「レッド?! どこ?!」 僕は走りながら周りを見渡した。皆どこかに避難しているのか、人影はどこにも見当たらない。僕はレッドの声がしたあたりに目星をつけて走る速度を緩めた。えぐれた地面に足をとられかけながら、僕は建物のすきまとも言える路地裏を慎重に歩いていく。さすがに路地裏に面する建物の壁は傷ついていなかった。一方で広い路地に面した壁面は――といっても4メートル程度の道だけど――深く切りつけられた痕があったのを僕は見た。建物はハルの森でも一番堅いクシの木を使っているのに。クシの木は家庭用の包丁程度なら傷ひとつつけることができない。それをあれほど深く傷つけるなんて相当の殺傷力だ。風に斬りつけられた瞬間を想像し、僕は身震いをした。 「レッド、避難できたのかな」 それならいいけれど。僕は肩で息をしながらそっと路地裏から顔を出した。剣の柄を両手で握りしめ、前にかざしながら、へっぴり腰できょろきょろと見回す僕。我ながらちょっと情けない。 路地裏を出た先は、地面に木切れや看板、屋根の割れ片が道の半分以上を埋め尽くすほどに散らばっている。片づけが大変だなと呑気なことを思って見回していると、ふと、破片の一つががたりと揺れた。割れ片の下に誰か居る。 「レッド!」 僕が叫んだ瞬間、僅かに風が吹く。大変だ。僕はレッドの元へと駆け出した。レッドの周りにはオレンジ色の光がなかったからだ。僕はレッドの前に立ちどまると両手を広げた。僕の足と指先が恐怖で震えたけれど、大丈夫、僕にはオレンジの光がついている。そう思って僕が両目をきつく瞑るのと風が光にぶつかるのはほぼ同時だった。風は僕にぶつかって、正確には僕を包んでいるオレンジの光にぶつかって、弾ける。その勢いに押されて僕はころんと地面を転がった。 「サン?」 「やっぱりレッドだ」 地面に寝転がると割れ片の下のレッドと目が合った。僕は地面に転がったままレッドに笑みを向ける。 「無事でよかった」 そう言ったらレッドは口をあんぐりと開けた間抜けな顔で僕を見た。まさか僕に助けられるとは思ってもみなかったんだろう。しかし、そう安心してもいられないのが現状だ。僕は両ひざを体に寄せ、反動をつけて立ち上げるとレッドに手を差し伸べた。 「逃げよう。ここは危ないよ」 レッドは少しの間呆然としていたけれど、小さく頷いて僕の方へと手を伸ばす。 ――その時だった。 切り裂くような風が僕とレッドの間を通り過ぎた。同時に僕の腕を激痛が走る。僕は痛みに思わず叫び声を上げてしまった。僕の差し出した右腕の掌から肘にかけて、20センチほどの切り傷が広がっている。どうして?と心の中で問いかけながら周りを見れば、僕を守っていてくれたオレンジの光は消えていた。そういえば僕は剣を持っていない。剣は僕から数メートル離れたところに転がっていた。さきほどの衝撃で僕の手から飛んでいってしまったようだ。 どうやら剣は離れてしまうと力を発揮しないのだ。元来思考が遅い僕がそのことに気付いたのは奇跡に近い。多分それだけ必死だったんだと思う。とにかくそれに気づいた僕はすぐさま剣に向かって走り出した。 サン!とレッドが僕を呼ぶ声が風にまぎれて聞こえたと思う。走り出した僕は、けれど、風を感じて足を止めてしまった。そのまま走っていれば間にあっただろう。しかし元来弱虫の僕は恐怖に脳を支配され、支配された脳は僕のすべての動きを止めた。足が動かない。僕はその場に立ち尽くして風上を見た。風がくる。そう思った瞬間、僕は両目を強く瞑ってしまった。 ――もうダメだ。 風の衝撃がくるまでにどれくらいあっただろう。おそらく数秒、でも僕にはとても長く感じた。爆発音と強い風が僕の体全体にぶつかって、その次にくるだろう痛みに僕は身を固めた。けれど痛みはこなかった。この状況、さっきもあった。もしやと思って僕はおそるおそる目を開く。が、先ほどとは違って僕の前には誰もいなかった。あれ?と首を傾げてしまう僕。すると今度は後ろから腕をひっぱられ、僕は「わっ!」と声をあげた。 「大丈夫か?」 腕をひっぱったのは、やっぱりシンレンさんだった。シンレンさんのこめかみから汗が落ちる。金糸のような彼の髪が肌に貼ついていた。これは、相当走り回ったに違いない。 「焦らせんじゃねぇよ」 シンレンさんがため息まじりに言う。それからシンレンさんは腕で乱雑に汗を拭った。どうやら僕を探してくれたみたいだった。 「あ、ありがとうございます」 慌てて僕は頭を下げる。するとシンレンさんは僕の首根っこをつかみ、なんと、そのまま地面へ勢いよく叩き付けてくるではないか。僕は慌てて両手を地面につき、かろうじて顔面強打を逃れたが、突然の仕打ちに僕は彼を睨みつけた。しかし彼はそこにいなかった。その代わり、今まで僕が居たところを風の刃ーー鎌の形をした風の固まりが通り過ぎていくのを僕は見た。思わず瞠目する僕。 「めんどくせぇ」 僕の背後で誰かが呟く。振り返れば、いつ移動したのか、僕の背後にシンレンさんが立っている。 「お前、あいつに目ぇつけられたな」 目、って。目なんかどこにあるのさと言ったら怒られるだろうか。とりあえず僕は彼の言葉に頭を振った。冗談じゃない、という意味だ。僕は人畜どころかモンスターにすら無害だと思うのだが、レッドといい、どうして僕に目を付けるのか。一方シンレンさんは僕に目もくれず、空中に文字を書いた。彼の傍らに『風』と『刃』の文字が浮かぶ。そして彼の周りを竜巻きのように風が渦巻く。僕は風圧の強さに顔をしかめた。 彼が指先を左から右へ動かすと、動きにならって弓形の刃が出来上がる。刃は目に見えないなにかにぶつかり、彼の目の前で大きく弾ける。この、爆発音。さきほど僕が聞いたものと同じ音だ。同時に巻き起こる強風に僕は腕をかざし、薄く開いた僕の目に映ったのは心底面倒だと顔をしかめる彼の顔で、 「マジうぜぇな、お前」 そう言って、シンレンさんは空中へ指先を向ける。すると彼の周りを渦巻いていた風が巻上がりながら無数の刃と化し、一斉に彼が指す方へと向かっていく。その時だ。今まで可視できなかった魔物が一瞬白い固まりとなり姿を現した。白い固まりは刃を一身に受け、激しい破裂音と共に弾けた。 「……倒したの?」 何が起こったのかよくわからない。が、あの刃が魔物を追っ払ってくれたのだろうということは分かる。僕を見ると、シンレンさんは「いや」と小さくかぶりを振った。 「消えただけだ。ダメージはあっただろうが、死んじゃいねぇ」 そして、シンレンさんは地面に少々冷ややかな視線を向けた。 「で、てめぇはいつまで隠れてる気だ」 がたり。屋根の割れ片が揺れる。 「自分を助けにきてくれたやつの危機に我関せずとは大物だな、おい」 「う、うるせぇ! よそものに何がわかる! ほっとけ!」 「へいへい。ほっといてやるよ、じゃな」 そう言うと、本当にレッドから背を向けたシンレンさんを僕は慌てて引きとめた。まだ魔物はここにいるのだ。シンレンさんがいなくなっちゃったら、レッドも僕も生きてられない。 「ちょ、ちょっとまって!」 「なんだよ」 「なんだよじゃないでしょう! 今ほっとかれたら僕もレッドも死んじゃうって! ほら、レッドも何か言いなよ」 僕はシンレンさんの腕を掴んだままレッドを見た。するとレッドは、なんとそっぽ向いている。この状況で我侭にすねられるとはなんてやつだ。あくまで捻くれたスタイルをつらぬくレッドに僕は関心してしまった。ある種感動と言ってもいいかもしれない。なんてやつだ。 「あいつ、いい度胸じゃねぇか」 「あ、いや、あれは、その」 しどろもどろになる僕にシンレンさんは深く息を吐き出した。それから先ほどとは反対に彼は空を仰ぐ。 「残念だがほっといても、死にゃしねぇな」 へ?間抜けな声をあげて、僕はシンレンさんの視線を追った。
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