庵に戻ると、口元にマスクをして、獣の皮手袋を両手に嵌めたセグランが、天人に覆いかぶさるようにして、血まみれの衣服を破いている最中だった。 「このような無礼をお許しください」 「あんまりウブなこと言っとると、坊に笑われるぞ」 「ウブとかそういう問題ではないでしょう。できました、薬をください」 「もうちょいまて。まだ煉りが足らん」 「早くしてください」 「ええい、年寄りをせかすな」 ジアは台所に立ち、太い木の棒を握り締め、大きなすり鉢ですごい悪臭の薬草を煉っていた。鼻が曲がるどころか、もげる、と言っても過言ではない。 だが、そんなことは言っていられない。 「戻りました。扇と火です。次はなにをすればいいですか」 「セグラン、こっちと代われ。脇をしめて、よく混ぜろ。この臭いが酸っぱくなるまで煉ったら、これとこれを、半分ずつ交互に足していけ。量を間違えるなよ。坊、おいで」 キルヴァはジアの手招きにより、寝台の天人に近づいた。 天人は美しかった。 腰まで届く長い豊かな髪は金色、肌は透き通るように白く、傷だらけで血で汚れていなければとても直視できない美しさだった。 「水の中で倒れていたのであれば、水(ウィア)の(・)天人(シャーサ)じゃない。さあ、この扇でそっと煽いでみなさい」 キルヴァは唇を結んだまま頷いて、扇を動かし、天人の顔に向けて風を送った。 「……反応ないな。風(ソレイア)の(・)天人(シャーサ)でもない、か。では、次は火だ。角灯の蓋を開けて、近づけなさい」 言う通りにする。ジアは少しの変化も見逃すまいとした表情で見守った。 もし、これで反応がないようであれば、この天人(シャーサ)は、雷(バロイ)の(・)天人(シャーサ)だ。 キルヴァはびくっとした。角灯を少し下げて、火を顔に近づけた途端、瞼がぴくっと動いたのだ。ジアは見逃さなかった。 「火(ラーク)の(・)天人(シャーサ)だ」 「火(ラーク)の(・)天人(シャーサ)?」 「ああ、火(ラーク)の(・)天人(シャーサ)だ。四種族の天人の内で、二番目に強い種族だ。気性が激しく、好戦的で、強い」 「でも、女の人です」 「女でも、強い。強さだけでいえば、一番強い雷(バロイ)の(・)天人(シャーサ)に勝るとも劣らんと聞いた。ただ、性格が飽きっぽいみたいだな。それから、悪戯好きで、人懐こいらしい。常にあらゆる事象に怒り狂っている雷(バロイ)の(・)天人(シャーサ)とは強さの根源がそもそも違うのだろう」 手を休まず動かしながらも、セグランはちゃんと聞いていた。 「随分と天人に詳しいですね。なぜです?いったいどこからそんな知識を得たのですか」 「無駄口は叩かんでいい。できたのか?できたらさっさと寄こさんか」 「もう少しかかります」 「早くしろ。坊、火はもういいからあそこの壁に掛かっている布を手に巻いて縛ってこい。身体を拭く。薬を塗る前にきれいにせんと。―-----手伝えるか?」 「はい」 「よし、いい返事だ」 ジアも手袋を嵌め、洗って清潔にしまっておいた布を何枚も出した。沢から汲んできた水をたらいに張って、布を浸し、水を絞り、天人の傷を拭う。ジアの手つきを見てから、キルヴァは真似た。小さな手で懸命に動く。その必至な様子はジアの憂いをいくぶん慰めた。 彼は、たとえ助けられたとしても面倒を負う破目になるな、と正直考えた。一介の隠居老人が抱えるには、重すぎる厄介事だ。昔は若いから、それもできた。だがいまは年をとりすぎた。たったひとりでどれほどのことができようか。 「できました」 セグランの声にはっと我に返る。 ジアは邪念を振り払った。余計な迷いがあるようでは、助けられる命も、助けられない。 それからは、ジアの指示のもとすべての傷に擦り込むように薬草を塗った。 セグランが手を出せる範囲で裂傷を縫い、キルヴァが手や足をさすり血行を良くし、ジアが獣を縛る要領で、手際よく、ごわごわした包帯を全身に巻いてゆく。 それから、火に近い環境の方がよかろう、というジアの言葉に従って、手当の済んだ天人を作業小屋に運んだ。同時に運び入れた獣の毛皮を何枚か敷き、その上に寝かせる。 相変わらず、天人の呼吸は糸のように細く、顔色も悪いままだ。 キルヴァは天人のすぐ傍に膝をついて、覗き込むような姿勢で、炎に照らされ明るく輝く美しい顔を凝視したまま呟いた。 「……助かりますか?」 「いまできるだけのことはやった」 ジアは既に汗まみれだった。彼だけではない、全員が汗まみれだった。 顎下の汗を手の甲でぐいと拭う。ジアの渇いた喉から、嗄れ声が絞り出される。 「あとはこの天人の生命力次第だ」
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