僕は深々と一礼して村長宅を後にした。それから荷物をまとめるために家へ向かう。いつの間にか陽は落ち、辺りは薄暗くなっていた。夕焼けでもなく、星が見えるわけでもなく中途半端な空の色。薄く光る月だけがひとり、広い空にぽつんと浮かんでいた。 春先の夜風は冬のように冷たい。けれど冬のような激しさもなく、淡々と風は緩く流れている。荒れた風に葉を飛ばされてむきだしになった細枝が、こころもとなく、寂しげに揺れていた。 僕はゆっくりと家のドアを開ける。すると、薄暗い室内にはなぜか甘い匂いが漂っていた。祠掃除のために家を出た時はこんな香り、しなかったのに。 不思議に思って僕がリビングを見回すとテーブルの上に小さなホールケーキが置いてあった。ケーキの周りにはたくさんの料理が並んでいる。 「ごちそうだ」 テーブルに並んだ料理を見て、僕は独りごちた。サラダに煮込み肉、僕の大好きな小麦パンに、同じく僕の大好きないちごたっぷりのショートケーキ。 まさか、そう思って僕は壁にかけられたカレンダーを見た。今日の日付けは赤のペンで丸く囲まれている。 そしてその下には大きく『サンの誕生日』と書かれていた。 「誕生日」 どうして気付かなかったんだろう、こんなに大きく書かれているのに。あまりに抜けている自分がおかしくて僕は笑ってしまった。 そして、泣いた。 誕生日といっても自分の生まれた日は覚えていない。これは僕がオルトの家族になった日だ。けれどこれが僕にとっての本当の誕生日なんだと思っている。僕はこの日、オルト一家の子供に生まれ変わったのだ。 僕は服の袖で涙をぬぐうと、椅子に座り、小麦パンを一口食べた。美味しい。他の料理も少しずつ口に運んだ。すごく美味しい。 『どうだ?美味しいだろう?この煮込み肉は隠し味にね』 得意げに料理を自慢するリュ―兄の姿が僕の脳裏に浮かぶ。僕は声を上げて笑ってしまった。笑った振動で僕の頬を涙が伝う。涙のしずくがテーブルに落ちて痕をつけた。 お父さん、お母さん、リュ―兄。僕を今まで育ててくれてありがとう。この恩は一生忘れません。ずっとここに居たかったけど、やっぱりここは僕の居場所じゃないから。この場所は僕には暖かすぎました。 「ごちそうさまでした」 僕はナイフとフォークをテーブルに置いて、手を合わせた。そして荷物をまとめるためにゆっくりと立ち上がり、僕は自分の部屋へと向かう。 ごめんなさい。真っ向からお別れを言うことは僕にはできない。勇気のない僕を許して下さい。さよなら、リュー兄。
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