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作品名:見えない城 作者:ながいみち

第33回   33
愛美は今夜眠れそうになかった。

きっと母もそうだろうと思った。
10時を過ぎた頃ノックがした。
愛美は慌ててドアに歩み寄り「はい」と言うと、

「僕、准一」と返事がした。愛美はドアを開け准一の顔を確認すると部屋に入れた。

准一もさすがに疲れているようだった。愛美はベッドに横たわった准一の横に座ってそっと背中に手を当て「お疲れ様・・」と呟いた。

准一は「うん・・・」と一言言った。

「何か飲む?」と愛美が聞くと「いらない」と返事が返った。

准一は仰向きになり目を瞑って話し出した。

「愛美?少しライトを落としてくれないか・・・」愛美は壁のスイッチを一つ切った。

「今日は本当にありがとう。わざわざ来てくれて・・」愛美は精一杯言葉にしている准一を察して「私は大丈夫だよ、准一こそ大丈夫?疲れたでしょう・・」そう言うと准一は横に座っている愛美の膝に頭を乗せ、まるで子どものように身体を丸め話し出した。

「僕は、父が嫌いだった。いつか愛美に話したよね、昔のこと」愛美はイブの夜、准一が話したことを思い出していた。

「うん・・」そして准一は話し続け「愛美には父は公務員だって言ったよね、確かに医者だけど公立病院を主に異動する公務員でもあるんだ。だから転校ばかりしていた。医者という仕事を憎んだこともあったよ。」と言った。

しかしそんなことよりも愛美は、本当は自分が付き合っていた医者が平柳だったことを准一が知っていたかどうか知りたかった。そして思い切って准一に話した。

「准一、実は私が付き合っていた医者は准一のお父さんだったの・・でも、そのことは今まで本当に知らなかった。今日の通夜で初めて知ったの・・。」准一は目を閉じたまま愛美の話を聞いていた。

「准一はそのこと知っていた?」と愛美は准一の髪を撫でながら聞いた。しかし准一は無言のままだった。

愛美はそのまま話を続けた。

「准一が自分のことを話してくれたイブの夜、私も話したよね、付き合っていた人のこと。そしてその人を恨んでいたことも」愛美の話しに准一は愛美の膝を抱え込むようにしがみついた。

「でもね、本当はそうじゃなかったの・・実はね、私の父の担当医は別にいたらしいんだけど、問題を起こして突然オペが出来なくなってしまって急遽オペをしたのが准一のお父さんだったの。」

と、友人の看護師が調べてくれたことや本当なら手も付けられない状態だったことを准一に話した。

その瞬間、准一のしがみつく腕の力がすーっと抜けた。

確かに愛美が平柳と別れるきっかけになったのはマンションに置いてある過去のデータを見てしまったことでそこには証拠が書かれていた。もしそれを見ていなければ今も平柳と関係が続いていたのかもしれない。

しかし父親の命を絶たれた思いが愛情を超えて憎しみに変わることを愛美は恐れ自ら身を引いたのであった。ところが時間が過ぎると本当に平柳が父の命を・・・と、自分で確かめたいという思いが強くなり、当時のことを調べてもらっていた。

その結果、自分の勝手な思い込みだったことが分かりその一瞬、後悔もした。しかし愛美には准一がいるし、平柳との事はその時けじめをつけたと、後戻りだけはしたくなかったことを准一に告げた。

しかし、准一にとって家族が犠牲になったことは事実であり今も許せずに生きている。そんな父親への憎しみは決して消せるものではなかった。

愛美は准一の目から流れ落ちる涙をそっと手の平で拭った。それでも拭いきれないほどの涙が溢れ出た。何も応えない准一に愛美もそれ以上聞かなかった。

そして、この時准一から流れた涙の真意を一生掛けて知ることになろうと愛美は思いもしなかった。


無言に過ぎる時間の中、「准一は何も知らない、そうに決まっている。もし、察してあのグリーンファイルを手に入れようとしても、平柳のマンションの暗証番号はあの時変更されていたはず。だから准一が見ることは決して出来ないはず。」と、自分に言い聞かせ今の准一を包んであげようと誓った。

しばらくすると准一はゆっくりと疲れきった身体を起こした。

涙はすっかり乾いていたが着慣れない黒のスーツがやけに細く見え一週間前の准一とは違って見えた。

「愛美・・・」
「なに?」

愛美はうな垂れている准一の顔を覗き込み応えた。

「僕はこれからも愛美を愛し続けていいのかなぁ」と聞くと
「当たり前でしょ!准一が居てくれるから私も頑張れるんだし、そんな弱気なこと言わないで!」
と、愛美は母と同じ生き方だけはしたくないとはっきり応えた。

今夜は交代で父を見送るので灯りを絶やせないと言い准一は式場へ戻って行った。
できることならずっと付いていてあげたいがそうもいかない。愛美は准一にキスをすると優しく抱きしめて「頑張るんだよ」と告げタクシーに乗せた。



准一が式場に戻ると、ひと時の別れを惜しむように妹が棺に顔を伏せてじっとしていた。

准一はそっと近寄り「伯父さんたちは帰ったの?」と聞くと、こくりと首を立てに頷いた。

そして「風邪引くなよ」の准一の言葉に、薄っすら微笑むと瞳から大粒の涙を溢した。

そしてまた、棺に顔を伏せじっとした。准一は奥の控え室に向かった。外扉を引くと奥から母と兄の声が聞こえた。

「母さん、いい加減に父さんのことを許してやりなよ・・・あのことは父さんが母さんと結婚する前のことだろう?そうでなきゃ父さんも天国へ逝けやしないよ」

母と兄が何か揉めているようだった。准一は立ち止まって話を聞いた。

「弘昭、お母さんだってそんなことは分かっている。そりゃ結婚の経緯がどうだろうと准一や由香が産まれた時お父さんはとても喜んでくれたし、お母さんだって幸せだった。しかし・・・単身赴任になって一人暮らしの部屋であの手紙を見つけた時は本当に悲しかったの。」

准一の母は、単身赴任になった平柳の部屋で昔の恋人、愛美の母親からもらった最後の手紙を大切に保管してあるのを見つけてしまったのである。
それを読んだ母親は平柳が未だに愛美の母のことを忘れられずにおり、不倫関係にあるのではと誤解をしていたのである。

もちろんそんな筈はなく平柳も否定した。しかし、そんな両親の部分的な会話を中学生の准一は聞いてしまっていたのである。

長男の弘昭は引きこもりや家庭内暴力が始まった頃父親から全てを聞かされた。男同士の腹を割っての話し合いだった。
むしろ母方の祖父母から医者になる為に自由も制限され辛い日々を送りそれらの原因が積もって壊れてしまったのである。

平柳は人間として男として必要な医者として人の命を預かる大切さを弘昭に話したのである。しかも愛美の母親とのことも全て話した。
弘昭は全てを理解したうえで生きる道標を導き出し現在の建築関係へ勤めるきっかけができたのである。

しかし、准一と由香はまだ子供だろうと言うことで何も伝えられていなかった。その為、准一は父親が母親を裏切った男だと、ずっと寂しい心を引きずって生きてきたのである。

しかし平柳の死で、母が抱える心の寂しさを全部さらけ出し、失語症が続いている由香のこともちゃんと向き合ってあげることが病状の回復にもつながるのではないかと察し、弟妹にも話した方がいのではないかと、弘昭が提案したのである。

それを聞いていた准一は愕然となった。

「准一・・・」内引き戸を開けて弘昭が言った。

「准一・・聞いていたのか・・。だったら話は早い。」と言い、部屋へ招き入れて話を続けた。

「実は父さんはずっと母さんと家庭内離婚状態だったんだ。」
うなだれる准一は何となくそのことに気付いていた。

弘昭は続けて、
「しかし、父さんは何も疚しいことはしていなかったんだ。確かに昔付き合っていた恋人はいたけど、それは結婚前のことで、母さんと結婚することで別れている。しかしその別れも祖父母が強引に別れさせたことで、本当は父さんの意思ではなかったんだ。だから父さんは相手の女性のことがずっと気掛かりで心配だったんだ。」と言うと、その手紙と写真を准一に見せた。

そして准一がその写真に目をやると・・・「愛美・・?」

その写真には愛美と瓜二つの女性と平柳の二人が笑顔で写っていた。どう見ても数十年前の写真である。

「こんなに似てる人・・愛美の母親?」准一は、確信した。
手紙を読めば、女性が結婚すると書いてある。この時すでに平柳は母と結婚していたはずだ。

女性は自分も幸せになるから父にも幸せになってほしいと書いてあり、返事はいらないと結んであった。お互いこの時点でけじめがついていたのであろう。写真はきっと父が思い出の為に取っておいたものだと察しがついた。

「この写真の女性は愛美の母親だ!」女性の笑顔からのぞく平柳への愛情の深さ、それは現在の愛美そっくりだった。

「そう言えば、昔の思い出が・・と言って今回愛美と同伴してくれた・・」と准一は思い出した。

准一は父親が昔の恋人の面影を愛美に映していたことに気付くと、あえて父親と愛美が愛人関係だったことを話さなかった。そしてこのことも生涯心にしまい生きていく決意を決めたのである。
頭の回転のいい准一は全てを理解した。理解した途端、さっきまで張り詰めていた気持ちが抜けた。しかしそれと同時に恐ろしいほどの後悔と罪悪感に襲われた。
そして母親は言った。
「准一、ごめんね。お母さんが未練がましくいつまでもお父さんを許せずにいたの。でも本当は心のどこかで信じていたいって思っていたのよ。だから離婚せずに今までやってこられたの。時々部屋の掃除でマンションに行っていたけど、お父さんはいつも誠実だった。」

8畳ほどの部屋で母と兄弟が過去の重みに耐え、そして今、それらが解き放たれた瞬間だった。

曜日が替わり、弘昭が由香と交代すると言って部屋を出た。

しばらくして目を腫らした由香が戻ってきた。母親はそっと由香を引き寄せ肩を撫でた。ほどよい温かさのお茶が由香の喉を潤した。

しばらくすると由香はそのまま仮眠用の布団へ横になった。母は由香にはもう少し落ち着いてから話をしようと決めていた。
准一も兄の後、父親に最後の思い出を語りあかした。

翌日午前11時、葬儀が始まった。最後の別れである。愛美も母も焼香を済ませた。さすがに昨夜ほどの弔問者はいないが、車のクラクションが悲しみを伝えると二人はそれぞれの思いを胸に最後を見送った。

そして出棺されようとしたその時、由香は運ばれる平柳に向かって「お父さん、お父さん・・」と言ってすがり付いて泣き崩れた。

母親と弘昭は由香を宥めそっと肩を抱いて支えた。小さい頃、父親が一番可愛がっており、弘昭の家庭内暴力が原因で失語症になった時も心配していろんな神経科の医者に相談しずっと気にかけていた。

一瞬の動揺に周りの弔問者も涙を一層誘われた。

愛美と母はそれぞれの思いを秘めながら式場を後にした。そして愛美はそのまま大学のマンションへ母は自宅へと戻った。

戻り際准一から、「明日アパートに帰る。土曜日の卒業式は予定通り出席。」とメールが届いた。

そう言えば、准一は大学から卒業生代表の言葉を頼まれていた。

運がいいのか悪いのか、土曜日の卒業式には出られると言うことだった。


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