20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:天人伝承 作者:安芸

第58回   第三章 戦場に咲き狂うということ・21
 手段の是非はともかく、鮮やかな奇襲だった。
 アボルト・ブロナンディスは、ゲオルグ・ニーゼンに五千の兵を任されたあと、すぐさま山林に潜った。そこでじっと機を待つことにした。軍人としてはスザンでも一、二を争うゲオルグが懸念していたことは、一重にキルヴァ・ダルトワ・イシュリー王子の存在だ。
 はじめは、キルヴァ王子の命を狙っていた。だが、刻々と戦況は厳しさを増し、敗色の色が濃厚になってきたところで、目的を差し替えた。
 このままでは、たとえ首を落としたところで反撃に遭い、そののち殲滅されることは眼に見えている。では、ここは一時撤退し、態勢を立て直し、軍を再編するのが最善策ではないかと判断した。
 それには、盾がいる。交渉に値する盾が。こちらの条件を呑まずにはいられない、イシュリー軍の要――金髪碧眼の若き王子。
 さいわいにして、預けられたダリエロ・アイアンの小隊には、弓兵隊に所属していないのが不思議なくらいの弓の名手がひとりいた。自前のクロス・ボウを所持しており、通常の長弓よりほぼ二倍の飛距離を稼いだ。解き放たれた矢は、見事に的中した。
 アボルトは勢いよく藪から飛び出し、キルヴァ王子めがけて突進した。
 間近に見る王子は健やかで、若いながらも威厳を備えていた。
 風の噂に聞いたところでは、ウージン・マルスカーヤ・ライヒェン国王を相手に一歩も譲らず、ライヒェン国との和議をただひとりで結び、軍師パドゥニー・グシカールの策を鼻にもかけず、末姫君を妻に迎える約束まで取り付けたという。
 せめて、亡きタルダム王子にキルヴァ王子の才覚の半分、いや、四分の一でもあれば、スザンの未来はいまとはまったく別のものであったろうに。
 と、アボルトは胸の内で嘆いた。王も王子も喪われ、次なる王位継承者は誰より早く火の粉を避けてプラスカヤ国へ亡命中の王弟ゼンダ。王位にも国政にも興味はなく、自称詩人を気取って思索に耽りつつ、飽食暖衣の日々を送っているらしい。
 そんな腰抜け男を王として迎えなければならないのか。
 いや――だめだ。それではスザンは立ち直れない。疲弊し、国力が限界まで落ちているいま、必要なのは正しい力で民を導く強い指導力を持った人間だ。
 革命。
 アボルトの心臓が熱く脈打った。王制を廃し、民意により選ばれた君主が国を統治する。
 夢のようなひらめきだったが、容易ではないことは歴然としていた。少なくとも、現時点ではない。他国の侵略の脅威にさらされている現状では、制度改革を訴えたところで耳を貸す者はいないだろう。
 まずは、態勢を立て直すことが肝心だ。そしてそれができるのは、スザンが誇る三人の英雄の中でも攻守どちらも均衡を図れるゲオルグ・ニーゼンが相応しい。
 ギィ大鷹を射落とすという奇をてらった策は功を奏した。
 キルヴァ王子をアボルトが包囲したことに、唖然とした様子のゲオルグとアレンジーの二将軍だったが、怒鳴ったのはアレンジーが先だった。
「王子を斬れ!」
「いやです」
「王は討たれた! 仇だぞ!」
「そうです、王は討たれました! なればこそ、いま我が軍を統べるのはお二方をおいて他にはありません。私にはお二方をお守りする義務があります。あなたがたはスザンになくてはならぬ方――いえ、私にとっての大事、他に代えられぬのです。なにがなんでも、どんな手を使っても、この場より撤退していただく。私がお守りします」
 天の鳥を傷つけた罪で処断は免れない。
 もとより命を捨てた戦法であった。
 アボルトの並々ならぬ決意を前にアレンジーは押し黙り、ゲオルグは苦痛の表情を浮かべて歯を食いしばっている。
 そこへ、
「っははははは」
 キルヴァ王子が肩を揺すって笑った。
「あっはははははは」
 アボルトはむっとした。
「なにがおかしいのです」
 キルヴァ王子が笑いをおさめて、アボルトを正視した。翡翠の瞳は息を呑むくらい澄んでいる。
「そなたの名は」
「申し遅れました。ゲオルグ・ニーゼン将軍の補佐を務めますアボルト・ブロナンディスと申します」
「私はそなたの覚悟を笑ったわけではない。誤解を招いたのならば、すまぬことをした」
 アボルトはぎょっとした。敵国とはいえ、一国の王子が一介の平民に詫びることなど考えられないことだ。あたふたして、頭を下げる。
「私こそ無礼な口を聞きました。お許しください」
 キルヴァ王子は鷹揚に微笑み、「顔を上げてくれ」と言った。
「私が笑ったのは、そなたがあまりにもあけすけで、実直だったからだよ。そなたはせっかく私を人質にしながらも、自らの口で、私に危害を加えるつもりがないことを、声を大に表明したのだ。それがおかしくて、つい笑ってしまった」
 緊迫した空気が霧散する気配。キルヴァ王子の落ち着いた振る舞いに、包囲する五千の兵も戸惑いし、構えた剣も鈍く弱まるのがわかった。
 アボルトは呑まれてはいけない、と自らを叱咤し、弛んだ気を引き締める。
「そんなことは一言も申し上げておりません」
「だが、私の身柄と引き換えにゲオルグ将軍とアレンジー将軍の命を乞うつもりなのだろう? そのためには私が生きていることが前提となる。まあ多少の怪我を負わせるくらいは交渉術のうちにもあるが、私の血が一滴でも流れた時点で、スザン軍は壊滅するよ」
「どういうことです」
 余計な口を挟んだと、己の失態に気づいたときは遅かった。
 キルヴァ王子は僅かに顎を持ち上げて、視線を空へ向けた。
 ぎくりとした。
 十二翼天と十翼天が対で頭上に浮いていた。
 アボルトは喘ぐように息を乱し、胸を上下させ、血の気の引いた顔でキルヴァ王子を見た。
 誇張ではない。十二翼の最強の天人とそれに次ぐ十翼の天人がいれば、この場を瞬時に平らげることくらいなんでもない。天人兵の強さはいやというほど知っている。スザンでは六翼天を兵士として練兵し、統制するのが精一杯で、それ以上の階級は見たこともなかったが、その破壊力は想像することすら恐ろしい。
 すっかり動転したアボルトを前に、だが、キルヴァ王子は意外なことを言った。
「私のカドゥサに矢を射かけた罪の代償は払ってもらうが、そなたの命を賭けた奇策に敬意を表しようかと思う」
 キルヴァ王子は首を巡らせ、ゲオルグ・ニーゼンとアレンジー・ルドルの両名を捉えた。
「実は、私もゲオルグ将軍とアレンジー将軍が欲しいのだ」


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 小説&まんが投稿屋 トップページ
アクセス: 11349