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作品名:カクテルのススメ 作者:イリヤ

第3回   3
ドライ・マティーニ Dry Martini


「飽きがこないっていうか、シンプルなのに、複雑って感じかしら」
すでに3杯目を飲み終えてる彼女が、唐突に呟く。
「お酒の味覚えてから何年も経つけど…いまだに好き」
4杯目のグラスに唇を触れさせ、傾ける。
透明なはずのドライ・マティーニは、室内の照明を受け銀色に輝いていた。
「この店のはどう?」
グラスの淵をなぞりながら、彼女の批判を聞くのは恒例のことになっている。

彼女と行った店の数は、すでに両手の指では足りなくなっている。
彼女と出会ったのは8年前。サークルの歓迎会で初めて彼女と話して、その後初めてカクテルバーに入った。
初めて飲んだカクテルは、苦くて、甘かった。

「んー…。前回行ったお店より、さらにジンの比率が多いかなぁ。キレがある、って言うの?」
そう言ってはにかんだ彼女は、照れ隠しのようにグラスを空にした。
「今日はずいぶん飲むんだな。明日大丈夫か?」
「大丈夫だよ…多分。でも今日は飲まなきゃ。ね?」
さっきとは質の違う笑みを、彼女は見せた。それは楽しそうとも、寂しそうともとれる笑顔だった。
「…そーだな。なんたって、お前の人生最大のイベントだしな」
僕の言葉を聞くと、彼女は少し間をあけて、そうだねと小さく笑った。

僕はマティーニをあまり飲まない。嫌いというわけではない。むしろ好きだ。
ただ単に飲むのを避けているだけだけど、それも今日で終わりになる。

「でも、キミとこーして飲めるのも最後かなぁ」
「ま、そうだろうな。でもお前がこっちに帰ってきてて、俺の嫁さんが許すなら、また飲めるかも」
「ほほー?じゃあ早く見つけたら?未来のお嫁さん」
「余計なお世話だ。お前こそ、せっかく捕まえた旦那に逃げられるなよ?」
そう言うと彼女は、拗ねたようにそっぽを向いてしまった。
「私が逃げる心配じゃなくて、旦那が逃げる心配なの?」
そう言って、新しく頼んだカクテルに口をつける。
僕はもう見れなくなるかもしれない横顔を見る勇気が出ずに、意味もなくカウンターを見つめた。

「…さて、そろそろ帰ろっか」
いつも帰るタイミングを見つけるのは僕だった。
「ん…そうだね」
彼女は決まってこう言った。
「帰りは、いつものように?」
今までは、2人でタクシーに乗り、彼女の家を通って僕のアパートに帰る、というパターンだった。
「…んーん。今日は、旦那が迎えに来てくれてるんだ」
そう言ってバーの出入り口の扉を開けると、空からは雪が落ちていた。
「わぁ…。初雪だね…」
空から落ちる雪は真っ白で、暗い夜空から流れてくる光のようにキラキラしていた。
「お前、雪好きだったよな。お前を送り出すにはちょうどいいタイミングだよ」
自嘲するかのように笑って、言葉を出した。
「それじゃあな」
気を抜くと涙がこぼれそうで、喋ると声が震えそうで。
でも、こいつには何の関係もない。こいつは今、幸せなんだ。
こいつの口から、キミは親友だと何度も言われた。

「うん…それじゃあね…」
彼女はそう言って歩き出した。段々と小さくなる背中を見送っていた。

親友に、門出を祝ってもらいたいだろう。笑顔で見送ってほしいだろう。
精一杯、笑っている。笑えているだろうか。
段々と吸いにくくなる空気を肺に思い切り溜め、一気に吐き出し叫んでいた。


「結維!」

「幸せになれよ!!」


彼女が離れてから叫んだ。
近くにいたら、顔を見られたから。


彼女は大きく手を振って、こう叫んだ。

「絶対幸せになるよ!!」




その日を最後に、僕は彼女と酒を飲むことはなくなった。
数年後、彼女から来た年賀状には優しそうな旦那と2人の子供。
そして、幸せそうに笑う彼女が写っていた。

そして、僕はマティーニを飲むようになった。
僕にとってマティーニが、『片思いの味』から『思い出の味』に変わったからなんだと思う。


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