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見えない城
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第37回
37
愛美はどうして突然准一が病院を辞めてしまったのか理解できなかった。
しかもあんなに地域医療に熱意があり希望に満ちていた准一が・・。その戸惑いがいつしか不安に変わっていた。
「ひょっとして何か病院で問題が起こったのか・・・それとも人間関係のもつれ・・」 愛美は千葉の実家のことを思い出し、 「ひょっとして家族なら何か分かるかも・・」そう思うと、会葬ハガキに書かれた住所で電話番号を調べ連絡してみた。
電話が繋がるまで長く感じた。 そして母親と思われる女性が電話に出た。愛美は准一の友人だと伝え挨拶すると、准一の連絡先を訪ねた。その女性は准一の母親だと名乗ると愛美のことは准一から聞いていたらしく優しく丁寧な口調で答えた。
「こんにちは、愛美さんね。准一からあなたのことは聞いていますよ。医学部の学生さんなんですよね。以前夫と同じ病院で看護師さんをされていたとかで本当に勉強熱心で関心します。葬儀のときも最後まで見送っていただいたらしくご挨拶もしなくてすみませんでした。准一にくれぐれもよろしく伝えてね、と言ったんですが中々言葉数の少ない息子ですからねぇ、本当にありがとうございました。」
愛美はそんな挨拶より早く准一が今どうしているかを知りたかった。 「あのぉ・・准一さんは今どちらへ?」と、尋ねると、
「はぁ、私たち家族も連絡が取れないんですよ。北海道へ就職すると聞いてはいたんですが、詳しいことは本当に話してくれていなくて、私たちも心配しているんです。まっ、男だから何とかやっているんだろうし、何かあれば連絡があると思ってそのままにしてるんですが、愛美さんにも連絡がないんですか?」と逆に尋ねられた。
愛美は、この1週間、連絡が取れなくなり函館の病院も辞めたことを母親に伝えた。母親はそれほどびっくりした様子も無くもう少し待ってみることを愛美にすすめた。 結局なんの手掛かりも掴めないまま愛美は准一との連絡手段を絶たれ途方にくれてしまった。
ゴールデンウィークも終わり、五月病なんて掛かっている暇もなく愛美は病院実習やレポートに追われた。 そして繋がらない携帯や返信のないメールにいつしか自分が避けられていることを悟り、もう准一を追いかけるのはよそう・・と心に言い聞かせた。
准一との連絡が途絶え数ヶ月が過ぎた晩秋、愛美が担当している脳神経外科に70代の老人が脳梗塞で倒れ緊急外来で運ばれてきた。
愛美は担当医に付き処置の流れを学んだ。 もちろん愛美とっては予想もつかない経験だったのでできるだけメモを取り周りのドクターや看護師の迷惑にならないように計らった。 ただ、仮にも一度看護師として現場にいた経験からか、場の流れを掴み優秀な実習医として評判になっていた。
一命を取り留めたその老人は1ヶ月後にはICUから一般病棟に移された。高齢者の介護にはかなりの負担があるにも関わらず、同じ高齢の妻が毎日見舞いに来ていた。
「先生、どうもありがとうございました。主人を助けてくださって。」と、その妻は深々と愛美に頭を下げた。 愛美は、「いえ!私はまだ医者ではなく実習生なんです。それにご主人はご自分の力で頑張ったのであって、医者だけではどうにもならないこともあるんですよ。」と言いその妻の肩を優しく撫で元気付けた。
細く小柄なその妻は、深くシワの刻まれた目元をハンカチで拭うと何度も何度も頭を下げた。愛美はこの年になっても夫を気遣う妻の下向きな愛情を目の当たりに、
「そうだ私には准一が必要だし今までもたくさんの勇気と力を与えてくれた。薬指のこのリングだって准一の本当の気持ちに間違いはなかったし、私が信じていなくてどうするの!・・でも、もし准一が私を避けるようなことがあるのなら、私は准一の幸せを一番に考えたいからそれも受け入れるしかない。でも絶対嫌いにはならないし、准一に代わる男性は決していない。」と、忙しさを理由に自分自身を誤魔化し忘れようとしていた准一のこと走馬灯のように思い出した。
翌日から老人の左半分に麻痺が見られるため少しずつリハビリが始まった。 しかし今回の入院で思わぬ症状も併発してしまった。それは認知症、アルツハイマー症である。
今まで元気に生活してきた老人だけに入院という生活の変化と不安がもたらしたのであろう。しかしこの認知症はこういうケースにとどまらず、いつ発症してもおかしくない老人病もしくは現代病の一つでもある。最近では20〜50代の若者が発症する若年性アルツハイマー症も増えてきている。
しかしこの老人はまだ初期症状であり投薬で病気の進行を抑えることが可能である。また二人だけの生活と自宅がさほど離れていない為か妻が毎日見舞いに来ており妻との会話が途絶えないことが一番の特効薬になっていた。しかし年金生活のためギリギリの生活を余儀なくされ決して贅沢はしてない様子だった。
愛美は出来る限りこのような症例を扱った研究論文をあさって読んだ。読めば読むほど深さを実感した。
「きっと准一もどこかで頑張っているに違いない。私が弱気になってどうするの・・。」と自分自身に言い聞かせた。
その後、この老人は全回復とはならなかったが、介護ヘルパーを雇うことで自宅療養に切り替わった。できることなら病院介護が一番安心だが、保険制度の都合上仕方なかった。しかし、妻の献身的な愛情があればお互い支えあって生きていけると愛美は感じていたし、そうあって欲しいと願った。
年が明け、愛美も最終学年となりいよいよ医師国家試験に向けて本腰を入れる時期に差し掛かった。
卒論のテーマは当初、包括的がん研究医療についてまとめていたが、昨年の暮れ辺りから脳神経科研究医療に変更していた。相変わらず准一からメールの返信は無く携帯も繋がらなかった。しかし、解約をされていないことが愛美にとって唯一の救いであり、繋がらない携帯でも見えない絆で繋がっていると愛美は信じていた。
愛美は久しぶりにやっさんの居酒屋へ客として訪れた。
やっさんは相変わらず元気だった。その様子を見て奥さんも元気だということが伺えた。
「愛美ちゃん!久しぶり!元気だったかい!」と、わざわざやっさんが厨房から出てきて挨拶してくれた。愛美はそんな気さくなやっさんに、まるで実家に帰ったような温かいさを感じた。
そんな他愛も無い会話の中、この店お勧めのキムチ焼きそばを注文するとぺろりと平らげた。
疲れた心を癒すにはここは十分過ぎる場所であった。
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