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作品名:天人伝承 作者:安芸

第37回   第二章 苦しみを見出すということ・12

 翌日、早朝。
 クレイ・シュナルツァーがライヒェン国に発った。
「近衛教育は取りあえずジェミスに引き継ぎました。戻りましたら、また私がびしばしと飴と鞭を振るいます。私が留守でも、どうか身辺にご注意を。では行って参ります」
 次いで、エディニィ・ローパスがスザン国に発った。
「しばしお暇いたします。お身体にお気をつけて。くれぐれも薄着で外出なさったり、おかしなものを召し上がったりなさらないでください」
「私のことはよい。――エディニィ。絶対に無茶をするな。ただでさえ危険な敵地だ、加えて君は女性で美しい。私は心配だ……君になにかあっては、私は自分を許せないだろう。だから、無理はよせ。必ず無事で戻るのだ。よいな」
 エディニィは一瞬泣き崩れそうな表情を浮かべたが、すぐに唇を引き結び、無言で礼をして背を返した。
たちまち、朝靄の中に消える。
「……王子は天然で口説かれるからあいつも大変だなあ」
「なにか言ったか、カズス?」
「いえいえ、なにも。俺、クレイとエディニィの分まで頑張りますから」
「ああ、頼む」
「王への使者も発ったんですか」
「いましがた。一両日中には戻るだろう。それまで色々とやらねばならないことがある」
「なんでも言ってください」
 キルヴァはカズスの懐に半歩深く踏みいって、小声で命じた。
「――鍛冶職人と鎧職人ですね。わかりました。ただちに腕のいいのを手配します。アズガル!俺ちょっと外すから、王子を頼む」
 アズガルは既に陰に控えていた。無言で、さっさと行けというしぐさをする。
 陽が昇った。やわらかで透明な光が射す。いくぶん冷気を含んだ風が面を撫でる。清々しい朝の空気を深呼吸して、キルヴァは天空を振り仰ぎ、一声かけた。
「ステラ」
 ほとんど真上から、炎の天人が頭を下に、長い髪をたなびかせながら、垂直に降りてくる。キルヴァの近くまで来ると反転して、翼をたたむ。
「なんだ」
「おはよう」
「『おはよう』?」
「朝の挨拶だよ。朝がおはよう、昼がこんにちは、夜がこんばんは、だ」
「……では、おはよう。それで?私を呼んだのは挨拶指導のためか?」
「少し話をしたい」
「またあの狭い中か。外ではならんのか」
「天幕がいやならば、外でもよい。そうだな、ちょっと視察にでるか。アズガル、来い」
 キルヴァはセグランとダリーにその旨を告げてから、朝食の支度や見張りの交替で忙しない陣中をよぎった。ふわふわと漂いながらあとに従うステラへの視線が熱い。あからさまな敵意、反感、興味本意、困惑と、さまざまな心中を物語っている。そして、およそ戦場には不似合いな美貌が男たちの眼を惑わすことにも、否が応にも気づかされる。
 キルヴァは、なぜか胸がうずいた。周囲の視線が疎ましく感じられた。
「ステラ、手を」
「なんだ」
「手をひく」
「なぜ」
「ひきたいのだ。いけないか」
「……ひとに触れるのはまだ慣れぬ。まあ、おまえなら……どうかな」
「いやだったら、離せ」
 キルヴァは手を差し伸べ、ステラはためらいがちにほんの指先だけを重ねた。キルヴァはほとんど温もりのないステラの白い指先を握ったまま、足早に陣地を抜けた。
 スザンの領地が彼方に見渡せる丘陵の頂まで登る。野生のゴールデン・ツリーの巨木が一本しなやかに立ち、鮮やかな黄色い花をブドウの房の如くたわわに咲かせていた。
 キルヴァはステラの手を離さぬまま、木の根元に座り、朝の光に滲む地平を眼を細めて眺めた。ステラはすぐ隣に寛いだ恰好で宙に留まっている。
「こうして……二人だけでゆっくりと話すのははじめてだな」
「おまえはいつも大勢に囲まれているからな。私の出番などないのさ」
「そんなことはない。私はずっと夢見心地で考えていた……そなたともしも再会できたらあれも話そう、これも話そうと。だが、いざ再会してみると、胸が詰まってなにを話せばよいのやらわからなくなってしまった。あの、ジアが亡くなったことは、知っているか?」
「ああ。あれは頭の固い、面白みのない、鍛冶職一筋の男だったが、分別はあったな。よく私の面倒を看てくれた。おかげでこのとおりだよ。……あれは、私と風ので葬った」
「『風の』?……金髪蒼眼、短髪で、十翼の……風の天人のことか?」
「おまえ、奴を知っているのか?」
「一度、ごく最近少し話をしただけで、名は知らぬ。だが、ジアを看取ったと話されていた。口ぶりからすると、ジアとは旧知の中であったような気もするな」
「ああ。奴も、あれには世話になったようだ。まあそういうわけで、私と奴は二人であれを火葬にし、風葬にした。胸を患って長く寝たきりだったが、最後はそう苦しまなかったぞ。おまえとセグランの心配をしていた……そうだ。あれからおまえ宛に託されたものがあるのだが、その件についてはなにか聞いているか?」
「少し」
「その分だと、まだ受け取ってはいないようだな」
「……風の天人は、それは、天人とひとの運命を左右する力を持っている恐ろしいものだと。私の手元には届かぬように願っていると、言っていた。それがなんであるか、私は知らない。正直、少し気後れしている……十翼の天人にさえ恐ろしいと言わしめる“もの”など尋常な代物ではない。そなたは、それをどう思うのだ?」
 蒼眼が、キルヴァを直視する。サファイアそのものの如く、美しい双眸だ。
「あれは、打ってはならぬものを打ち、造ってはならぬものを造り、完成させてはならぬものを完成させたのだ。おまえだろうと、誰だろうと、手にしてほしくはない」
「……ではやはり、いまはまだ、私は知らぬままにしておこう。おそらく、いずれ遠からず知るはめにはなるだろうが、そのときが来るまで私は訊くまい。それでよいか?」
 ステラは判然と答えなかった。
 眼が逸れて、繋がれたままの手に視点が向く。だが振りほどこうとはしない。
「話とはこのことか?」
「いや、すまない。これからが本題だ」
「もったいぶらず、さっさと言え」
「そなたに頼みがあるのだ」
「なんだ」
「――私の、七人目の近衛になってほしい」
 キルヴァは少し強く、手を握りしめた。
「私のために、私の近くにいてほしい。これは、強制ではない。そなたさえよければ、受けてほしいのだ。私は、できる限りそなたの自由を尊重したい。誇りを傷つけたくない。だがその役職に就くことで、そなたを一部とはいえ、束縛することにはなるだろう。――そなたを私の近衛に置くという名目があれば、誰も他にそなたに手が出せない。そしてそなたが私の傍に在ることを否定もできない。どうだろう、考えてみてもらえるか」
「私はおまえのものだ」
 ステラは、ためらいがちにキルヴァの手を握り返した。
「何度も言わせるな。私はおまえゆえにすべてを委ねると誓っただろう。おまえの近衛だと?よかろう。自由などいらん。誇りはおまえゆえにある。束縛がどうした、望むところだ。私はおまえの傍にいられれば、ただそれだけでいい」
「……本当に?」
「天人は、嘘をつけぬ」
「……ありがとう、ステラ」
 ステラはキルヴァの心の裡を読んだかのように、付け足した。
「――たとえいつか、私の天人としての力を必要とするときが来たとしても、おまえは私を好きに使えばいい。私がいいと言っているのだから、それをおまえがうしろめたく思うことはない。私がおまえを恨みに思うこともない。その結果、なにがどうなろうと、なにものをも敵にまわそうと、すべて私が望んだこと。それだけは憶えておくがいい」
 ゴールデン・ツリーの甘い芳しい薫りが胸に染みた。
 繋いだ指先から伝わる命の脈動が、なんとも尊く思われた。
 キルヴァはそのままステラの手を胸に引きよせ、心臓にあてた。そして言った。
「憶えておこう。そなたも、憶えていてくれ。私は、そなたと離れない。そなたを裏切らない。私は決して、そなたを放さない――」


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