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作品名:天人伝承 作者:安芸

第31回   第二章 苦しみを見出すということ・6
 三人は即座に得物を構えながら表に飛び出した。そこで目の当たりにしたものは、天幕の正面に押し殺した表情で身動ぎもせずに立つキルヴァとその傍らにぴたりと添うアズガル、昼食の支度にとりかかろうとした矢先の光景と、血相変えて空の一点を指差し怒号飛び交う兵士らの大わらわな姿だった。
「弓持て弓――!」
「敵は上空!射よ射よ――!」
「王子を護れーい!王子を護れーい!」
 間髪おかず陣地の上空、ほぼこの指令本部真上に位置する空に矢の雨が解き放たれた。
 そこには幾重もの白い翼をひろげたひとりの天人の姿があり、セグランは息を呑んだ。
 間違えようもない、天人はステラだった。
「撃ち方やめー!撃ち方やめー!皆の者、控えよ!皆の者控えよ――!」
 セグランが大声で命を下すのと、真横でミシカが攻撃停止の法螺貝を吹き鳴らすのが同時だった。しかし既に解き放たれた矢はどうにもならない。的確にステラを捉えた無数の矢は吸い込まれるように襲いかかり、一瞬にして、焼失した。一矢もステラには届くことなく、その翼から発した眩い金色の光芒で焼き払われ、はらはらと、矢の残骸とも言い難い微塵の屑が地上に散った。
 圧倒的な力の優劣の前に兵士らの反応はまちまちだった。ただちに第二射にかかるもの、キルヴァの前に盾とならんがため身を投げ出すもの、呆然とするもの、見惚れてあっけにとられ動けない者、セグランの命令と法螺貝をきちんと聴いて従う者が右往左往する。
 セグランはいま一度声を張り上げ、皆を制した。
「撃ち方やめー!撃ち方やめー!皆の者、控えよ!皆の者控えよ――!」
 ようやくこの呼びかけに不本意な面持ちで指揮官らが従い、動揺しながらも逃げ惑うことなく攻撃の一手に出るという不屈の闘志を見せた配下の兵を抑えはじめた。
 ややあって陣内がかすかなざわめきを残すのみとなって静まった頃、キルヴァがゆっくりと歩を進め、前に出た。無言のまま上空を仰ぎ、その手を光に翳すように持ち上げて、誘う形に指先を整えた。
 そしてほんの小さな声で呼ばわった。
「我がもとに来たれ」
 それは、なんとも威容にみちた眺めだった。長い豊かな金髪を靡かせ、白い肢体をゆるく旋回させながら、地上にいる獲物を狙う鳥の如く頭部を下にして頸を伸ばした恰好で、天人が降りてくる。細く優美な腕を伸ばし、その真白い指先をキルヴァのそれに重ねるようにして、突如、ふわ、と身体の向きを変えた。足の爪先を地上に向けて、翼を折りたたみながら、ほんの僅かに宙に浮いたまま、キルヴァの横に舞い降りる。
 それからカドゥサも異様な気配を察してか、どこからともなく現れて、キルヴァの肩に留まり、威嚇の声をもたらした。
 カドゥサを小声で宥めながら、キルヴァは兵らに向き直った。
「この者の名はステラ。ラーク・シャーサ、炎の天人である。ステラは既に私と契約を交わし、私のものになっている。今後、この者への無礼は私への無礼と見做す。ステラには常時私の傍にいてもらう所存であるゆえ、皆もよく見知ってくれ。ただし、必要以上に近づくことのないように。火傷をする羽目になるぞ。セグラン」
 セグランは身を正した。
「は」
「ステラの面倒を君に任せる。不自由のないように計らってくれ」
「承知いたしました……」
「それから、はじめ問答無用でステラに矢を放った者が幾人かいるな。エディニィ、クレイ、カズス、どうだ、わかるか」
 セグランの視線の先で、三名が順に応えた。
「はい。既に身柄を抑えてあります」
「こちらもです」
「こっちもです」
「よし。ではその者たちを除いて他は解散、昼食時に騒がせてすまなかった。皆、持ち場に戻ってくれ。ああ、君もここに残るように」
 キルヴァが最後に引き止めたのは、身を呈してキルヴァを庇った若い兵士だった。
「皆、私の天幕に来るように。ステラ、そなたも一緒だ」
 セグランも行きかけたところへ、四名の指揮官が急いでやってきて陳情した。
「どうか情状酌量ください。すべては王子を護るためにやったこと、反逆とかそういった意図はなかったのです」
「あいつは正義感の強い腕の立つよい兵士です。なんとか許してやってください」
「私の部下の不始末は私の責任です。処罰は私にくださるようお願い申し上げます」
「除隊にはならぬよう、どうかどうか、ご配慮を!」
 セグランは必死に懸命に言いつのる指揮官らを宥め、善処することを約束して、キルヴァの天幕を最後に潜った。中にはキルヴァと六人の近衛、隅にジェミスとステラ、そして畏まった姿勢で膝をつく九名の兵士がいた。どの顔も、厳罰を覚悟した厳しい眼をしている。
 キルヴァは一同を見渡して言った。
「面を上げよ」
 セグランは彼らの身が強張るのを見た。なんとか減刑をお願いせねば、と口を切ろうとした矢先、キルヴァがなんとも嬉しげに微笑んだ。
「ここにいる皆を、いまこのときより我が次軍師セグラン・リージュの近衛に任ずる」
 セグランは意表を突かれた。それは彼らも同じだったようで、皆一様にぽかんとしている。
 キルヴァは屈託ない調子で続けた。
「昼食時でつい油断しているひとときに、素早く行動を起こした君たちを評価する。どうかその力をセグランのために貸してほしい。近衛兵長は一番の年長者に任せようと思う。皆、年齢を言いたまえ。そうか。うん、では君だ。名は?」
 まだ面食らったまま、兵のひとりが答えた。
「ルゲル・エギーユです」
「ではルゲル・エギーユ、そなたを次軍師近衛兵長に任ずる。受けてくれるな」
「は……ははっ」
 キルヴァは首肯し、次に眼を向けた。
「兵副長は私を護るため身を挺した君だ。名を聞こう」
 いきなり視線をぶつけられ、若者は戸惑いした。
「お、俺は、ラージャ・ミクルスです。でもあの、近衛兵副長なんてそんな」
「嫌か?」
「まさか!光栄です!ただ、俺はまだ入隊して日も浅いし――他にもっと相応しい人がいるのではと」
「相応しいか、相応しくないかは問題じゃない。不測の事態に遭ってもどのように行動できるのか、それが肝心なのだ。誰か、ラージャ・ミクルスが近衛兵副長で不満のある者がいるか?」
 沈黙が返ってきた。
 ほら、とキルヴァは笑い、
「君を近衛兵副長に任ずる。受けてくれるな」
「……はい!」
「というわけだ。セグラン、この九名の者たちが君の命を護ってくれる剣となり盾となろう。よく傍に置くように。よいな」
 セグランは深々と身を二つに折った。キルヴァの自分の身を案じてくれる気持ちがただただ嬉しかった。
「ご厚意、感謝いたします」
「あのー、王子、俺の立場はどうなるんですかねぇ?」
 横から口を出したのは思ってもみない展開に眼を白黒させていたジェミスで、セグランは彼に面と向かい、きっぱりと、用済みだ、と断言した。
「うわ、ひでぇ。ちょっと王子、そりゃないですよー」
「そんなわけがなかろう。そなたはそのままだ。セグランの補佐と護衛、しっかり頼む。近衛兵をつけるのは今後君ひとりでは対処に限界があると見込んでのことだ、ルゲル・エギーユと協力して、どうかセグランを護ってくれ」
 それにしても、と苦渋の表情でいままで黙っていたミシカが抗議の声を上げる。
「私とダリーを除け者にすることはないでしょう」
「すまぬ。だが言ったら止められただろう。危ないことはするなって」
「それは、まあ。こぼれ矢があたらないとも限りませんし、どさくさにまぎれて不穏なことをやらかす者がいないとも限りませんからね、反対はしたでしょうけど――」
「まあいいさ。大事には至らなかったわけだし。でも王子、俺に黙ってこんなことはもう二度としないでくださいよ」
「わかった。しかしこれで、ステラを堂々陣中に置いておける。皆、はじめのうちは色々支障があるだろうがうまくやってくれ。よろしく頼む」
 そう言ってにこやかに笑んだキルヴァが最後に自分に向けた一瞥を、セグランは見逃さなかった。
 あとで話がある、とそのまなざしは告げていた。
 そしてそのことがなんであるか、セグランには既に察しがついていた。


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