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作品名:天人伝承 作者:安芸

第41回   第三章 戦場に咲き狂うということ・4

 エディニィはなぜこんなことになったのだろう、と疑問を禁じ得なかった。
 この三日というもの、ほとんど不眠不休で見知らぬ男の看病をしている。
 さいわい欲しい情報の収集をほとんど終えた後だったので任務放棄の罪には問われないだろうが、三日も無連絡とあっては王子が心配しているに違いない。
 早く帰還しなければ。この情報はライヒェンと共同戦線をはるためにも、是が非にでも開戦前に必要なものなのだ。
 だけど――。
 洗濯が済んだので、部屋の中に干したあと、時間を確認し、医者から処方された薬を水に溶かす。熱に浮かされている男の上半身を抱え、薬入りの水を飲ませる。ついでに身体を拭き、着替えさせ、また寝かせる。
 本当になぜこんな真似をしているのか。
「……声と、顔のせいね。まったく、なんでこんなに似ているのよ……?」
 エディニィは悪態を吐いた。
 男の枕もとの小卓の上を見る。鎖が切れて男の首から外れた指輪が眼に入る。手に取って眺める。指輪の内側には、文字が刻まれている。どうも北の国の言語らしいが、読めなかった。念のため、形を記憶する。
 思い返せば、三日前――

「お姉さん、ひとり?」
 イシュリーへの帰還途中だった。
 エディニィはスザン軍の現地の情報収集が任務だった。隊の編成、規模、指揮官、駐屯地、糧食の確保、保管庫、運搬ルート、武器の選択、馬の総数、砲丸台の台数など、知り得た情報は随時、定期報告として逐一秘密裏に伝令を走らせた。
 あとは少し人民の様子や噂話を探りつつ帰るだけ、というときに、声をかけられたのだ。
 宿場町の玄関先、パーソ川にかかる橋の上だった。すれ違いざまに声をかけられたのだが、普段は聞き流すにとどまるものを、その声がこんなところにいるはずもない知り合いの声によく似ていたものだから、つい振り返ってしまったのだ。
「お姉さんみたいなきれいな女のひとが独り歩きなんて危ないよ。どこへ行くの?」
 その声。そして、顔。
 エディニィは眼を瞠った。似ている。年の差があるので生き写し、とまではいかないが、他人とは思えない酷似ぶりだ。驚きのあまり二の句が告げずにいると、
「この辺も最近は物騒なんだよ。近いなら、俺、送ってあげるけど。あ、でも別に変な下心があるとかじゃないから。本当、全然そんなつもりな――っ、危ない!伏せろ――!!」
 突然飛びかかられて、押し倒される。このとき周りには往来する人々が絶えず行き交っていたのだが、ほんの僅かな風圧を感じた瞬間、ごとごとっ、と異音がして、真っ二つに分断された上半身と下半身がそれぞれ崩れ落ち、鮮血が噴いた。
 誰かが恐怖の悲鳴を上げる。
「風(ウィア)の(・)天人(シャーサ)だ」
「天人来襲だ!殺されるぞ!」
「逃げろ、逃げろ――!」
 エディニィは空の中に六翼天二名を認めた。問答無用の第一撃を放ったあと、風を自在に操るその手は持ち上げられ、凄惨な殺戮がいままさに開始されようとしていた。
「逃げよう」
「こっちよ」
 言って、エディニィは男の胸倉を掴み、そのまま川へと放り投げた。すぐに自分も飛び込む。風斬りの攻撃の前に万全ではないにせよ、水は最大の防壁となるのだ。
 そして暫時、水から上がって、男がはじめの一撃を背に受けていたことを知る。
 医者を呼び、宿屋に運び込み、手当を受けさせた。傷から雑菌が入り、高熱に倒れるのはすぐのこと。なしくずしのまま看病をする羽目になってしまったのだ。

 三日目の夜も更けた。
 月が中空に昇った頃、男がふっと意識を取り戻した。
「……なぜ俺に親切にしてくれるんですか?」
「あら、ようやく眼が覚めた?気分はどう?」
「痛いけど、悪くないです」
「そうでしょうね。背中の傷は結構深かったわよ。あと少しで脊髄まで届いていたらしいわ。そうなっていたら下半身不随で一生歩けなくなっていたかもしれないって」
「それはいやだなあ」
「食欲はある?なにかもらって来ましょうか」
「……あなたに助けられたんですね」
「はじめに私を助けたのはあなたよ」
「でもあのあとすぐあなたが俺を川に放り込んでくれたから助かったんです。あなたこそ俺の命の恩人なのに、赤の他人の俺の看病までしてくれるなんて……親切なひとだ」
「いいから食べて寝なさいよ。熱が下がるまでは傍にいてあげるわ」
「だったら、しばらく熱はさがらないでもいいかな。あなたが傍にいてくれるならこんな役得はないもの」
「ばか言ってるとぶつわよ」
 エディニィが睨むと男はくすくす笑ってまたすぐに眠りに落ちた。

 更に二日経って、ようやく男は回復の兆しを見せた。熱は下がり、顔色もよくなった。
「そろそろ帰るわ」
「どこへ?」
「家に決まっているでしょ」
「ああ、そうか……そうですね。普通のひとは家に帰るものですよね」
「なによ。あなたは違うの?」
「俺は帰る家なんてありません」
「なぜ」
「待っていてくれるひとがいないから」
「寂しい人生ね」
「あなたが慰めてくれるわけには?」
「男は間に合っているの」
「つれないなあ。じゃあもう会えないのですか」
「あなたね、年上の女を口説くのは早いわよ。だいたい幾つなの」
「二十歳です」
「嘘つき。まだ十五、六でしょう?」
「……十七です。でもあなただって俺とそう幾つも変わらないでしょう」
「女に歳を訊くなんて失礼ね。さてと、そろそろ行こうかしら」
「待って下さい。また会えますか」
「そうねぇ。あなたがビンボウじゃなければ治療費を請求してあげてもいいけれど」
「ビンボウじゃないです。いいですよ。請求して下さい」
「そう?じゃ、連絡先を教えて。署名入りで一筆書いてよ」
「あっはははは。本当にしっかりしたひとだ。じゃあついでに担保もつけます」
 男は指輪を差し出した。
「それ、俺の唯一大切なものなんです。次に会うときまで預かっていてください」
「いやよ、そんな大切なもの預かるなんて。失くしたらどうするの」
「失くさないでください。だってこうでもしないといつあなたの気が変わるかわかったものじゃない。そうだ。まだ俺、名乗ってもいませんでしたよね。俺はアルマディオ・ベルシアーノです。色々と助けていただいてありがとうございました。俺、待っていますから」

 エディニィは、即、キルヴァのもとに帰還した。
 入れ違いになってしまったものの、アズガルを除く全員がスザンに潜入して自分を捜索してくれているのだと聞いたときは、不覚にも涙が出た。その涙をキルヴァの指が拭い、そっと抱き寄せられ、強く抱きしめられてはじめて、自分がどれほど心配をかけてしまっていたのか思い知った。
「君が無事でよかった」
「申し訳ありませんでした……」
「よい。無事ならばよいのだ。なにか相応の理由があるのだろう?」
「はい」
 エディニィはスザンでの数奇な邂逅を思い巡らせ、言うならばいましかないと思った。
 アルマディオ・ベルシアーノと名乗った男。
 ダリー・スエンディーによく似たおもざし、よく似た声、よく似た体格、笑い方。
 そして、ダリーが肌身離さず嵌めている指輪と同じ細工の指輪を所持していた――。
「内密のご報告があります」


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