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見えない城
■ 目次へ
第19回
崩壊
そこれからと言うものの平柳も愛美も多忙な毎日を送った。
もちろん休みが合う時間などなかった。平柳にはいつでもいいからマンションへおいでと言われていた。もし私が居なくても勝手に入ってくつろいでいいからとも言われた。
だからと言って図々しく平柳のマンションへ出向く訳にも行かない。
秋風が吹き始め愛美はどうしても平柳の温もりを感じたくなっていた。
愛美は根岸駅の近くのスーパーで煮込みハンバーグの材料を仕入れた。 料理は得意ではないが、一人暮らしが長いため、適当なものは作れる。 もし平柳が帰れないとしても冷蔵庫に入れておけばいつでもチンして食べられると考えた策である。
以前のように遅番の愛美は10時近くにマンションに着いた。ブザーを押したがやはり応答は無い。仕方なく暗証番号を押した。
「ガチャッ・・」と音がしてドアが開いた。誰も居ないはずなのに、灯りのついたその部屋へ愛美は上がった。
「おじゃまします・・」
知れたリビングへ向かい窓を少しあげ外の風を入れた。前回とは違い秋を感じる風だった。
「もう秋なんだぁ・・・」
愛美はキッチンに立ち料理を始めた。1時間程して出来上がると皿に盛った。立ち上がる湯気を見ながら「一緒に食べれたらいいのに・・・」と思ったが、一人でも多くの患者を救う為に頑張っている平柳を思うと「甘えてはいけない・・・」と打消し、一口水を飲んだ。
ソファには洗いざらしの下着が無造作に放置されていた。
「洗濯したんだぁ・・」
愛美は丁寧に畳むと、寝室のクローゼットへ運んだ。
「確か・・この辺り・・」
扉を開けると左側にはスーツ等がハンガーにきちんと掛けられていた。私服は丁寧に畳まれ引き出しに入れられ、ワイシャツはクリーニングから戻ったままビニルに入ったまま何十にも重なって積まれていた。
「下着・・・下着・・」
愛美は一番下の引き出しを開けた。そこにはきちんと畳まれた下着や靴下などがしまってあった。
「なんて几帳面なんだろう・・・私のタンスなんてもっと乱雑なのに・・」 愛美は平柳の内面を伺い見たような気がした・・が次の瞬間それが違うことに気付かされた。
それは下着の右の隅に置かれた小さな紙袋だった。
「?なんだろう・・」
愛美は恐る恐るその袋を開けた。中には避妊具が2箱入っていた。封は開けてない。
「・・・」
愛美は平柳自身が購入して自分で使うものだと思った。しかし・・袋のパッケージには銚子市○○薬局と書かれている。
「どうしてわざわざ銚子なの?出張で買ったの?」
愛美は思い出していた。
平柳は愛美と愛し合うとき避妊具は使わない。
「だったらなぜ?・・私以外の人と?そんなはずはない。だってこんなに忙しいのに時間が取れるわけがないもの・・・・」
愛美はしばらく考え込んだ・・・。その時ふと、思い出した。
「確か、柳原部長は以前千葉県に居たことがあるってことを。確かにあちこち転勤していたと聞いてはいたが・・・、ひょっとして・・・家族?・・・・そうだとしたら奥さんとの為に?」
愛美は理解できないでいた。 確かに平柳に奥さんがいてもおかしくない。むしろ居ない方が不自然である。しかし今まで家族の話も奥さんのことも聞かされていなかった。 病院でも家族の話はほとんどしない。
愛美はもし、平柳に家族があるのなら一度聞いてみたいと思ったが、聞いたところでどうなることでもないし、どうもしようも無いと思った。ただ平柳のことは何でも知りたかったのである。
愛美は冷めた料理をラップで包み冷蔵庫に入れた。そしてメモを残してマンションを後にした。
数日後、平柳からメモが手渡された。オペに向かう一瞬だったため会話は無かったが一瞬触れた指先に温かさが伝わった。
「ありがとう。煮込みバーグ美味しかったよ。」 文字数は少なかったが平柳らしい優しさが伝わった。
愛美は嬉しさで胸がドキドキした。しかし次の瞬間・・・例の袋が脳裏に過ぎり不安を隠せないでいた。
「先生はこれからオペか・・終わるのは午後6時過ぎかな・・。」
オペが行われた日は出来るだけ出頭医は当直に廻されるので今夜も平柳は帰らないだろうと愛美は思った。しかし、あの袋のことが気になり今夜もマンションへ足が向いてしまった。
日勤の愛美はまだ夕陽が沈みきらない時間にマンションに着いた。今日は誰も居ないに決まっている。
ブザーも押さず暗証番号を解除して部屋に入った。いつもとは少し違う気持ちだ。
室内は先日と変わらず平柳が寝起きしているそのままになっていた。
愛美はうっかりして買い物をするのを忘れた。
「あっ!・・・ったくぅ、何の為に来たのよぉ・・」自分に説教すると仕方なく冷蔵庫を覗いた。
そしたらなんと色取り取りの野菜や果物、そして魚や肉なども冷凍室に入れられていた。
愛美は驚いて隅々まで見渡した。
飲み物も果汁100%や珍しい香辛料も置かれていた。
「・・・先生・・」
愛美は平柳の気遣いを存分に感じた。 もちろん平柳自身が食べたいから買ったわけではない。愛美には経済的に迷惑を掛けないようにと心遣いをしたのである。もう一つは平柳自身も温かいママゴトのような生活に憧れていたからであろう。
ふっとカウンターに目をやると、メモ書きがあった。
「愛美ちゃん、いつもありがとう。愛美ちゃんがいてくれると私は元気になれるよ。それから何を用意したら分からないけど冷蔵庫に入れておいたから適当に使って。私は仕事で不規則だから何時合えるか分からない。でも四六時中君のことを考えているから・・・愛してる・・」
愛美は身体の芯からこみ上げる愛情を感じた。
そして今まで抱いていた不安が嘘のように霧が晴れ、用意してくれた食材で2品ほど料理を作った。日勤の愛美は自分も空腹なのに気付き味見を兼ねて少し摘んだ。ベビーリーフとマグロのカルパッチョはゴマソース風でさっぱりしとした風味の中にコクのある味に仕上がった。もう一品は肉じゃがを作った。これは母親がよく作ってくれた品で愛美も得意であった。
「うん!美味しい・・!」
そして満足げに一人微笑んだ。 デジタルが7時32分を刻んだ。
「あっ、もうこんな時間・・」
愛美は料理を冷蔵庫に入れ後片付けをした。 そして帰ろうとした時・・ふと例の物が脳裏を掠めた。
「袋・・」
愛美は寝室のクローゼットを開けた。 いつものようにきちんと整理されている。 そして一番下の引き出しを開けた。右の隅・・
「あっ・・・」
愛美は自分の目を疑った。 「違う・・・この袋じゃない!」 愛美はこの間見た紙袋とはあきらかに違うその物に気付いた。そして中も確かめた。 中身も以前のものとは違っていた。 「どういうこと・・・」 愛美は分けが分からなかった。
もし、平柳が自分で買った物なら未開封のまままた買い求めるはずが無い。しかもあの日からまだ1ヶ月足らずだ。使ったとしても2箱も使い切るはずがない。どういうことなのか混乱した。
と、その時玄関のドアが開いて平柳が戻ってきた。
「愛美ちゃん?」
平柳が呼んだ。しかし愛美は声も出ずその場にしゃがみこんでいた。 平柳が寝室のドアを開けた。
「愛美ちゃん・・・」
午後始まったオペが事のなしかスムーズに終わり、症状も安定していたので珍しく帰宅できたのである。
愛美は振り返り平柳の顔を見た。突然の帰宅に驚いたがそれよりこの現状を早く解決して欲しいと願った。
「やっぱり・・見たんだね・・。」
平柳は少し寂しそうな表情で愛美を見つめた。 「この間、愛美ちゃんが私の洗濯物を片付けてあったからひょっとして・・と思っていたんだ。」
平柳は少しため息を着くと愛美に話した。 「これは・・・私の妻が置いて行ったものなんだ。」
愛美は初めて平柳から妻という言葉を聞いた。 「奥さん・・」
「そう私には・・千葉に妻がいる。長年単身赴任してるから・・別居と言った方がいいかな。子供もいる一番下がまだ中学生だ。」
平柳は愛美の横に座り込み淡々と話した。
愛美は話さなくてもいいようなことを平柳にしゃべらせてしまった・・と後悔した。 愛美の身体が震えた。心のどこかで奥さんが居ることを分かっていたはずなのにいざ口にされると整理が付かなかった。平柳は愛美の肩を抱き寄せ、
「愛美ちゃん・・聞いて。私は君を騙したり遊びだとは思っていない。心から愛している。ただ・・私に家族があることは確かなことなんだ。その家族の為に仕事をしていることも間違いない。初めて君がこの病院で勤務した時から私は恋をしてしまったんだよ。恥ずかしいよね・・。この年で。理由は分からない・・・。ただ私の心のどこかに愛しさと懐かしさが交差して・・・」
しばらく間が空いた・・・。
平柳は話し続けた。
「私と妻は一番下の娘が生まれてから一度も夫婦生活は無いんだ。」 平柳は目を閉じて淡々と話した。
「愛美ちゃん、夫婦って愛がなくても続くものなんだよ。でも子供は自分の血を分けただけ愛情が繋がる。だから可愛いし父親としての責任も果たさなければならないんだ。」
平柳はオペで疲れきった身体で話し続けた。
「この避妊具は妻が定期的にこのマンションへ訪れる時置いていくんだ。私が使うはずないのにね。」
妻は妻の立場を主張してるんだろう。暗黙に浮気を肯定している上で夫を縛り付けているのかもしれない。 愛美は、自分がなんて幼稚で平柳の真意を察してあげられなかったのだろうと、悲しくなった。
「ごめんなさい・・・」
「愛美ちゃんは何も悪くないよ。だから自分を責めないで・・。」
平柳は涙が零れ落ちる愛美の瞼をそっと手で拭って抱きしめた。
「先・・生・・」
愛美は抱きしめられた平柳の胸で泣いた。平柳も溢れそうになる涙を堪えた。愛美に伝わる平柳の鼓動がとても寂しく辛く、悲しく感じた。
ひとしきり泣いた後、愛美は上ずった声で
「先生・・私・・先生の家族を悲しませることはしたくないし、もしそうすれば先生を悲しませることにもなる。だから・・・このままでいい・・。私は先生が好きだし愛してる。だから先生のそばに居たいって思うし愛されたいって思うの。先生に迷惑も掛けない。だから私には何でも話してね。若くて頼りないけど・・私・・先生のこと信頼しているから。」愛美は精一杯努めて冷静に言った。
平柳も 「ありがとう・・愛美ちゃん・・。私も同じだ。ずっと一緒にいよう・・。」
二人は強い絆で結ばれた。決して離れることはない・・と、その時は確信していた。
「あっ、先生、私肉じゃが作ったの。食べる?」 愛美はしゃがれた声で言った。
「そうかぁ、きっと美味しいだろうなぁ。」 平柳も空腹だったことを思い出し二人はゆっくり立ち上がりリビングへ向かった。
愛美は冷めた肉じゃがに火を入れ温めた。カルパッチョも冷蔵庫から取り出し平柳に勧めた。平柳はニコニコしながら自分で冷蔵庫からビールを取り出し、タブを開けて一気に半分ほど空けた。
「う〜ん、この一口がうまい!」
そう言って愛美に満面の笑みを伺わせた。愛美もその仕草を見て今までの重い空気から脱せた。
「やっぱり大人なんだぁ・・」愛美はそう思った。
この夜は、平柳のオペ疲れもあり愛美は気遣って後片付けを済ませると自分のアパートへ帰った。平柳は少し寂しそうだったが、それも次回へのお預け・・と思い、二人は笑顔で分かれた。
平柳の心の痛みと奥さんの存在に愛美は整理するのにしばらく時間が掛かったが、愛の比重に勝るものはなく以前に増して平柳を愛していった。
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