「この者を、助けたいですか」 なにを今更、と思った。はじめに手を出したのは自分ではないか。 それでもセグランは訊かねばならなかった。 満身創痍で蒼い血を流しながら横たわる天人を食い入るようにみつめていたキルヴァはぼんやりと顔を上げた。瞳がすっかり竦みあがっている。天人を見るのも初めてならば、その人とは違う生き物がいままさに死に瀕している場に遭遇したのも初めてなのだ。恐ろしく思わない方が、どうかしている。 キルヴァはこっくりと首を縦に振った。 「助けたい」 「あとから面倒なことになるかもしれません。それでも助けますか?」 「面倒って、なに」 セグランは跪いて、キルヴァの小さな手を押し戴いた。 「王子、あなたは子供です。だが、なにもわからない子供ではない。違いますか」 「私は王の子、だ。それはわかっている。けど、セグランがなにを言いたいのかわからない」 「簡単にご説明します。私の話をきちんと聞いてから、さきほどの質問にもう一度答えてください」 セグランは天人に眼をやった。湖から引き揚げたものの、陸に上げた天人は死にかけている。全身に及ぶ裂傷からは蒼い血が溢れ、大きく盛り上がった豊かな白い四枚の翼は水に落ちた衝撃で薄紫に変色し、そのうちの一枚は火傷痕のような蒼い深い傷が一条、くっきりと残っていた。 「湖には、魔法がかかっていました。おそらく天人を捕えるためのものと思われます。あの天人の怪我は魔法の罠によるものなのです。何者かが、理由はわかりませんが、天人を必要とする何者かが、仕掛けたのです。おそらく中級以上の高位の魔法使(まほうし)の力が働いています。そして我が王の直轄の領土内で、無断でこんな暴挙がはたらけるわけがありません」 「……父上の、命令ということ?」 「……わかりません。ただ、無視はできません。もし王命だとすれば、いまあの天人を助けてよいものかどうか。この場は助けて、王に報告しご判断を仰ぐのであれば、それはそれでよろしいでしょう。ですがそうした場合、あの天人の命は王のものとなります。自由は奪われ、おそらく天へは帰れますまい」 「そんな……そんなの、かわいそうだ」 「この者を、助けますか……?」 王家の血を受け継いだという証の翡翠の双眸がキラッと光って、その固い意志を示した。 「助けて。そして父上には秘密にしよう。ううん、誰にも秘密だ。私と、セグランだけの二人だけの絶対の秘密だ」 それは、極めて危険な賭けだ。既に魔法の罠は解いてしまった。短刀は抜いてしまったし、湖には天人の血も流れている。もしうまく痕跡を残さぬようこの場を立ち去ったとして、どこにどうして天人を匿える? だが、これ以上は時間の無駄だ。せっかく助けた命も無駄になってしまう。 「わかりました」 セグランは首肯した。拳を握った左右の手首を交差し、重ねて、頭を垂れて額を押しつける。神聖な誓いを約するときのための姿勢だ。 「セグラン・リージュ、王子と秘密をともにすることを、ここに誓います」 「うん」 「さあ、では急いでここを去らなければ。私は地面に滴った血の痕に土をかぶせてきます。王子は王宮の方角を見張っていてください。なにか見えたらすぐに知らせてくださいね」 「えっ。手当は?痛そうだよ。早く、血を止めてあげないと……」 「ここでぐずぐずしていては危険です。大丈夫、私が助けを求められる相手をひとり、思い出しました。あそこなら山奥なので見つかりにくいし、人里からも離れている。治療も養生もできるでしょう」 「間に合う……?」 「やれるだけ、やってみましょう」 だめかもしれない、とはセグランは言わなかった。あまりに多くの血が流れた。だが、相手は人ではないのだ。天人の生命力がどれほどのものなのか―-----いまは賭けるしかない。
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