桜花はすばやく周囲を見わした。とにかく隠れるところを探さないと。反射的にそう思った。だが、幸いあたりは濃い闇が広がっていて、簡単には見つからないはずだった。 「何やってるんだよ!」 「し、大声出すなよ、バカがっ」 少年たちの話し声が聞こえてくる。懐中電灯の明かりがふたつ、上を向いたり下を向いたりしながら不規則に飛び交っていた。その光のなかに、人の頭が浮かび上がっているのが見えた。三、四人はいるようだ。彼らは一体何のためにこんな所へ来たのだろう? 桜花は見えない動機におびえるようにその場にうずくまった。身体の衝動は今のところ、おとなしく収まっている。動悸が激しく息も苦しかったが、それは発作を押さえ込んだせいではなく、慣れない緊張のせいだろう。あの人たちは何しにここに来たっていうの? こんな場所に、しかもこんな時刻に。常識では、とてもじゃないけど考えられない。 かく言う自分もその常識を逸脱した一人ではあるけれど…。 複数の人影は、まだ廊下の隅でごちゃごちゃと固まっている。一体何をしているのだろう。桜花はじっと目をこらして彼らの様子をうかがった。遠くにいるせいでよく見えなかったが、廊下の壁に何かをぶつけるような、どすん、どすんという音が聞こえてきた。 そうしているうちにようやく、先頭の一人の全身が黒いシルエットになって見えてきた。ふらふら動く懐中電灯の光の中でこちらに背中を向け、後ずさりするように進んでくる。どうやら、何かを運んでいるらしい―。 桜花は息をのんだ。 彼らは人間を運んでいるのだった。死んでいるのか気絶しているのか、ぐったりとして動かない。先頭の一人がその人の両腕を持ち、後ろに続く人が足を抱えている。さっき、壁に何かがぶつかるような音がしたが、あれはこの人がぶつかった音だったのだ。 さらに後ろには懐中電灯を持った者が二人、せわしなく体を動かしながら、運んでいる二人をせき立てている。彼らの手にしている懐中電灯は、桜花の持っているものよりもずっと高価な物らしく、光が異常に強い。桜花は床に手をついたまま、じりじりと廊下の奥の職員室まで移動した。一歩後退するたびに、喉の奥に濃い唾液がじわっとこみ上げてくるのがわかる。入口の扉に手をかけ、音を立てないよう注意してひらく。 中は閉鎖としていた。机やいすはまだ残っていて、壁にチョークまみれの行事表が立てかけてあった。最後の月の予定が残っている。今日と同じ十二月だ。閉校の際にマスコミの取材を多く受けたことを読み取れる。閉校記念式、卒業式予行演習、最後に卒業式。これより後の、黒板は空欄だった。もういくら待っても、次の予定が書き込まれることはない。 感慨に浸っていると、「おい、早く開けろ」と、誰かの声がした。それに応じて、乱暴な開け方で扉全体が傾き、わずかに隙間が空いた。外の懐中電灯の光が、細い斜線になって白く見える。それ以外には、この校舎の中を照らすものは何もなかった。 桜花は反射的に事務机の中に隠れた。狭い鉄扉を通り抜ければ、自然と彼らの進行も早くなるだろう。案の定、懐中電灯を持ったひとりが中に入ってきて、桜花が隠れた机の前を、ずんずん歩いてくる。 全員が職員室の中央までやってくると、桜花の目にも彼らの姿がもう少しよく見えるようになった。気まぐれな懐中電灯の光だけが頼りなので、全体は見えないが、だいたいの背格好はわかる。それに、声。 「この辺でいいだろ?」 若者だ。桜花よりも二、三歳は年上だろうと思われる―いや、もしかしたら同年代かもしれない。四人とも? いや彼らに運ばれている五人目も? 「降ろそうぜ。ここいらが適当だろ」 どさりと重い音がした。五人目が床に落とされたのだ。運び方も乱暴だったが、降ろし方もひどい。それでも、降ろされた方はウンともスンとも言わない。無防備なままだ。もしかして、死んでいるのか? 桜花は両手を握りしめた。手の中に汗が浮いてきた。この状況、どう見ても尋常じゃない。ちょっと羽目をはずした不良高校生たちが酒を飲み過ぎてダウンした仲間を運んできたとか、暴走族が警察に追われたところを、怪我をした仲間をかばって逃げてきたなんていう生易しいものじゃない。もっと険悪で、危険な匂いがした。 身体を硬直させて、桜花は恐る恐る様子をうかがった。四人の若者は、桜花の存在には全く気付いていないようだ。懐中電灯を持ったひとりが、大きな声を出してあくびをした。 「あーあ、かったるいな」 「何だよ、ここ。臭えな」 「ずっと使われてねえんだよ」 二つの懐中電灯がぐるぐると動き、職員室の中をあちこち照らしだした。上へ下へ、右へ左へ。光の輪に引っかからないよう、桜花はできるだけ身を縮め、頭を下げた。 「相場(あいば)、なんでこんなとこ知ってんだよ」 「親父が昔、ここで教師してたからさ」 へぇーと、感嘆するような冷やかすような声が、ほかの三人の口からもれた。 「なんだよ、おまえ、センコウの息子だったのかよ」 「そうだよ。おかげでこのザマさ」 「だけどよ、それってずいぶん前のことだろ? 親父、それっきり働いてないんじゃないの?」 「知らねえよ。関係ねえもん」 彼らはいっせいに笑った。その笑い声を聞いて、桜花はなぜか、せせら寒いものを背中に感じた。開けっぴろで何の悪意もない笑い声。あまりにも今のこの状況とのギャップがあり過ぎて、鳥肌が立つ。 「どうすんだよ、ここに埋めんの?」 と、ひとりが言った。 「下、木製でだいぶ腐ってるしな。床を踏み抜いたりできるんじゃない」 懐中電灯を片手に、別のひとりが答える。靴のつま先で床を蹴っている。 埋める? じゃあ、やっぱりあれは死体なのか? 彼らは死体を始末するためにわざわざここに忍び込んだとでも言うの?
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