その庵はエムズ山脈の西側、万年雪を抱く山々の雪解け水を運ぶユウル川を挟んだギーウ山の山裾にあった。 人目につかぬように大きく迂回しながら、慣れぬ山道を馬で辿って、着いたのは正午も近くになってからだった。 「ここからは馬を降りて歩きましょう。王子、大丈夫ですか。ついてこられますか?」 「行く」 「あと少しです。馬はこのさき無理なので、ここに繋いでいきましょう。私のあとについてきてください。足もとに気をつけて、決して余所見をしないように、いいですね」 「わかった」 「……お疲れでしょうに弱音を吐かないとは、強くなられましたね。なかなかどうして見上げた根性です」 「弱音なんて、吐かない。だって私よりセグランの方が疲れているだろう」 「大丈夫ですよ。お気遣いありがとうございます。さあ、あと少しです。行きましょう」 セグランは微笑んだ。幼い王子の人を労わる優しい心が、嬉しかった。 それから、ユウル川支流をやや遡り、大きな火山岩がごろごろする緩やかな傾斜の山道を三十ハイト(十ハイトで約十分くらい)も登った。 「ここからはすぐです」 こことは、先の尖った黒い巨大な玄武岩が三つ、ちょうど柱のように立っている場所だった。足場の悪い山道を逸れ、山に入る。ややあって視界が開け、目の前に木造の粗末な庵とそれより大きな作業小屋が現れた。水の流れる音が聞こえる。近くに沢があるのだろう。見回すと、動物小屋もあり、山羊が二頭つながれていた。 「―-----ジア親方、いるでしょう!出てきてください、私です、セグランです」 ちょっと間があり、ガタガタッと軋みをあげて作業小屋の方の扉が開いた。中から真っ黒にすすけた顔の、背は低いが恰幅のいい鷲鼻の老人が出てきた。 「セグランだと?」 「お久しぶりです」 「この薄情者め!最後に会ってからいったい何年が経ったと思っとる!」 「すいません。お元気そうで、なによりです」 「元気にきまっとるわ。俺は生涯現役を通すと―-----そりゃ、なんだ。その羽……まさか、天人か?」 セグランにジアと呼ばれた老人は臆するふうもなく近づいてきて、セグランの肩に担がれた天人の顔を覗き込みながらフガフガと鼻を鳴らした。 「死にかけとるじゃないか」 「なんとか助けたいのです。力を貸していただけませんか」 「まったくおまえときたら、たまに顔を出したかと思えば面倒ごとばかり持ってきおる。なんとかならんのか、その悪癖は」 「かさねがさね、すいません……」 さっきから謝ってばかりのセグランを見るに見かねて、キルヴァはおずおずと口出しした。 「セグランが悪いわけじゃないのです。私がこの天人を助けたいと、わがままを言ったのです」 そこではじめてキルヴァに気がついたようで、ジア老人は大きく眼を瞠って、額を掌で叩いた。 「なんと、子連れか!いやいや驚いた、おまえもついに人の親になったか」 それを聞いて、セグランは文字通り頭のてっぺんから足の爪先まで蒼褪めた。 「ち、違います!なんて恐れ多いことを!こ、こちらの御方は恐れ多くも次期王位継承者キルヴァ・ダルトワ・イシュリー様であらせられます。頼みますから、二度と、二度と間違ってもそんな恐ろしいことを言わないでください」 「セグラン」 キルヴァの切迫した声にセグランは我に返った。急に右肩の重みが骨身にのしかかる。 セグランはあらためて頭を下げた。 「突然の訪問は謝ります。迷惑なのも承知です。どうか、助けていただけませんか」 「来なさい」 ジア老人は顎をしゃくった。庵へ向かう。見かけより、足取りは確かで軽い。 キルヴァはセグランに問うようなまなざしを向け、セグランは頷いた。 「いきましょう」
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