庵の中は、物が少なく、豪華だった。中央に木の食卓、椅子は背凭れつきのものが二脚、右側の壁は陳列棚、左側の壁には上着やら帽子やら長弓やら色々のものが掛けられている。奥が台所、寝台は一番手前にあった。 キルヴァがびっくりするほど豪華だと思ったものは、床に敷いてある数々の敷物だった。獰猛果敢で知られる黄と黒のドノヴァン虎の毛皮、巨躯で有名なワズリー熊の毛皮、敏捷さではかなうもののないレット狐、耳がよく逃げ足の速いことで一番のアベラ大鹿……まだまだある。 「あなたは猟師なのですか」 セグランはジアの指示で寝台に天人を俯けに寝かせた。顔だけは気道確保のため横向きにする。あとからついてきたキルヴァが息をのむ気配がしたので、さっと振り向いたところにその呟きが聞こえた。 「猟師じゃない。まあ、暮らしのために春と秋は獣を狩るがね。なにせ毛皮はいい現金収入になるからな……坊は狩りをしたことがあるかね」 「坊なんて失礼です。きちんと王子と呼んでください」 「ぎゃあぎゃあ言うな。おまえはさっさと服を脱いでそっちの作業着に着替えろ。のろまじゃ天人は助からんぞ。俺は地下倉庫から薬を取ってくるから、その間にそこの桶で沢から水を汲んで来い。たらいは台所に大きいものがあるからそれを使え。急げ」 「私も手伝います。なにか、させてください。なにをすればいいですか」 キルヴァは既に上着を脱いで袖を捲り、ズボンの裾をたくしあげていた。 「見ろ、おまえより素早いぞ。よし、坊は外の作業小屋にいって火(ほ)窪(くぼ)―-----いや、火の窯の近くに大きな扇があるからそれを持って来い。あと、その食卓の上の角灯には油がさしてあるから窯から火を移してくるんだ。窯の火力は強い、十分気をつけろ。火傷はするなよ」 「はい」 しっかりとした顔つきで頷き、セグランが止める間もなく角灯を片手に飛び出して行くキルヴァの機敏さに、ジアは感嘆した。 「たいした子供だ。あれはいい男になるぞ」 「王子に火窯から火を取ってこいだなんて、そんな危険なことさせないでください」 「……おまえ、過保護すぎないか。大切に扱うことも度を超すと、なにもできない大人になるぞ。いいからとっとと水を汲んで来い」 セグランが出ていき、ジアはひとりになった。寝台にはか細い息でかろうじて呼吸ができている天人が横たわっている。 ふと、既視感を覚える。もう二十年近く前、同じように怪我した天人を助けたことがある。 誰にも言ったことはなかったが、これもなにかの縁なのか。 「人生五十年、というのに俺はもう七十の齢を越え、この人生の内で二度も天人と関わるはめになろうとは……」 一度でも滅多にあることではない。天人は文字通り天に住み、人間世界には関わらない生き物である。昔、しばらく一緒に暮らした天人はそう言っていた。 ジアは踵を返し、地下倉庫へ早足で向かった。あのときは、助けられた。だが、今度はどうか。怪我の度合いが重すぎる。あの裂傷では流れた血の量も相当なものだろう。 だが、あの時と違ってさいわいなのは、天人に効く薬草があるということだ。あのことがあって以来、ジアは薬草摘みを欠かさない。初春の、季節の変わり目のごく僅かな期間でしか手に入らないものだが、いまは春、それが、ある。
キルヴァは作業小屋の立てつけの古い扉を開けた。途端、むわっと、熱い空気が押し寄せてびっくりした。慌てて扉を閉じる。どきどきしながら、もう一度、今度は覚悟の上で扉を開け、中に入る。 驚いたことに、そこは鍛冶場だった。セグランが親方、と尊称をつけて呼ばわったのはこのためだ。はじめ火(ほ)窪(くぼ)と言ったのは、用語なのだろう。ジアは鍛冶職人なのだ。 キルヴァは意を決し、鍛冶火床に近づいた。熱い。呼吸さえ苦しくなるほどの熱さだ。そこには水の入った長細い水桶や木炭入れ、小槌、金床、扇、そのほかよくわからないものがあった。壁は土壁、窯は石だ。中ではごうごうと火が燃え盛っている。とてもではないが、灼熱の火の窯になど、容易には近づけない。 でも、やらなければ。 キルヴァはまず袖と裾を元に戻した。あたりを見回す。道具箱がある。火かき棒を取り出す。獣の皮手袋も見つけた。面隠しもあった。さっそく皮手袋をつけ、面隠しを被る。大きいが、仕方ない。眼の位置は一か所しか合わなかった。皮手袋は温くなっている水に浸し、棒を握り、木炭入れから小さなかけらを取って、先端に刺す。額に手をかざし、火かき棒を火窯にいれて、少し炙る。爆ぜる火の粉が飛んできたが、面隠しや皮手袋のおかげで無事だった。木炭に火がついたので、棒を抜き、火窯から離れた。 角灯の蓋を開け、持っていた短刀で木炭のかけらを油の上に削ぎ落とす。すぐに火が点く。キルヴァはこれを手に下げ、道具類をもとあった場所に戻し、大きな扇を拾い、慎重に作業場を出た。 来たときは気がつかなかった声が、聞こえた。庵の裏からだ。迷って、覗くだけ覗くと、庵の屋根から手製の鳥籠が下がり、一羽のヒナがいた。衰弱している。手当はされているものの、怪我をしているようだ。弱弱しく、鳴き続けている。 ……おなかがすいているのかもしれない。 気になるが、いまは戻らなければ。 「ごめん、あとでまた来るから」 声をかけ、後ろ髪を引かれる思いで、踵を返す。 鳥は天に属するもの。すなわち、天人の使いである。鳥を害することはすべての国で禁止されており、また、なんらかの理由で怪我をしているようならば、手当の義務も負っている。鳥を飼うことは原則禁止とされ、飼うには、法令に則った手続きをして、許可を得なければならない。王宮には何頭もの獣が飼われているが、鳥だけはまだ飼ったことがない。鳥は、神聖な生き物なのだ。
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