風の強い夜だった。 キルヴァは外で見張り番をしていたエディニィとカズスを天幕の内に呼び、内幕の中にいたミシカも加えて雑談に興じた。夜は空で休むと言ってステラは日没と同時に姿を消し、セグランはクレイと一緒に新しい近衛の人事などを決めるため自分の天幕にこもっている。 思い立ってアズガルとダリーにも声をかけると、二人ともすぐにやって来た。久しぶりに、一名を除いてだが、ゆっくり寛げるひとときを設けることができてキルヴァは嬉しかった。 「あたたかいお茶でも淹れましょう」 エディニィがてきぱきとお茶を用意し、魚の燻製をつまみに添える。 時折天幕が風に煽られ大きく揺れたが、支柱がしっかりしているため、倒れたり吹き飛ばされる心配はないようだ。 他愛のないやりとりをしながら、キルヴァはお茶を啜り、燻製を毟って頬張る。自然と笑みがこぼれてくる。皆が無事で、揃っているのを眺めるのがなにより好きなのだ。 「そうだダリー、改めて訊くのもおかしな話なのだが、なぜ君は“戦場の黄姫”なんて通称がついているのだ?」 「げほ」 ダリーはちょうどお茶のお代わりを口に含んだところだったらしく、苦しそうに噎せた。 「げほ……あー、それは、あれですよ。なんというかですねー」 「オウキ、即ち黄姫と聞くと、こちらの言葉ではなんだか雅やかな印象ですが、北の国ではオウキは前触れのない砂嵐、砂漠から来る死の黄色い風を意味します。まあそれだけ恐れられていたということですね」 ダリーに代わって答えると、ミシカは旨そうに燻製をゆっくり咀嚼した。 「そうなのか?」 「はあ、まあ」 ダリーは頭を掻いた。 「自慢できることじゃないですがね、北の国ではお尋ね者ですよ、俺は」 「え、なんで?」 カズスが即座に追及する。その眼は興味津々で、明らかにもっと聞きたいと輝いていた。キルヴァもカズスと同じ気持ちだったので敢えて止めなかった。長い付き合いではあるが、個人的なことや過去のことまではなかなか深く話を聞いたり知ることが少ないのだ。 ダリーは胡坐をかいて、燻製を細かく毟りながら淡々と話しはじめた。 「……昔、ある組織に妻と子供を殺された」 カズスが仰天する。頬張った燻製の欠片が口の端からポロリと落ちる。 「えっ。妻?子供?ダリー結婚してたんだ!――それで、殺された、だって?」 「……ああ。すぐに反撃して組織を壊滅に追いやったまではいいんだが、その中のひとりが北の情報部の首脳陣に在籍していたらしくてな、すぐに手配書が回って、首に高額賞金を賭けられた。まあ俺のことなどどうでもいいが、よくないのは、ひとりだけ討ち漏らした奴がいたことだ。俺は、そいつを追ってこの国まで来たんだ。しかし、地下に潜られて所在不明――誰か奴を匿う大物がいたらしくてな、かなり手こずっていた。なにせ土地勘はないわ、言葉も通じないわ、常識は違うわ、情報は足りないわ、金は尽きるわ、恨みは増すわ、腹は減るわ、喧嘩は売られるわで八方塞りよ。そんなときに、偶然知り合ったセグランと王子に助けられたんだ」 「嘘をつけ」 即座にミシカが話の腰を折った。 「道の真ん中で強引に王子の近衛に加えろと迫ったんだろうが。それも、王子の目の前で」 「ああ、あのときはびっくりしたな」 キルヴァは当時を思い出して苦笑いをした。 「いきなりセグランに決闘を申し込んだな、君は」 「そうです。それも、勝ったら近衛兵長に、負けたら近衛兵として雇ってくれとは厚かましいにもほどがあります。まあ、それをあっさり承諾してしまう王子も王子ですが」 「えええ?王子、承諾したんですかっ?俺がいま聞いても無謀で無茶苦茶だと思うのに」 キルヴァはカズスを見つめ、次いで手元のカップの中に視線を落とした。 「あのときは、私も母を亡くした直後で……近衛は腕の立つ者が欲しくてな、ちょうど探していたときだったんだ。それにダリーはセグランと互角で勝負がつかなかった。ミシカも文句は言っていたが技量は認めたようだったし、私に断る理由はなかったのだ」 「とまあ、人間成せば成る。俺は職と衣食住と身分と報復するための情報を集められる立場を手に入れた。いやほんと、心の広い王子に感謝しなければならんなあ」 ダリーは明るく笑い飛ばしながらも、その眼には暗い光が瞬いている。 不意にアズガルが小さく訊ねた。 「……奥方と子供はどんなふうに殺された……?」 「……焼死だよ。家屋に火を放たれた。逃げ出さないよう、妻も子供も足首をへし折られて、妻の首には短刀が刺さったままだった。全身焼け焦げて顔なんてわからない有様で、妻は子供を抱きかかえたままだった」 ダリーの声が深く沈む。眼は虚ろ、但し闇をみつめているかの如く暗澹としている。 「熱かったろう、苦しかったろうと思う。変わり果てた二人を見たあのとき、一度、俺も死んだに違いない……いまでも、あの夜のことを考えると凶暴な気持ちになる。絶対に許さない、絶対に報復してやる、たとえこの俺の全生涯を費やしてもな」 アズガルは無表情に頷いた。 「手を貸す。俺の力が要るときは呼べ」 カズスが真剣な顔で身を乗り出す。 「じゃあ、結局まだ仇討ちはできていないのか」 ダリーがかぶりを振る。胡坐の足を組み直す。 「俺が追って来た奴は殺した。だが、あとでわかったことだが、そいつも雇われただけで、黒幕が別にいるらしい。だからいまはそいつを探っているところだ。とまあ、なんでこんな暗い話になったんだ?俺の打ち明け話などつまらんだろう。え?」 それまで黙っていたエディニィが遠慮がちに訊いた。 「奥さんと子供さんの名前、なんて言うの?どんなひと?」 「妻はイヴリン、子供はアルマディオ。妻は、そこそこ美人。勝ち気で鼻っ柱が強くて、やんちゃで、手がかかる女だった。子供は俺に似た男の子でな、まだ二歳になったばかりの悪戯盛りで――あーやめやめ、辛気臭くなる。他の奴の話を聞こうぜ。そうだな、えーと、カズス!おまえはなんで入隊したんだ?前にちらっと聞いた限りじゃあ、おまえの家って代々続く豪農で、金には困ってないはずだろう」 「え、俺?急に俺の話なの?」 「そうだ。働かなくても食っていけるくらいの田舎のいい家の息子が、なんで安い汚い辛い割に合わない兵士なんかになろうと思ったんだ?出世欲か?それとも世直し願望でもあったのか?」 キルヴァを別に、誰もたいそうな返事を期待してはいなかった。 だが戦場にいるときとはまるで違う、天真爛漫を絵に描いたようなカズスから返って来た言葉は、意外なものだった。
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