深夜、各部隊に号令がかかり軽装歩兵を先頭に電撃的な夜間進軍が開始された。
無数に放たれた尖兵隊の斥候の情報を総括したところ、スザンはイシュリーへの侵攻を断念し、首都カルバルスキーより南東、ハメロン海に面したハメロン海岸を背に前線基地を置き、およそ二十万七千の大軍をエズガシア一帯に展開させ、迎撃態勢をとっているとのことだった。 最終軍議にはこのたびの作戦で指揮をとるため大将軍位に就いたキルヴァと参謀位に就いた次軍師セグラン、書記官、記録係、各部隊の将軍、そして各職位の護衛を務める近衛兵長が集った。 イシュリー軍重装騎兵隊将軍ナジーヴァ・ゲルトミーチェが唸った。 「敵は二十万七千。対する我が軍は十万。ちと厳しい戦いになりそうですな」 キルヴァは歴戦練磨の将に囲まれながらも怯むことなく整然と述べた。 「王が王宮におわす以上、国の中枢の守りを弛めるわけにもゆかぬ。ライヒェンは除いてもアイゼンバーグとプラスカヤの動向も気になるところゆえ、スザンのみにかかりきりになっては、万が一他の国の侵略があった際に対処できぬ。各方面の国境に配属する兵はそのままにし、我が軍は十万二千で臨む」 「十分です」 とあっさり括ったのは次軍師セグランで、驕った様子もなく続けた。 「数の劣勢は否めませんが、情報戦と策略と指揮官の質でこちらが勝ります」 異を唱えたのはイシュリー軍軽装歩兵隊将軍ラーデン・ベッケラーだった。 「地の利は向こうにあるぞ」 「そう思わせておくのも上策。ですがせっかくの地の利も活かせねばなんにもなりますまい」 「というと?」 セグランは小さく肩を竦めた。 「致命的欠点があるのですよ。いまはあえて申し上げませんが」 「二十万の軍勢も脅威だが、なにより天人兵が出陣してきたらどうなさるおつもりか。翼の数にもよりけりとはいえ、スザン兵よりもむしろ天人兵相手の方が手強いのでは。火だの風だの雷だの、あんな攻撃をくらっては屈強を誇る我が軍とてひとたまりもあるまい」 お手上げだ、というしぐさをしたのはイシュリー軍重装歩兵隊将軍ソル・リーテイラーだ。 「天人兵は相手にしません。最悪、戦略的撤退ですね」 「なんと、逃げるのか!」 「一時撤退し、反撃します。とはいえ、確かに厄介な存在なので封じ込めたいところではあります」 「本拠地をここにおくとすると、陣形はどのように?」 いままで黙っていたイシュリー軍弓矢隊将軍が気懸りそうに口出しした。 「このように」 セグランの指揮棒が机上にひろげられたスザンの国土地図を這う。 「地形上、スザンは横幅よりも縦深に重きをおいて突撃力を大きくしてくることでしょう」 「なるほど、それで我らのこの陣形か。しかし本陣はどこにするのだ?」 「中央です」 「それでは王子の身が危険にさらされるではないか」 と激昂して表情を荒げたのはイシュリー軍精鋭隊将軍カイネシュタルク・フッディだ。 「敢えて隙のある陣形でやろうってんだ、確固とした勝算があるんだろうよ。それで?俺の部隊の出番はどこにある?」 遊撃隊隊長カーチス・ゴートは痺れを切らして問い質した。 「あなたに攻めていただくのはここです」 セグランが示した地点に、カーチスは面食らった。 「……ばかな。正気か」 「無論です。ドロモス・ヨーデル・スザン王はここにおわします」 低いざわめきが口々に洩れる。半信半疑の囁きが取り交わされる中、イシュリー軍尖兵隊将軍ルタール・ベルクが争点をずらした。 「ライヒェン国はこのたびの戦にどう参戦なさるのですか」 「海岸線を守っていただきます」 「水上戦になるのですか」 セグランは曖昧に言葉を濁した。 キルヴァが助けを出すように訊ねた。 「我らはいつ動けばいい」 今度はセグランもはっきりと答えた。 「今夜です」 「夜行かよ。兵の士気が上がらねぇな」 ぼやいたのはジェミス・ウィルゴーで、あちこちから賛同の意が上がると、キルヴァが片手を差し上げてこれを制した。 「ではこうしよう。夜明けまで目的地に到達したならば俸禄を三倍にしよう」 「三倍!」 「それは俄然やる気が出るな。よしきた、早速その旨の伝令を出すぜ。あとからあれは口から出まかせだなんて言ってくれるなよ」 「無礼が過ぎます」 セグランに睨まれてもカーチスはどこ吹く風の体である。 キルヴァは笑った。軍議の席で声をたてて笑う指揮官などあまり類をみないだろう。 「私に二言はない。ウージン王からたっぷりと慰霊金を頂戴したからな、皆にわけねばなるまい」 言って、年若い大将軍は瞳を研ぎ澄ませた。それはかつての若き日のディレク王のまなざしに生き写しで、猛々しく覇気が漲り、断固たる決意を示していた。 「皆覚悟せよ。スザンを討つ。目指すはドロモス王の首級ひとつ。いたずらにスザンの国土や民を傷めつけることならず。命令違反には厳罰をもって処す」 そして恫喝するかの如く、腹の底から溜めた声を敢然と解き放った。 「方々、指揮下の兵にしかと伝えよ!夜明けまでになんとしてでもエズガシアの地に着くのだ。スザン王に眼にもの見せてくれよう!」 「ははっ」 キルヴァの三倍俸禄作戦は劇的な成果を見せた。 漆黒の闇の中の強行軍であるにもかかわらず脱落者は一兵も出なかった。尖兵隊の綿密な調査による誘導の甲斐あって、翌朝には全軍エズガシアの地に到着した。 度肝を抜かれたのはスザン軍である。夜明けと共に忽然と出現したイシュリー軍にすっかり機先を制された形となってしまい、全軍浮足立つようにあたふたと右往左往した。 折しも、雨が降りはじめた。湿度の高いこの地域では日に何度か猛烈な集中豪雨に見舞われる。それこそ視界など利かぬくらいの雨量である。 この土砂降りの雨の中、一騎、イシュリー軍の布陣より僅かに進み出た。 「天は我に味方せり」 と朗々と響く声もて言って、キルヴァは高く拳を突き上げた。 「いまこそ好機。戦闘用意!」 「戦闘用意!」 傍らに立つ次軍師セグランが大音声を上げて繰り返す。 イシュリー軍、大将軍キルヴァ・ダルトワ・イシュリーの手に握られた笏丈が一気に振り下ろされる。 キルヴァは叫んだ。 「全軍突撃!」
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