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作品名:天人伝承 作者:安芸

第59回   第三章 戦場に咲き狂うということ・22

「……は?」
「以前、ゲオルグ将軍に誘いをかけたときは断られたが」
「えっ」
「しかし、いまやドロモス王は亡くなられ、寄る辺なき身となった。私はお二方を我が陣中に迎えたい。とはいえ、勝負の決着もつかぬままでは返答もしにくいかと思う。そこでそなたと一戦交え、私が勝利した暁には両将軍の身柄をもらい受ける。私が敗北したときはそなたの望みをなんなりと申すがいい。セグランにそのように取り図るよう命じておく」
 アボルトは眼を見開いたまま、絶句した。
 キルヴァはゲオルグとアレンジーに挑むような微笑をちらつかせた。
「いかがかな」
「気は確かか」と、アレンジー。
「そんなことイシュリー軍の幹部連中の誰も承知せんだろう」と、ゲオルグ。
「私は本気だ」
 この会話は瞬く間に蔓延し、イシュリー軍も届いたようで爆発的な騒ぎが起こった。
 だがキルヴァはどよめきを撥ね退けて、二人をじっと見据えていた。
「アボルトは手強いぞ」
 と、ゲオルグが言った。
「なにせ、俺の自慢の部下だ。みくびられちゃあ、困る」
 キルヴァはちょっと吐息して、
「私の方はたいした腕前ではない」
「おいおいおい」
「それでも闘わなくてはいけないときもあるだろう。ひとを請うときは、尚更だ。平時であるならば、幾度訪ねて頭を下げてもよい。だが戦場でまみえた以上、いたしかたない」
 アボルトは腹をくくった声で、敢然とキルヴァに告げた。
「私が勝った暁には、追撃をせず全軍退却をお見逃しいただきたい。捕虜もお返しください。そして次代の国王が戴冠されるまでスザンへの侵攻はなきものとお約束を」
「わかった」
「こらこらー。そんな安請け合いをしていいのかー」
「安請け合いではない。お二方にはそれだけの価値があるということだ」
 ゲオルグ・ニーゼンとアレンジー・ルドルはどちらともなく視線を交わした。この若き敵国の王子の真意を測りかねていた。
 アボルトはキルヴァの包囲を解かせた。ずっと下がるように指示し、一旦剣の切っ先を下げてキルヴァと距離を置く。両手でも片手でも使用できる両刃の長剣で、刺突型と切斬型の両方の特徴を備えている。
 キルヴァもまた味方の陣に手出し無用の合図を送り、腰に佩いていた剣を抜いた。片手用のやや長めの剣で、柄にナックルガードがついている。反りがないまっすぐの刃、先端は両刃となっていて、軽めで刺突にも有用であり、馬上で斬りつけるのにも適している。
 二人は周囲の喧騒を余所に位置についた。
 兜のバイザーを引き下ろす。ひと呼吸。
「いざ、参る!」
 どちらともなく、戦いの火蓋は切って落とされた。
 双方まっすぐに突撃し、音を立てて斬り結ぶ。弾く。白刃に残照がきらめき、興奮した馬の甲高い嘶きが風に乗る。馬首を返す。蹄が土を蹴る。交錯。また一閃。重い鋼が擦れる。土埃が舞う。手綱をうち、反転。今度は握りを変えて姿勢を低く、互いに刺突の攻撃に出た。
「はっ」
 アボルトの渾身の突きをキルヴァは見事に受け、力の方向性を変えて流す。そのまま、肘を引き、斜め上から反撃に転じる。無駄のない、速い一撃。だが、アボルトもこれを難なく交わし、圧し離れた。
「おおおおお」
 腹の底から唸り声を上げ、アボルトは攻勢に出た。勝負を長引かせるつもりはなかった。時間が経てば経つだけ、状況は不利になることは明白だった。いまは傍観している天人らも、痺れを切らせば、或いは王子に疲労が見えれば、容赦なく介入してくるだろう。
「はあ――っ」
 キルヴァはしばらく防戦一方に徹した。嵐のような斬撃をことごとく受けていった。その様子は鮮やかで、躁馬術も武芸の力量も口で言うほど脆弱でないことを示していた。
 ゲオルグ・ニーゼンとアレンジー・ルドルはこの隙に、と密かに残った兵を取りまとめ、撤収の構えを整えていたのだが、どうにもこの一戦から眼が離せなかった。事実上勝敗の決した戦時にありながら、一対一の対決、それも相手が敵軍の総大将と一兵士。
「……しっかし、わからねぇ御仁だな。王の首級が奪われた以上、こっちの負け戦が確定しているんだぜ? 俺たちが欲しけりゃ、直接そう命令すりゃいいだろうに」
 アレンジーがぶつぶつ言い、ゲオルグが首を振る。
「命じられて、唯々諾々と従う従順さが俺たちにあればな」
「だけどよぅ、俺たちのために命懸けで戦うかぁ? 敗北したら首が飛ぶんだぜぇ? いくらなんでも一国の跡取りが浅はかすぎるっつの。見ろ、取り巻き連中、顔面蒼白。上の天人様は殺気立ってやがるし、こりゃあ、アボルトが勝ったって無事にすまないぜ」
「ああ」
 ゲオルグは短く肯定し、眉根をぎゅっと寄せたまま勝負の行方を見定めている。
「それにしても、いい腕だ」
「まあな。柔くねぇわ。剣筋が俺らに通じるものがあるな――なんとなくだけど」
「指南役は実践向きの戦法を授けたんだろう。無駄のない、いい動きだ」
 剣戟戦になった。両者立ち位置を目まぐるしく移動しながら、押し合い、へしあい、弾き、弾かれ、突き、突かれ、身体ごとぶちあたっては甲冑が鳴った。
 キルヴァは防戦から攻勢へ転じた。手首の返しが効いた、細やかで鋭い突きの連続にアボルトは気圧された。
「そなたに訊く!」
 騒音の最中でも、キルヴァの声はよく通った。
「そなたの大事である両将軍を私の大事としては、いけないか」
「命乞いですか」
「そうではない」
 激しく、五十合、六十合、連続で打ちあえばさすがに腕が痺れ、重い。喉が渇き、息苦しい。汗が眼に入り、視界も悪い。だが、ここで攻撃の手を緩めては、相手に反撃の余地を与えてしまう。ということを互いに承知していた。
 そんなときに言葉をかけられ、アボルトは無礼を承知で怒鳴った。
「そんなことが信じられるものか!」
 白刃が火花を散らして打ち合う。弾いた拍子にキルヴァの剣の切っ先がアボルトの跨る馬の耳を掠め、痛みに馬が暴れた。アボルトが思わず振り落とされそうになる。歯を食いしばり、手綱をぐっと手前に引き寄せ、重心を固定、どうにか態勢を持ち直す。
「……はっ……はっ……っは……」
 なぜ攻撃しない……?
 アボルトは不可解な表情を浮かべた。ほんの僅かだが、決定的に無防備だった。
 しかしその一瞬、キルヴァの剣が動きを止め、退いたのを見た。
 アボルトは呼吸を浅く整えながら、半円を描くようにゆっくりと間合いを詰めていった。汗が滴る。皮膚が焼けそうに熱い。腕が、重い。身体が、軋む。なれど不思議と――頭は冴えていく。集中力が外部を遮断し、互いに互いしか映らない。眼の端に爛々と紅色に輝く太陽とたなびく紫の雲片。風が螺旋を描く気配。黴臭い土の匂い。鼓動。破裂しそうに膨れ上がる、心臓。
「うおおおおおおっ」
 雄叫びを上げながら猛進したアボルトと真っ向からぶつかったキルヴァは、衝撃に耐えきれなかった。愛馬の足が乱れた拍子にずるりと鞍上で滑る。落馬しかけたキルヴァの頭上から容赦なくアボルトの両刃の剣が迫る。
「くっ……」
 キルヴァが紙一重の差で躱す。しかし相手の剣のナックルガードにバイザーの金具が引っ掛かり、兜が引っ張られ、そのまま地面に打ち捨てられた。金髪がさらけ出され、首があらわになる。アボルトの眼は一点をとらえた。
 首を――。
「王子!」
 いまにも加勢したい勢いでかろうじて静観していたセグランが、堪らず叫んだ。
 下方から掬い上げるように滑らかに振り斬ったアボルトの渾身の一撃は、まっすぐにキルヴァの首を狙い、そして、硬質の音を鳴らして弾かれた。キルヴァの逆手にした剣によって。
 くるくると回転しながらアボルトの長剣はだいぶ遠くの地面に突き立った。
 アボルトは唖然としながら呟いた。
「……左……?」
 いつのまにか、キルヴァは左手に剣を所有していた。
「両利きか!」
 感嘆の声がゲオルグの口から洩れる。それがどれほどの鍛錬の末習得したものなのか、推し量るべくもない。
 キルヴァは手ぶらになったアボルトへ向かい、無言で馬を進めた。
 アレンジーが慌てる。ゲオルグの肩を掴んで揺らす。
 ゲオルグは厳しい表情で微動もせず、眼を凝らす。勝負は、勝負だ。
「参りました」
 潔くアボルトは降参した。馬を降り、兜を脱いで脇に抱え、膝をつく。
「どうぞご処断を――将軍、お守りできず、申し訳ありません」
 首を垂れたアボルトを見下ろして、キルヴァは口をひらいた。
「いま一度訊こう。そなたの大事である両将軍を私の大事としては、いけないか」
 困惑したどよめきがスザン軍にひろがっていく。ギャザリング騒ぎで疲弊した顔にあらたな驚愕が奔った。
「顔を上げよ」
 アボルトは顎を持ち上げ、夕映えに照るキルヴァを見つめた。逆光を浴び、陰影の射した顔は汗にまみれていたが、とても美しかった。年齢に見合わぬ落ち着いたまなざしに、心を射貫かれた。偽りなき瞳。真摯さと公正さが、深く静かにきらめいている。
 涙が溢れた。理屈ではないなにかに衝き動かされて、自分でもわからないまま、アボルトは地面に額を押しつけて平伏した。
「両将軍をお頼み申し上げます」


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