それから一体どれくらい経ったのか。僕は天井から落ちてくる水滴の冷たさと、頬に当たる暖かさで目が覚めた。うっすらと目を開ければ、僕の視界に入ったのは心配そうに僕の顔を覗き込んでいるクルーだった。僕は数回まばたきをした後、床に肘をつくとゆっくりと起き上がった。同時に僕の背中の筋に痛みが走る。どうやら背中を強く打ちつけたらしい。痛みに顔をしかめた僕にクルーは背中をさするように頬を寄せた。あったかい。クルーの体温と柔らかさに心なしか痛みがおさまっていくような気がして、僕はクルーの頭を撫でた。 「平気だよ」 僕は笑った。クルーは安心したように目を瞑ると「くるっぷー」と鳴き声をあげた。さて。僕は反動をつけて立ち上がると、服の汚れをてのひらで払った。見える限り体を確認してみるが特別大きな外傷はなさそうだ、よかった。けれど服がところどころ湿っている、あぁキモチワルイ。頭の三角巾はどこかへいってしまったようだし、エプロンは何かにひっかかったのか肩紐の部分がちぎれ、裾が破れ使いものになりそうにない。僕はため息をつくと、エプロンをその場に投げ捨てた。 「レッドは?」 「くー」 クルーは顔を階段の方へと向けた。要するに僕が階段から落ちたのにビビって戻っていったということだろう。僕は深く息を吐き出した。ビビリはどっちだ。それから僕は相変わらず石に囲まれた地下室を見渡した。僕の左手側には奥へ続く道がある。前と右側には壁、背後には階段、天井は当然のことながら何もない。そこまで考えてふと、僕は今ある自分の状況がとてもおかしいことに気がついた。この地下室はとても明るいのだ。電気も松明すらついていないというのに、上の祠よりよっぽど明るい。もう一度、僕は左を見た。祠の向こう、道の行き止まりから温暖色の光が溢れている。どうやら突き当たりには何か部屋があるみたいだ。 「クルー、ここはなんなんだろうね」 僕の質問にクルーは何も言わなかった。さっきから変なクルー。僕はクルーの顔を覗き込んだ。 「クルー?」 「くっぷー」 ついてきて、と言ってクルーは突き当たりの部屋の方へと駆け出した。 「えっ、ちょっと待ってよ!」 僕は慌ててクルーを追いかける。石床がきちんと整備されていたのが幸いだった。そうでなかれば僕はクルーについていけなかったと思う。それほどクルーが全力を出すことは滅多にない。なんとかクルーのスピードについていきながら、僕は言い得ぬ不安を感じていた。この不安感に僕は覚えがある。でもどこで?それは思い出せない。この先に行ってはいけないんじゃないか、と僕は思った。けれど僕の足は引き付けられるように止まらなくて不安感は高まっていくばかり。やがて突き当たりに辿りつき、僕は突き当たりの右手側につくられた部屋――というか空洞というか――を見て、息をのんだ。
「宙に浮かんでる」
それが真っ先に僕の口から出た言葉だった。まさか、と何度も瞬きをしてみたけれどそれは消えない。幻じゃない、気のせいじゃない。数秒経ってそう理解した時、僕は言葉を失った。温暖色の光を放つ丸い石が、宙にふわふわと浮いている。重力などおかまいなしに浮いているのだ。光を放つ石だって今まで見たことも聞いたこともない。まるで太陽みたいなその石は、上下に不安定に揺れながら宙をただよっていた。
『サン』
そこへ湖の波紋のように穏やかな女性の声が響いた。けれど声は音として聞こえたのではなく、確かに音なのだけど、耳から入るのは少し違う。まるで僕の頭に直接響くようだった。不思議で本当なら怖いと思うところだけど、柔らかな声は逆に心地が良いと僕は思った。僕はこの声を知っている気がする。だってこの声に僕はなつかしささえ感じるのだから。でも思い出せない。 「僕を知っているの?」 僕は石に問いかけた。心なしか石は頷くように上下に動いた気がする。それと同時に石から溢れる光が増した。光はゆっくりと範囲を広げていって、最後には僕も全て包み込む。僕はあまりの眩しさに目を閉じた。目を瞑っているのに眩しい、不思議だ。 サン、止めて…… 止める?何を? ……テイエン……ダメ、レイに…… 僕の頭に響く声はいやに途切れ途切れでよく聞こえない。しかも何かをずっと繰り返しているのだけど、声は小さくなっていって何を言ってるのかわからなかった。待って。遠ざかる声に僕は言う。待って、僕は『レイ』がなにか知りたいんだ。それが物なのか人なのか、それと他のなにかなのかも僕にはわからないから。
ねぇ、待って!
次の瞬間、ハッとする。無意識に僕は目を開いていて、見えたのは光に包まれる前の空洞だった。だた一つ違うことといえば光が大分小さくなっていたことで、目の前は真っ暗に近い。何も見えなかった。それからしばらくして暗順応、次第に僕の目が暗闇に慣れてくると、少しだけ周りが見えるようになった。石がなくなっている。代わりにあったのは一本の剣だった。やっぱり宙を浮いている。その剣もわずかながらまだ暖かな光を放っていた。赤い鞘に施された金の装飾は光を称えた太陽だろうか。太陽から緩やかな流曲線が鞘全体を包みこむように描かれている。深茶色の柄の部分には深紅の球体がはめ込まれていた。球体の奥には何か記号らしきものが書かれているみたいだ。民族記号だろうか、少なくともロッコ村に伝わる文字じゃない。 「くるっぷー」 僕はクルーを見た。クルーの黄緑色の大きな目が僕に真直ぐに向けられている。 「この剣をとれって?」 クルーは静かに頷いた。クルーがそう言うなら。僕は剣に手を伸ばした。剣に触れた瞬間、逆に剣の方から僕の手に吸い付くような錯覚すら覚えた。同時に剣から光が消えてしまったらどうしようかと思ったけど、剣は僕の手の中で煌煌と光を称えていて、どうやらそれはなさそうだと僕は胸を撫で下ろした。洞窟の光はこれしかないのだからなくなったら真っ暗で動けなくなってしまう。――なにより、すごく怖そうだ。 「くるー、くるくー」 「早く行こうって、勝手だなぁもう」 僕はため息をつく。クルーもくーっとため息をついた。その時、ふと僕は人の視線を感じた。僕は気配に敏感だ、なんてったって日々レッドとその仲間達の気配をいち早く感知し、いじめっ子達の攻撃を避けては走り、避けては走り……まぁ、こんな話はどうでもいいとして。とにかく気配に敏感な僕はすぐさま振り返った。注意深く暗い洞窟の中を観察する。けれど、この暗がりでは人がいるのかさえよくわからない。
――気のせい?
「くるっぷー」 凝視したまま動かなかった僕の服をクルーが懸命に引っ張る。僕はクルーの頭をポンポンッと叩いた。 「うん、早く帰ろう」 なんだか嫌な予感がする。僕は暗闇を慎重に歩きながら手にした剣を握りしめた。
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