深夜、キルヴァは駐屯地へ戻った。 半日とはいえ、ただひとり基地に待機して、スザンに潜入したエディニィとライヒェンに潜入したクレイからの連絡待ちという中継役を務めていたカズスは、キルヴァの無事な姿に大袈裟なほど喜びをあらわに出迎えた。 「あーよかった!ご無事でしたかー。お帰りなさい、王子!あとダリーとミシカとアズガルとステラもおかえりー」 「大の男が諸手を振って飛び跳ねるなというのに。みっともない」 手厳しく叱咤するミシカを「まあまあ」と宥めながら、ダリーは馬を降り、駆け寄ってきた馬番に手綱を預けてカズスに軽く手を上げる。 「おう、ただいまー。王子は無事だぜ」 「いま戻った。留守居役、ご苦労だったな」 「心配しましたよ。俺がいないときに限って襲撃に遭ったりしないかなーとか。あー、なにごともない道中でよかったあ。ええと、交渉はうまくいきました?」 「ひとまずな」 「さすが王子!じゃ、まず飯でも食って休んでくださいよ。アズガルもお疲れー。あとは俺が王子番代わるよ。おまえも少し休めって。どうせろくに食ってないんだろ。軽い夜食を用意したからさ、それ食ってから寝ろよ」 「任せるぞ」 「任せとけ。ってわけで、王子、俺が今夜の番兵です。なんでも言ってくださいよ。あ、そうだ。カドゥサが、王子がいないって騒いで喧しかったんで天幕に入れときました。入るとき気をつけてくださいね、顔に吹っ飛んでくるかも――」 「ただいま」 キルヴァを筆頭に、その場にいた全員が耳を疑った。 視線がステラに集中する。 カズスが思わず訊き返す。 「……なんだって?」 「『ただいま』と言ったのだ。間違ってはおるまい」 「あ、うん。間違ってはねぇよ。合ってる、合ってる。けど、あれ?あんた、イシュリー語を話せたわけ?いや、その前に、天人って人間のこと嫌いなんじゃねぇの?あんただって王子以外は、俺たちなんて相手にしたくなかったんじゃなかったっけ?」 どんなに言いにくいことでも率直に切り出せるカズスの性分は近頃ごく頻繁に発揮の機会に恵まれる。 少しぐらいは見習いたいものだ、とキルヴァは感心するのだが、嫌味にならずに済むのは一重にカズスの人徳ゆえで、自分ではこうはうまくゆくまいともわかっていた。 「気が変わった」 「へー。どんなふうにだよ?」 「おまえたちは、仲がよい。キルヴァも愉しげで、見ていて私も混ぜてほしくなったのだ。天人など、いやか?」 「いやじゃねぇよ。むしろ大歓迎だぜ。だってさ、あんた、王子の七番目の近衛になったんだろ?だったら俺たちと同輩だ。あーよかった。いままで周囲はがっちり固めてたけど、上はカドゥサ任せだったからいまいち不安だったんだよな。でもあんたが上にいてカドゥサと一緒に王子を護ってくれたら心強いぜ。これからよろしくな」 カズスが手を差し出す。ひとに触れることにはまだ慣れぬステラはさすがにためらうようで、反応しあぐねている。 キルヴァが弁明するより先に、ダリーの手がカズスの手に無造作に重なり、次いでミシカの手が無遠慮に重ねられ、無愛想なアズガルの手が重なった。すると、ダリーがもう一方の手も「エディニィの分だ」と言って重ねたので、ミシカもまた「じゃ、これはクレイの分だ」と応じる。 団結の手の塔。 ふと、脳裏を過ぎる詩文の一節。キルヴァはそれを口にした。 「『戦火は消えることなく、いまこのときも命は失われてゆく。 この混迷の時代に生き抜くことは、苦しく、難しい。 だが君よ、隣を見よ』」 ミシカが仏頂面をやや崩して続ける。 「『我がいるではないか』」 ダリーがあとを引き取る。 「『そうだ、我がいる。 我はこの命のある限り高き志を持って君と共に戦おう』」 アズガルが力みのない声で澱みなく諳んじる。 「『我が輩よ。 たとえ明日この身が散ろうとも、わが魂は君と共にある』」 カズスが強引にステラの手を引いて手の塔の頂にのせる。 「『忘れるな』」 そしてキルヴァがステラの手の上にそっと優しく手を重ねて、括った。 「『我は永遠に君と在る』」 ステラはキルヴァを見つめ、次いで全員の顔を順に眺めていった。最後には笑っていた。 「よろしく、頼む」 それで充分だった。手の塔はたちまち解かれる。 そこへ、夜の闇の中から青角灯を手に下げて、足早にセグランが現れた。斜め後ろにはジェミスもぶらぶらとついてきている。 「申し訳ありません、王子!ちょっと呼ばれて席を外していたのです。お帰りなさいませ。ご無事でなによりです。ステラも一緒ですね。ああ、本当によかった……とにかく、心配だったのです。あちらには私の師がおりますので下手をすれば拘束されるかもしれないと、もっと悪ければ軟禁されるのではないかと危惧していたのです。杞憂に終わってよかった」 「ステラは七番目の近衛に任命された。その身柄は私預かりでいいと、父上とリューゲルに言質を取った。天人兵団登用には待ったをかけた。ライヒェン攻略の猶予も五日を貰った。私の方ははざっとこんなところだ。こちらはどうだ。なにか動きはあったか?」 「ありました。いくつかご報告があります」 「聞こう」 「では中へ」 アズガルとカズスとジェミスを見張りに立てて、キルヴァが天幕に入るなり、カドゥサが騒ぎたてながら飛んできた。肩の定位置に留まったまま、離れようとしない。 「……置いていかれたのを根に持ったな。いい、このまま進めよう」 早速セグランはキルヴァに筒状の書状を差し出した。 「ライヒェンから、非公式会談の申し込みが何度もありました」 「クレイがうまくやっているようだな」 「いかがしますか」 「他の問題がなければ当初の予定通りいこう」 「では、公式会談の申し入れがあるまでこのまま丁重にお断りし続けます」 「何日かかるだろうか」 「おそらく三日。それ以上でも以下でもないでしょう」 「三日か……では、スザンの情勢はどうなっている?エディニィから連絡はあったのか?」 「それが、まだ」 キルヴァは厳しい顔で押し黙った。ややあって決意をした眼で、セグランを振り仰ぐ。 「最後の伝達があってもう五日経つ……彼女が五日も無連絡とはあり得ない。なにかあったのだ。ライヒェンとの会談まで三日の猶予があるならば、その三日のうちにエディニィを捜し出せ。どんな手を使ってでもいい、必ず救出するのだ。すぐにスザンは戦場となる――」
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