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作品名:もっけ 作者:rana

第4回   勤番武士と八丁堀
 藩主交代は通常、滞りなく行なわれる。何故ならお家騒動は藩を潰す絶好の口実に繋がるからだ。潰した藩の領地は天領となり、世が世なら手柄を立てた者の手に渡るのだが、和平の長く続いた今の世では、周辺の国に分配されたり、別の藩の次男坊辺りが派遣されてきたりする。
 その地の領民としては、頭がすげ代わっても生活に大きな影響が出る訳ではないので、ただじっと息を潜めているしかない。誰かに事態を口外しようものなら、制裁されるのが火を見るより明らかだからだ。
 だからもし“そういった”事態に陥った場合、敵味方ばかりか、身分に関係なくひた隠しにして、藩の外部に漏らさない様、細心の注意が払われる。
 周囲にとって迷惑千万な騒動ではあるが、私腹を肥やしたい者、武士道や人道を重んずる者、それぞれの信念が正面からぶつかってしまった結果なのだから、選択は諦めるか便乗するかに分かれる。

 ある藩で“そういった”事が密かに勃発したのが五年程前だ。事の発端は藩主の跡継ぎが三人も相次いで不慮の死を遂げ、直系筋が途絶えた事だった。
 藩主は息子の死を計略によるものだと疑い、親族は我こそ、我が子こそ次期当主と推し進め、無関係の者まで巻き込んでの大騒動へ発展した。
 死傷者が出て尚、激化する事態に憂慮した先代の藩主は、まずは発端の跡継ぎの死の解明を手の者に急がせ、それが事故である事を証明し、親族の中から先代自身が選抜して跡継ぎを決めた。
 選ばれたのはこの騒動から一番離れていた親族で、渦中の中、城へ登城もせずに田んぼで農民と一緒に泥だらけになっていた男だ。元々、出世に思い入れの無い男は、泥沼化していく政に嫌気を起こし、常時人手の足りない田植えに逃げていた。
 同じ泥なら、現実の泥が良いのだと開き直った男に、先代が惚れ込んだのだ。
 その彼を先代の養子に迎え入れて、早々に現藩主を退かせ、情勢や人々の心が落ち着いたのが昨年の冬である。
 誰と比較しても至らないと、自らをそう酷評する新しい藩主は、貪欲に周囲の意見を聞き、正しいと思った事は実行する、理想的な藩主となった。
 新しい藩主には、元服したばかりの息子が居る。嫡子は「人質」として将軍のお膝元で過ごすのが通例で、この夏に共の者を連れて上洛する予定だった。
 その為の下準備などで先入りしたのが、佐々木 新九郎だ。長い旅路を経て藩邸に到着した新九郎は、挨拶を終えた後に藩から用意された勤番長屋に向かい、先に到着している筈の佐々木 伊右衛門――実父の姿が見えない事に気付き、慌てて捜しに出た。
 佐々木 伊右衛門は、心の蔵が悪く、この長旅も本来は同行する予定は無かったのだが、息子の仕事振りを補助するのを理由に、共にお国許を出たのだった。伊右衛門は新九郎に「朋輩の顔が見たくなった」と話しており、病を理由にそのささやかな願いを止める程、新九郎は野暮でなかった。
 だが、長旅の疲れが残る内に居なくなるとは思っていなかった為、新九郎は色を無くして飛び出したのだ。
 まだ地理に精通している訳ではなかったが、大方の地図は頭に入れたあった。現地に到着して、誰よりも敏捷に動ける様にと、前もって叩き込んで来たのが、こんな形で役立つとは皮肉な話だ。
 新九郎は藩邸から離れた神社まで捜しに出たが、一向に伊右衛門を見付ける事が出来なかった。そんな折、目に映ったのは小さな茶屋だった。
 藁にも縋る思いでその茶屋を訪れ、そこで思わぬ出来事に出くわした。

 辻斬りである。

 そもそも辻斬りとは、道の分かれる場所で通る者を待ち伏せ、斬り付ける者を指す。この場合、何か目的が有る場合を除いて、そこを通る者を選んでいる訳では無いのだが、反撃されるのを未然に防ぐ為なのか、武家の者を狙うのは非常に稀だ。
 それに如何に八百八町を誇ると言えども、辻斬りなど頻繁に行なえる犯罪ではない。そこまで町奉行は無能ではないのだし、町奉行の手が出せなくても、お上に知られれば武士として処断されるのが免れないからだ。
 しかし、茶屋を営む幸太という青年は、日を置かずして二度も辻斬りに出会っているという。しかも二度目は辻でも無ければ夜でもない。彼自身の店先で、他にも人が居るにも関わらずである。
 咄嗟に剣を抜いて応戦したものの、相手の腕が相当なものだとすぐに新九郎は気付いた。相手が諦めてくれたから助かったものの、そうでなかったら新九郎も無事では済まなかっただろう。
 行きあった奇妙な縁で、新九郎は幸太を助けたのだが、新九郎は幸太を見れば見る程、何故なのか解らなくなる。何処からどう見ても、命を白昼堂々狙われる人間に見えないからだ。
 理由が何であれ、目先の危険には変わりがないので、一先ず茶店に来ていた神宮寺の和尚と共に神社の敷地内まで送って行き、新九郎は再び伊右衛門を捜しに、来た道を引き返している。
 だが剣を抜いた気分の高調は中々冷めやらず、不可思議な符号に意識は囚われてしまっていた為、捜している様で上の空だった様だ。突然背後から声を掛けられて、思わず柄に手を置いてしまった。
「新九郎、どうしたのだ。通り過ぎておるぞ」
「ッ、父上!」
 あれだけ捜していた伊右衛門に引き止められて、新九郎は漸く先程の事を意識から外す事ができ、自分を呼んだ父親の元へ引き返す。顔色や様子は落ち着いている様で、そっと胸を撫で下ろした。
「わしを捜しに出たと聞いてな。心配をかけた」
「いえ、大事無く、何よりです」
 伊右衛門は率先して勤番長屋に入り、新九郎もそれに続く。玄関先の框に座って、草鞋を脱いで泥を落とすのを小者に任せた。
 ふと、新九郎は伊右衛門の足元を見る。視線をやった意味は無かったのだが、それを見付けた時の、肝が芯から冷える感覚は、経験した事が無い程の恐怖感へと変じた。
 伊右衛門の草鞋に引っ掛かる様に付いていたのは、枯れた笹の葉だった。新九郎が知る限り、藩邸の周辺には柳と欅が多く、竹が生えている場所は近くて白神神社の横手――幸太の茶屋の裏手くらいなものだ。それも竹林に当てられた敷地は狭く、そんな場所に足を踏み入れるなど不自然極まりない。
「父上――」
 言葉が喉の奥に張り付いて、それ以上の声が出てこない。新九郎の声は伊右衛門には届かなかったのか、伊右衛門は早々に次の間に入ってしまった。
 父の気配が希薄になってから、新九郎は深い溜息を吐く。小者が不思議そうな顔をしたのを片手を上げて何でもないと伝え、ゆっくり立ち上がって父が入って行った次の間へ足を踏み入れると、すっと気持ちが落ち着いた。
 幸太を襲った辻斬りは二度姿を見せており、一度目はまだ新九郎と伊右衛門は旅路の途中だ。“そう”である筈がないのだと思い至り、漸く新九郎は父の顔を見る事ができた。
「この辺りは三年前とそう変わらぬな……」
「そうなのですか?」
「うむ……充てられた長屋の場所まで同じで、まるで年月が戻った様だ」
 伊右衛門はそういうと、笑い皺を深めて表情を崩す。
 心の蔵が弱ってしまい、それを理由に国許へ戻ったのが三年前の事だ。元服してすぐに国許を離れ、今の留守居役と共に定府勤番を長く果してきたこの地は、伊右衛門にとって故郷よりも馴染み深い。
 その証拠に、新九郎に近辺の地理を教えたのは伊右衛門だった。伊右衛門の記憶に残る姿を変える事無く、この地は佐々木親子を出迎えた。
 人の出入りが激しい将軍のお膝元だが、大火でも無い限り、三年程度ではそうそう地形や家屋敷に変化は無い。そこに住まう顔ぶれが変わっても、町並みは諾々と月日を重ねてゆくのだ。
 新九郎は三年前を懐かしんでいる伊右衛門を見て、一時でも父を疑った事を恥じた。そんな愚行を犯す人ではないと一番理解しているというのに、たかが枯れた笹の一つで疑心を抱いたのだ。新九郎はまだまだ修行が足りないと、肝に銘じた。


   * * *


 柳が風に揺らめいてから、その涼が汗ばんだ肌に触れる。釣瓶落としの如く落ちた太陽は、その余韻を空に残して、静かに黄昏時を教えてくれた。
 番屋からその様を眺めていた目明しの親分衆は、赤く染め上げた空を一瞥して苦々しい表情を見せた。縄張り意識が強い目明しだが、此度、巷を騒がしている辻斬り騒動に関しては、互いの情報を開示している。
 一連の辻斬りは、南町が月番だった際に起きたのが最初であるから、南町奉行所が中心となっているものの、町奉行の都合が辻斬りを左右させる訳がなく、北町が当番月でも頻繁に現れている。
 辻斬りによる死者は、あるお店の手代一人と、小間物屋店主一人の、二名出ているのだが、噂は駆け抜ける先々で架空の犠牲者を増やし、天下の殺人鬼として話がどんどん大きくなっている様だった。
 今や手柄がどうのと争うより、町方の誇りにかけて辻斬りをひっ捕らえるという意思の元、表向きは協力体制を取っているのだ。勿論、腹の底では己こそが手柄をと、虎視眈々と探り合っている。
 しかし被害者の生き残りが有力な目撃者でありながら、「頭巾を被った武家らしき男」という薄弱な記憶しかなく、被害者の共通点も見出せない為、互いの情報開示をしても真新しい手掛かりは出てこないのだった。
 そんな行き詰った沈黙の中、南町臨時回り同心の下山が顔を見せ、馴染みの岡っ引きに視線を寄越しながら話し掛けた。
「幸太が昨晩、奴に狙われたってぇ、本当か」
「へぇ、白壁柳の番屋に駆け込んだお陰で、事無きを得ておりますが」
「今日の昼八ツ、奴ぁ、幸太の茶店の方まで出張って来たらしい。居合わせたお侍が助けて命は拾ったみてぇだがな」
 下山の言葉に驚いた顔を一瞬だけ見せ、すぐに平静を取り戻した岡っ引きは、下山の話に続きが有ると踏んで、喉まで出掛かった言葉を飲み込む。
 その様子を見てから、下山は再び口を開いた。
「八州の旦那から聞いた話だがな、黒鼬一味が、またぞろ姿をチラつかせているらしい」
「黒鼬……!」
「おぅよ、それで調べたんだ、お前ェらも北町に伝えておけ。辻斬りで死んだ二人は、三年前の急ぎ働きの生き残りだった、当時の小僧と番頭だ。火盗改めも動いていやがる。幸太の所に二度も“辻斬り”が出向いたなぁ、黒鼬絡みと思って良いんだろうぜぃ」
 そう締め括った下山は、番太郎に麦湯を頼み、ざっと親分衆を眺める。“黒鼬”と聞いて奮起する者が多い中、先程話し掛けた岡っ引きだけ暗い表情をしているのを、複雑な思いで見つめた。

 三年前、大店が居並ぶ界隈で、凄惨な押し込みが有った。たった一晩で、呉服問屋の有松屋、太物問屋の遠野屋、菓子司の山岡屋の三件が被害に遭ったのだ。
 生存者はたったの四名で、有松屋の下働きの小僧が一人、遠野屋と山岡屋の通い番頭二人と、山岡屋の職人一人だけが難を逃れた。
 通い番頭は住み込みではない為、この惨事から運良く逃れたのだが、有松屋の小僧は隣の山岡屋の異変に気付き、慌てて縁の下に逃げ込んだ直後、盗賊が押し込んだ。
 押し込んだ盗賊が“黒鼬”と判明したのは、この小僧の証言があったからである。
 幸太は山岡屋の住み込み職人だったのだが、その晩は不在だった。白神神社へ菓子の届け物をした後、常行和尚が強引に碁の相手をさせて、一晩足留めしたのが幸いしたのだ。
 だが、早朝に幸太は白神神社を後にして、山岡屋の惨劇の跡を見てしまっている。有松屋の小僧を除いたら、幸太が第一発見者なのだ。
 そんな経緯を知っているからこそ、下山が馴染みにしている岡っ引きは渋面していた。下山とて、幸太はまるで知らぬ相手ではない。
 この件は最終的に火盗改めが陣頭指揮を揮ったが、当時の月番は北町で、下山の同輩が北町同心だった縁で事情は知っている。下山自身もその足で黒鼬を追い駆けたし、当時の幸太の様子も見ているのだから。
「おぅ、捨! もう一人の生き残りはこっちに任せな。幸太は白神神社に匿って貰っている。おいら達は体面上、寺社にゃあ深く入れねぇが、お前ェさんとこの下っ引きは幸太とは竹馬の友だろう。二人で見舞ってやんな」
「――へぃ、下山様のお言葉に甘えやす」
 下山は懐から幾ばくかの心付けを岡っ引きに渡し、番太郎が用意した麦湯を流し込む。遠くから蜩の声が聞こえていたが、番太郎が提灯に火を入れた頃には、違う虫の声に変わっていた。


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