キール Kir
俺の住む町の、一番賑やかな繁華街。少し離れた、静かなレストラン街。 その静かなレストラン街の端っこに、俺が好きな店がある。
店内はいたって静かで、落ち着いた雰囲気の店だ。 そこに最後に来たのは、確か21歳の時だった。
当時好きだった女。バイト先の先輩で、俺の1歳年下。 そいつを連れて、この店に入った。
カウンター席の、入り口から最も遠い2つの椅子に座った。 彼女はお酒が好きだった。しかしカクテルなんて居酒屋やカラオケのメニューにあるメジャーなものしか知らなかったらしい。
俺も詳しいわけではない、が。彼女を連れてくると決めた日から2週間通い詰めた。 そのおかげでメニューなしでも注文ができるまでになった。
彼女にはカシスを使った甘いカクテルを3種、と考えていた。 自分は甘くないもの、それでいて強いものを数種類。
1杯目のカクテルは気に入ってくれたようだった。カシスが好きなのも調べ済みだった。 2杯目は1杯目のカクテルの材料を少し変えたもの。
ベースは同じでも、白ワインをシャンパンに変えたことで劇的な変化をもたらす。 そのギャップが受けると思って選んだカクテル。
彼女が口にしたグラスを見るだけで、胸が高鳴った。 目を閉じて味わう横顔を眺めるだけで、緊張して顔が強張った。
ゆっくりとカクテルを飲み込んだ彼女が、今までの努力が報われるような笑顔をくれた。 ありがとう 今度彼氏にも飲ませてみる と言って。
俺は動揺を隠せずにいた。調査は完璧にこなしたはず。 同じバイトの女の子に聞いた話によると、この子に彼氏はいないはず。
隠していたのを、今うっかりと言ってしまったのか。 困惑を悟られないようにしていた顔も、もはや笑顔になっているかどうかも怪しい。
震えそうになる声で、彼女に真偽を確かめた。 すると彼女は恥ずかしそうに目をそらし、小声で言った。
このお店、私…の好きな人、と来たけど、彼氏とは飲んでない。 彼氏に飲ませるには、どうしたらいいのか。
言葉の意味がわからなかった。これが自惚れだったら大変なことになる。 脳はあまりにショックの強い事を回避するために、自動で逃避することがあるというが。
彼女は耳まで真っ赤にしながら、続けた。 付き合って、くれませんか。
こんなに舞い上がったことは無かった。 二人で染めた頬は、キールの用に赤く火照っていた。
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