前線の斥候から第一報が届いたのは重装兵の第一陣が突撃開始した直後であった。 「申し上げます!敵軍戦列交代!重装兵より軽装兵へ!繰り返します、敵軍戦列交代!重装兵より軽装兵へ!その数、およそ二万!尚、軽装兵の武器は長槍のもよう!」 「軽装兵だと?」 重装兵と軽装兵では戦うまでもない。同じニ万の兵でも戦況は一方的なものになるだろう。 だが相変わらず前線の勢いは拮抗していた。よくよく見ると、イシュリー軍は戦列をがっちりと組んで波状攻撃を繰り出し、味方の兵は思うように前へ出られず、四苦八苦している。 「長槍とはどのくらいの長さだ」 「およそ三ロンテ(三メートル)」 「成程。間合いが開きすぎているな」 ビョルセンは対抗策を講じようとして、はっとした。自軍の後陣を振り返る。 灰色の雨がしとどに降る中、眼を凝らす。整然と待機する後陣の更に後方へ視線を向けたそのとき、山林上空に小さな鳥の群れが飛んだ。 これを見たビョルセンは、口角を歪め、「温い」と呟くや否や新たな命を下した。 「敵は背後にあり!重装兵第二陣、第三陣は急ぎ反転!攻撃に備えよ!」 スザン重装兵六万の行動は素早かった。伝令が巡るやすぐに各小隊の隊長がその場にて足踏みを号令し、全体が揃うのを待って、気合いのいった掛け声とともに一斉反転した。 ビョルセンはすっと腕を上げ、足の速い伝令を二人呼びつけた。 「左翼右翼のアレンジー・ルドル将軍とゲオルグ・ニーゼン将軍に急ぎ申し伝えよ。左翼騎兵は前線の後詰めに就き、右翼騎兵は後方の後詰めに就くようにと。前後とも中央突破したのちはそのまま両極から囲い込みをかける。あの者たちはどうも遅参を好む故、くれぐれも後れを取るなと念を押すのだ。よいな」 この伝令を受けたアレンジー・ルドルとゲオルグ・ニーゼンの両将軍は左右に分たれて三万ずつの騎兵隊を統率していたが、咄嗟に、二人揃って左右の断崖絶壁を見上げた。 濡れた岩肌は黒ずみ、凸凹加減によっては不気味に人面相にも見えた。事実、この戦いの後には“嘆きの人面岩”の異名をとることになるのだが、いまのところ危険の芽はない。 左翼騎兵隊を率いるアレンジー・ルドルがぶつぶつ言った。 「杞憂にすぎんのか。けどなあ、前が陽動で後ろから挟み討ちかよ。まだなにかありそうだがなあ……」 副将を務めるネイサン・ベンレーヴァが報告を兼ねて言った。 「第一陣は目下交戦中ですが、撃破するに至らず、苦戦しております」 「は?なぜだ。相手は軽装兵に変わったんだろう?」 「敵の装備する長槍が通常の三倍の長さがあり、それを二人一組で支え、隊列に隙なく一列で突進を繰り返しては次と交代という戦法を繰り返しているようです。重装兵の装備である長剣では間合いが開き、槍先を叩き折ってからでなければ身動きがとれず反撃もままならないと。いかがしましょう」 「やるなあ。動きの鈍い重装兵相手ならではの戦法だ。しかし長くはもたねぇよ。仕方ねぇ、遅れるなとの仰せだし、行くか。後詰めがなけりゃ囲い込みなんぞ出来ねぇからな。よーし、総員用意!俺の隊は俺に続け。頑張ったら報償やるぞー。気前よくやるぞー。だから誰も命を粗末にするんじゃねぇぞー。わかったなー」 まず動いたのは左翼騎兵だった。 右翼騎兵隊を率いるゲオルグ・ニーゼンは前回の戦で終始翻弄されたこともあり、慎重を期して行動すべきだと、すぐに命に従わずにいた。 相手がキルヴァ王子であることも複雑であった。 あのとき曙光の中で見た、翡翠の瞳が忘れられない……。 ゲオルグ・ニーゼンは顔を顰めた。討つべきはキルヴァ・ダルトワ・イシュリー王子で、己の立場では、そこにためらう余地はない。 「尻尾を切ろう」 不意にそんなことを言い出したので、副将であるアボルト・ブロナンディスは訊き返した。 「尻尾、ですか」 「五千ほどでいいか。おまえに任せるからな。不測の事態に陥った場合は勘で動け。正攻法でものを考えるな。キルヴァ王子は手強いぞ。まともにやりあったら奥の手が二つ三つ出てくるからな、そのとき思い浮かんだ策で一番尋常じゃない手を使うんだ」 「尻尾ってまさか勝手に隊をわけるということですか。そしてその指揮を私に?しかし私は将軍の補佐を――」 「俺の隊だ、俺が好きにしてどこが悪い。いいからやれ。えーと、そうだな、ダリエロ・アイアンの小隊をやる。じゃあな、頑張れよ。頑張らなかったら減給するぞー。あー、第五小隊を除いた総員に告ぐ。俺のあとについて来ーい。遅れたら減給するぞー。無謀に戦ってもだめだぞー。死んだ奴に給料は払えんぞー。よし、いくぞー」 そして間延びした命を下し、愛馬を軽く棹立たせ、馬首を返した。蹄鉄を打った前足が泥に沈み、泥水がばしゃっと飛び散った。 スザン軍は二分割された。 前方に二万の重装兵と三万の騎兵、後方に六万の重装兵と三万の騎兵。どちらも両極に進軍するのでたちまち距離が開いてゆく。 「そろそろ頃合いでしょう」 セグランは入れ替わり立ち替わり参上する斥候の報告を受け、新たな指示を与えつつ、戦場の動向を見極めながらキルヴァに言った。 キルヴァは短く頷き、次なる号令をかけようとして、ふと思いとどまった。 「しかし、いったいどのような手段でああも計ったようにスザン兵を反転させたのだ?」 「鳥を放ったのです」 「この雨天に?」 「雨天だからこそです。少し機転が利くならば異変があれば察知します。ましてや相手はビョルセン・メオネス、音に聞く知略と剛の者です。さすがですね、一瞬にして看破された」 「看破されることを見越しての次の策だろう。思ったより雨足が緩まないが、大丈夫かな」 「いま一番手をジェミスに申しつけました。そうすれば失敗しても最低限の犠牲で済みますからね。ああ、王子がご心配なさるようなことはありませんよ。あの男、見た目よりずっとしぶといんです」 キルヴァは唇を横に引き結び、眉根を寄せて首を擡げた。視線の先には断崖絶壁が黒々と聳えている。 その任務に際して、はじめに名乗りを上げたのは、カズスだった。 「俺が行きます」 「行ってくれるか」 「はい!俺、大角鹿にも乗ったことあるし、山羊を飼っていたから道に迷った奴らを崖っぷちから連れ戻したことも何度もありますよ。高所にも急斜面にも岩場にも慣れているし、俺にやらせてください」 「では頼む、カズス」 「はっ!」 苦渋の決断でキルヴァがカズスに危険な役目を負わせたのを見て、セグランは言った。 「ジェミス、あなたも行きなさい」 「はあ!?なんで俺が」 「あなた馬術だけは人より抜きんでて上手でしょう。いま役に立たないで、いつ役に立つんです。つべこべ言わず、四の五も言わず、文句を言わず、行くんです。いいですね」 問答無用で「はい」と言わせて、ついでにまとめ役も押しつけて、他にも体力と操馬術に自信のある者を百名ほど選抜し、五十名ずつの小隊を編成した。 かくて彼らはこの戦場において、最も過酷な役目を担うことになる。
|
|