第三章 戦場に咲き狂うということ
イシュリー国王ディレク出席のもと、軍議は紛糾の極みにあった。 いわば、公然の秘密であった天人兵の存在がついに明らかにされ、その兵力を持ってライヒェン国を急襲し、従属させ、一気に属国化を計るという強攻案が軍師リューゲル・ダッファリーにより提出されたのだ。 丸二日の討議を経ても採決には至らなかった。 賛成派、反対派、ほとんど互角の言い分が軍議の進行を妨げ、停滞させていた。 「リューゲル軍師、あなたは天人兵が強い強いとおっしゃるが、私どもにしてみれば寝耳に水――その存在すらもいまはじめて知った次第なのですぞ。ましてや天人を隷属させ兵士に仕立てるなどと、一概には信じがたい事実です。そんな突拍子もないことをすぐに信じろ、信用しろ、と言われて納得できるわけがないではありませぬか」 「そうですとも。ただでさえ天人はひととは慣れ合わぬ種族です。意志の疎通すらままならぬ相手に、どうして服従などさせるのです。どうやって契約を結び、味方にしたのです。いえ、そもそも天人兵の種族は?何翼で、何人構成で、どんな攻守をみせるのですか?」 「そんな細かいことはどうでもよかろう!我らが軍師殿がやれるというのだ、やれるに決まっておる!なぜそうまで強弁に反対するのだ。別によいではないか。俺の部下は死なずに済む。天人兵でもなんでもいい、目障りなライヒェンとスザンをとっとと黙らせてほしいものだ」 「確かに。いまは目先の勝利を優先させたいな。長引く戦争で民が疲弊しきっている。徴兵制で若い労働力はみんなそっちに持っていかれて耕地は荒れてきたし、収入減で消費は低迷、国益も下がっている。一日も早い終戦は民の待ち望むところ、それも自分の旦那や息子が犠牲にならずに済むならば、言うことなしじゃないか」 「方々、お待ちなさい。問題はそれほどに単純なものではありませんぞ。あちらも天人兵を用意していないと断言できますのか?万が一にも、こちらが先に手出しして、報復されたとて、あとで文句は言えますまい。第一兵力が僅差の場合はどうするつもりで?軍を出動させる?和平会談を設ける?その前にスザンが攻めてきたらどう迎え撃つと?」 「これこれ。皆、ちと喧しくはないか。王の御前であるぞ」 「思うになぜライヒェンだ?いま攻めるべきはスザンだろう。先の小競り合いでスザンの王子の首も取ったことだ、内政も乱れているに違いない。天人兵でも我軍でもなんでも、とにかく、相手にするならばライヒェンより先にスザンだ」 「スザンよりライヒェンだ!スザンとは国力が違う。我が国とあまり差が出ると手出しするのも困難になるだろう。とかくライヒェン王は曲者で知られている。いまはまだ静観の姿勢を崩していないが、我らがスザンの攻略にかかった途端に背後をつくというやり方は常套手段だ。叩くならば、やはりライヒェンが先決だろう」 そこへ、ディレクのもとに伝達があった。 「……そうか、わかった。皆の者、一時休会とする。リューゲル、ついて参れ」 そして、さっさと退席した。 国王不在により議会は中断を余儀なくされ、出席者らはしばし解散した。 ディレクは紫紺の長いマントをたなびかせながら、大股に回廊を渡っていく。あとにはリューゲルと専属護衛の近衛でジレフ・マリベスが続く。 王宮でもごく限られた人間のみ出入りを許された居住区と国政の中枢である政務区の境にある中庭に出た。 余計な技巧を施していない、緑も花もない、ただ四角く切り取られたかの如くぽっかりと口を開けた空間に、片膝をついて丁重に頭を垂れた人間が四人、黙して控えていた。 「面を上げよ」 今年四十五になるディレクの顔が綻ぶ。亡き妃におもざしのよく似た息子は彼の掌中の珠であると同時に唯一の弱点でもあった。 「キルヴァ、息災だったか」 「はい。父上も思ったより随分とお加減が良さそうで安心いたしました」 「リューゲルが大袈裟に騒ぎすぎなのだ。私は平気だと申したのに――」 「なにが平気なものですか!王のおっしゃる『平気』が平気であったためしなどございません。王子の前だからと言ってとぼけるのはよしてください。しばらく絶対安静の告知をされたほどの負傷でしたでしょう。もっとも、いまは本当に良くなりましたが。お久しぶりでございます、王子」 「ああ。そなたも元気そうでなによりだ」 「セグランはお役に立っておりますか?」 「無論だ。よく私を助けてくれている。そうだ、まだこの件では礼を言ってなかったな。遅くなったが――セグランを私のもとへ返してくれてありがとう、リューゲル」 「いえいえ。十年かかりましたが、なんとか形になりました。もうひとりの私の弟子――次軍師アニエル・オースターと共に、どちらを王子が選ばれるにせよ、私のあとを継ぐには相応しい次代の担い手です」 「そのような話はあとでよかろう。それで?戦線を離れてまでわざわざ近衛の認定に足を運ぶとは、今度はどのような素性のものなのだ?ダリー、ミシカ、アズガル、そなたたちの眼にはかなったのか?」 ディレクはダリー・スエンディーに口答を許した。 「十分に」 「ほう?それで、そのものはどこにおるのだ?連れて参るがよい」 「ただちに」 しかしキルヴァは天空を浅く仰いだきりで、動こうとしない。ディレクは息子を訝しげに見やり、キルヴァはやや間を溜めて微笑む。 「――ステラ、ここへ!」 そして、一瞬のちに、音もなく不意に舞い降りた至高の天人を目の当たりにした。 白皙の美貌、蒼い双眸、甘やかな金色の美しい長い髪、白い軍服に蒼い鎧を纏い、蒼い鞘に納めた蒼い柄の剣を腰に佩いている。だが、なによりも眼を奪うのはその純白の翼である。 ディレクもリューゲルすらもしばらく絶句して硬直していたが、ややあって、喘ぐような呟きが絞り出される。 「……十二翼天……!」 「はい。私の天人です」 「なんと――なんと――」 「私の剣となり盾となることで契約いたしました。以後、私に従っております」 突然、リューゲルがキルヴァの足元に跪いた。 「王子!どうか、この者を私に頂戴したい!この者がいれば――十二翼天がいれば――我が国の天人兵団は完全無敵、史上最強のものとなる。そうすれば世界制覇、すべての国の統一も夢ではない。あなたさまのお父上が大陸の初代統一王として君臨するもそう遠い未来の話ではなくなります。どうか、どうかお願いです王子、キルヴァ様……!」 「待たれよ、リューゲル。父上、天人兵団とは――いったい、なんのことです?」 ディレクは、長年ひた隠しに隠してきた最高機密を、ついに明かした。 「そのまま、言葉通りのものだ」 「言葉通り……まさか。では、天人を兵士として登用したのですか」 「そうだ」 ディレクはキルヴァを正視した。キルヴァもディレクを正視した。 父と息子は長い間沈黙を挟んで見つめ合い、互いの眼の中に色々の感情が入り乱れるのを眺めた。そしてついに、キルヴァがいったん眼を閉じ、ゆっくりと、ひらいた。 「……水を差すようで申しわけありませんが、ステラは兵団に参加はできません」 「なぜだ」 「私とステラとの契約事項に反します。私たちは、自由を束縛せず、誇りを傷つけず互いを尊重し、傍を離れない、この三点で合意しております。ステラを兵団に所属させるというのであれば、この三点すべての契約に反しているので、勝手に破棄され、そればかりか、私の命を契約履行の代償に求められるやも知れません」 「なんだと」 「十二翼天との契約です。そのくらいの危険は当然でしょう」 「しかし――そなたは王子なのだぞ!」 「十二翼天が私のものになると言うのです。この世にも美しく強いものが。断れません。断るなんてあり得ませんよ。迷うことだってしません。父上だって、そうでしょう?」 ディレクはぐっと返事に詰まった。 突然、リューゲルが弾けたように笑声を上げた。 「はははははは!さすがです――さすがですよ、王子!やはりあなたさまはディレク王の血をひく御方だ。いままでも驚かされたことはたびたびありましたが、まさか十二翼天までも従えるとは――嬉しい誤算です。本当に、なんという大器だ。まったく計り知れない……よろしいでしょう、十二翼天の身柄は王子預かりのものです。私に異存はありません」 「父上は?」 「……あのようなものを近くに置くなど、危険はないのか?」 「完全に。天人の誓いは絶対不可侵です」 「ならばよい。そなたの好きにいたせ」 「ありがとうございます」 ディレクはステラを一瞥したがなにを言うでもなく、キルヴァの肩を抱いて踵を返した。 「軍議の途中であった。そろそろ戻らねば。いまからでもよい、そなたも来い」
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