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作品名:見えない城 作者:ながいみち

第43回   43
それから5年の月日が流れた。


准一は一人で歩くことは出来ないが、薬剤師としてできるだけ町民の為に尽くし、時間が許す限り高齢者たちと話をする時間を作った。

自分自身が障害者というコンプレックスよりも同じ痛みを持つ良き理解者という点で親しまれた。愛美も地域医療の発展の為、周りの市町の会議にも率先して参加し予防医療に貢献した。周りの人たちは二人の関係を思い余って、結婚したらどうかとお節介を焼くものもいたが、愛美は准一が自分の意思で自分を選んでくれるまではと、焦らずにいた。

しかし、あのグリーンファイル騒動以来、愛美自身も准一に対する愛情をもっと素直に伝えたいと、准一と離れ離れになって3年目、眠りについているその唇優しくキスをしたことがある。その軟らかさは初めての時のように大きく心臓が鼓動するのを感じ昔と愛情が変わっていないことを確信した。准一は気付かない振りをしていたが照れくささを隠すように寝返りをうった。そして愛美の献身的な愛情に少しずつ心が癒され、過去の思い出より二人で築いていく幸せを選ぶようになっていた。

車椅子の准一ではあるが神経が麻痺しているわけでないので十分愛美と愛し合うことはできた。しかし、准一自身、愛美を縛り付けては申し訳ないという思いから、一線を越えることはなかった。

ある日、近々定年を迎える所長が思い余って准一に愛美とのことを話した。最近では紙切れに捕らわれずお互いの生き方を尊重し合えるカップルが増えているが、できれば二人の子供も欲しいだろうに・・。そうなると、これ以上待たせると彼女にも負担がかかる。どうかな、そろそろ・・・」と、ぽつり言った。

准一は無言のままうなずいた。

その夜、准一は珍しく愛美と二人外食に出た。小さな町のため洒落た店はないが、リーズナブルな店は数件ある。もちろん准一が車椅子の為、どの店もバリアフリーになっている。ありがたいことだ。
愛美は子供のようにはしゃいでビーフシチューを頼んだ。

「本当に久しぶりだね。学生の頃はよくこうして二人食事に行ったよね」と、愛美は昔を懐かしんだ。いつもなら昔の思い出は、あまり乗る気でない准一だが今夜は何となく違った。

「うん、そうだったかもしれない。でも今はそれ以上に幸せだよ」と、昔と変わらない笑顔で准一も答えた。二人は8年の時間を越えて愛し合っていた昔の頃に戻っていた。

食事を済ませると、「たまにはこんな夕食もいいね」と、言いながら准一を車から降ろし、部屋に入った。今でも准一は職員住宅で暮らし、愛美もその隣の部屋を借りて准一に何かあれば直ぐ対応できるようにしていた。

准一はいつものように入浴を済ませると狭い部屋で片づけをしている愛美の手をそっと引き寄せ、「君は僕のことを本当に愛してくれているのですか。」と、愛美の眼をじっと見つめて話しかけた。

愛美は、その表情に准一の真剣な心中を察しコクリと首を縦に振った。すると、確かにあの日、二人で語り合った学生時代、愛美を愛してくれた時と同じ准一がそこにいた。准一は慣れた手つきで車椅子から降りるとベッドに倒れこんだ。愛美の腕もそれに引き寄せられると一緒になってベッドに沈んだ。

「准一・・」愛美は准一の腕の中にいた。

准一は愛美を抱きしめながら「判っていると思うけど僕は昔の記憶を無くしてしまい、しかもこんな身体になってしまった。愛美のような素晴らしい医者をこんな僕のために犠牲にしてはいけないとずっと思ってきた。
だけど・・このままずるずる生きて行くことは男としてけじめがない。だからもし、偽善的な愛なら終わりにしたい。」と、淡々と話した。

愛美は昔の准一と何も変わっていないと確信した。ほんの少し愛美と付き合っていた時間が失われていたとしてもここで過ごした准一との時間が何よりも大切であり、あのファイルを葬った時からそう誓ったことであった。

「准一・・私がこうして医者になれたのもここでこうして医療に携われるのも准一がいるからなのよ。だからそんなこと言わないで。私はずっと准一のことを愛しているしこれからもずっと同じ気持ちだよ。」

愛美は今まで抑えていた気持ちが溢れ出し数年分の涙が零れ落ちた。

「ごめん・・分かったよ。これからは周りから受けた温かい気持ちに応えるように僕も努力するよ。もちろん愛美にも今まで寂しい思いをさせたね。」

准一は少し間を置いた。そして、「愛美、こんな僕だけど結婚して欲しい。」准一は、事故を起こしてから献身的に関わってくれた愛美への愛情を必死に打ち消そうと生きてきた。
しかし、それが自分自身を閉ざす原因だと所長からの言葉で気付き、もっと素直になろうと決めたのだった。人よりもほんの少し遠回りをした恋愛だけど、愛美にとっては生きてきた人生の中で一番の幸せだと実感した。

すると、准一は愛美の唇に優しく自分の唇を重ね全身で愛を表現し始めた。
愛美は「あっ・・まだシャワー浴びてない・・」と照れくさそうに言うと、「いいよ、このままの愛美を抱きたい・・」と、あの頃と何も変わらない二人がそこにあった。愛美は天井から吊るされた照明の電源を切ると辺りが薄っすら暗闇になった。

准一の足は痛みも感じ踏ん張ろうとする意思もある。しかしどういうわけか自分の意思で立つことを拒んでしまうのである。所長もそれには不思議に思うが、彼自身の心の闇が晴れない限り無理だろうと言っている。

そんな准一の思いを知ってか、愛美は准一をリードした。しかしそんな気遣いも愛の絶頂を迎える頃には何ら問題なくお互いが自然に全てを受け入れていた。

愛美はそっと准一の耳元で「赤ちゃんが欲しい・・准一の。」とささやいた。准一も照れくさそうに「そうか・・僕が父親か・・・」そう言うと、ふと准一の表情が曇ったように愛美は感じた。しかし気のせいだと思い直し、その夜はそのまま准一のベッドで懐かしさと安堵感で深い眠りについた。


翌朝、いつものように7時に目を覚ました。そして昨晩の出来事が夢でないことを確かめようと手を伸ばすとそこには准一の姿は無かった。愛美は急いで起き上がると、准一の名を呼んだ。しかし返事が無い。「どうしたのかしら・・」愛美は不安を抱え辺りを確認した。不思議なことにいつも使用している車椅子はそこにあるが黄色いバンダナが付いてなかった。愛美は急いで自分の部屋に戻り着替えを済ませると、辺りを探しに出かけた。

「どうしたんだろう・・准一・・車椅子はそのままだし・・一人で歩けないのにどこへ行ったの・・」愛美は心の中で叫びながら准一の名前を呼んだ。

すると、職員住宅から東へ20mほどの所に樹齢50年は優に越すぶなの木がある。そこの直ぐ横に昔からここの診療所で亡くなった患者らを供養する小さなお地蔵さんが建てられており、地域の住民もよく訪れては手を合わせる場所がある。そこの前に松葉杖を着き黄色いバンダナを手にした准一が呆然と立ち尽くしていた。「准一・・・」愛美は、居なくなって探していたことより、准一が松葉杖でも自分の足で歩いてここまで来たことに目を疑った。

近寄る愛美に気付いた准一は振り向きながら「愛・・・美・・」と、真っ赤に腫らした眼を出来るだけ見せたくないように俯きながら呟いた。

愛美は「凄いね・・准一・・歩けるじゃない・・」と、喜びが込み上がり、小刻みに震える准一の腕を掴んでそっと自分の肩に回そうとした。

すると准一はその手を払いのけて「大丈夫、一人で歩けるから・・。」そう言うとまだおぼつかない足取りではあるが、ゆっくりと住宅へと戻り始めた。

愛美はどう話しかけていいか戸惑ったが、准一が歩けるようになった喜びでとにかく嬉しかった。20分ほどかけてやっと自分の部屋に着くと准一は室内にある車椅子に座り直し、沈黙していた口を開いた。

「愛美・・・僕は夕べ夢を見たんだ。その夢は、僕が事故を起こした時のことで・・愛美・・僕は・・僕は・・・」

愛美はその時、准一が何か思い出したことを悟った。「准一どうしたの・・」

愛美が尋ねると、「僕は・・・思い出したんだ・・。あの時どうして事故が起きたのかを。」准一は少しずつ整理しながら話し出した。

夕べ、二人が愛し合った後、眠りに着いた。しかし准一は夢の中で当時の交通事故の一部始終を再び経験したのであった。その事故は実際と同じような衝撃であり、眠りについていた准一を目覚めさせるほどの凄さであった。その後、硬く結ばれた紐が少しずつ解け始め事故の原因、そして欠落していた過去の記憶が思い出されてきたのであった。もちろん愛美と付き合っていたこと、そして父親との別れ。准一にとっては決して嬉しい記憶の蘇えりではなく、再び背負わなければならない悲しみの始まりであった。




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