首都カルバルスキーは殲滅していた。 風の天人の猛威の前に成すすべなく陥落、建造物という建造物は孔だらけ、舗装道路は寸断、橋は落ち、樹木は根こそぎ倒れていた。あちこちに犠牲者が溢れ、逃げ遅れた群衆が、阿鼻叫喚の絵図を描いている。 ただ唯一、後宮のみが無事であった。 遠目にも壮麗にして優美、青と白のモザイク模様が印象的である。 カーチスとアシュランスは首都の門前に続く街道脇の木陰にて、様子を窺いながら、額を集めた。 「どう思う」 「王がいるかという意味なら、いるだろうな」 「風の天人を盾にしてか」 「そんなところだろう」 「しかし、それならばなぜスザンの天人兵は反撃しないんだ?」 「想像してみろよ。決着をつけようってここ一番の戦を臣下に任せて自分は後宮の奥に引きこもるような男だぜ? 一番強い天人兵も当然傍に侍らせているさ」 「じゃあなにか? スザン王が引きこもっている間、俺たちゃこのまま待機ってわけか?」 「そこまで暇じゃない」 言って、カーチスは小袋から黒い粉を手に振って、飲料用の水を数滴落とした。これを擦り合わせたものを、顔に塗る。唐突な奇行に、アシュランスは、 「それなに」 「秘密兵器。おまえもやれ」 カーチスはアシュランスの掌にも同じように粉を振った。 経験上、逆らっても無駄なので、アシュランスは言われた通りにした。他の仲間は事態を静観している。カーチスが言葉より行動を重視するのはいつものことなのだ。 「王子から頂いた魔法の粉だ。なんでも、天人避けに使われる薬だそうだ」 「それで、こんなもので顔を黒くして、どうするんだ」 「一曲歌う」 「殴っていいか」 「うるせぇ。四の五言わず、歌え。俺たちの中じゃあおまえの歌が一番ましだろう」 「本気か」 「さっさと来い。てめぇらは、ここで待ってろ」 カーチスはアシュランスを引き連れて木陰から首都の門前に向かって大股に、ゆっくりと歩きだした。表門は影も形も見る影もなく、 崩落している。 アシュランスはやけくそ気味にぶつくさ唱えた。 「死んだら祟ってやる」 「死んだら祟られてやる」 平然と嘯くカーチスを罵って、アシュランスは“飲めや歌え、この命があるいまは”を声高に陽気に歌いはじめた。その声は豊かでひろがりがあり、正しい韻を踏んで空に吸い込まれていく。 次第に、風の天人が上空に集って来た。 カーチスとアシュランスは歩みを止めず、とうとう首都カルバルスキーの門を潜り抜けた。 そこへ上空から力強い羽ばたき音が響いて、息を呑む二人の前に、十翼天人が姿を現した。金髪蒼眼、短髪で長身痩躯。姿は若い男性型。感情の起伏を欠いたまなざしと冷めた美貌。白い衣装を纏い、翼を全開にせず、やや小さく折りたたんでいる。 「どこへ行く」 「後宮へ」 「何用だ」 「スザン王の首を頂戴しに」 カーチスは嘘を吐くつもりはなかった。他ならぬ王子に、天人には偽りなき真実をできるだけ貫き通せとありがたい助言をもらっていた。 十翼天人は不愉快そうに二人の顔を指して言った。 「その黒い染料は、どうして手に入れた」 「我が主君より頂いた」 「……翡翠の瞳の王子か」 「……主をご存じで?」 溜め息。十翼天人の研ぎ澄まされた気配が解かれ、仏頂面が覗く。 「またジアだな。あいつめ、まったく色々と拵えたものだ。俺の血を好き勝手にしやがって、みろ、おかげで関係ない輩にまでいいように使われる始末だ。どうしてくれる」 カーチスは、キルヴァ王子の人脈の広さに敬服、と言うよりは気味悪さを覚えながら、額を指で掻いた。 「俺たちはあなたがたに非礼を働くつもりはない。ちょいと後宮にお邪魔して、王の首を狩ったらすぐに引き上げる。長居はしないんで、見逃してくれないか」 「条件がある」 「条件を呑む」 アシュランスは強烈な肘鉄をカーチスに見舞った。カーチスは呻いて悶絶し、アシュランスは無視して訊ねた。 「その条件とはなんだ」 「……っ痛ってぇ。てめぇ、それが上司に対する態度か、ええ」 「ばかには付き合っていられん。内容も聞かないうちになんでもかんでも安請け合いするな」 「はじめからこっちに選択権はねぇから、いいんだよ。で、なに。俺たちはなにすりゃいいんだ、十翼天人様よ」 「中に我らの仲間が囚われている。そのうちのひとりが、まだ二翼の子供だ」 「ち、子供を盾か。えげつねぇな。よし、助けてやる」 アシュランスは呆れてものも言えなかった。だが豪胆不敵なカーチスらしい。 十翼天人は無表情のまま頷いた。翼をひろげ、大きく羽ばたく。 「では俺もおまえたちに一切の手出しをさせない。もし、首尾よく事を成し遂げた暁にはしかるべき礼も考えておこう」 「ありがたい」 風の天人が一時引き上げたのを見届けて、カーチスはすぐに仲間に合図をした。 「馬も連れて来い、さっさとしやがれ」 怒鳴ると、百名の男たちが一斉に馳せ参じた。天人を気にしたふうではあるが、精鋭揃いの兵だ。胆の据わった男たちは、カーチスの命令を待っている。 「旗用意!」 カーチスはひらりと鞍上の者となり、棒に丸めて括っていたスザンの国旗をひろげた。手に持ち、天に振り翳す。 「目指すは、首級ただひとつ。無駄死には許さん」 「火矢用意!」 アシュランスが同じくスザンの旗を掲げながら叫ぶ。 先鋒を務める弓矢部隊が火打石を打つ。蜜蝋に点す。火矢に点火する。 「ようし、突入!」 剣を鞘から抜き放ち、カーチスは自ら先陣を切って手綱を振るった。そのまま、まっしぐらに後宮、即ちスザン王以外男子禁制の宮へと馬もろとも乗り込んでいく。 「伝令! 伝令! アレンジー・ルドル将軍、勝利! ゲオルグ・ニーゼン将軍勝利! ビョルセン・メオネス将軍ただいま交戦中! 申し上げます、伝令! 伝令!」 カーチスは声高に叫びながら正面突破を果たした。同時に火矢を放つ。目指すは最奥。 アシュランスなどは敵の旗を掲げ、敵の味方のふりをすることにやや抵抗があったようだが、カーチスはどこ吹く風だった。この程度の騙りは序の口もいいところである。 「伝令! 伝令! アレンジー・ルドル将軍、勝利! ゲオルグ・ニーゼン将軍勝利! ビョルセン・メオネス将軍ただいま交戦中! 申し上げます、伝令! 伝令!」 後宮の守りは手薄だった。ほとんど兵士がいない。灯りもない。かつては華やかに彩られていただろう宮は、いまは薄暗く、湿っていて、くたびれている。 渡り廊下を駆け抜けて、突きあたりを曲がると、ずらりと贅の尽くした扉が並んでいた。 カーチスは「捜せ」と兵を割り振った。自分は二十騎を連れて奥へと進む。 「ったく、なんで王族って人種はスキモノなんだ」 「えー、羨ましい話じゃないっすかあ」 「ばかやろう。嫁さんはひとりかわいいのがいればそれで十分だろう」 「……待て。ミシカはかわいい、か?」 「やらんぞ」と、カーチス。 「いらん」と、アシュランス。 「えーっ。隊長、“難攻不落のミシカ”を落としたんすか!?」 「おうよ。スザンの王の首と引き換えに王子に祝儀をもらうつもりだ。ってわけで、ぬかるんじゃねぇぞ」 火が回ってきた。煙が、徐々に這って来る。 前方に番兵四人を発見した。突如の乱入者に血相変えてあたふたしている。 「止まれ、止まれ! なにごとだ」 「伝令! 伝令! アレンジー・ルドル将軍、勝利! ゲオルグ・ニーゼン将軍勝利! ビョルセン・メオネス将軍ただいま交戦中! 申し上げます、伝令! 伝令!」 明らかに様相がおかしい事態なのに、掲げられた自国の旗と自国の将軍の名を告げられて戸惑いしながら、問答無用のうちに、一気に斬られた。 カーチスは弓矢兵を前面に構えさせ、最奥、最後の扉を自ら蹴り開けた。
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