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見えない城
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第40回
再会
4月とはいえ札幌はまだ冬の装いにあり、時折雪が舞い散ることも珍しくない。
愛美は様々な想いから吹っ切る為、勤務に励んだ。やはり地方は医師不足が際立ち患者に対しても充分な対応ができないでいた。
しかし、そんな弱音も持ち前の笑顔で撥ね退け、女性としては珍しい脳神経外科の医師として研修医をスタートさせた。
しばらくすると、少ない時間の合間を見て一部の科の歓迎会が行なわれた。愛美を含め十数名の看護師や薬剤師らは、近くの居酒屋で乾杯をした。もちろん緊急呼出を想定し携帯は装備されていた。仕切り役は酒好きの総事務長である。普通なら部下に任せるのだが、気さくな上この年にして独身である為忙しい医師や看護師に代わってこまめに段取りをこなしてくれるので重宝がられている。
しかし、この男もこの一年で定年退職の為、誰が引継くかが問題であった。そんな問題をよそに、歓迎会が進められた。愛美は医師として挨拶をすると看護師でもあることを話した。周りの職員は驚きを見せたが、気取らない性格が気に入られ病院内や患者からも人気のある医師として評判が広がっていった。
札幌市内で病床数が400余もあると毎日の来院数も膨大である。愛美は研修医として休む暇も無く毎日が戦いのように過ぎていった。
ゴールデンウィークに入り、病院も連休になった。 しかし入院患者や緊急指定医ということもあり職員は交代で勤務にあたる。そんな中、市内で学会が開かれた。愛美はできるだけ参加したいと思っていたところ偶然にも休みが取れ参加できた。その中に、以前勤務していた横浜の総合病院の医師と偶然にも出会うことができた。
「白山先生、お久しぶりです。」と愛美が挨拶すると、その男性は、しばらく考え
「えっ!以前内の病院にいた看護師さん?」と、驚いた様子で聞き返した。
「はい、河原です、お久しぶりです」と愛美は笑顔で応えた。
白山医師は、思い出したように「そうだった、河原さん。一度大阪の学会へ行きましたよね。久しぶりですね。病院を辞めたと聞いていましたが、今日はどなたかと一緒ですか」と、尋ねた。当時新米だった白山医師もあれから腕を上げ病院でも信用のおける医師に成長していた。愛美は「私病院を辞めた後医学部に入学して医師になりました。まだ、札幌の病院の研修医1年ですが、今日は地元で学会があると聞いてぜひ参加したのです」と、応えた。
「ほぉ、そうでしたか。それは素晴らしい。地方の医療には様々な問題があるようだから君のように若くてバイタリティーのある女医さんが育ってくれることをとても嬉しく思うよ。きっと亡くなった平柳先生も天国で喜んでいると思うよ」と、言った。愛美もうなずき握手した。
午後の部の基調講演も終わり他の医師らと約束があるようで白山も急いでいたが、急に振り返り「そう言えば、平柳先生の息子さんが事故に遭ったと聞いていましたがその後いかがなんでしょう」と、人ごみに押されながら白山医師が言った。愛美は「えっ?息子さん?どちらの?」と聞き返すと「そこまでは聞いてないですが、確か北海道で事故に遭ったとか言ってましたが。」白山医師はそのまま右手を挙げて挨拶をすると出口へ向かって歩いて行った。
愛美は軽く会釈をするとロビーの椅子に腰を下ろし呆然とした。「北海道で・・事故?平柳先生の息子さん?それって・・・准一・・・?」
数百人を飲み込んだ会場も人気を失い係員だけが後片付けに追われていた。愛美は准一が北海道へ行ってからのことを思い出していた。そしてどうしても整理できない問題に当たっていた。
「そうよ、准一が私に何の連絡も出来なかったのは何か事情があったからよ。それが別れではなく事故だとしたら・・・」愛美は言いようもない不安にかられた。「神様、お願いしたはずよね。私からもう誰も奪ったりしないって・・そう約束したよね。」愛美は抑えきれない不安のまま准一の実家に連絡した。
呼出が9度目に「はい、菊本でございます。」と、母親はいつも通り穏やかに挨拶を交わし愛美は近況を告げた。 そして愛美が医師になったことを聞くととても喜んでくれこれからも頑張るよう励ましてくれた。愛美は2年前は知らないと言われた准一が今どこにいるのかを恐る恐る母親に尋ねた。
すると受話器の向こう側で必死に気持ちを堪える母親から「ごめんなさいね、愛美さん。」と振るえ声が聞こえた。
「えっ、ごめんなさいってどういう事ですか」と愛美は聞き返した。
母親は経緯を話し出した。確かに准一は4月、函館の病院で薬剤師として勤務を始めた。しかしその月の下旬には卒業以前から決めていた道東の診療所へ転職していたのである。このことは後から移転先の診療所の職員に聞いた話だが、准一は今まで付き合ってきた彼女に嘘をついていたと言うのだ。どんな嘘だかは分からないがどうしても自分が許せず、罪深さで彼女にも遭えないということだった。 それから1年が過ぎた3月中旬、勤務が終わり車で自宅へ帰る途中、ふと気が緩んだ拍子に凍結した路面にハンドルを取られ、乗っていた車ごと路肩の傾斜部分から滑り落ち横転事故を起こしてしまったのである。しかし運よく一命は取り留めたものの1ヶ月間意識不明のまま寝たきりになっていた。もちろんその時初めて家族に知らせが入り、准一が陸別町にいる事が分かった。母親の声は、小さくかすれ精一杯話している様子が愛美にもはっきり分かった。
「それで、准一の具合はどうなんですか!大丈夫なんですか!」と、愛美は勢を切ったように聞き返した。
母親は、愛美の気持ちを察してできるだけ穏やかに落ち着いて話を続けた。 そして事故の知らせを受けた母親と長男、妹は北海道へ向かった。意識不明の重体で運ばれた准一はベッドに横たわり医者からも覚悟をしておくようにと言われ誰もが絶望視した。だが母親は先に逝った平柳にどうか准一を連れて逝かないでと、願い続け一ヶ月が過ぎ去った。
そんなある日、願いが通じたのか、准一の意識が戻った。身体中に管の通った痛々しいその姿に母親は抱きつき咽びかえるようにすがって「准一・・准一・・よかった・・・」と、肩を震わせて泣き、平柳に心から感謝した。
愛美は、准一の意識が戻ったと聞いた途端、張り詰めていた緊張が解け、握り締めていた携帯が汗ばんでいることに気づき鞄からハンカチを出して拭いた。 しかし、ほっとしたのも束の間、母親から衝撃的なことを聞かされた。それは、事故のショックによるものだろうか定かなではないが数年前からの記憶が思い出せないということだった。もちろん事故を起こしたことも北海道にいることもそして愛美のことも准一の記憶から消えてしまっていた。ただ、家族のことは途切れ途切れだが覚えているようで父親が亡くなったことも理解していた。
愛美は、とにかく准一が無事でいるということを知っただけでも今は嬉かった。 そして現在滞在している住所を聞くと携帯を切った。母親は始終愛美にすまないと謝りっぱなしだった。 愛美は一旦その場を立って自販機でお茶を買い喉に注いだ。そして少し落ち着きを取り戻すと、再び携帯を取り出し、病院の事務局へ休暇を伝えた。もちろん無理を承知でだ。しかしこうもしなければ休みは決して取れないことを愛美は知っていた。
そして何のためらいもなく愛美はJR特急スーパーおおぞらに乗り込みそのまま准一のいる陸別町へと向かった。
しかし、陸別町へ行くには帯広の先、池田で下車しなければならなかった。時計を確認すると午後8時半を過ぎていた。 愛美はそこから陸別町まで鉄道が通っていないことを知るとタクシーの運転手に歩み寄り、近くにレンタカー会社が無いか尋ねた。 運転手は快く教えてくれ、どうにか愛美は車を借りて陸別町へ向かうことができた。 しかし、そこからは高速道路を利用しても50キロほど離れており、人気の無い町を2時間ほど走り続けた。もちろん知らない土地で不安はあったが、一本道のため道に迷うことはなかった。
すると、陸別町の町中にさしかかるとこの地域には不釣合いな洒落たペンションの様な建物の明かりが差し込んできた。愛美の本心は直ぐにでも准一に会いたかったが、今夜はここでどうにかして泊めさせてもらおうとお願いした。すると宿の女主人は愛美の話を聞き笑顔で泊めさせてくれると言ってくれた。これといって荷物のない愛美は部屋に通されると食事の支度ができるまで風呂に入るよう勧められた。突然の深夜の宿泊にも関わらず、嫌な顔一つせず対応してくれる人情に愛美は心を打たれた。
湯から上がると今まで緊張していた身体が嘘のように楽になり、急に空腹感が押し寄せてきた。 談話室のような食堂から愛美を呼ぶ声がしたので覗くと、テーブルに食事が並べられていた。 よく見ると急にもかかわらず手の尽くされた心のこもった料理が並べられていた。 特に嬉しかったのは温かい味噌汁だった。毎日忙しく勤務している愛美にとって自炊は全く出来なくなりほとんど外食か市販の弁当だったからだ。しかも味噌汁の具にはこの地の山菜でコクもあり愛美の心をより潤してくれた。 ありがたいことに女主人はあれこれ愛美に聞こうとはせず、今夜はゆっくり休んでくださいね、とだけ告げ部屋を後にした。
愛美は明日、2年ぶりに准一に合えると思うと嬉しさ以上に不安と心配がよぎった。今も准一は自分を必要としてくれているのか、そして愛してくれているのか・・と。
愛美は布団に入ってからもしばらく寝付けないでいた。むろん頭をよぎるのは准一にどう話しかけたらいいかということで、とにかく今は考えないようにしようと努めた。
その夜、何度か寝返りしたが長旅の疲れもありいつの間にか眠りについた。
翌朝、昨晩からの礼を言うと、陸別町の診療所の場所を尋ねた。すると、数百メートルも離れていないと教えてくれた。しかも、その診療所なら入院患者も先生も皆知っているということだった。愛美はびっくりして准一のことを聞こうか聞くまいか迷った。するとその女性は少し言葉を低くして、一人、とても優しくて面倒見のいい薬剤師がいることを話した。愛美は「准一だ」と直感した。しかしその後に、その薬剤師は交通事故で今は車椅子で療養中だと話した。小さな町だからこそ、皆が心配してくれているんだと愛美は感謝し、これからその薬剤師に会いに行くことを話した。 女性は、少し明るくなり早く元気になってまた元気な顔を見せて欲しいと愛美に伝言した。
しばらくして朝食を済ませると愛美は礼を言い、診療所へと向かった。
車で数分のところに診療所はあり、直ぐ先は原野が広がっていた。
診療所の門を通り抜け駐車場に車を止めた。車から降りると愛美は大きく深呼吸をした。そして思いついたように携帯を取り出した。すると着信履歴があることに気付き、確認すると愛美の病院からだった。
愛美は、「もし、緊急や急患でもここからでは無理。それに今は准一のことだけ考えていたい・・」と、掛けなおすことをためらい電源を切った。
そして建物に向かって歩き出した。北海道の5月の風はまだ冷たいが着実と春の訪れは近付いている。 愛美は二年もの間、准一を信じて生きてきたことを間違いでなかったと改めて思い返しこれからも迷うことなく信じようと決心していた。 しかし今まで以上二人にとって試練が待ち受けていようとは愛美にも准一にすらも分かるはずがなかった。 そして准一の母親から聞いていた診療所の職員住宅へと向かった。准一は半年近く別の病院に入院していたが勤務先のこの診療所へ移り変わり現在はリハビリをしているということだった。そんなわけで診療所の裏手にある住宅へと愛美は足を進めた。 しかし小さな不安は足取りを重くしていた。
少し行くと愛美の前方に車椅子を引く若い女性の後姿が目に入った。愛美はひょっとして准一・・そう思うと、急に急ぎ足になりその車椅子へ近き声を掛けた。 すると、その女性は引いていた車椅子を止めてハンドルから手を離し身体を振り向け愛美を伺い見た。 愛美はその瞬間その女性で隠れていたある物が目に飛び込んできた。それはなんと土産物で売られている他愛も無いバンダナであったが確かに黄色いハンカチに似たバンダナであった。 愛美はそこに座っている人物に恐る恐る近寄りその顔をうかがい見た。するとそこには遠くを見つめ何かに不安を感じていそうな青白い顔をした男性が座っていた。それは紛れもなく愛美が今まで信頼し愛し続けた准一であった。
「准一・・・」愛美はそれ以上何も口にすることができずしゃがみ込み車椅子にすがりついて泣き出してしまった。 その時、今まで車椅子を引いていた女性が「愛美さん・・」と、そっと声をかけてきた。
愛美は涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げその女性を見上げた。するとそこにはキャシャではあるもののあの時とは違って瞳に輝きのある女性、准一の妹が立っていた。
数年前に一度平柳の葬式でしか会ったことはないが、確かに由香だった。
「由香ちゃん・・」
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