宇宙軍巡宙艦アルレイド号は、真っ赤に輝く火星を背にし、核融合エンジンから吐き出されたきらきら光るガスを棚引きながら虚空を突き進んでいた。 順調な航海だった。 だが、目的地が何処かは、一部の者以外には知らされていない。目的地を明らかにしないのは、いつもの事だったが、今回はいつにもましてその秘密が堅く守られている。いつもなら、口の軽いブリッジ要員がつい口を滑らし、瞬く間に艦内に広まってしまうものだが、今回はそのブリッジ要員までもが堅く口を閉ざしていた。 ただ、艦の進行方向と加速の仕方から、どうやら地球方面に向かっている事だけは誰にも察しがついた。しかし、一口に地球といってもその範囲は広い。地球本体を始めとし、衛星である月や、その同一軌道を回る百余りのコロニー群まで、候補地は多かった。 だが、この限定された範囲内での、不確定さが絶好の娯楽を与える事になったのである。乗組員は退屈な航宙の息抜きとして、これ幸いとばかりに目的地当ての賭博をはじめたのだ。これが乗員の間で大当たりし、爆発的な人気を呼んで艦内中に広まって行くにはたいして時間はかからなかった。今や艦内何処へ行っても、この話題で議論を白熱させる乗員達の姿を見る事ができる。 ここ第四格納庫に繋留される第四戦闘艇内でも状況は同じだった。 艇の球状の船首部分にあるブリッジで、定期点検作業を行っていた4人の乗組員も、単調な作業に飽き、いつの間にか例の話題に花を咲かせていた。 「だから、艇長………さっきから言っているとおり、火星でお客さんを乗せてから加速したんですから、目的地は月の中央本部ですって!」 短く刈り込んだ金髪の少年が、狭い自席で身を捩って後ろを振り向く。そして、すぐ後ろの一段高くなった操作卓についている艇長に向かって、ニッコリと笑ってみせた。余程自説に自信があるのだろう、余裕が伺える。 微笑みかけられたレイチェルは、表情を変えずに少年を見下ろしていた。 少年の笑顔は彼の若さを十二分に発揮していた。彼はまだ14歳なのだ………だからといって連合宇宙軍の中でとりわけ若い、という訳ではない。彼の隣の操作卓に埋もれるようにして座る少女は、もっと若い。 「私もそう思います。艦長がこんなカモだらけの宙域で、輸送船団を捕まえもせずに地球へ向かうには、きっと火星で乗せたお客さんがお偉いさんで、その人を中央本部にまで運ぶ役目を授かったからだと思います」 少年の隣に座る少女は、シートベルトを外して無重力にフワッと浮き、椅子の上まで顔を上げてから、レイチェルの方を向いた。頬を上気させながら、熱心に発言する。ポッと赤く染まった頬が、丸みを帯びた幼顔の中で輝いて見えた。 (可愛い………) レイチェルは少女を見てそう思う。彼女にとって、彼等の若くそれ故思慮のない考察などどうでもいいことだった。彼女の興味はもっぱら少女の愛らしさ、歳相応の可愛らしさに向けられている。 レイチェルもポッと頬を染めた。ムズムズする欲望が、胸中で疼き始める。 (いけない………) 抑止を求める声が囁く。年下の少女を見て可愛いなんて思うのは、自分が歳をとった事を認めてしまう事に他ならない………まだ、17歳なのに、百歳を超える老婆みたいな欲求に突き動かされるとは………情けない………と反省する。まだ自分は若いのだから、こんな少女に性欲を感じるなんて………と自分を戒めた。 だが、少女のキラキラ輝く瞳は、レイチェルの心を捉えて離さなかった。心の奥底の欲望がくすぐられる。少女を今すぐにでも抱き締めて、愛撫したい………という欲望がドンドン大きくなった。 レイチェルは抱き締めるかわりに、少々鋭さのある視線で少女を見詰めた。透き通るような青い瞳は、貪欲に少女の顔をまさぐる。 少女はレイチェルの視線の奥底に潜むものに気付いたのか、顔を赤らめ俯きながらシートの陰に隠れてしまった。その瞬間レイチェルは決意した。納税者のジジイ連中によって、彼女の清らかな身体が汚される前に、自分が戴こうと。そう決意すると、心が騒ぎ、ワクワクするのを抑えられなかった。この手の欲望は、一度抑止力が決壊するととめどもなくあふれ出て、手が付けられなくなる。もうすでにレイチェルは頭の中で、少女の若く清らかで張りのある肌を愛撫し、満悦していた。 「艇長、通話です」 レイチェルが空想の快楽に浸っているその横から、今まで会話に参加していなかった探知係の年配の部下が、ブッキラボウに言いレシーバーを投げてよこした。 レイチェルは夢心地を覚まされ、苦い顔をする。眼前に漂って来たレシーバーを舌打ちと共にサッと取ると、頭に被った。 (まあ、いい。楽しみは少し焦らされる方が、味わい深くなる………) ニンマリと口許を歪ませながら、レイチェルは通話を繋いだ。 「はい、レイチェルです………」 ★ レイチェルは戦闘艇のエアロックのハッチを開けた。 分厚い扉はゆっくりと横にスライドして行く。 向こうに薄暗いアクセスチューブの四角い通路が見え始める。艇のエアロックとアクセスチューブとの接合部に問題はないようだ。シューという空気漏れの音もしないし、気圧差による風もない。 格納庫は、戦闘艇や戦宙機のスクランブルに即応するため空気が入れられていない。そのため、戦闘艇への出入はこのアクセスチューブを使わねばならなかった。甚だ面倒だが、戦闘艦ゆえ仕方のない事だ。 レイチェルはエアロックの壁を蹴ってチューブ内へ飛び込む。ちょっと壁を蹴る力が強すぎたのか、周りの壁が風の如く流れて行く。 だが、彼女はそんな事を気にしていなかった。彼女の表情は、苦渋に満ちている。先の通話は、艦長からだった。すぐに艦長室に来るよう命じられたのだが、艦長室へ呼ばれるのは余り嬉しい事ではない。逆に生理的に怖気が走る。出来る事なら、あまり行きたくないところなのだが………。 「ハッ!」 危なかった。いつもより速く飛んでいる事を忘れ、危うく通路の終点であるハッチに頭をぶつけるところであった。 両手を伸ばし、ハッチの横の取っ手を掴む。次ぎに両足をハッチにつけ、足と手で慣性を打ち消した。だが、彼女の長い赤毛を、後ろで束ねて布で包んでおいた尻尾までは慣性を消せず、うねりながら彼女の背を叩いた。 「もう!………」 何度も背を打つ束に文句を吐きながら、レイチェルはハッチの横の開閉ノブを回した。ハッチがゆっくりと横にスライドする。 宇宙軍に入って7年目になるが、無重力で邪魔になる長い髪をショートにしようなどとは、一度も思った事はなかった。少々煩わしくても、絶対に切ろうなどとは思わない。彼女にとってこの長い髪は、彼女の存在そのものなのだ。地球のゴミ溜めで遊んでいたのを連合軍によって攫われて軍事奴隷としての教育を受けてから、今に至るまでのすべての思い出を髪は持っている。彼女の命の営みそのものなのだ。そんな髪を切ろうとは思わない。絶対に………。 レイチェルは布に巻かれた髪を優雅に棚引かせながら、ハッチの中へ飛び込んで行く。 エアロックを抜け、戦闘艇の乗組員や同じ格納庫内にある戦宙機のパイロットが待機する、今は誰もいないラウンジを通り、船体中央部へ行く通路に入る。船体を上下に貫く円筒形の通路の中央には2本のロープが円筒の中心軸沿いに走っていて、上へ向かうロープについているスティックを掴むと、船体中央部にまで行ける。レイチェルはスティックに掴まり、上へ上へと運ばれて行った。 しばらく昇ると、突然、開けた場所に出る。ここが船体中央部を貫く主通路である。ここも円筒形の通路だが、円筒の直径が先の通路の3倍もある広さだ。ここにも中心にスティック付きのロープが走っている。レイチェルは艦首方向へ向かうロープに移った。 アルレイド号は3つの部分からなっている。艦首のブリッジや航法管制装置等の船の頭脳がつまった司令部と、艦尾の核融合エンジン部、そして今彼女がいる居住部である。居住部の中心は2本の直径20m、全長30mの円筒形回転ドラムからなり、そこが船室になっていた。回転ドラムのまわりには4本の巨大なフレームと4基の巨大な格納庫がドラムを守るように配置され、レイチェルはその格納庫の一基から回転ドラムの主軸となっている主通路に出たのである。 ちょうど彼女が出た処は2つの回転ドラムの隙間であり、かつ上下左右に配置された格納庫の出入口にあたるところで、艦内でもっとも混雑しているところであった。 しかし、今日はやけに通路が広く見えた。レイチェルは首を回してまわりを見てみる。その訳が分かった。人出が少ないのである。彼女の前方にポツンと一人、そして後ろのズッと向こうに小さな人影らしきものが見える。それだけである。艦首方向から来る者は一人もいなかった。どうやら今回の航海は極秘任務だという噂もあながち嘘ではないようだ。こんなに空いている通路を見るのは久しぶりの事である。これでは臨戦体制と変わりはしない。 目的地に近付いた。レイチェルはスティックから手を離し、慣性で漂いながら、中心軸と垂直に走っているロープの方に移る。そこのスティックに掴まり、円筒の内壁へ向かう。向かう先にはポッカリと穴が大口を開けて、彼女を待ち受けていた。そこへ身体を捻って足から入る。穴の縁を抜けると、軽い重力を感じた。下には床がある。旨い具合に、床に描かれた幅の広い黄色いラインの上に着地する。彼女は、艦首側の回転ドラムの中に着いたのである。 上を見ると、彼女が入ってきた入り口は、前の方に移動していた。ドンドン向こうへ行き、上へ湾曲している天井に呑み込まれるようにして見えなくなった。彼女の居るところは回転ドラムの一番軸側………中心軸に一番近い層である。本当は天井が動いているのではなく、彼女の居る床が動いているのだ。回転ドラムは回転する事で内壁に擬似重力を発生させているのである。 彼女は黄色いラインの上から立ち退いた。あまりここでモタモタしていると、次ぎに天井の入り口がまた上にやって来た時に、誰かが降りてきて衝突するかもしれないからだ。そんな新兵みたいなヘマをやって、皆の笑いの種にされたくはなかった。ちなみに、主通路の方に出るには、別の場所から出るようになっている。ここは入口専用だ。 レイチェルは上へ向かって湾曲するだだっ広い空間を飛ぶように歩き、エレベーターホールへ向かった。これから下層へ………ドラムの外側へ下って行かなければならない。
回転ドラムの一番外側から二番目の層が艦長等納税者の居住区になっている。一番外側の層は、太陽風や直撃弾から居住区を守るため水槽になっていた。 この層はだいたい0.5Gの擬似重力が感じられ、生活するには快適な空間だ。 このブロックで、一番広い船室が艦長室である。 (この角を曲がると………) 艦長室への道順は、目を瞑っていても歩けるほど知り抜いていた。何度もそこへ呼ばれているからだ。何度も何度もそこへ呼ばれ、艦長の性の奴隷としてこき使われてきたのだ。今回も、きっと夜伽の相手をさせるために呼んだのだろう。 ムカムカと吐き気をもよおす。この見慣れた通路を見ていると、艦長の短く鄙猥な浅黒い四肢と、脂ぎったべとつく肌を思い出してしまう。あの東洋人独特の魚臭い匂い、そして性器から立ち昇る腐ったような性臭………精液の匂いと味、それにねちゃつく舌触り………それらがゴッタ煮になって彼女の脳髄を包んだ。 鳥肌が立つ。出来る事なら艦長室なぞに行きたくはないが、軍事奴隷である彼女の立場がそれを許さなかった。20年間税金を払って、自由と卵巣と子宮を取り戻さなければならないのである。20年間税金を払い続ければ、準納税者の身分がもらえて、納税者に比べれば色々と制限を受けるが、生殖の自由や、職業選択の自由、その他諸々の権利が認められるのである。奴隷という身分から抜け出る事が出来るのだ。あと12年………それまでは我慢しなければならなかった。そして、その間せめて、奴隷でありながらも快適な生活とよりよい地位を得るために、従順な性格を演じ、艦長のご機嫌とりをしなければならないのだ。 奴隷である事を表示する、額の小さな銀色のプレートに触る。これを付けられた時から、彼女の運命は定められてしまったのだ。それに逆らう事はできない。奴隷は奴隷なのだ。 意を決し、角を曲がる。 一人の少年兵が立っている扉が見えた。そこが、艦長室である。 「レイチェル、第4戦闘艇艇長です」 足を揃えて少年の前に立つ。 少年は立派な軍服に身を包んでいるが、中身は15歳の悪餓鬼だ。だが、彼は納税者だ。額にプレートが無い。 軍事奴隷であるレイチェルは彼に逆らう事は出来ない。彼女が艇長という高い地位にいて8年間も軍で働いていても、この軍に入って1年ちょっとの少年の方が上官なのである。奴隷である限り、レイチェルは彼よりも下の身分なのだ。 「ボディチェックを………」 レイチェルの身体を覗き込むように見てニタリと笑ったあと、少年は相好を崩し抱き付くように彼女の身体をまさぐった。 彼の手は、いやらしく彼女の身体を這う。 その小生意気な顔をぶん殴ってやりたい衝動を、レイチェルは必死に抑える。我慢し耐えた。ここで揉め事を起こしても何の得にもならない。ここで少年と揉めれば、一発で軍を放逐されるのは目に見えている。今更、あの小汚いゴミ溜めの地球に戻る気にはなれない。 (12年………) この言葉を希望の糧にして、ジッと耐えた。 少年は忙しく両手をレイチェルの身体の上に這わせている。だが、生憎今回は戦闘服の分厚いプラスチックの鎧を着けていたため、少年は満足すべき快楽を得る事は出来なかったようだ。憮然とした顔で彼女から離れ、暫く鋭い視線で睨んでいた。 「よし、入れ」 レイチェルは押しやるように扉の中に入れる。ボンという鈍い音がして、殴られたような痛みが背に走った。背中を蹴られたようだ。 ムカッと怒りが頂点に達するが、唇を噛んで耐える。 (あと12年………) あと12年経てば、こんな仕事を辞めて、自由に仕事を選べられる事が出来るのだ。という希望を胸に秘め、耐える。 レイチェルはヨロッと中へ入ると、ホッと息を吐く。とりあえず第一関門は突破した。しかし、この奥にはもっとねちっこい………。彼女は諦めたように息を吐くと、見慣れた室内を奥へと進んだ。 ここは玄関である。船室に玄関など贅沢の極みだが、ここにはまだまだ部屋がある。大理石張りの気泡風呂、キッチン、食堂、応接室、寝室、それに書斎まである。単艦で行動する事の多い巡宙艦の艦長ならではの贅沢であった。これに対し、艦尾側の回転ドラムにあるレイチェル等奴隷の船室は、この玄関ぐらいの広さに4人が詰め込まれているのである。戦闘艇の艇長という地位を得て初めてレイチェルは二人部屋を与えられたぐらいだ。納税者は外にいる少年兵でも個室を与えられているのに………。 レイチェルは艦長の贅沢や、納税者との差別については、憤りを感じなくなっていた。怒ってみたところで、どうにもならないのだ。奴隷は奴隷である。奴隷は、どんな事があろうと納税者にはなれないのである。奴隷には口はあるが、納税者のように声を発してはならないのである。黙して耐えるのも、奴隷の仕事だ。 奴隷に出来るのは、己の3代前の先祖を呪う事だけだ。3代前がちゃんと税金を払っていれば、今頃この部屋でのうのうとしていたのは彼女だったかもしれない………。 レイチェルは妄想を止め、現実に戻る。妄想の愚かさ、哀しさは嫌というほど経験している。現実をはっきりと見極め、前進していくしかない、と彼女は悟っていた。 (妄想は愚か者のする事だ………) 己の立場への諦めが、彼女を強くしていた。 レイチェルは奥へ進む。 応接室の入り口は開け放たれていた。その戸口のところにレイチェルと同じような服装の女性が、背を向けて立っている。 (あっ………) レイチェルは足を止めた。その女性の正体が分かった。同じ軍事奴隷である、第2戦闘艇艇長のシルキーだ。 (艦長はまた3Pをやらせるのか?………) レイチェルは立ち止まったまま勘繰る。たびたびそういう事があった。特に艦長はレイチェルとシルキーのレズプレイを見るのが好きで、二人を自室に呼んでは自分が満足した後、延々とレズプレイをやらせるのだ。 レイチェルはレズ自体は嫌いではなかった。男に抱かれるぐらいなら、同性のケツの穴を舐める方がマシだと思っている。しかし、相手がシルキーとなると話しは違ってくる。シルキーは彼女と同じ歳のくせに、やたらえばってああしろこうしろと命令してくるのだ。レイチェルはイニシアチブのとれないプレイは嫌いだった。とりわけ、このシルキーの命令に従うのは嫌だ。 戸口の女性が、レイチェルの方へクルッと振り向く。額を隠すような茶色い髪の中で、キラッと額のプレートが光る。面長の顔………お下げにした茶色の髪をレイチェルと同じように布に巻き、前に垂らしている。太い眉や、優しげに笑っている茶色の瞳………確かにシルキーだ。シルキー以外の何者でもない。 シルキーはレイチェルがこんなところで突っ立っているとは思ってもみなかったのだろう、ギョッと面喰った顔付きになる。だが、それも一瞬の事で、すぐにいつもの優しげに笑っている表情に戻った。 レイチェルはシルキーが本心から微笑んでいるのではない事をよく知っていたので、笑い返さなかった。逆に鋭い視線を送りながら、彼女の傍らを抜け応接室に入った。 「第4戦闘艇艇長レイチェル、ただ今………」 レイチェルの言葉が途切れる。そこに思いもかけぬ人物を見つけたのだ。 彼女はてっきり、艦長が一人で、この広大な応接室のソファーに座って彼女を待っているものだとばかり思っていた。だが、白いソファーには艦長と向かい合って座る、もう一人の男性がいたのである。 男は軍服姿ではないが、軍服に巻けず劣らずの服を着ている。歳は20代半ばぐらいだろうか、四角四面の顔の下にはガッチリした体格をもっていた。しかし、体格や服装以外に彼を引き立てているのは、右目の刀傷だった。額から頬にかけて、右目の上を通って眉を分断するその傷が、彼を厳しく見せている。右目は常に閉じられ、どうやら失明しているようだ。残った左目が………。 レイチェルは彼の左目が放つ、とても冷たい光に引かれた。思わず一歩前に出てしまう。彼女にとって、これほど人を引きつける目を見るのは始めてだった。何かしら魅力すら感じる。 ギョロッと船長が血走った目でレイチェルを睨みつけていた。 レイチェルはそれに気付き、慌ててシルキーの隣に立つ。だが、目は男に釘付けになっている。 どうやら今日はプレイをさせるために呼んだわけではないらしい。この青年の相手をする、という可能性はあるが………。そんな雰囲気ではないように思えた。 (この青年はいったい何者なのだろう?………) レイチェルは男への好奇心を募らせてゆく。 「ガイリィ様、彼女がレイチェルです。この二人を貴方様の従兵としてお使い下さい。何に使おうと、貴方様のご自由でございます」 黒ずんだ黄色い顔を脂でテカテカに光らせ、アキラ・イサン艦長は恭しく青年に向かって言う。ソファから身を起こし、細く嫌らしい目を更に細め、のっぺりとした顔を脂でテカテカに光らし、揉み手をせんばかりにへりくだっていた。完全に胡麻擦り状態である。きっと目の前の男が靴を舐めろと言えば、喜んでするに違いない。 レイチェルは艦長が犬のように這いつくばって青年の靴を舐めているシーンを想像し、復讐をした。艦長の虐待にいつも辛酸を舐めさせられている彼女にとって、これはまたとない仕返しとなった。嘲笑すら浮かんでくる。 (しかし、この男はそんなに偉い人なのか?………) 艦長の態度から、青年が艦長よりもずっと高位にある者であるのは分かった。そして、どうやら納税者の中でも高い地位をもつこの青年に、レイチェル等が従兵として仕える事も会話から分かる。ようするに彼女等は、護衛兼、小間使い兼、ベッドの玩具として艦長が青年に献上する女奴隷として選ばれたということだ。 レイチェルはそれを知ると少し気分が良くなった。自分が献上品としての器量を兼ね備えていると、艦長が認めてくれたからだ。 (だが、待てよ………) 反論する声があった。 もしかすると、自分は艦長にとって何処へやっても惜しくない人材なのかもしれない。自分はその程度の存在なのかもしれない………と思い始めると、今度は逆に腹が立ってきた。 しかし、どちらの立場に立っているにせよ、彼女には拒否権がないのだから、艦長の言葉を甘んじて受けるしかないのである。奴隷の彼女には、文句一つ言えない。喜んだり、怒ったりしても、結論は同じなのである。 (!………) レイチェルは身体を強張らせた。青年が突き刺すような冷たい視線を彼女の方に向けていたのだ。しかし、その黒い瞳には何の感情も表れていなかった。まるで壁や天井を見ているような、冷めた視線である。 「わたしがコロニーを出るまで、貸してくれるのだな?」 青年は目を艦長に戻しながら、確認を求める。彼の声はとても低かった。地の底から湧き上がってくるような声である。 「はい。どのみち私共は、貴方様を火星にまでお送りせねばなりませんので、どうぞ帰り道でも火星に着くまでご自由に………」 嫌らしい笑いが続いた。欲望剥き出しの、怖気の走る笑いだ。それと共に、寿命延長剤を使っている証拠の銀色の短い髪が揺れる。髪が彼の欲望のすべてを代弁していた。 レイチェルは、献上品として永遠にこの青年に貰われてしまうわけではない事を知り、ホッと安心した。ようやく、奴隷の仕事にしては自由のある戦闘艇の艇長の職を手に入れたのである。性の奴隷として艦長の様々な嗜虐に耐えてようやく手に入れた地位なのだ、そう簡単に手放したくはなかった。 (でも、年功序列を重んじる艦長が、こんなにヘコヘコする青年とは………) 青年が寿命延長剤を使っていないのは一目で分かる。彼の髪は黒くフサフサだ。78歳になる艦長を、年齢で上回っているとはどうも思えない。一体この青年は何処の誰で、どんな社会的地位を持つ者なのだろう………レイチェルはますます青年に惹かれて行く自分に気付いた。 隣のシルキーをチラッと盗み見するが、彼女はいつもの微笑を浮かべたまま表情を固定させていて、何を考えているのか分からなかった。 「レイチェル、シルキー………君等は本日只今より、戦闘艇艇長の任を一時的に解く。その代わり、このガイリィ・アクティウム様の直接指揮下に入る事を命じる」 艦長が笑いを消し、気張って言う。 それを聞いた二人は、同時に驚いていた。 アクティウム家………連合政府を牛耳る支配者………連合の全組織が彼等一族のものなのである。この艦だって例外ではない。 そのアクティウム一族の一人が、彼女等の目の前にいる。雲の上の人………いや、奴隷にとっては伝説上の存在である人物が、肉を持って確固たる存在として彼女等の目前に現れたのだ。二人の驚きは、生半可なものではない。 (ドエライ事になった………) 二人は同時に思った。自分達が仕える相手が、艦長よりも偉い人物なのだ。それにこれだけの地位にいる者である、傲慢さも艦長にひけをとらないはずだ。下手な事は出来ない。ほんのちょっとしたミスも命取りになるかもしれない。本当の意味での命取りに………そう思うと、萎縮してしまう。 (だけど………) 次ぎの瞬間、二人はチャンス到来とばかりに、目を輝かし始めていた。
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