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作品名:天人伝承 作者:安芸

第57回   第三章 戦場で咲き狂うということ・20
 
 大地を掻いて泥を散らし、まさに人馬一体となって現れたのはカズス・クライシスだった。そしてそのあと、まずアレンジー・ルドルが、次に麾下の兵達が縦に長く伸びて、物々しい馬蹄音と共に到着した。
 ゲオルグ・ニーゼンは友の無事な顔を認めて気が緩んだのも一瞬で、状況の不可解さに首を捻った。どうやら、カズス・クライシスが牽引役となり、アレンジーをここまで誘導したようだが、わざわざ敵の主力を集結させるような真似の意図がわからない。
 駆けこんで来たアレンジーと眼が合った途端、表情に明るいものがよぎり、瞬く間に曇った。首をまわし、左右周辺へざっと視線を奔らせ現在の戦場の有様を把握したようだ。
 カズス・クライシスを追うのを止め、馬首を翻してこちらへやってくる。
 雨はやんでいた。
 雲間から太陽が顔を出し、光が射す。
 それは反撃ののろしのように思えた。
 これで天人部隊が投入できる、そうすればまた戦況が変わる。と、勇み足になるところを、ゲオルグ・ニーゼンは自重した。
 そんなことはイシュリー軍こそわかっているはず。前回の小競り合いでまさしくその策を用いて一矢報いたのだ。天人兵については警戒しているはず。
「よう、ゲオルグ。無事かー」
「気をつけろ、なにかおかしいぞ」
「だな。俺とおまえを分断させて叩く方が効率いいだろうに、わざわざひと括りにする腹がわからねぇ。ところでビョルセンの親父はどうした。見当たらねぇぞ」
「ビョルセン将軍は行方捜索中だ。おまえの隊の残存はこれだけか」
「いや、逃げろと指示した。ここにいる奴らは俺の命に従わなかった野郎どもだ」
「そりゃ懲罰ものだな。せいぜい、こき使ってやるか」
 突然、雑音が途絶えた。
 囲い込みをかけるイシュリー軍の覇気に揺らぎが生じたわけではないようだが、眼には見えない緊張度が高まっている。
「……なんだ?」
 アレンジーが抜き身の剣を下げたまま、油断なく全体に眼を配る。
 ゲオルグはほとんど真正面から、ただ一騎、進み出てくるのを認めた。静寂を従えて、逸る馬を宥めるように、ゆるゆると歩を進めてくる。甲冑姿のため、はじめ人相がわからなかった。だが距離を詰めて、詰めて、声が届くくらいの近さで見合ったところで、兜を脱ぎ、脇に抱えた。
 見知らぬ顔だった。まだ若い。端正で冷静な面。特に眼が感情を排して冷徹ながらも、知性のある輝きが注意を惹いた。
「はじめてお目にかかります。私はキルヴァ・ダルトワ・イシュリー殿下が配下、次軍師セグラン・リージュと申します。このたびの戦では参謀位についております」
 アレンジー・ルドルとゲオルグ・ニーゼンは視線を重ねた。どちらも表情に見せなかったが、驚きいっていた。ではこれほどスザン軍を翻弄し、圧倒的策の攻防でイシュリー軍を優位に導いたのは、いまだ青臭さが残る青年軍師なのだ。
 そして次に続く言葉に、自分の耳を疑った。
「いまから、私はあなたがたを呪います」
 突拍子もない台詞に、ゲオルグは思考がついていかなかった。アレンジーもきょとんとしている。
「……はあ? なんだって?」
「天は私に味方し、呪いはあなたがたにふりかかり、戦列は千々に乱れるでしょう。投降するならばいまです」
「あいにく、呪いだの祟りだのには縁がない。そんなもんに誑かされるほど阿呆じゃないぜ」
「では、食らうがいい――我が王の地を蹂躙し侵略の旗を掲げる者どもに天罰あれ!」
 声高に叫び、セグランは脇に抱えていた兜を空高く放り投げた。
 反射的に前列にいたスザン兵のほとんどが兜を眼で追った。
 そして見た。恐ろしき、禍の兆候を。
「ギャザリングか!」
 ゲオルグはぎょっとして喚いた。即座にマントを手繰り寄せ、頭から被る。
 これを見聞きした兵らは、えっという顔で天を仰いだ。
 直後大絶叫があちこちで上がり、それを目の当たりにした者らが次々に落馬した。危機に直面した混乱は更なる混乱を呼び、あっという間にスザン軍は瓦解した。
 ギャザリング――日食は昼に太陽が隠れることから不吉の象徴とされ、スザン国では大変忌み嫌われた。太陽が隠れている間は我が身を隠さないといけないとされ、もしそれが間に合わなかった場合は、たちまち凶悪な運に見舞われ、死を招くとされる。もっと悲惨なことに、目の当たりにしたという事実が露見した暁には極刑の処罰の対象とされ、誰もが密告されることを非常に恐れた。
 そして、あたかもこの天変を招いたのは敵方の参謀の仕業のようだった。まさに測ったような間合いのこの出来事が、兵らの凶荒を余分に煽る結果となった。
 イシュリー軍が見張る中、右往左往、這いつくばるスザン軍は哀れなほどだった。
「君の読み通りだな」
 セグランの隣にキルヴァが馬を進めて横に立つ。傍にはアズガルがついている。頭上ではカドゥサが小さな円を描いて低く旋回し、警戒にあたっている。
「ちょうど晴れたので助かりました。天候だけが成否をわける要でしたので」
「それにしても、日食が起こるとよく把握していたな」
「リューゲル・ダッファリーは天には無限の情報が含まれていると言いました。それを記録し、分析し、調査することは後に大きな意味を持つと教えられたのです。師の教訓を生かすとは、このことですね」
「彼を見る眼を変えなければいけないかな」
「いいえ。学ぶ面も多々あるとはいえ、王子に相応しくない人間であることに違いありません」
 セグランは正面を見据えたままかぶりを振って、少し黙った。感情のない眼だ。
「まもなくこの奇怪な現象も終わります。さあ、そろそろ頃合いです。王子、用意はよろしいですか」
「いつでも。アズガル、これへ」
 アズガルは丁重に抱えていたものをキルヴァに引き渡して、セグランと共に少し下がった。
 キルヴァはギャザリングが終了し、太陽が元の姿に戻るのを待って、スザン軍と対峙した。
 ゲオルグは痛感の面持ちでキルヴァと再会を果たし、アレンジーは戦意喪失著しい兵の様子を眺めて、珍しく肩を落としていた。
「これ以上の戦いは無意味である」
 抑揚のない声で告げて、キルヴァは手元のものの布を丁寧にほどいた。
 ゲオルグの眼が険しく吊りあがる。気配を察して振り返ったアレンジーの眼もかっと剥かれる。キルヴァの手にあったものは、ドロモス・ヨーデル・スザン王の首だった。
嘆きの声が上がり、啜り泣き、洟をすする音、号泣、罵倒、悲哀に満ちた空気がたちまち充満していく。
 戦いが一気に終息に向かうかと思われたそのとき、一本の矢が飛来した。それはカドゥサの右翼を射抜いた。一声鋭く鳴き、落下するギィ大鷹の姿に場がどよめく。神聖なる鳥を傷めつけることは国際法で禁じられている。例外なく厳罰が与えられるというのに、それをも恐れぬ所業――。
「カドゥサ!」
 キルヴァの痛みのこもった語尾の掠れた叫びに、セグランも、アズガルも、近くにいた兵の全員が脇目もふらずギィ大鷹を救いに身を転じた。
 僅かな一瞬、キルヴァはひとりになった。
 その隙を狙って、側面から突撃があった。その数、およそ五千。山林に潜んでいたのはゲオルグ・ニーゼンの副将であるアボルト・ブロナンディス率いる第五小隊だった。
 キルヴァは囚われの身となる。


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